<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

この問いの前に立たされると

2019年12月08日 07時20分14秒 | Weblog
4才年下の弟は4年前に死んでしまいましたが、僕は死んでいません。すまないなあという気がします。じゃ、その分を有意義に生きているか。この問いの前に立たされると、はい、もう、しどろもどろするばかりです。相変わらずぐうたらだからです。この世を去った弟は、死後を守られていると思います。
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この問いの前に立たされると

2019年12月08日 07時20分14秒 | Weblog
4才年下の弟は4年前に死んでしまいましたが、僕は死んでいません。すまないなあという気がします。じゃ、その分を有意義に生きているか。この問いの前に立たされると、はい、もう、しどろもどろするばかりです。相変わらずぐうたらだからです。この世を去った弟は、死後を守られていると思います。
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僕はヨロヨロよぼよぼの老人です。かっこわるいです。

2019年12月08日 07時07分00秒 | Weblog
僕は老いています。杖を突いて歩いてもよろよろしています。しょっちゅう、倒れる心配をしています。ぶざまです。人のいる前で倒れるのは見苦しいから、人前では緊張をします。長く生きました。ああ、こんなになるまで生かしてもらっているのだなあと思います。守っていてくださる方に手が合わさります。


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僕はまだあの頃のままの小学生

2019年12月08日 07時04分17秒 | Weblog
どうしてこんなことがこんなに楽しいのでしょうね。小学校の頃に学級庭園がありました。クラスごとに割り当てられた小さな庭園です。担任の先生の指導の下で、いろんな季節の草花を育てて楽しみました。それがまだ続いています。僕はまだあのころのままの小学生をしています。
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こうしておくと春が来るのが

2019年12月08日 07時01分35秒 | Weblog
それはたぶん午前中で終わります。午後からは庭仕事をする予定です。いつものように一人で黙然と。金盞花、ゴテチア、釣鐘草、撫子などの花苗を買って来ています。チューリップの球根も。花壇にこれを植え付けて楽しみます。こうしておくと春が来るのが一段と待ち遠しくなります。


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ふるさとはかっての城下町 今日は其の歴史探訪会

2019年12月08日 06時58分34秒 | Weblog
今日は12月8日。日曜日です。天気予報では快晴。ふるさとの歴史探訪、勢福寺城の城山(標高200mほど)登山の日です。8時半には公民館に行きます。かって城下町として賑わったその集落の住民の一人として、それを見に来て下さる参加者をお迎えします。老人会の方はお茶の接待をなさいます。

みなさんもおいでになりませんか。
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早朝6時半の気温は5℃

2019年12月08日 06時55分27秒 | Weblog
早朝6時半の気温は5℃です。冷えています。炬燵に入って手袋をしています。エアコンはつけていません。いつものように、流れて来るここちよい音楽をきいています。今日は瞑想のための音楽を聞いています。おだやかな調べです。


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鼻がすうすう息をしています 生きています

2019年12月08日 06時30分17秒 | Weblog
おはようございます。寝足りています。目が覚めました。鼻がすうすう息をしています。老爺の僕を生かしていてくれる健気(けなげ)な鼻さんと、鼻さんの奥にまします尊い方に、お礼を言います。


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人は人を生きてきたのだ 神を生きては来なかったのだ

2019年12月08日 06時12分53秒 | Weblog
自己処罰というのが苦しいねえ。苦しいねえ。一生涯を振り返ってみると、それに値するような悪事をさまざまに働いているからね。思い起こす度ごとに、問い詰めてしまう。己のしたことは己には騙せない。悪事の前の悪意までを問い詰めることになる。

人は人を生きてきたのだ。神を生きては来なかったのだ。仏陀に目覚めては来なかったのだ。嘘偽りに終始してきたのだ。真実なんかこれっぽちも掴んでいなかったのだ。エラーだらけなんだ。

間違いを犯すのは人間、それを許す神々や仏陀がどうしても必要になる。許しを乞うしかないのだ。生きているときでもいい、死んだ後からでもいい。自己処罰から解放されなければならないのだ。神々のように完全ではない我々人間は、不正義に依拠し、不完全を生きて来たのだから。得意満面は、許されたあとになるのだ。
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12月の僕のもう一つの詩の作品 「閻魔大王様」

2019年12月08日 05時46分49秒 | Weblog
「閻魔大王様」

閻魔大王様に
舌を抜かれるっていうけど
ほんとうだろうかね
嘘だろうね

嘘をついたら嘘をついた舌を
抜かれてしまうというけど
嘘をつくのが人間なんだから
それを百も承知の大王様は
嘘をつかなきゃならない程の
地獄を彷徨ったんだねって
熱い涙を流して慰撫される筈
処罰なんかなさるもんか

処罰するのが得意なのは人間
人間ではない閻魔大王様は
僅かな処罰をもなさらない

今日はもう一年の終わりの月
今朝は格別よく冷えている
辛いことがあれこれあったなあ
悲しいこともあったなあ
よく耐えて来たなあ


閻魔大王様のことを書いてみた。処罰をする神々や処罰する仏陀はおられない、と僕は思う。生前にはおられるかもしれないが、死後にはおられないと思う。処罰は社会倫理の問題である。警察や検察などの司法が携わって、生きる現代社会を明るく住みやすくするためにある。
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