ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

K-指定

2012-09-28 09:22:00 | 日記
以前に甲斐さんが『サウンドストリート』の中で、
『初めての海外旅行は、25歳までに行った方が良い』と話されていた。

ご自身が、21歳の時に初めてNYへ旅行されて、

『日本っていうものを、ひとつのスタンスをおいて、
冷静に見ることが出来るようになった』からだそうだ。

グローバルな視野は若い内に持った方が良いとおっしゃってました。

奥さんが近場の温泉に1泊して帰って来た時に

『やっぱり自分の家が一番!』って言うのとは違いますね(笑)

このNY行きはプライベートの旅行だったので、
飛行機はファーストクラス、ホテルはプラザホテルと豪勢だったのに

仕事で『パワーステーション』に行く時は、
制作費確保のため、エコノミークラスにして切り詰めたらしい(笑)

海外で黒澤監督の『乱』をご覧になった時、
外国人の方が、字幕スーパーを読むより
ワンテンポ早く笑ったことが気分よかったそうだ(爆)

また別の機会には、
『日本人は、30歳を過ぎるとCDショップに行かなくなる』
と話しておられました。

そのために自分が選んで買ったCDをラジオで流していると…

奥さんも以前は、買物に出かけると必ずレコード屋(笑)を覗いていたのに
いつの間にか行かなくなったなぁ(苦笑)

奥さんのお友達で、ジュエリーショップの前を通ると必ず足を止める方がいた。

ちょうど甲斐さんが、タコ焼き屋さんの前を素通りできないように…(笑)

ピアスを付け始めた頃だったらしく、
とにかく、やたらと立ち止まるのだそうだ(爆)

奥さんは、夏以外はペンダントや指輪、時計などを身に着けるけど

イヤリングだけは、年中無休で金属アレルギーが出るらしい。

24金のイヤリングを試したこともあったけど駄目だった。

甲斐さんは、KAI FIVEの頃に片耳だけピアスをされてましたよね?

普通、片側だけなら左耳に着けるのでしょうが…

たぶん甲斐さんは左利きなので、右耳に着けられていた?のだと思います。

左手の薬指にリングを着けることが、
既婚者・もしくはステディがいるという印になるのと同じように

右耳にピアスを着けるのは、
ある嗜好の持ち主であることを示すサインになるのですが…

甲斐さんはご存知なかったようですね(笑)

その後、ピアスを止められたのは、やっぱり…?(爆)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャッチコピー

2012-09-27 02:41:14 | メディア
甲斐バンドのアルバムの帯や雑誌の広告

あるいは、ツアー告知のDMやチラシに書かれたコピー。

一度はご覧になったことが、お有りでしょう?

ボクも資料探しの時に、チラチラと見るでもなく見ていたのですが、

ちょっと気障で熱くって…(笑)
これがナンともカッコイイ!

例えば『MY GENERATION』
あぁ!!俺たちはまだ
真実(ほんとう)に出会っちゃいなかった

くぅ~!カッコイイ!(笑)自分では口に出来ませんけどね(汗)

『破れたハートを売り物に』
心にあいた風穴を熱いセリフで埋めてくれ。

って言われたら、どうします?(爆)

余計な茶々は置いといて…
『REPEAT&EADE』
4人の音(サウンド)がある、
ひとつの音(ロック)がある。

『誘惑』の帯には、
かつてこれほどまでに甘美な愛のアジテーションがあっただろうか。

ジャケ写は『手首に蝶』だったけど、

チラシの写真は、高々と差し上げられた女性の脚に
メンバー4人が写った小ぶりなパネルが挟まれた

かなりセクシィなもので、一見すると…ピンク系のお店の広告?!(笑)

その美脚の傍らに
俺達は永遠に゛女"を歌い続けるぜ!とのコピーが…

『この夜にさよなら』のDMも、帯とは全く違って
興奮しないで帰れるものなら帰ってみろ!

というライブの告知も兼ねたようなコピーだった。

『甲斐バンド・ストーリー』の雑誌広告
凄絶無比のヒーロー。甲斐バンドに抱かれてみな!

女性ファンの方、大丈夫ですか?!(笑)

『漂泊者』のチラシは、
甲斐バンドが動く。世界が揺らぐ。

とスケールが大きい!

『THE 甲斐バンド』
炎(ブラッド)と嵐(スウェット)の12年!!
゛PARTY"のような戦争(ツアー)だった!!

そのツアー告知…
『1981 CIRCUS&CIRCUS』
瞬間、魂が変わる。すべては甲斐バンドではじまった。

『1982 BEATNIK TOUR』
彼らは゛ロック衝動"を貯め込んで 貯め込んで
ある日 爆発するのだ

『花園ラグビー場』
二十世紀もあとわずか、
世界は少々疲れはじめた
1981年9月13日、甲斐バンドから一撃!!

などなどなど…枚挙に暇がございません(苦笑)

一体、どなたが考えていらっしゃったのか?

アルバムはレコード会社で、ツアー告知は事務所の方とか…?

専属ライターの方がおられたのか?
それとも全部、甲斐さんが考えていらっしゃったのか?(笑)

そんな詮索はさておき、
40周年の記念に公式コピー集を編纂して頂けないでしょうか?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファンクラブ

2012-09-26 14:17:46 | 日記
奥さんのご機嫌がアヤシイ…(汗)
チケット申込みの詳細が掲載された会報が届かないようだ。

以前にも何度か遅配があり、●月●日までに届かない場合は…

と甲斐さんの事務所に連絡したことがあった。

沖縄と宮古島での追加公演の申込み期限に間に合わず

イベンターにその旨を連絡して、受付けて貰ったこともある。

にも関わらず、この公演は中止になってしまった(笑)

にも関わらず、奥さんは沖縄~宮古島に旅立った(爆)

甲斐さんが、ツアー最終日にMCで

『ライブは中止になったけど、申し込んでる人は沖縄に行って
自分を見つめ直して来れば?』と言ったらしい(笑)

無理を言って、12月に休みを貰ったし、
中止の発表が、キャンセル料の発生した後だったし、

何より、仕事する気にならないという理由に加えて、
駄目押しの一言だったに違いない(爆)

それはさておき…
まだネットが普及する前は『K-インフォメーション』という電話番号に電話をすると

甲斐さんの活動予定や雑誌掲載等の情報を録音したテープが聞ける
というシステムがあった。

ある日その中で、ファンクラブの会員の方から、

『福岡でのライブに行けなくなったので、どなたかにチケットをお譲りしたい』

という申し出があったと流されていたそうだ。

奥さんは、最初どうしても都合がつかず、参戦を諦めたのに

当日が近付いてから、休みが取れると知らされた(苦笑)

もうチケットも残ってないのに今頃…とクサッてた所へ

渡りに舟とばかりに連絡を取ったけど、
ひと足違いで人手に渡った後だったという。

やっぱり参戦は無理か…と諦めようと思ったら、

事務所から電話が有り、
『もしまだ行くつもりがおありなら…』と

チケットを用意して頂いたそうだ。

当日、このライブの主賓であり、
アマチュア時代の甲斐さんがお世話になった地元放送局のKさんに

甲斐バンドのメンバーが、ステージから呼びかけると
奥さんの斜め前に座ってらした男性が立ち上がり、

メンバーと観客にお辞儀をされたそうだ。

1曲目からスタンディングの方が少ないから、
関係者席だとは思ってたけど…と奥さん苦笑い

ファンクラブの集いとか、誕生日パーティーとか(笑)
やりたくないから、公式のファンクラブは創らない!
と甲斐さんが言ってた頃、

全国各地に私設ファンクラブが出来ていたそうだ。

会場の入口近くで、お揃いのTシャツやツナギを着たお姉さん方が、

手書きのチラシを配っていたらしい。

当時の奥さんには、そのファンクラブの集会場所が遠くて(苦笑)入会しなかったようだけど…

後年、ライブ会場で知り合った方から紹介されたAさん

お名前に聞き覚えがあると思ったら、
私設ファンクラブの幹事をなさっていた方だったという。

会員ではなかった奥さんが、ご自分の名前を覚えていたことに

かなり驚かれたようだけど、それ以来ずっと良いお付き合いをさせて頂いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナナハン・ドラマその2

2012-09-26 07:57:57 | メディア
ナナハン・ドラマのタイトルバックは、
このドラマの作り手の意気込み…
というより決意表明のように感じた。

主題歌を2分半も流すことは、前代未聞だっただろうし、
映像も一編のドラマのように凝ったものだった。

この映像に出演していらした星野真弓さんは、
何話目かの主演も務めておられたそうだ。

後に寺尾聡さんと結婚・引退されたらしい。

当初、レコード発売の予定はなかったようだけど、
視聴者からの反響が大きくて、

番組プレゼント用のA面のみのレコードが作られたそうだが、

80名の募集に80万通の応募があったらしい(笑)

ちなみに、タイトルバックにクレジットされていた主題歌は、

アウトロー『漂流』者
甲斐よしひろ&甲斐バンド
となっていました!

奥さんによると…
甲斐さんが『流』にするか『泊』にするか迷ったって言ってた。

ちょうどその頃にツアーで北海道を廻ってて流氷をみたとか、

『ドリフターズ』と一緒になっちゃうのはチョットね(笑)
とか話されていたそうだ。

クレジットが『漂泊者・甲斐バンド』に訂正されたかどうかは記憶にないらしい(苦笑)

奥さんが初めて、この曲をライブで聴いたのは、
大阪ライブのアンコールの時だったという。

いきなり、怒ったように歌い出してビックリしたそうだ。

後日、甲斐さんが
『急に歌うことにしたんで、スタッフが驚いてた(笑)

照明なんか素の明かりだけだったからね。

でも、次からはチャンと照明プランを考えて来てたけど…』
と話しておられたという。

ついでに…このシングルのジャケ写には、

イラン動乱で立ち上がる民衆の写真が使われ、
その結果『社会的』『政治的』と騒がれたそうだ。

甲斐さんいわく…
『当時の社会状況に漠然とした不安があって、
最初からあの写真を使おうと思ってた』

男と女の話の向こうに、
時代や社会が透けて見えるようなラブソングを書きたいと

いつも口癖のように話されていたという甲斐さんが、

実生活で別れを経験されたばかりの頃に書かれた曲…

大森さんが偶然、夫婦喧嘩の仲裁に入った翌日に
甲斐さんが作って来たと驚かれていらっしゃいました。

奥さんと一緒にライブに通っていたお友達は、当時この曲を聞くたびに

『ボケ~っと授業なんか受けてないで、
今すぐ東京に行って甲斐さんに会いたい!』と喚いていたそうだ(爆)

また、あるクラスメイトは、この曲を初めて聞いた時、

『お経を唱えてるみたい』と言って、奥さんを脱力させたらしい(笑)

奥さんはというと…
ライブで演ると確かに盛り上がるんだけど

あまりにも甲斐さんが、激しく叩きつけるように歌うので、

怖いような痛々しいような気がして
『この人は長生きしない』と切なくなってしまったらしい(苦笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナナハン・ドラマその1

2012-09-26 07:18:38 | メディア
毎週土曜日の午後7時半から90分枠で放送されたドラマ
『学園危機一髪』の通称だそうだ

まだ2時間ドラマが定着する前だから…

テレ朝が土曜ワイド劇場を放送してたけど、『火サス』はまだだったと思う…

『部長刑事』の3倍の時間(笑)で
一話完結の学園ドラマというのは、当時かなり画期的だっただろう。

その第1回放送は『ガラスの動物園』というタイトルで、
田中邦衛さん、熊谷(現・松田)美由紀さん主演の異色作。

ボクは、杉田成道監督作品集で、このドラマを見た。

他の放送分については判らないけど、
いわゆる『お茶の間の娯楽』として、
夕食時に家族団欒ムードで眺めるドラマではなかった(笑)

教師と問題ありの生徒が解り合う…などと文字にすると
よくある青春ドラマみたいだけど(苦笑)

若林繁太さんの『教育は死なず』が元になっていることもあり、

台詞が嘘っぽく聞こえない。理解に至る過程がリアルというか説得力があるのだ。

ドラマの冒頭からいきなり、
『状●劇場』の新宿赤テント公演を彷彿させるシーンが登場したり、

浜辺での輪姦シーンがあったりと
ショッキングな場面が多々あるのだけど

ボク個人としては、
英語教師役の田中邦衛さんが
自分の英語が外国人に全く通じないと思い知らされ

酒に酔って泣きながら暴れるシーンが、一番印象深かった。

先生だって、ただの人間なんだということが、
生徒や家族に伝わる重要な場面だったと思う。

『この夜にさよなら』『ゆきずりの風』『翼あるもの』
など甲斐バンドの曲が挿入歌として、随所にちりばめられていた

山田太一さんが、かつて甲斐さんに宛てた手紙に

甲斐さんの曲をご自身のドラマに使いたいと思っても、

甲斐さんの作品は、しっかりした自分の世界を持っているから、

ドラマの方が負けてしまいそうだと書かれたという。

このドラマでも、全編に渡って甲斐バンドづくしとは行かなかったようで、

通常のSEや無音で流した場面もあったけど、それも無理ないかと思う…

歌詞やメロディが映像的なことが、原因となっているのは勿論なんだけど(笑)

何よりも甲斐さんの声が際立ってしまって(爆)

ドラマに集中できなくなってしまいそうなんだもん(笑)

そういう意味では、挿入歌より主題歌に向いてますよね。

ちなみに第2回放送は、秋吉久美子さんが教師役で主演され、

挿入曲は、YMOで占められていたそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする