大橋社労士の気まま日記

仕事上のエピソードや日常の出来事、日頃興味を持ったことなどを随時ご紹介していきます。

平成20年4月(一部3月)の主な法改正の概要

 | Weblog
さて、今日は月に一度の「ためになる話」シリーズです。
今年3月・4月の法律改正のうち、みなさんの生活や日頃の仕事に関わりの深い部分をご紹介します。


◎「労働契約法」が施行されました(3月~)
新しくできた法律です。その名の通り労働に関する契約を定めた法律で、わずか19条と意外に短いです。

全体としては、「労働基準法に+α」といった趣で、口約束での雇用によるトラブルなんかを法律で明文化することで減らしていこうという主旨です。
「労働契約は、労働者と使用者が対等の立場でできる限り書面で結び、変更する時も実態に合わせ生活に配慮してするべき」etc.ある意味常識的なことが書かれています。
 
それから、「就業規則を変更することで労働条件も変更するのなら、労働契約の内容が変わってもOK」という部分があります。もちろん、労働者に不利益になる場合には合理的な理由が必要ですし、合意や周知も必要となりますので、使用者側の安易な考えによって好き勝手に労働条件を変えられるということではありません。


◎「パートタイム労働法」が改正になりました
簡単に概要を言いますと、これまで「~に努めるものとする」とされていた部分の多くが「~しなければならない」となりました。要するに「義務化」された部分が増え、違反の場合には罰金も科せられることになります。
ごくごく簡単に言いますと、「仕事内容や契約期間などが正社員並みのパートさんやアルバイトさん達は賃金や福利厚生などの待遇面で差別してはいけないですよ」という主旨になったのです。

ただ、この法律でいう“パートタイム労働者”とは「正社員の所定労働時間より短い人」のことを指すため、いわゆる「フルタイムパート」の方々は対象外となる所に個人的には少々問題点も感じます。


◎健康保険制度が変わります
医療機関窓口での一部負担金は、これまで3歳未満の乳幼児までが2割でしたが、この4月より少子化対策の観点から「義務教育就学前まで」の方が2割となりました。

また、「後期高齢者医療制度」というのが創設され、75歳以上の方および65~74歳の方で一定の障害がある方はこの制度に加入することとなりました。この場合、現在加入している政府管掌健康保険の被保険者ではなくなりますので注意が必要です。さらに、その方に扶養されていた方々も被扶養者でなくなってしまうため、新たに国民健康保険等への加入が生じますので、ご注意下さい。


◎介護保険率・国民年金保険料が変わります
政府管掌健康保険の介護保険料率が1.13%に変更(引き下げ)となります。健康保険の医療部分の保
険料率は現在のままですので、健康保険全体としての保険料率は9.33%となります。
この変更は平成20年4月末納付分(→保険料としては平成20年3月分)からですので注意して下さい。

また、国民年金保険料は月額14,410円に若干値上げされます。
コメント

そうたろう君続報

 | Weblog
何度かここでご紹介している「そうたろう君」ですが、アメリカの病院で無事に手術が成功したようです。
よかった、よかった!

まだ「感染症」の可能性もあるためにしばらく様子を見ることが必要とのことですが、そうたろう君本人も元気なようで、まずは一安心といったところでしょうか。

詳しいことはこちらを。

http://ameblo.jp/saving-sotaro/entry-10081833210.html
コメント

余談

 | Weblog
前回出た食べ物や慣習に関する話題を少し詳しく述べてみます。

京都に行った最初の日。お昼に時間がなかったので、駅のホームの立ち食いそばを食べました。
汁が薄~い!って思いました。無色透明に限りなく近いんですよ。以後、どこでうどんやそば食べても同じ感じ。
すぐに慣れましたけどね。これはこれでダシがきいてて美味い。
それから、明らかに関西の人は「やわらかいうどん」が好き。なか卯のうどんですら「カタイ」って言いますから。
名古屋の味噌煮込みうどん(←かなり固ゆでなのです)を食べさせたら、「煮えてへんやん。こんなんありえへん!」って言ってました(笑)。

スーパーに「菓子パン」の品ぞろえが少ないんです。これは東京でも思いました。1年ぐらい前にこの話題、このブログにも載せましたよね。昔からの読者の方なら聞き覚えがあるかもしれません。
名古屋が田舎なんですかねえ。シキシマパンとフジパンという大きなメーカーのおひざ元だからこうなっているのでしょうか?

それから、「はんぺい」が通じなかったんですよ! あっ、普通に言うと「さつま揚げ」のことです。
大阪のおでん屋さんで「はんぺいください」って言ったら、「それは置いてない」って。「あるやん、そこに!(さつま揚げのことだってば!)」(笑)。
名古屋では、さつま揚げのことを普通に「はんぺい」(←「はんぺん」とは別物です。ちょっとややこしい。)と呼んでいます。

ついでに、通じなかった5大言葉。
「おぼわらん」「机をつる」「けった」「じょうをかう」「まわし」。
名古屋人じゃないみなさん、わかりました?
前から順に「覚えられない」「机を運ぶ」「自転車」「鍵をかける」「準備」という意味です。
名古屋(中部地区)においては“標準語”です(笑)。

慣習でビックリしたのは、「地蔵盆」と「節分の巻き寿司まるかぶり」。
そんな習慣、名古屋にはないですもん。
後者は最近になって全国に普及しつつありますが、当時は関西地方だけの習わしだったようです。

ちなみに「地蔵盆」とは、地蔵菩薩の縁日である8月24日とその前3日間ぐらいの時期に、主に町内単位でその地域のお地蔵さんを飾り付け、子供たちにはお菓子を配るといったような行事です。

まあ、今回はそんなとこで。
コメント

自分史?(その4)

 | Weblog
そういうわけで、京都で一人暮らしを始めました。

目新しいことも多く、毎日が刺激的で変化に富んでいて、それは楽しいものでした。ある意味、誰からも干渉されず、何をしようが自由です。

掃除や洗濯、食事やその後片付けなど、自分ですべてやらなければならないのは確かに大変ではありました。が、もう「受験勉強」のプレッシャーもなければ分刻みで行動するようなことも今までほどはありません。

本分である勉強の方も、あまり講義に出たくないような気の進まない科目ももちろんありましたが、おおかた楽しみながら学べました。
今までの受験勉強とは違う“本当の勉強”をしたという感じがします。

ただ、苦労したり戸惑ったことが2つありました。

ひとつは、文化や慣習の違いです。時には人の考え方まで違いました。
人間、どうしても今まで自分が慣れ親しんできたところを「標準」として考えてしまいがちです。
特に京都という街は歴史が重い分、文化的にちょっと特殊なことも多いですし、何分「関西」という土地柄、今までと全く違う慣習に戸惑うことも多かったです。
とりあえず、「関西弁」に慣れるのに2年かかりました(笑)。
逆に、慣れてしまうと、とても使いやすく親しみやすい言葉でした。今でも関西の人と会話する時には自然と関西弁になりますよ。“本場”のアクセントとは多少異なりはしますが・・。
他にも、細かいことを言えば、味付け、エスカレーターの立つ位置、バスの乗り方、スーパーの品ぞろえetc.、同じ日本なのに・・・ということはたくさんありました。
いかに自分が今まで「限られた狭い範囲」で生きてきたのかを実感しました。
ただ、この経験が後に活きてくることとなるのです。

もうひとつは、人間関係です。
今もそうですが、人づきあいはあまり良くない方です。溶け込むにも時間がかかる方です。一人っ子だったせいもあるのでしょうし、過去に受験勉強ばかりに明け暮れてしまった弊害かもしれません。
そして何より、どちらかというとわがままで、自分の主張を決して曲げないところが最大のネックだったのでしょう。
今思うと、もう少しうまく立ち回れたかなあ~と思いますし、あの頃の自分が恥ずかしく思われます。

あっ、もうひとつありました。
彼女ができなかったこと! これが一番かもしれない(笑)。
せっかく身も心も一番自由が利き、なおかつ一人暮らし。そんな絶好の条件で、結局なあ~んにもなかったのですから。

最近の私しか知らない人は多分信じないでしょうが、この頃まではとても内気で、ちょっとでも好みの女性なんかを目の前にしたら、緊張のあまり何もしゃべれなくなるような人間だったのです。

とりあえず、そんなんではいけないと思い、事あるごとに自分を鼓舞して積極的に行動することにしました。
ただ、結果は芳しくなく、そればかりか、大学入って最初に好きになった人からは男としてのプライドを傷つけられ、女性不信にでも陥るようなヒドイ言葉を浴びせられる始末・・・。

当時は、自分がオシャレじゃないからだとか、イケメンではないからだとか、外見的なものにその原因を求めてしまっていたのですが、今思えば、ただ単に人間的魅力に乏しかったのですね。人を惹きつけるような人間的素養に欠けていたのだと思います。もっと早くに気付けばよかったですが・・・。
責任転嫁はよくないですが、これも高校時代に受験勉強ばかりに明け暮れてしまった弊害かもしれません。
歳格好はそれなりに大人になってはいても、中身がついていってなかったわけですね。

余談ですが、上記に出てきた女の人は、現在の妻と実家がすぐ近所なのです。これも何かの因縁でしょうか・・・。


さて、話を戻しますが、単位の方は何とか無難に取得し、行きたいところには行き、それなりに学生生活をエンジョイし、卒論も色々言われながらも完成しました。
あと残るは就職活動となりますが、ここでもいきなり「壁」にぶち当たることになります。

では、次回は就職活動と社会人生活の前半を振り返ることにします。
(できればこの企画、あと2回で終わりにしますので、もうしばらくお付き合い下さいまし。)

コメント

自分史?(その3)

 | Weblog
さて、大学入試ですが、いきなり大失敗をしでかすこととなります。
「センター試験」の自己採点の結果、何と“自分の点数で入れそうな大学が全国どこ探してもひとつもなかった”のです。

つまり、ものすごくヒドイ点数だったのです。担任の先生から「いったい何があったんだ?」と呼び出しを食ったくらいです。
今となっては笑い話ですが、国語の現代文の1問目なんて漢字しか合ってなかったのですよ。お恥ずかしい・・・。

愕然としました。
今までの努力は何だったのか。これまで色々なことを犠牲にしてまで勉強したのは無意味だったのか。なんで高校受験の時と同じような失敗をしてしまったのか。

話は脱線しますが、この時以来「五択」がどうも苦手なのです。
そう、社労士試験も「五択」が中心で、ずいぶん苦しめられました。おかげで(ただ単に勉強不足なだけかもしれないですが)受かるのに4年以上も費やしました。
どうしても“正解じゃないけどそれに限りなく近い選択肢”を選んでしまうんですよ。

話を戻します。
そうは言っても、立ち止っているわけにはいきません。
すぐに私立大の試験も始まります。
当時は、卒業後も就職は地元でなんて考えていた(←この時からすると、今こうして東京で自分で商売をしているというのは非常に意外なこととも言えますね)ので、私大は地元の学校を中心にいくつか受けることになっていました。
実は、後に自分が入ることになる大学(←左横のプロフィール欄をご参照下さい)はたまたま名古屋でいわゆる「地方入試」をしていたので、何となく受けただけなのです。

まあ、気楽に受験したのがよかったのかもしれません。
どうせ受かりっこないだろう・・なんて思いながら、問題を楽しみながら解きました。運よく自分の得意な所が出てもいました。受験はやはり運もあるんですねえ(笑)。
しかも試験会場が「河合塾」の校舎で、それも偶然、前の日に「直前対策講座」を受講したのと同じ教室だったこともリラックスできた要因だったように思います。

かくして、「合格通知」が家に届きました。
ただ、上記のような心理状況だったので、浪人覚悟で来年用の勉強まで始めていたこともあり、大学の封筒を見た時も「いったい何が入っているんだろう?」なんて思いながら何気なく封を切ったのです。
その日は家族じゅう大騒ぎとなりました(笑)。

一日たって冷静に考えてみると、京都に行かなくてはなりません。京都はもちろんのこと他の街にも旅行などで行ったことはありますが、地元を離れて生活するのは初めての経験です。
もちろん初めての一人暮らしです。
正直、楽しみと不安がちょうど半々でした。

では、次回は大学生活から話をいたしましょう。
コメント

自分史?(その2)

 | Weblog
で、スポーツを始めたことにより格段に体力がついたのです。
食べる量も飛躍的に多くなり、病気に全くと言っていいほどならなくなりました。
小学校4年生から中学・高校・大学を経て社会人の8年間、何と病気で学校や会社を休んだことは1日もないのです!(仮病を使ってズル休みしたことは数回ありますが、もう時効ですよね(笑)。)

中学生になりますと、今度はテニスを始めました。
練習はとても厳しくて、理不尽な上下関係(個人的にこういうのは大嫌い)もあり、当時は決して楽しいばかりではありませんでした。
が、そのおかげで今も週に1回程度、まあそこそこのレベルでテニスを楽しんでやることができていますから、やっといてよかったなあと思います。

ただ逆に、テニスに没頭していたせいか、勉強の方がおろそかになり、成績は下降気味・・・。
高校受験は見事に失敗! “すべりどめ”だった某私立高校に行くことになります。
過去は変えることができないので、もし希望どおりに公立高校に行っていたら、その後の人生がどうなっていたかはわかりません。ただ、「災い転じて福となす」という言葉もあることですし、これがよかったんだと思うようにしています。
自身の人生におけるひとつのターニングポイントであったことは間違いないでしょう。この高校受験の失敗がなかったら、とりあえず今東京で社労士はしてないと思います。

その高校時代ですが、多くの人は青春時代のまっただ中で一番楽しい時代のひとつかもしれません。
ただ、私にとっては一番しんどい時期だったように思います。
要は「受験勉強」ばかりしていました。好きな野球中継もほとんど見ず(今となっては信じられませんが(笑))、テニスも中断し、来る日も来る日も勉強に明け暮れていました。
ね、つまらない高校生活でしょう?(笑)

いわゆる普通の仏教系の私立高校でしたが、「特別進学クラス」に在籍していました。名前だけ聞くといい響きですが、いわゆる「公立失敗組」のための受け入れ用クラスなのです。
時期によっては、通常の時間割の他に「0時間目」と「7時間目」があって、小テストも頻繁に行われ、宿題もしょっちゅう出ます。夏休みには毎年、長野県の施設で2週間ほど「学習合宿」がありました。
その合間に河合塾の「高校グリーンコース」に通ったりもしていました。
そうそう、高校は男子校だったこともあり、浮ついた話には無縁で、そもそも上記のような生活だったので、「出会うチャンス」もありませんわね。
ね、つまらない高校生活でしょう?(笑)

それでも何とか頑張れたのは、高校受験の失敗をかなり反省したのと同時に、自分のふがいなさに頭にきていたからでしょう。
それと、今思えば何でこんなことを気にしていたのかと思うのですが、自分の親戚関係がみな世間で一流と言わている高校や大学やらを出ていたり在学していたために、恥はかきたくないと思ってもいました。
学校や企業の「ネーム」はちっとも関係ないと実感するのはもっと後のことです。

では、大学受験の時からの話を次回にいたしましょう。


コメント

自分史?(その1)

 | Weblog
よくされる質問のひとつに「独立開業前は何してたんですか?」というのがあります。「前から東京にいるんですか?」ともよく聞かれます。

というわけで、この際、生い立ちから今までを振り返ってみようと思います。
読むの疲れると思いますので、何回かに分けてお話しします。


昭和48年6月9日に名古屋市瑞穂区(病院は昭和区)で生まれました(とされています(笑)。自分ではわからないので・・・)。
最近わかったことですが、どういう偶然か妻も同じ病院で生まれています。実家の場所、他府県なのに・・・。

両親の話を総合しますと、とてもおとなしくて育てやすい子だったらしいです。それから、祖母が“育児のいいとこどり”をしていたらしいです。誰しも孫は甘やかすといいますから、祖母に(よく言えば)大事に育てられたせいでそういうおとなしい子になったのかもしれません。
(小学生ぐらいになって自分でも物事がわかり出すと、「過保護だなあ~」と思う瞬間も増えてきました。)

幼稚園はあまり行くのが楽しくなかったですね。一人っ子で上記のように育ったこともあるのでしょうが、集団に溶け込むのが苦手な子でした。自分から我先にというよりは、ちょっと一歩引くというようなタイプ。
自分自身あまり記憶がないのですが、「おうちに帰りた~い」とダダをこねて、幼稚園の先生から母親に「引き取りのお願い」の電話がよくかかってきたそうです。
いやあ、申し訳ない・・・(苦笑)。

よく幼稚園の頃の性格を生涯ずっと引きずると言われますが、確かにそう思う瞬間がよくあります。(「三つ子の魂、百まで」とも言いますしね。)
もちろん、幼少の頃に比べたら積極的にもなってますし、精神的にもずいぶん図太くなってはいますが、肝心な時にもうひと押しできなかったり、「こういうところは昔と変わっていないな~」と思ってしまうことが今でもあります。

小学生になりました。
よく言えば「まじめな児童」だったようですが、一方で「給食をいつまでも食べている子」だったようです。先生も大変だったでしょう・・・(苦笑)。
今では「早食い競争」に出てもいい勝負するくらいメシ食うのは速い方なので、人間変われば変わるものです。
それから、体も弱い方で、近所の内科の「常連」でした。熱もしょっちゅう出していました。

とまあここまでは、マイナス的なことばかりが目立ちますが、小学校4年生の頃から劇的な変化が起こります。
小学校の野球部に入り、同時に町内のソフトボールチームに入るようになってからのことです。
ここからのお話は次回にしようと思います。

それでは、また。
コメント

もう3月!

 | Weblog
いよいよ暖かくなってきましたね。
今年もあっという間にもう3月ですよ。

私もそうですが、花粉症を抱えていらっしゃる方は、せっかくのいい気候に外出が億劫になったりする季節でもありますね。
でも、そうはいっても寒いより暖かい方が断然気分がいいです。気持ちも前向きになりますしね。

さて、先日、新聞にこんな記事を見つけました。ほぼ原文そのまま掲載することにします。
なお、この内容に関して別に深い意味はありません(笑)。


『“恋”とは「この人と一緒にいたい!共に生きたい!」という切ない感情だ。でも、それが実現したとたんに恋は恋でなくなり、単なる“生活”となる。
恋は「人を元気づけ、生き生きとさせる」。逆に、生活はひたすら人を疲れさせることが多い。
ただ、それがわかっていても、恋すればその成就を願ってしまうものだ。
どうしたら「恋を恋のままに」しておけるのだろうか? 恋の持続の理想形とはどんなものなのだろうか?』


別に深い意味はありませんよ(笑)。くどいか・・・(笑)。
コメント