地震

2021-03-18 | リハビリ
3・11の時、避難しなかった人、津波が来てから避難した人、津波に飲み込まれて亡くなってしまいました。庁舎の高いところに、威張っている順に登って、助かった町長や助役がいました。下っ端の若い方たちは、屋上で波にのまれて全員死亡です。「避難放送」を続けていた若い女性は、部屋の中で逃げずに死亡しました。

高いところにさっさと上って助かった年寄りが、避難放送を続けていた女性に「○○ちゃん逃げろ」と、声をかけたといっていました。死人に口なしです。年寄りは生き残って、若い人はなくなりました。

それだけではありませんが、あの時は何が正しくて、何が悪いということは言えません。

大川小で裁判に勝ってお金をもらえた人たちは、自分の子供を「迎え」に行きませんでした。もちろん、非難を誘導した、大川小の先生たちが、一番悪いです。って、言えるんですかね。大川小で子供を亡くした父兄の多くは、裁判に参加しませんでした。

釜石では普段から避難訓練をしていて、助かったそうです。

私は一か月ぐらいしてから、バイクで仙台市の海岸を見に行きました。警察と警備会社が、警戒をしていました。外に出ているのは、警備員です。警察官は最後に出てくるようでした。がれきは片付けられていましたが、ヘドロのにおいがすごかったです。

三陸方面では、工事車両がたくさん走っていました。
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