大橋社労士の気まま日記

仕事上のエピソードや日常の出来事、日頃興味を持ったことなどを随時ご紹介していきます。

セミナー講師

2008-04-26 17:24:36 | Weblog
今週は、木・金とセミナーの講師の仕事が2日続きました。
2日連続というのは珍しいです。まあ、たまたまなんですけどね。

で、金曜日のセミナーなんですが、これがまあ予想外の展開に・・・。

このセミナーは、「企業の総務・人事の新規担当者向けに労働・社会保険などの事務手続きを教える」というものでした。
丸一日の講習が3コマに分かれていまして、そのうち私は2コマ目の「労働基準監督署への手続」を担当することになっていました。

前日、もちろん準備は万全で、資料の最終点検をしていた時に電話が鳴りました。
同じ日の1コマ目を担当することになっている都内に大きな事務所を構えるベテランの大先生からでした。
(そもそも、その人の後を受けて私がしゃべるというのが自分でもナゾなんですが・・・。)

なんだろう?明日の打ち合わせかしら?と気楽に電話を取ると、「実はさあ、体調悪くなっちゃって、明日講義できそうにないんだよお。代わってくれない? 2コマ連チャンになるけどいい?」と。

すわ緊急事態(笑)。

まあ、できませんって言ったところで、代わりは他にいないのだから受けるしかありませんわね。
それはそうと、レジュメとか資料はどうすんだろ?
「僕が作ったやつ渡すから、それでやって。ちゃんと作ってあるから大丈夫。」

というわけで、当日、予定外の早起きをして都内のセミナー会場に向かいました。

で、他人の作ったレジュメで、ほとんどぶっつけ本番で2時間しゃべりました。
さすがにちょっと汗かきましたが、途中に自分の経験談も交えながら何とか乗り切りました。ふぅ~。
無事定刻に終了。

助かったのは、この1コマ目のテーマが「社会保険事務所関係の事務手続」だったこと。これが小難しいテーマだったらどうなっていたことか・・・。

何ともスリリングな2時間(笑)でしたが、めったにできない経験でそれなりに楽しかったです。
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最近の若い者?

2008-04-18 21:25:24 | Weblog
よく「最近の若い者は・・・」というフレーズを耳にしますよね。
これはほとんどの場合、否定的な内容になっています。
「最近の若者はだらしない」とか「最近の若者は夢がない」とか「最近の若者は公衆道徳をわきまえない」とかetc.

このような表現を耳にしたときにいつも思うことがあります。
どうしてそうやって“ひとくくり”にするんだろう?と。

だって、若者といったってたくさんいるわけで、それも色々な人がいるわけで。
世の中の若い人がすべてそうであるかのような言い方をしてしまっては、マジメに頑張っている人に対して失礼ではないでしょうか。

確かに、どうみても「なっとらん人」はいますが、それは若者に限ったことでもなく、そもそもいつの時代にもいたでしょうから。
大体、「夢がない」って、そんな夢や希望が持てないような社会にしてしまったのはだれの責任でしょうか?
その辺を棚に上げて、若い人を悪者扱いするのはやめませんか?

毎日のように新聞やテレビを賑わすのは汚職や偽装や犯罪のニュースばかり。
家にいれば、父親は毎日遅くに疲れた顔をして帰ってくる。
そんなんで子供や若者は将来に夢や希望を持てるでしょうか。一生懸命に勉強してもこんな大人にしかなれないんだったら・・・と思われてしまったらそこで終わりですよね。
私も人のことは言えません。これは自分への語りかけでもあります。

そうそう、毎年この時期になると「今年の新入社員は○○型」なんていう風にニュースに出ますよね。
これも失礼だと思いませんか?
だから、どうして“ひとくくり”にするんだろう?
なんか迷惑分子が社会に入り込んできたみたいな言い方じゃないですか。
そもそも、その「○○型」になってしまうような教育をしてきたのは誰でしょうか?
さらには、やれ「学力低下」だの「体力不足」だのと騒ぎ立てていますよね。
それは子供たちのせいではないですよ。
子供は本当に親や大人の背中を見て育ちますからね。私も気をつけないといけません。

この前、ここで新入社員研修の話を書きましたが、本当に素晴らしい人たちばっかりですよ。ある意味、社会経験が豊富な人よりも純粋で素直で、物事の吸収も早いです。
それに、本当に色々な個性を持った方がいらっしゃいます。とても「○○型」なんて気安く呼べるもんじゃありません。

もちろん、40代・50代の方々から見れば「ちょっと物足りないな~」と感じる部分もそりゃああるでしょう。
でもそれは、社会経験の年数が絶対的に違うのだからある意味あたりまえです。

私も会社に入りたての頃(←今思えばずいぶん“子供”でした)に、「経験もないくせに偉そうなことを言うな!」と上司から言われたことがあります。
それこそ、「経験の乏しい人にあれこれ言われないように自分がちゃんとしてくださいよ!」って言いたかったですね(笑)。

というわけで、たまにはちょっとグチっぽくまとめてみました(笑)。

明日は午後から天気も良くなるそうです。
みなさま、よい週末をお過ごし下さい。

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チューリップ畑

2008-04-13 17:37:13 | Weblog
羽村市の(根がらみ前水田)「チューリップ畑」に行ってきました。
昨年も行ったのですが、もう見頃は過ぎてしまっていて悔しい思いをしたので、“リベンジ”です(笑)。



8分咲きらしいですが、ご覧のように見事(かな?)な風景でした。
時折小雨が混じるあいにくのお天気でしたが、そのおかげか、あまり人でごった返しておらず、のんびりと散策が楽しめました。
桜の開花が遅れていれば、近くの「羽村の堰」の桜とダブルで楽しめたところですが、自然相手ですからそうは思ったようにはいきません。

ちなみに、なんでここにこんな広大なチューリップ畑が存在するのかといいますと・・・。
元々、上記のように「・・水田」と呼ばれるように、ここは田んぼなのです。
地域の「花いっぱい運動」に供する球根を育てようと、何軒かの水田農家が「裏作」として始めたのがキッカケだそうです。
それをする農家やチューリップそのものの数が増えるにしたがって、口コミで見学者も増えてきて、数年前からは羽村市あげての一大イベントみたいになってきた模様です。
(季節は少しズレていますが、他にも「裏作」で、シャクヤクやボタン、大賀ハスなんかも育てているようです。)

来週の週末ぐらいまでは十分楽しめるそうなので、みなさんぜひ出かけてみてはいかがでしょうか。


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変えてみました

2008-04-10 09:18:19 | Weblog
ブログの「背景」変えてみました。
いかがでしょうか?

一応、期間限定で、今後1ヵ月間はこれでいきたいと思います。
評判を聞いて、その後を決めたいと思います。

内容は今までと一緒です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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自分史?(その6)

2008-04-08 15:14:51 | Weblog
4月1日の項でも述べましたが、社会人生活のスタートは関東地区で迎えることとなりました。

入った会社は、高速道路や国道などの清掃や補修、料金所の管理やPAの営業なんかをしている会社でした。
社員研修は銀座の本社だけでなく、関東近辺の事業所(いわゆる「現場」)でも行われました。
今ではおなじみの所沢とか川越とか(仕事でも私用でもよく行くのです)にも滞在しました。

当時は、まさか何年か後にこの近辺に住むことになるとは思ってもいませんでした。
むしろ、人も車も多いし、できることなら東京近郊には住みたくないなあ~なんて思っていました。

さて、そんな1ヶ月間の研修を終えて、初めて出た辞令は何と「大阪支店総務部総務課」でした。

そう、1ヶ月ちょっとの空白を経て、またまた関西地区へ逆戻りとなったのです。
京都と大阪は目と鼻の先ぐらいの距離ですし、学生時代も大阪には何やかやでよく行っていたので、まあ勝手知ったる所です。

ちなみに、当時の大阪支店のビルは、就職活動中に一次面接で見事に落とされた某住宅メーカーの真向かい! そして、つい最近、とあるセミナーでその(大阪支店の)ビルの2つ上の階に事務所を構える社労士の方と知り合いました。世間は狭いものです。

そんなわけで、生活にはすぐに慣れましたが、やはり仕事はそういうわけにいきませんでした。
まだ1年目は大目に見てくれてもいたのでしょうし、人員的にも若干余裕がありましたので、何とかやりくりできました。
が、2年目からは仕事も増え、より難しい仕事も任されるようになり、苦労の日々が続くことになります。
仕事の大変さもさることながら、上司がちょっとクセのある方で、当時はけっこうストレスをためて帰宅したものでした。

私が担当していたのは、主に給与計算、社会保険の手続事務、福利厚生関係、稟議書の作成、そして経理をちょこっと。
そう、今の仕事の礎がまさにここにあるのです。

「社労士」を目指すキッカケは実に単純な想いからでした。

まず、この「上司と部下」の関係、あるいは「組織的な様々なしがらみ」から逃れたいという思いが一つ。
もう一つは、「こういう仕事を面倒くさいと思っている人」は多いはずだから、逆にその人たちを助けられるような「職業」ってないものかなあ?というもの。

まとめますと、他人の意思にとらわれず自分で何かがしたい。でも「手に職」がないとそれはできない。今、自分のしている仕事に関わるもので一番近いもの(つまり一番取りやすそうな資格)って何だろう?ということです。

で、専門学校のパンフレット置き場にて物色を始めるのです。入社3年目の頃のことです。
そこで目に留まったのが「社会保険労務士」でした。
まさにこれだ!って思ったのです。

そういうわけで、早速勉強を始めたのですが、これがまたかなり難しいのです。
ちょっと最初はナメていましたね。自分が実務でしていることだから、ちょっと勉強すれば合格するだろうと。

試験は1年に1回。
なかなか受かりません。
仕事をしながら勉強もするのはかなりしんどいのですが、そんなのは言い訳にしかなりません。

そうこうしているうちに、大阪での単身赴任生活も5年が経過し、自分でもそろそろと思っていた時に転勤となりました。

異動先は「本社総務部人事課」。
多少呼び名は違いますが、やる仕事は大阪時代とほぼ同じ。
ある意味、ツイていましたね。一から仕事を覚える必要がないのですから。

会社の場所は西新宿でした。
少しでも通勤しやすい所ということで杉並区あたりに住もうと思っていましたが、とても家賃が高くあきらめることに・・・。
次いで、なるべく通いやすい中央線沿線で郊外の方でと思っていたら、当時の上司がネットで2~3物件を探してくれまして、それが国分寺のアパートでした。
何というか都会と田舎がごっちゃに混ざったような土地柄が何となく気に入り、また家探しにあまり時間もかけたくないので住むことにしました。

あっ、そうそう。結婚したのはこの頃です。

当時の職場の上司や仲間には申し訳ないのですが、この時はすでに「試験に受かり次第、独立して開業する」ということしか頭にありませんでした。
でも、自分の仕事はきちんとしましたよ(したつもりです)。

さて、東京に来て2年ちょっとが経過した頃、めでたく社労士試験に受かりました。お恥ずかしながら、足かけおよそ5年!(試験は都合4回受けました。)
まあ、合格率8%の試験ですからね。といっても半年勉強しただけで受かる人もいますが・・・。

ただ、(決して言い訳ではなく)合格までにある程度時間がかかったことで、その分幅広く色々な勉強ができましたし、一番重要な「実務経験」をたくさん積むことができました。
親しい人には「組織的なしがらみや会社の方針が気に入らないから辞めた」みたいな言い方をすることもありますが、この8年間お世話になった会社には本当に感謝していますし、わがままな私をよく育ててくれたものだと思っています。
8年間のサラリーマン生活がなければ今の私はないのでしょうから。

さて、よく「なぜ独立開業にあたって地元に帰らなかったのか?」と聞かれますが、答えは簡単。仕事をする上でのつてや人脈が名古屋には全くなかったからです。
決して東京に人脈がたくさんあったわけではありませんが、全くのゼロから始めるより1か2ぐらいから始められるかなあと思ったのです。
もし、大阪にいた時に合格していれば大阪で開業していたことでしょうし、そもそもその場合、東京(国分寺)という地に足を踏み入れることはなかったでしょうから不思議なものです。

もっと言えば、もし社会に出て最初に与えられた仕事が経理的なことだったら会計士か税理士になっていたかもしれませんし、飲食関係の部門だったら今ごろ飲食店を経営しているかもしれませんから、人生とは本当にわからないものです。
だから、今から10年後とかに今まで全然住んだことのない土地で、全く違う仕事をしている可能性だってあるわけですね。

開業後から今までのことは、これまた長くなりますので、また開業何周年かの節目の時にでも振り返ってみようと思います。
とりあえず今は、まだまだ日々精進といったところです。

というわけで、最後までお読みいただきありがとうございました。

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