徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

10年前の今日 ~秋のくまもとお城まつり最終日~

2021-10-16 21:36:37 | 
 今日ふと、10年前の今日は何をやっていたのだろうかと思い、ブログを確認してみた。すると今日は「秋のくまもとお城まつり2011」の最終日で、熊本城竹の丸のイベント会場で一日を過ごしていた。記事を見ながら、「十年一昔」とは言うけれど、自分の身辺も世の中も大きく変わってしまったなぁという感慨にしばしひたった。
 10年前の今日のブログ記事を再掲してみた。

 「秋のくまもとお城まつり」も今日が最終日。秋晴れの下、メイン会場の熊本城竹の丸では様々な出し物が終日演じられたが、まつり初日に続き、今日もトップを飾ったのは少女舞踊団ザ・わらべ。10時からと11時半からの2回にわたり、前回とは異なる演目も含め、各30分ずつのステージを演じ切った。今や熊本の伝統芸能のシンボルとして大きなイベントには欠かせない存在になったようだ。








今年の吹奏楽事情

2021-10-15 22:37:54 | 音楽芸能
 わが家から歩いて5分ほどのところに熊本県吹奏楽連盟の事務所がある。昨年はすべてのコンクールが中止されたので今年の状況を聞いてみようと、先日、前を通りかかった時に訪ねてみた。当番の女性の先生に対応していただいた。
 先生のお話によると、ちょうど前日に行われたマーチングの九州大会で金賞となった熊本工業高と玉名女子高が全日本マーチングコンテストに行くことになったそうだ。
 実は8月に行われた九州吹奏楽コンクールの結果も知らなかったが、今月24日に行われる全日本吹奏楽コンクールには、今年も玉名女子高が九州代表の一校として出場が決まっているという。今年も二つの全国大会での活躍が大いに期待される。


「立田・龍田・竜田」のはなし。

2021-10-14 16:34:30 | 熊本
 10日の熊日新聞に掲載された「立田・龍田・竜田 混在なぜ」という記事を見て、昨年6月29日のブログに同じような話題を取り上げたことを思い出した。
 「立田山のはなし。

 「たつた」の由来は、平安時代の寛和2年(986年)79歳の清原元輔(清少納言の父)が肥後国司として赴任したとき、濃い緑に覆われ「黒髪山」と呼ばれていた山を見て、ふるさと大和の龍田山をしのんで「龍田山」と名を改めたと伝えられる。それがなぜ「立田山」となったのか。著名な歌人でもあった元輔が、大和国の歌枕である「龍田山」が掛詞となった次のような歌を思い浮かべたからかもしれない。

 風吹けばおきつしら浪立田山夜半にや君がひとりこゆらん(よみ人知らず)

 この歌は伊勢物語の二十三段「筒井筒」「古今和歌集」「大和物語」などに収録されている歌だが、元輔が肥後守として赴任した時にはすでに「伊勢物語」「古今和歌集」「大和物語」いずれも成立しているので、当然知っていたと考えられる。
 また、万葉集に収められた次の歌なども思い浮かべたかもしれない。

 海の底沖つ白波立田山いつか越えなむ妹があたり見む(長田王:をさだのおほきみ)

 いずれも、「風吹けばおきつしら浪」や「海の底沖つ白波」が序詞となり、「立田山」が掛詞となっている。肥後の「黒髪山」が「龍田山」となり、「立田山」と表記されるようになったのは歌人元輔の想いが込められているのかもしれない。

 旧字の「龍」とくずし字の「竜」は旧大和国(奈良県)でもあまりこだわらずに併用されているようで、熊本も同様であり、違いを気にするほどのことではないと思われる。ちなみに奈良県では「たつた」、熊本県では「たつだ」と読むのが一般的なようだ。

※右の絵は秋の女神「竜田姫」

9月の動画視聴ベスト10

2021-10-13 20:10:50 | 音楽芸能
 YouTubeマイチャンネルの9月度動画視聴ベスト10は次のとおり。
 この中で2位の「伊勢音頭」、3位の「南部俵積み唄」、5位の「熊本民謡 おてもやん」、6位の「ひえつき節」の4曲は、サイト「世界の民謡・童謡」の中で動画を紹介していただいています。
 視聴は下記「視聴ページ」からどうぞ。



【視聴ページ】
 1おてもやん(歌詞付)
 2伊勢音頭
 3南部俵積み唄
 4幸若舞「敦盛」
 5熊本民謡 おてもやん
 6ひえつき節
 7かっぽれ
 8正調「田原坂」
 9肥後のタンタン節
 10こわらべ おてもやん

梅林天満宮例大祭は予定どおり開催!

2021-10-12 18:09:48 | イベント
 昨年中止され、今年も開催が危ぶまれていた梅林天満宮(玉名市津留)の例大祭は予定どおり11月25日に行われるようだ。
 この祭りの運営担当は節頭区と呼ばれ、下・安楽寺・津留の各地区が交代で務めているが、今年も中止となると節頭区が持ち越しとなり負担が大きいことも開催理由の一つのようだ。
 そうでなくても、伝統の流鏑馬神事を呼び物とする梅林天満宮例大祭は今、岐路に立たされている。各地区とも高齢化や住民の減少で負担を負いきれなくなっているという。900年を超えるという鏑流馬神事の歴史が絶えないことを心から願っている。










よみがえる新日本紀行

2021-10-11 14:18:26 | 歴史
 先週金曜日、NHK熊本ローカルの「くまもとの風」では「よみがえる新日本紀行 肥後秘花 ー熊本ー」を放送した。8月にBSプレミアムで放送したようだが、昭和56年放送の「新日本紀行 肥後秘花」を最新のデジタル技術で色鮮やかによみがえらせた番組だった。
 熊本では細川藩独自の武家文化として、菖蒲や椿、朝顔などの「肥後六花」が守り継がれている。その伝統を受け継ぐ人々の情熱と花づくりの奥深さが令和の時代にも息づいていることが紹介された。
 40年前の本放送も多分見ていると思うが、今回あらためて気づいたのは、わが家近くの40年前の風景。懐かしさと40年の時の流れに感慨深いものがあった。

 ここはその昔柳川丁(江戸期は柳川小路)と呼ばれた一帯で、関ヶ原の戦で西軍に与して敗れた柳川立花藩の家臣たちを、加藤清正が預かり、京町のこの小路に住まわせたので、以来柳川小路と称したところ。京町と寺原をつなぐ瀬戸坂に南北から坂道が合流する。合流点を瀬戸口といい、北側の坂は三年坂と呼ばれた。
 
   ▼昭和56年放送の「新日本紀行 肥後秘花」の一場面




   ▼現在の同じ場所









復活のきざし

2021-10-10 19:28:21 | 音楽芸能
 今日は久しぶりに街中の書店に行った。上通入口のびぷれす広場で何かイベントをやっているようなので覗いてみるとなんと、舞踊団花童のステージをやっていた。何の広報もなかったのでビックリ。ちょうど1回目のステージが始まる前だったが、ゆりあママが僕を見つけてくれてしばし舞踊団やゆりあちゃんの現況をお聞きした。その後、中村花誠先生にご挨拶をし、ステージを楽しんだ。
 しばらく活動ができなかったようだが、公の舞台で踊るのは今日が初めてとのこと。やっとコロナ前のような活動再開のメドがたったようで喜ばしい。
 今日は6人のメンバーで6曲を披露した。

  「俚奏楽 島めぐり」(はつ喜月蘇女・花童かな・花童あかり)
  「長唄 おてもやん/草の芽」(花童あおば・花童はるか・こわらべことね)
  「北国の春」     (花童あかり)
  「川の流れのように」(はつ喜月蘇女・花童かな)
  「くまもと音頭」  (全員)


「俚奏楽 島めぐり」(はつ喜月蘇女・花童かな・花童あかり)


「草の芽」(花童あおば・花童はるか・こわらべことね)


「くまもと音頭」(全員)

民謡魂 ふるさとの唄

2021-10-09 18:08:30 | 音楽芸能
 今日の「民謡魂 ふるさとの唄」(NHK総合)は「全力応援スペシャル」と題して、これまで放送された中から選りすぐりの唄うたをエールとして全国に送るという趣向。MCの城島茂は津軽三味線の上妻宏光と共演のスペシャルアレンジ「新保広大寺」は見もの。

【曲目】
 「津軽あいや節スペシャルアレンジ」(津軽三味線)上妻宏光
 「八木節」(唄)小沢千月
 「牛深ハイヤ節」(唄)田中祥子



 「北海浜節」(唄)小山田祐輝
 「津軽じょんから節」(唄・津軽三味線)駒田早代
 「淡海節」(唄)湊範章
 「安里屋ユンタ」(唄・演奏)喜楽座
 「布施谷節」(唄)中村優
 「津軽よされ節」(唄)福士豊桜
 「最上川舟唄」(唄)朝倉さや
 「秋田長持唄」(唄)ライリー咲菜
 「南部牛追唄」(唄)阿部愛音
 「会津磐梯山」(唄)原田直之
 「船引き唄」(唄・ギター)原田直之
 「花笠音頭」(唄)大塚文雄
 「津軽じょんから節」(唄)岸千恵子
 「磯節」(唄)藤みち子
 「新保広大寺スペシャルアレンジ」(津軽三味線)城島茂、(津軽三味線)上妻宏光、
                 (唄)おもだか秋子、(ピアノ)伊賀拓郎、
                 (樽砧)永島流新潟樽砧伝承会

 中でも「磯節」は今日放送のバージョンより、もともと労働歌であったことを色濃く感じさせる
「藤本二三吉」バージョンが大好きだ。


考古学講座の現地学習に参加

2021-10-08 17:31:35 | 歴史
 先般、熊本県伝統工芸館の裏にかつてあったという坪井川船着場について、熊本博物館学芸員の中原幹彦先生におたずねしたところ、考古学講座のメンバーで現地調査をやるので参加しませんかとお誘いを受けた。
 その現地調査が今日行われたので参加させていただいた。
 僕自身が興味があったポイントは次の3点。

 1.伝統工芸館裏の石積みの目的とその時代。
 2.古文書に残る殿様の緊急脱出ルートは?「あずき坂」とは?
 3.周辺の地形概要の理解

 中原先生が持参された江戸時代の古地図を参照しながら現地を歩いて回った。ただ、川へ降りる斜面は草木が生い茂り危険でもあるので、先生だけが降りられたが、川にはコンクリートの護岸が施されており、旧船着場の痕跡は見いだせなかったようだ。
 ポイント1の石積みは、積まれた石の状態、特に削岩機の痕があることなどから、明治以降に斜面崩壊を防止するために積まれたようだとの先生の見解だった。
 ポイント2については、不開門から最短距離で船着場へ達するルートがあったと考えられ、現在の伝統工芸館と隣の国税局分室の敷地との間に通路があった痕跡がある。そこを通って斜面をななめに降りて行く坂道があったのではないかと推測される。古文書に見える「あずき坂」というのはその坂のことかもしれないとの見解だった。
 これは僕の個人的な推測だが、大工棟梁・善蔵が語った「あずき坂」というのは江戸初期の話であって、江戸後期の「あずき坂」とは違うのかもしれない。いずれも「あずき谷」へ下る坂なのでそう呼ばれたとも考えられる。
 ポイント3については今回見て回って、おおよその地形が頭に入った。できれば草木が枯れる冬場にもう一度現地を確認して立体的な絵図に起こすことができればと思う。


江戸時代の古地図を参照しながら赤の範囲を調査。


石に残された矢穴のサイズも貴重な判断材料。


石の積み方はもちろん、石の種類や面取り具合などを見て時代を推定する。


削岩機の痕を確認し、明治以降の石積みと判断。


かつては道があったことをうかがわせる狭隘な敷地間。


かつて船着場に向かって斜面をななめに降りる坂があったと推測される。

変わりゆく水前寺成趣園

2021-10-07 20:34:16 | 熊本
 熊本地震で倒壊した出水神社(熊本市中央区水前寺公園)の鳥居3基のうち、まだ再建されていなかった表参道の鳥居が今月初めに再建されたというので今日見に行ってきた。まず、位置が倒壊前の参道商店街入口から水前寺成趣園入口近くへ移動している。これは、昔立っていた位置に戻したということらしい。それから倒壊前の石造りからヒノキ造りに変わっている。出水神社が所有する山林から伐り出したヒノキだそうだ。なお、扁額の文字は細川護熙元首相が手掛けられたものだという。石造りよりもヒノキ造りの方が人に優しい印象だ。これから年月を重ねて風合いを変えていくのだろう。
 出水神社に参拝した後、久しぶりに水前寺成趣園内を散策した。能楽殿などでの行事が行われなくなってだいぶ経つが、玄宅寺の永野さん情報では今月下旬あたりから能狂言の公演が始まりそうだ。
 園内は手入れが行き届いている。ちょっと残念だったのは土壇の能舞台がいつの間にか無くなっていた。能の歴史を感じさせる貴重な場所だと思っていたのだが。


真新しいヒノキ造りの鳥居


相変わらず美しい名園・水前寺成趣園


ブラタモリ「水の国 熊本」編で紹介された成趣園西側の街中を流れる加勢川河岸から湧き出す清水。

野球とベースボールのはなし。

2021-10-06 18:11:47 | スポーツ一般
▼Shohei Ohtani (大谷翔平)
 1960年代半ば、メジャーリーグ初の日本人選手として活躍したSFジャイアンツの村上雅則さんから56年。その間には野茂さんやイチローさんたちの活躍もありましたが、ベースボール発祥の地アメリカの人たちにベースボールの原点を思い起こさせたという意味では大谷翔平選手ほどMLBに影響を与えた日本人はいないと思います。これまでの3年間で投手としては4勝どまり。ホームランは22本という成績では、他チームのファンにとって知名度は低く、ルーキーだと思っていた人もいたのではないかと思います。それだけに衝撃は大きかったのでしょう。今年の成績が絶妙でしたね。ホームラン46本を始め、投、走でも素晴らしい成績ですが、9勝どまりだったことがよかったと思います。アメリカ人にとって遠い日本からやってきたルーキーに等しいような若者に、簡単に神様ベーブ・ルースを超えてもらってはベースボール創始国のプライドが傷つけられると思うのです。しかし、今年の活躍で全米にツーウェイ・プレーヤーの大スターであることが認知されたと思いますので来年以降はどんな成績でも受け入れられるのではないでしょうか。

▼Massey Murakami(村上雅則)
 メジャーリーグ初の日本人選手、村上雅則さんがSFジャイアンツのリリーバーとして活躍したのは1964年と1965年。当時の日本ではMLBのテレビ放送などはなく、毎朝、新聞のスポーツ欄で確かめ、たまに数日遅れの映像をテレビで見るのが楽しみでした。
 さらにその3年ほど前、高校1年の夏、インターハイを前に僕は水球部の一員として東京合宿に参加しました。合宿地となったのは川崎市木月にあった法政大学体育会の施設。ラグビー部の合宿所に寝泊まりしながら、野球場近くの学生食堂で食事をしていました。毎日、目にしたのは当時全盛期にあった法政二高野球部の練習風景。エースの柴田勲(後に巨人入団)を擁し、前年の夏とこの年の春の大会を連覇し、三連覇を目指していました。200名に近い部員がひしめいていたのは驚きでした。柴田さんの1級下に村上雅則さんがいたはずなのですが、誰がどこにいるのかわからない盛況ぶりで、その時はそんな選手たちの中から日本人初のメジャーリーガーが出るなどとは想像もしませんでした。

第26回くまもと全国邦楽コンクール(映像)

2021-10-05 19:30:24 | 音楽芸能
 今年8月に無観客で行われた「第26回くまもと全国邦楽コンクール」の映像が公開された。僕は2011年からこのコンクールを見始め、今年で10年になるが会場に入れなかったのは今回が初めて。
 2011年5月、コンクールを初めて見た日のブログに次のような感想を書いている。(右の写真は長谷幸輝検校)

 昨日、何かの媒体で見つけて気になっていた「長谷検校記念 くまもと全国邦楽コンクール」とやらを覗いてみようと熊本市民会館に行ってみた。すぐに僕の認識不足も甚だしいことに気がついた。イベント名に「くまもと」が付いているので、地元の手だれの奏者たちが集まって全国大会の地区予選でもやるのかな、くらいの気持だった。とんでもない!日本の邦楽界で既に第一線で活躍している人も全国各地から参加してくるほどの凄いレベルの大会だったのだ。参加者の力量の高さは素人の僕にでもよ~くわかった。そもそも長谷検校(ながたにけんぎょう)なる人物、名前だけはどこかで聞いた覚えがあったが、どういう人物なのか知らなかった。なんでも熊本出身で幕末から明治・大正時代に活躍し、九州系地歌を全国に普及させた、邦楽界では伝説的な人らしい。この人をリスペクトして熊本でこのコンクールが開かれているというわけだ。地歌とは上方で生まれた座敷音楽で、三味線を伴奏とする歌曲のことをいうのだそうだ。このコンクールは「箏曲の部」、「尺八・笛音楽の部」、「三味線音楽の部」、「琵琶楽の部」、「三曲等合奏の部」の五つの部門が行われ、全体のナンバー1が選ばれる。昨日は「箏曲の部」の佐藤亜美さん(東京)が最優秀賞に選ばれた。ただ、見ていて僕が気になったのは、こんな全国レベルの大会にもかかわらず観客が少ないことだ。なんだかもったいない気がする。

 この10年間、多くの邦楽演奏家を見てきたが、その中には何人かの忘れられない演奏家がいる。初めて見た第17回コンクール最優秀賞で筝曲の佐藤亜美さん、第20回最優秀賞で筝曲の今野玲央さん、第23回最優秀賞で筝曲の大川義秋さん、第25回最優秀賞で三味線音楽の本條秀五郎さん。その他に最優秀賞は受賞できなかったものの忘れられない演奏者に、第23回優秀賞を始め何度も表彰を受けた筝曲の中島裕康さん、そして第19回優秀賞で尺八・笛音楽の中村仁樹さんたちである。皆さん第一線で活躍されている。

▼2021年第26回くまもと全国邦楽コンクール結果
◎最優秀賞・文部科学大臣賞
 箏曲の部 中嶋 ひかる(東京都)『十七絃独奏による主題と変容「風」』
◎優秀賞
 三曲等合奏の部 清原・細川 清原 晏(東京都)・細川 喬弘(東京都)『楓の花』
 琵琶楽の部   尾方 蝶嘉(福岡県)『壇ノ浦』
 箏曲の部    松下 知代(熊本県)『四つの前奏曲』
◎奨励賞
 尺八・笛音楽の部 イオ・パヴェル(ロシア)『巣鶴鈴慕』
 箏曲の部     安嶋 三保子(東京都)『秋風幻想』
 尺八・笛音楽の部 松村 湧太(東京都)『「竹の四季」より「冬」』
 三曲等合奏の部  pomecolo 青山 佳奈子(愛知県)・江連 弘代(静岡県)『PLEIADES』


一枚の写真 ~遠い日の思い出~

2021-10-04 21:19:57 | 熊本
 とても興味深い写真を見た。それがこの写真なのだが、熊本城小天守下より北東方向を撮影した1枚。今ここには工事関係者以外は入れないが、先日まで平左衛門丸で発掘調査をしていた関係者(家内なんですけどね(^^♪)が休憩中に撮った写真。
 なぜ興味深いかというと、僕が幼稚園の頃、本丸を通り抜けるのが定番の帰り道。しばらく時間つぶしをする遊び場でもあった。まだ、大小天守は再建されていなかったが、その頃、たしかこの写真と同じアングルの景色を見ていた記憶があるからだ。ひょっとしたら70年ぶりに見た景色かもしれない。
 現在、真下では熊本地震で被災した平櫓(国重要文化財)の石垣の復旧工事が行われている。櫓の建物部分は既に解体されている。2023年度から石垣の積み直しが始まり、復旧完了は2027年度になるらしい。
 左に赤い屋根が見えるのが熊本県伝統工芸館。はるか遠くに立田山を望む。





きょうも隣に山頭火(昨日の続き)

2021-10-03 20:47:17 | 文芸
 昨日の記事には山頭火の自由律俳句については一切触れなかったので、付け足しておかなければならないだろう。
 劇中、彼の多くの作品がプロジェクターで映写しながら朗読されたり、曲が付けられて歌唱されたりしたが、モチーフとなっていたのは
 「分け入つても分け入つても青い山」
という句である。この句には曲が付けられ、最後は出演者全員で斉唱した。
 この句は句集「草木塔」の大正十五年四月の前書きに続いて収められている。つまり、堂守を務めていた植木町の味取観音を離れ、行乞流転の旅に出発した時の句である。これから辛く寂しくあてのない旅が始まることを予感していたのだろう。
 そして彼は愛する妻子のもとへ帰ることなく一生を終えるのだが、1989年にNHKで放送されたドラマ「山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」の、妻サキノさんのセリフがすべてを物語っている。

―――残された句を、読んでみますと、なんと淋しい句が多いのでしょう。……泣きながら、旅をしております。……あたたかい団欒を、人一倍欲しがっておるのに、不器用でそれをつくれなかったお人の涙が、このたくさんの句だと思います。……結局は帰ってまいりませんでしたが、ずっと待っておってよかったとわたしは思うております。……かわいそうなお人でした。―――(作:早坂暁)

▼「草木塔」より
 大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。
  • 松はみな枝垂れて南無観世音
  • 松風に明け暮れの鐘撞いて
  • ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる

 大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。
  • 分け入つても分け入つても青い山
  • しとどに濡れてこれは道しるべの石
  • 炎天をいただいて乞ひ歩く



味取観音瑞泉寺


味取観音堂

きょうも隣に山頭火

2021-10-02 21:49:59 | 音楽芸能
 今日は、民謡三味線の本條秀美さんにチケットを手配いただいた創作劇「きょうも隣に山頭火」を市民会館へ見に行った。本條秀美さんのご実家は、山頭火が一時、堂守を務めた味取観音瑞泉寺というゆかりの方。
 創作劇に先立ち、作家の五木寛之さんが「放浪と定住」というテーマで講演された。内容は山頭火にこと寄せた文化論とでもいうべきものだった。人間には本来、放浪と定住という二面性があり、妻子を顧みず放浪を続けた山頭火をしょうがない男と断じるのではなく、温かい目で見ておられるようだ。また、今日のコロナ禍のもとで「不要不急」のものが切り捨てられる風潮に対し、音楽や演劇や文芸やスポーツなどは、人間にとって大事なこころの栄養である。過酷なシベリア抑留を生き延びた人は体が頑健に見える人より厳しい環境の中でも俳句や詩などをたしなんだ人が多かったという興味深い話も披露された。
 さて、肝心の創作劇だが、山頭火死して11年後の昭和26年当時、熊本で暮らす妻のサキノさんの回想という構成になっている。全編音楽で紡がれており、音楽劇といった方がいいかもしれない。主役の山頭火は俳優の浜畑賢吉さんと声楽家の春日保人さんの二人で演じられる。舞台劇は長いとどうしても中だるみになりがちだが、次々に音楽がナマで演奏されるのであきるところがない。浜畑賢吉さんは5年前に夏目漱石を演じられた舞台を見たが、今回の山頭火の方がハマっていたように見えた。個人的には福島竹峰さんの唄と三味線で「東雲節」「きんきらきん」「桑名の殿さん」などが聴けたことや高濱流光華々さんの踊りが見られたことが嬉しかった。