先日、コンサルティング業界(っていうのかな?)ではちょっと有名なある方の講義を聴いてきました。
各方面から聞いていたウワサは本当で、非常に密度の濃い、かつあっという間の2時間でした。
私も仕事の半分はコンサルなので、そのコツみたいなのをちょっと“つかんだ”気がします。
さて、その講義内容のよさもさることながら、関心してしまったのはその「講義法」です。
私自身の職業柄、様々な所で「講師」をすることも多いので、こうして誰かの講義を聴きに行くと、どうしても「講義の仕方」に注目してしまうのです。
一瞬のうちに受講生を話に引き込み、そのまま終わるまで掴んで離さない・・・単なる話術ではなく豊富な知識や経験にも裏打ちされた話題の豊富さと、「これをみなさんに伝えるんだ」という熱意。まんべんなく投げかけている視線。絶妙な間の取り方に時には笑いも取りながら飽きさせない工夫。そして、それらが自然に無理なくできている。
上記のことは私も講義をするときにはいつも心がけていることではありますが、なかなか思うようにできないのも事実です。
蛇足ですが、私が一度やってみたいことの一つに「レジュメなし講義」というのがあります。
あるテーマについて資料など何も使うことなく、話とホワイトボードだけですべてを行うのです。受講する皆さんにはメモ用紙だけお渡しして、じっくり聴いて頂き、レジュメではなく「話を持ち帰っていただく」。
そんな構想が最近頭の中にあります。
さて、何かえらそうに書きましたが、実は私は元々は「あがり症」です。
もうかれこれ何年も続けているテニスでも、練習の時にはそこそこでも、いざ試合になるとからっきしダメだったりします。
大学生の時、好きな女の子と行った「初デート」(としときましょう)も、どこにどのように行って何を話して何を食べたのか全く記憶がありません(笑)。
今でも実際、初めての経験をする時や新しい環境に身を投じる時、あるいは初対面の人と会う前や今までかけたことのない所に電話する時など、ものすごく「あがり」ます。
ただ、外見上はそう見えないようで、よく仕事仲間や後輩からこう尋ねられます。
「大勢の人の前でしゃべる時とかに緊張とかしないんですか?」と。
決まってこう答えます。
「いや、逆に緊張しないとちゃんとしゃべれないんだ。」と。
コトバを変えますと、私の中で「あがる」のと「緊張する」のは全く別物なのです。適度な緊張感がないと気が抜けてしまい、テンションも上がらず、聴いている方々に話の真意が伝えられなくなってしまいます。
確かに「あがって」いるとろくにしゃべれません。
克服方法は2つ。
ひとつは「場数を踏むこと」でしょうか。
一握りの天才を除いて、どんなことでも初めから上手くできる人なんていません。まず、そう考えれば気も楽になります。
重要なのは、何度もこなす(場数を踏む)うちに単に「慣れる」のではなく「あがってしまった時にどう対応したらよいかがわかる」ことではないかなと思います。
もうひとつは「“これだけは絶対にみなさんに伝えよう”ということを明確に決めておく」ことでしょうか。
こうすることで話の軸がぶれなくなり、少々あがったとしても、話の要点はきちんと相手に伝わるのだと思います。
要は、話術や技法ではないのでしょうね。少々しゃべりが下手でも熱意をもって頑張って伝えようとしていればちゃんと伝わりますし、逆にどんなに上手くしゃべっても心がこもっていないと聴いている人たちの頭に残らないし心に響かないですもんね。
そうそう、音楽や絵画の世界も同じではないですか?
以上、今日は自分にも言い聞かせるつもりで書いてみました。
各方面から聞いていたウワサは本当で、非常に密度の濃い、かつあっという間の2時間でした。
私も仕事の半分はコンサルなので、そのコツみたいなのをちょっと“つかんだ”気がします。
さて、その講義内容のよさもさることながら、関心してしまったのはその「講義法」です。
私自身の職業柄、様々な所で「講師」をすることも多いので、こうして誰かの講義を聴きに行くと、どうしても「講義の仕方」に注目してしまうのです。
一瞬のうちに受講生を話に引き込み、そのまま終わるまで掴んで離さない・・・単なる話術ではなく豊富な知識や経験にも裏打ちされた話題の豊富さと、「これをみなさんに伝えるんだ」という熱意。まんべんなく投げかけている視線。絶妙な間の取り方に時には笑いも取りながら飽きさせない工夫。そして、それらが自然に無理なくできている。
上記のことは私も講義をするときにはいつも心がけていることではありますが、なかなか思うようにできないのも事実です。
蛇足ですが、私が一度やってみたいことの一つに「レジュメなし講義」というのがあります。
あるテーマについて資料など何も使うことなく、話とホワイトボードだけですべてを行うのです。受講する皆さんにはメモ用紙だけお渡しして、じっくり聴いて頂き、レジュメではなく「話を持ち帰っていただく」。
そんな構想が最近頭の中にあります。
さて、何かえらそうに書きましたが、実は私は元々は「あがり症」です。
もうかれこれ何年も続けているテニスでも、練習の時にはそこそこでも、いざ試合になるとからっきしダメだったりします。
大学生の時、好きな女の子と行った「初デート」(としときましょう)も、どこにどのように行って何を話して何を食べたのか全く記憶がありません(笑)。
今でも実際、初めての経験をする時や新しい環境に身を投じる時、あるいは初対面の人と会う前や今までかけたことのない所に電話する時など、ものすごく「あがり」ます。
ただ、外見上はそう見えないようで、よく仕事仲間や後輩からこう尋ねられます。
「大勢の人の前でしゃべる時とかに緊張とかしないんですか?」と。
決まってこう答えます。
「いや、逆に緊張しないとちゃんとしゃべれないんだ。」と。
コトバを変えますと、私の中で「あがる」のと「緊張する」のは全く別物なのです。適度な緊張感がないと気が抜けてしまい、テンションも上がらず、聴いている方々に話の真意が伝えられなくなってしまいます。
確かに「あがって」いるとろくにしゃべれません。
克服方法は2つ。
ひとつは「場数を踏むこと」でしょうか。
一握りの天才を除いて、どんなことでも初めから上手くできる人なんていません。まず、そう考えれば気も楽になります。
重要なのは、何度もこなす(場数を踏む)うちに単に「慣れる」のではなく「あがってしまった時にどう対応したらよいかがわかる」ことではないかなと思います。
もうひとつは「“これだけは絶対にみなさんに伝えよう”ということを明確に決めておく」ことでしょうか。
こうすることで話の軸がぶれなくなり、少々あがったとしても、話の要点はきちんと相手に伝わるのだと思います。
要は、話術や技法ではないのでしょうね。少々しゃべりが下手でも熱意をもって頑張って伝えようとしていればちゃんと伝わりますし、逆にどんなに上手くしゃべっても心がこもっていないと聴いている人たちの頭に残らないし心に響かないですもんね。
そうそう、音楽や絵画の世界も同じではないですか?
以上、今日は自分にも言い聞かせるつもりで書いてみました。