▼Shohei Ohtani (大谷翔平)
1960年代半ば、メジャーリーグ初の日本人選手として活躍したSFジャイアンツの村上雅則さんから56年。その間には野茂さんやイチローさんたちの活躍もありましたが、ベースボール発祥の地アメリカの人たちにベースボールの原点を思い起こさせたという意味では大谷翔平選手ほどMLBに影響を与えた日本人はいないと思います。これまでの3年間で投手としては4勝どまり。ホームランは22本という成績では、他チームのファンにとって知名度は低く、ルーキーだと思っていた人もいたのではないかと思います。それだけに衝撃は大きかったのでしょう。今年の成績が絶妙でしたね。ホームラン46本を始め、投、走でも素晴らしい成績ですが、9勝どまりだったことがよかったと思います。アメリカ人にとって遠い日本からやってきたルーキーに等しいような若者に、簡単に神様ベーブ・ルースを超えてもらってはベースボール創始国のプライドが傷つけられると思うのです。しかし、今年の活躍で全米にツーウェイ・プレーヤーの大スターであることが認知されたと思いますので来年以降はどんな成績でも受け入れられるのではないでしょうか。
▼Massey Murakami(村上雅則)
メジャーリーグ初の日本人選手、村上雅則さんがSFジャイアンツのリリーバーとして活躍したのは1964年と1965年。当時の日本ではMLBのテレビ放送などはなく、毎朝、新聞のスポーツ欄で確かめ、たまに数日遅れの映像をテレビで見るのが楽しみでした。
さらにその3年ほど前、高校1年の夏、インターハイを前に僕は水球部の一員として東京合宿に参加しました。合宿地となったのは川崎市木月にあった法政大学体育会の施設。ラグビー部の合宿所に寝泊まりしながら、野球場近くの学生食堂で食事をしていました。毎日、目にしたのは当時全盛期にあった法政二高野球部の練習風景。エースの柴田勲(後に巨人入団)を擁し、前年の夏とこの年の春の大会を連覇し、三連覇を目指していました。200名に近い部員がひしめいていたのは驚きでした。柴田さんの1級下に村上雅則さんがいたはずなのですが、誰がどこにいるのかわからない盛況ぶりで、その時はそんな選手たちの中から日本人初のメジャーリーガーが出るなどとは想像もしませんでした。
1960年代半ば、メジャーリーグ初の日本人選手として活躍したSFジャイアンツの村上雅則さんから56年。その間には野茂さんやイチローさんたちの活躍もありましたが、ベースボール発祥の地アメリカの人たちにベースボールの原点を思い起こさせたという意味では大谷翔平選手ほどMLBに影響を与えた日本人はいないと思います。これまでの3年間で投手としては4勝どまり。ホームランは22本という成績では、他チームのファンにとって知名度は低く、ルーキーだと思っていた人もいたのではないかと思います。それだけに衝撃は大きかったのでしょう。今年の成績が絶妙でしたね。ホームラン46本を始め、投、走でも素晴らしい成績ですが、9勝どまりだったことがよかったと思います。アメリカ人にとって遠い日本からやってきたルーキーに等しいような若者に、簡単に神様ベーブ・ルースを超えてもらってはベースボール創始国のプライドが傷つけられると思うのです。しかし、今年の活躍で全米にツーウェイ・プレーヤーの大スターであることが認知されたと思いますので来年以降はどんな成績でも受け入れられるのではないでしょうか。
▼Massey Murakami(村上雅則)
メジャーリーグ初の日本人選手、村上雅則さんがSFジャイアンツのリリーバーとして活躍したのは1964年と1965年。当時の日本ではMLBのテレビ放送などはなく、毎朝、新聞のスポーツ欄で確かめ、たまに数日遅れの映像をテレビで見るのが楽しみでした。
さらにその3年ほど前、高校1年の夏、インターハイを前に僕は水球部の一員として東京合宿に参加しました。合宿地となったのは川崎市木月にあった法政大学体育会の施設。ラグビー部の合宿所に寝泊まりしながら、野球場近くの学生食堂で食事をしていました。毎日、目にしたのは当時全盛期にあった法政二高野球部の練習風景。エースの柴田勲(後に巨人入団)を擁し、前年の夏とこの年の春の大会を連覇し、三連覇を目指していました。200名に近い部員がひしめいていたのは驚きでした。柴田さんの1級下に村上雅則さんがいたはずなのですが、誰がどこにいるのかわからない盛況ぶりで、その時はそんな選手たちの中から日本人初のメジャーリーガーが出るなどとは想像もしませんでした。