徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

法華坂のはなし。

2020-04-07 20:51:20 | 歴史
 新町の熊本市子ども文化会館から二の丸駐車場に向かって登る坂を法華坂(ほっけざか)と呼ぶ。この坂は熊本城内を通る豊前・豊後街道の一部でもあり、薩摩藩の参勤交代の行列もここを通過した時代もある。住江門から二の丸に入り、熊本藩の武家屋敷が立ち並ぶ中を通るので一触即発の状態になったこともあるという。一般の旅人も通っていたが、この法華坂はもの寂しいところだったらしく、「ノッペラポンの話」が肥後民話として残っている。小泉八雲の「怪談」の中の「貉(むじな)」と似た話だが、昔はこうした坂にまつわる話が各地にあるようだ。なお、坂の途中には明治9年に起きた「神風連の乱」を率いた 太田黒伴雄の終焉之地の碑がある。
 坂の案内板には次のような説明が書かれている。

法華坂(ほっけざか)
 この坂は、新一丁目御門から城内へ入る要衝に当る。坂の上にはもと天台宗の三宝院という寺があった。加藤清正は肥後半国の領主となった後、父弾正清忠菩提のため大坂に建立していた本妙寺を、この三宝院の跡に移した。法華宗(日蓮宗)の本妙寺が置かれたため、以後この坂を法華坂と呼ぶようになったと伝えている。
 本妙寺は、慶長十九年(1614)に中尾山に移されたが、坂は昔のままの名で呼ばれている。


法華坂