フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月10日(日) 晴れ

2008-02-11 02:50:19 | Weblog
  9時、起床。フィールドノートの更新をすませてから、昨夜の残りのカレー、トースト、牛乳の朝食。うちはカレーには牛乳である。水を飲むと胃の中でカレーが薄まってしまうが、牛乳はカレーのコクを維持しつつ、同時に、胃壁をカレーの刺激から保護してくれる(ような気がする)。
  午後、「日本の古本屋」のサイトを通して西宮の古書店栄文堂に注文した鈴木貞美編『大正生命主義と現代』(河出書房新社)の代金を振り込みに、自転車に乗って郵便局に行く。昨日が寒かっただけに、冬の陽射しを暖かく感じる。

        

  振込みを済ませて、そのまま池上方面に自転車を走らせる。大黒書店に入ると、小学生の男の子が店番をしていた。店主のお孫さんだろうか。ほどなくして店主が戻ってきて、二人で何ごとかを話している。男の子がさかんに「バーバリー」と言っている。子供のくせに生意気なと思っていたら、それはあのバーバリーのことでなく、「バーバ」(婆婆)に「リー」をつけた一種の隠語であるとわかった。大人が知恵をつけたのだろう。では、「ジージ」(爺爺)である店主は何と呼ばれているのだろうかと気になったが、それはわからなかった。以下の本を購入。

  遠藤周作『ぼくたちの洋行』(講談社)
  中村智志『段ボールハウスで見る夢』(草思社)
  毎日新聞社会部『縦並び社会』(毎日新聞社)
  白石昌則『生協の白石さん』(講談社)
  池田香代子再話『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)

  『生協の白石さん』と『世界がもし100人の村だったら』は話題になった頃に本屋で立ち読みしただけで購入してはいなかった。ベストセラーはいずれ安く古本屋の店頭に並ぶから。今日、どちらも100円で購入。ただし、この方式はいつでも通用するわけでない。一番の問題点は、古書店に安く出回る頃には、こちらがその本のことを忘れてしまっていることが多々あることである。
  「甘味あらい」で贅沢あんみつを食べる。最近は、池上に来たときは必ずといっていいくらいここに立ち寄る。ここの贅沢あんみつは私がこれまでの人生で食べたどのあんみつよりも美味しい。丁寧で洗練された味である。あんみつやみつ豆にはつきものの求肥を美味しいと感じたことはこの店が初めてである。それまでは何でこんなものが入っているのだろう、まあ、決まりだからしかたないか、と思っていたのである。優男(やさおとこ)のご主人と和服姿のよく似合う奥さんは、これは私の想像(というより妄想)だが、任侠の世界から足を洗って、ここでつつましく甘味処を営んでいるのである。けれどもしも昔世話になった組の親分に万が一のことがあったときは、雪の夜、ご主人は懐に短刀を忍ばせて、店を出て行くのである。店の入り口には「お客様へ 都合により閉店させていただきます。これまでのご愛顧感謝申し上げます」と筆で書かれた紙が張られている・・・。贅沢あんみつを食べた後に、口直しに磯辺巻を食べた。贅沢あんみつ850円、磯部巻500円、〆て1350円也。店を出て、自転車に乗ろうとしているところに、店から奥さんが出てきて、「これ、お忘れではございませんか」とハンカチを差し出した。確かに私のハンカチである。「ありがとうございます」と礼を言いながら、私は心の中で、「どうぞいつまでもお幸せに」と念じた。