ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

長岡和弘さんその2

2012-09-15 10:45:20 | 日記
甲斐バンドの元・マネージャー武石さんによると…

『ステージのMCは甲斐さんが務めているけど
プライベートで一番にぎやかなのは長岡さん』だとか…

奥さんいわく…
大森さんは余り喋らない方だし、
松藤さんは最年少だから、遠慮している感じだった。

長岡さんは、長崎弁混じりの博多弁(奥さんには区別がつかない)で
翻弄するタイプだったみたい(笑)

でも、お腹が空くとおとなしくなって、
ステージに上がってくれないかも?と
武石さんが心配になるくらいだったらしい。

スケジュールの合間を見て、食事を取るように気を遣ったそうだ。

人間観察が長岡さんの特技?だったようで、

道行く人が、カツラだとか、付け睫毛だとかを言い当てたり、

かなり遠くにいる女性が、ノーブラだと見破ったこともあるという(笑)

女性に関する話題と言えば…
中島みゆきさんのラジオ番組に、女性リスナーから投稿があって、

あるホテルに宿泊してたら、館内電話がかかり、
『僕たち甲斐バンドっていうんだけど、
良かったら部屋に遊びに来ない?』と誘われたと言う(爆)

奥さんは、嘘かホントか判らないけど
電話をかけたとしたら、長岡さんだと思ったそうだ(笑)

松藤さんに内緒で、松藤さんの妹さんを口説いてたこともあったらしい(爆)

甲斐さんも数年前にライブのMCで、
長岡さんの女性好きエピソードを披露したようだ(笑)

ある街で屋台の焼きイモ屋さんが声をかけて来て、

『この焼きイモを持って、ある店に飲みに行ったら、
店の女の子が、夜のお付き合いをしてくれる』と言ったそうだ(爆)

この話に一番に食いついたのが長岡さんで、
いそいそと教えられた店に行き、店の女性に水を向けるが反応なし(苦笑)

甲斐さん達は、担がれたんだと笑って飲んでたそうだけど
長岡さんは、なかなか諦めきれなかったと言う…

その粘りを他の事に生かせよと言われてしまったらしい(爆)

でも結婚されたのは、甲斐バンドの中で一番早かったんですよね?

肝機能障害でツアーを初めて休んでらした頃には、
もう結婚されていた事も、脱退の原因の一つだったと聞いてます。

広告代理店で半年間アルバイト、それからレコード会社のディレクターになられて…

石川ひとみさんの『まちぶせ』や
斉藤由貴さんの『土曜日のタマネギ』を
手掛けてらしたのは、甲斐さんが話しておられたので、

奥さんも知っていたようだけど、
その後、映画音楽の監修をなさっていたのは全く知らずに

『リング』を見て、タイトルロールの中に長岡さんのお名前を発見!
映画そっちのけで大興奮(笑)

今年5月に公開された『貞子3D』の人間広告を
長岡さんが偶然、渋谷でご覧になったと知って、はしゃいでました(苦笑)

ボクも最近知ったのですが…
奥さんは昔、甲斐さんと同じくらい長岡さんが好きだったみたいです(笑)

そういえば…
KAI FIVEの大阪ライブで、かなり後方の席だった奥さん…
終演後に長岡さんと遭遇した!とウキウキして帰って来た事があったっけ(爆)
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長岡和弘さんその1

2012-09-15 07:40:11 | 日記
説明不要とは思いますが、甲斐バンドの永久欠番・ベーシストの方です。

ソロデビューが決まった後で、
急に『バンドでやりたい』と言い出した甲斐さんの相談に乗っている内に、

ご自身がバンドに加入することになったそうです(笑)

名●観光時代の甲斐さんの写真を見て、30分笑い転げた方でもあります(爆)

確かに髪を七三に整えた甲斐さんって、想像できませんね(苦笑)

地球が平面だと思われている時代に、
実は地球が丸いという事を自分が発見したら、

誰に一番に話すか?という問いに
『お母さん』と答えて、物議を醸し出した事でも有名ですよね(笑)

甲斐さんがライブのMCで
『長岡がコメットさん(大場久美子さん版)を見て泣いた!』と大笑いしていた事があったらしい。

何年も離ればなれだった親子が再会するシーンで、
思わず涙が出てしまったとのこと。

会場から『かわいい~!』の声がかかると

甲斐さんが『27(歳)の男つかまえて、何がカワイイだ?!童貞じゃあるまいし!』
と言ったそうです(笑)

『1970年物語』によると…
長岡さんは門田さんの部屋を見回して、

『風』という曲の歌詞は、この部屋で書いたんでしょう?
みんなが他の部屋で騒いでる時に、
ここで一人、すきま風の音を聞きながら書いたんですよね?と

勝手に納得されていたらしいが、事実は全く違っていたそうだ(笑)

その頃から、甲斐さんとは歌詞の話をされていたのか
デビュー後も歌詞についての相談役だったらしい。

『この夜にさよなら』を作ってる時に
甲斐さんが『もう、これ以上書けない』と言ったら、


『そんなに自分の命を削って、書かなくてもいいじゃないか』と
慰めてくれたのが長岡さんだったそうです。

長岡さんが甲斐バンドを脱退することを『サウンド・ストリート』で発表した時に

この話をしながら、甲斐さんが声を詰まらせるのを聴いて、
奥さんもしゃくり上げて泣いてしまったと言う。

この発表の翌週は、番組名物の『カラオケ大会』だったそうだが、

『さあ、夏だ!飛び出せ!カラオケ大会 パート3』と
タイトルを告げる甲斐さんの声が、あまりに棒読みで張りがなかったので、

奥さんは、もっと時期をずらして貰えばいいのに…と心配したという(苦笑)

数年後、田中一郎さんが加入された事で、
『甲斐バンドは、一生3人でやっていく』と言ったのに…と
戸惑うファンも多かったようだ。

甲斐さんとしては、
幼なじみで、照和でのライバルで、松藤さんのバンド仲間で、

甲斐バンドのレコーディングやライブにも参加している…
一郎さんが加入することは、自然な成り行きだったのかも知れない。

脱退後に長岡さんは、
ディレクターの仕事は楽しいし、自分に向いていると話しておられたそうだ。

新しく自分でバンドを作る気は全くなかったし、

ベースを弾くのは『甲斐バンド』でしか有り得ないともおっしゃっていたらしい。

黒澤フィルムスタジオで行われたSecret Gigの後、
とある店でメンバーと一緒に『悪いうわさ』を演奏されたようだ。

ほんの一瞬チラッと、そのお姿が映し出されている。

最近になって、長岡さんが制作に関わっているミュージシャンの方から、

『ベースを弾いて欲しい』と頼まれて、●十年振りに弾いてみたそうだ。

だけど、思うように身体が動かず、
『指が、手が、腰が、腹が…!』と嘆いていらっしゃいました(爆)
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