徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

立田山のはなし。

2020-06-29 19:03:05 | 熊本
 先日、FB友のNさんが「肥後ジャーナル」というサイトに「地名について調べてみた」という特集があることを教えてくれた。その中に熊本市北区の地名「龍田・竜田・立田」の使い分けの謎を調べた記事があった。
 僕の本籍は立田山の麓「黒髪村下立田」なので、僕も関心を持って調べたことがある。古い地名というのは音が先にあって、後の世の人々が適当に漢字を当てている場合が多いので、目くじら立てるほどの意味はないというのが結論だった。
 立田山(龍田山)は、その昔、濃い緑に覆われていたため黒髪山と呼ばれていたが、平安時代の歌人清原元輔(清少納言の父)が肥後国司として赴任したとき、この山の姿に大和(奈良)の龍田の里をしのんで名前を改めたといわれている。熊本出身の民俗学者・谷川健一(2013年没)の「列島縦断 地名逍遥」などにもそう紹介されている。清原元輔がいう龍田の里とは、先般放送された「ブラタモリ 法隆寺編」で紹介された斑鳩(いかるが)の一部と考えて良さそうである。
 その清原元輔が偲んだという大和の立田山は、一つの山ではなく連なった山々の総称のようだ。歌枕にもなっているその立田山で思い出すのが、伊勢物語の二十三段「筒井筒」などに出て来る

 風吹けば 沖つ白波 たつた山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ

という歌だ。たしか高校の古文にも載っていたかな?
 現代文に訳すと、「風が吹けば沖に白波が立つ。立つと言えば立田山をあなたはこんな夜中にたった一人で越えていくのですか」というような意味らしい。実はこれ、不倫をする夫に対する妻の歌。最後はこの歌に感動した夫が改心するというオチがつく。
 この伊勢物語の二十三段「筒井筒」をもとに世阿弥が創ったといわれるのが能「井筒」。まだテレビ番組でしか見たことがないので、機会があればナマの舞台を観てみたい。


熊本市北東部の立田山から朝日が昇る頃


能「井筒」


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