徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

きょうも隣に山頭火(昨日の続き)

2021-10-03 20:47:17 | 文芸
 昨日の記事には山頭火の自由律俳句については一切触れなかったので、付け足しておかなければならないだろう。
 劇中、彼の多くの作品がプロジェクターで映写しながら朗読されたり、曲が付けられて歌唱されたりしたが、モチーフとなっていたのは
 「分け入つても分け入つても青い山」
という句である。この句には曲が付けられ、最後は出演者全員で斉唱した。
 この句は句集「草木塔」の大正十五年四月の前書きに続いて収められている。つまり、堂守を務めていた植木町の味取観音を離れ、行乞流転の旅に出発した時の句である。これから辛く寂しくあてのない旅が始まることを予感していたのだろう。
 そして彼は愛する妻子のもとへ帰ることなく一生を終えるのだが、1989年にNHKで放送されたドラマ「山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」の、妻サキノさんのセリフがすべてを物語っている。

―――残された句を、読んでみますと、なんと淋しい句が多いのでしょう。……泣きながら、旅をしております。……あたたかい団欒を、人一倍欲しがっておるのに、不器用でそれをつくれなかったお人の涙が、このたくさんの句だと思います。……結局は帰ってまいりませんでしたが、ずっと待っておってよかったとわたしは思うております。……かわいそうなお人でした。―――(作:早坂暁)

▼「草木塔」より
 大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。
  • 松はみな枝垂れて南無観世音
  • 松風に明け暮れの鐘撞いて
  • ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる

 大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。
  • 分け入つても分け入つても青い山
  • しとどに濡れてこれは道しるべの石
  • 炎天をいただいて乞ひ歩く



味取観音瑞泉寺


味取観音堂