ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

花園ライブその後

2012-09-12 22:00:27 | ライブ
『日本のオルタモントにはしたくなかったんだよね』

甲斐さんは花園での暴動を鎮めるために、やむを得ずライブを中断した。

このライブが成功だったのか?そうでなかったのか?
奥さんにも判らないようだが、行かなければよかったとは思っていない。

ただ、ライブ直後の興奮がおさまった後、
何年間も甲斐さんが、花園の話題を口にしない時期があったことで、
触れてはいけないものなのか?と、しこりが残っていたらしい。

甲斐さんが、大阪の街を巡るという番組の中で、
あの日以来初めて、花園ラグビー場を訪れ、

しばらくはカメラに向かって、当時のエピソードを話していたのだけど…

やがて、一人で黙って芝生の上を歩き廻る甲斐さんの姿が映し出された。

奥さんはその姿を黙って見ていた。
どちらの気持ちもボクには想像することしか出来なかった。

ライブCDのBOXセットが発売になり、
その中の1枚に花園ラグビー場のライブが収録された。

奥さんは、これを機会に甲斐さんが花園の話をし始めたことで、
初めて『解禁』になったような気がすると言っていた。

その少し前から、大阪のライブ会場では、
『あの時のビニールシートは痛かったなぁ!
この中にも投げた奴がいるだろ?覚えとけよ!』と

冗談を口にするようになっていたけれど…(笑)

『花園ラグビー場は、甲斐バンドのライブで芝生が傷んでから
誰にも貸してないんだよ。ざまーみろ!』

『こぉ~んなに太い鉄柵がくの字に曲がってた!』と話す甲斐さん。
両手で示す鉄柵の太さが、ドンドン太くなっていき、
奥さん達は、そのうち電柱くらいの太さになるねと言っていたそうだ(笑)

CDの編集作業中の話で、

客席に設置してあったマイクが倒され、それを見つけた男子高校生らしき3人が、

言っちゃいけない『関西スリーワード』を延々とマイクに向かって連呼しているので(汗)

本当に発売できるのか?と心配になったそうだ(笑)

奥さんは、甲斐さんが禁断のスリーワードを口にしたことがショックだったらしいけど(爆)

史上初の説教MC入りCD(笑)を世に出したことで、
やっと甲斐さんも気持ちの区切りがついたのかも知れませんね?
『深イイ話』でも笑って整えてたし(笑)

『MY NAME IS KAI Ⅱ』の最終日 大阪でのライブで
嘉穂劇場の告知をする時に、またビニールシートの話になり、

『嘉穂劇場は座布団ですから!ビニールシートと違って重いよ(笑)
投げれるもんなら投げてみろ!(爆)』

『相撲の千秋楽みたいに乱れ飛んだりして…』と
ご機嫌で話していたらしい(笑)

薬師寺ライブの日、近鉄電車が東花園辺りに差し掛かると
窓に顔を寄せて、ナニかを探している方が何人もいらしたそうだ。

やはり花園は、甲斐バンドファンにとって『聖地』のひとつなのだろう。
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花園ラグビー場その2

2012-09-12 07:44:52 | ライブ
レゲエ調の安奈でライブ再開。
続いて『ジャンキーズ・ロックンロール』のイントロが流れた時、
一瞬、また…?!と暴動の予感がして不安になったらしい。

さすがにその予感はハズレたけど
甲斐さんが歌う歌詞が、めちゃめちゃだった事が印象に残ったと言う。

三つ数えろ、氷のくちびる、ポップコーン、LADY、漂泊者で本編が終了。

アンコールで再び『破れたハート…』
そして…
『きんぽうげを演る筈だったけど、今夜かぎりねって歌いたくない』と

甲斐さんが言って、これもこの日2回目の『翼あるもの』

『100万$ナイト』で、伝説となるライブは幕を下ろした。

奥さんいわく…
説教タイムがあったせいで、何曲かカットされたと思う(苦笑)

近隣住民の方々への騒音問題があるし、
ラグビー場の利用時間もあっただろう。

出来ればいつか、予定通りのセトリで聴いてみたいと思ったと言う。

ライブは終わったが、しかし、本当に大変だったのは、この後だったらしい。

はぐれた友人達を探し、失くなった荷物を求めて、会場中を歩き廻った。
友人達とは会えたが、荷物は見つからない。

臨時の遺失物置き場が、設置されたが、そこにも見当たらない。

中には、靴が脱げてしまい裸足のまま、靴を探している人も大勢いたそうだ。

結局、友人の一人が身につけていたポシェットだけが無事だったので、

彼女に交通費を借りて帰ることになったらしい。

駅までの道には、公衆電話に長蛇の列を作る人々、
その脇で『小銭を貸して下さい!』と
泣きながら叫んでいる少女達があふれていたと言う。

今なら携帯があるけれど、当時は、ほとんどが赤電話、時々、黄色電話だった。

駅前でも『電車賃を貸して下さい!』と叫ぶ人が大勢いたそうだ。

奥さん達にも余裕はない。気の毒だけど、心配だけど、自分で何とかして貰うしかない。

電車に乗れば、あちこちに裸足や片手に靴を持った人々…

近鉄電車は、臨時増発で運行してくれたけど
JRはそんなこと知っちゃいないし…(笑)

奥さんは、何とか家の最寄駅まで帰って来れたが、
友人達はもう終電も出た後だったそうだ。

知り合いの大学生に頼んで、車を出して貰ったらしい。

翌日から奥さんは、ひと駅歩いて通学する羽目になった。
9月になってすぐに買って貰った半年定期…
たった2週間で、しかもライブで失くしたなどと言える訳がない(爆)

ひと駅分でも節約して、やり繰りするしかないのだ。

後日イベンターが、遺失物の問い合わせを
電話で受け付けてくれる事になったけど
とうとう見つからず、奥さんは半年間テクテク歩き続けたそうだ(爆)

ちなみに、ビニールシートは、
その辺りに落ちていたのを拾って、持ち帰ったらしい(笑)

自分の席番とは全く違う番号のシートだけど、今でも大切に取ってある。
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花園ラグビー場その1

2012-09-12 07:38:46 | ライブ
31年前の明日…9月13日は、
甲斐バンドが花園ラグビー場でライブを行った日である。

参戦された方は勿論、されなかった方にも特別な野外ライブだったと思います。

奥さんは友人達と4人で参戦したそうだ。

友人が大阪中央郵便局に朝イチで並んで郵送してくれたおかげで、
3列目のど真ん中の席だったという。

会場に到着して、緑の芝生の上に
白いビニールシートが整然と並べられているのを見て、
思わず、自分達の席をめがけて駆け出してしまったそうだ。
花園の映像の中でも、そんな少女達が写し出されている。

『みんな自分の席番が書かれたビニールシートをうっとりと眺めて、
記念に持って帰ろうって言ってたんだよね(笑)』

まさか一曲目から、ステージに投げるファンがいるなんて、信じられなかったと言う。

甲斐さんは、並べられたシートを見て
『こんな風に仕切りもなくて大丈夫?』と言ったそうだが
スタッフいわく
『もうスタンディング・オベイションも浸透してますし、大丈夫ですよ!』

その後、甲斐さんが大阪でのライブのMCで、
このシート投げの事を折りにふれ話すようになるとは、
この時、誰にも想像出来なかっただろう(笑)

だが、1曲目の『破れたハート…』は、まだ序の口だったという。

ちゃんと3列目のセンターで、甲斐さんを見たのは、この1曲だけだったらしい(苦笑)

2曲目の『翼あるもの』が始まって、ワンコーラス聴くか聴かないかで、
いきなり『ドーン!』と背中を押され…

両手を上げて手拍子している時だったから、
海老反りのポーズで押し流されたそうだ。

本当に濁流にのまれたように『押し流された』としか言いようがないと言う。

人がぶつかって来たとは全く思わなかったようだ。

友人達とはぐれ、何処に流されてしまったのか
自分のシートを大事に仕舞ったバッグが、何処に行ってしまったのか

考える余裕などなく、倒されないように流されるだけ流されたそうだ(汗)
勿論、その間に演奏された曲など全く記憶にない。

早く甲斐さんに気付いて欲しい!
こんなに苦しいのに何で判ってくれないの?と
それだけを念じてステージを見つめていたらしい。

スタッフが、舞台袖で客席を指差したり、
慌ただしく走ってるのは見えるのだけど…

後から考えてみたら、
助けを求める『甲斐さ~ん!』も、苦痛を訴える『悲鳴』も、
普段のライブでよく耳にする声援と何ら変わりがないのだと気付いたそうだ(爆)

ようやく普通に息が出来るようになったと思ったら、
10列目くらい、ステージの上手側、かなり端の方に立っていたらしい。

対流のような流れで、外側へ、そして後ろへと移動したのだろう。
真っ直ぐ前に移動していたら、鉄柵に押し付けられていた筈だったと思う(汗)

やっと甲斐さんが『後ろに下がれ!』と言ってくれて、
伝説の?説教タイムが始まった(苦笑)

奥さんとしては、自分達は全くの被害者なのに
後ろから押し寄せたファンのせいで、
何で怒られなきゃならないのか?と随分ハラが立ったそうだ。

かなりの月日の後に、
『花園で後ろから押し寄せた』という男性ファンと知り合った時、
本気で殴ってやろうかと考えたらしい(笑)
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勝負服?

2012-09-12 06:39:33 | ライブ
何年も前のインストア・イベントの折りだったか?
甲斐さんが、来場者の服装に苦言を呈したことがあったそうだ。

平日の夕方からのイベントだったので、仕事帰りの方が多く
場内は、紺色やグレーの地味なトーンで占められていたようだ(苦笑)

甲斐さんいわく…
スーツは仕方ないとしても、ロッカーにTシャツを置いといて、
仕事が終わったら着替えるとかしろよ!

そのイベント後のツアーでは、やけに原色を身につけた方が多かったらしい(笑)

甲斐さん自身は、さまざまなステージ衣装を経て、
現在のジャケットスタイルに落ち着いたようですね。

以前、男性ファンの方が
『甲斐さんに化繊は似合わない。天然素材の服を着て欲しい』と
言ったことがあったそうだ。

奥さんはその時、綿・麻・毛・絹・革と思い浮かべ
不器用で骨っぽいロッカーの衣装か…と納得したようだ(笑)

奥さんはというと…
中高生の頃から『要ヒール!』まずハイヒールありきだったので、後は推して知るべし(笑)

あっ!でも、『甲斐のこ族』ではなかったそうです。
駅のトイレで着替えて、メイクもバッチリだったらしいけど…(苦笑)

老け顔というか、年齢より落ち着いて見えたようで、
学校帰りの制服姿なのに、『25歳くらい?』と言われた経験があるのだ(爆)

本当にそう見えたなら、今で言うコスプレだよね(笑)
現在は『小綺麗なオバチャン』をコンセプトに服選びをしてます(爆)


奥さんの友人で、RCサクセションのライブに通っていた女性が、
仕事帰りに会場へ直行したら、地味な紺色のスーツが、
びっくりするほど目立ってしまったことがあったそうだ(爆)

初めての会場でも、最寄駅まで行って、
赤や黄色や紫や、色とりどりの髪や服の人々が向かう方へ
付いて行けば迷うことはなかったという(笑)

甲斐さんのライブが、SHIBUYA-AXであった日、
お隣りの代々木体育館では、嵐のコンサート。
渋谷公会堂では、ルナシーと、バラエティーに富んだラインナップだったそうだ。

嵐のファンは、保護者同伴で、メンバーの顔写真入りのうちわを持った中高生。

ルナシーのファンは、全身黒ずくめ、爪も唇も黒く塗り、
茶髪に赤や緑のメッシュを入れ、腰や胸にチェーンがじゃらじゃらのお姉様方。

で、甲斐ファンは…統一感ゼロ(爆)
日曜日のお父さん風、パーティー帰りのマダム風、

ストリートでライブやってます風、ちょっとコンビニ行ってきます風…(笑)


甲斐さんの広島ライブの日、隣のホールでは永ちゃんライブ。

車は、ほとんどが改造車で、降りて来る方は、みんな素肌にダブルのスーツ!
(ちなみに季節は冬でした)

白・黒・赤・黄・紫のスーツに、ロゴ入りのバスタオル。

そちらは、一目瞭然なのか?誰も話しかけないのに
甲斐ファンの列には、
『誰のコンサートですか?』ときいてくる方が大勢いらしたそうだ(笑)

それだけ、老若男女に幅広い支持を受けているということなのかな?

余談ですが…
古舘さんが司会をなさった『ミュージック・ジャーナル』という番組で、

ライブ会場に来ている観客の中から、美女を探して
毎週、ミュージシャン別に放送していたのですが、

稲垣潤一さんと大沢誉志幸さんのファンの方、綺麗な方が多かったです(笑)
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