ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

父の日その2

2015-06-21 17:11:43 | 日記
以前に甲斐さんがセイヤングで…ヨネスケさんのお嬢さんは
誰にもお父様のことを打ち明けられなかったけど

初めて親友と呼べるお友達が出来た時に
『私のお父さん、ヨネスケなんだ』と告白されたという話をなさってました

多感な少女時代に『突撃…』のお仕事ぶりは
『恥ずかしい』ことだったのかも知れませんね?

でも、元・甲子園球児の方のお宅で収録中に
かつて野球部のマネージャーでいらしたヨネスケさんと野球話で盛り上がり

そのご主人は、あまりご自身から話したことのなかった
『打球をファンブルしたせいで試合に負けてしまった』思い出を語られたそうだ

後日、番組スタッフの方から連絡があり
『あれはエラーではなく、ヒットだった』と知らされて
『自分の中ではやっぱりエラーだけど、あの番組でいくらか救われた』とおっしゃったという

ヨネスケさんのお嬢さんが、この話をご存知かどうか判りませんけど
人を幸せにする素敵なお仕事ですよね♪

『父と娘』にも色んな葛藤(汗)があると思いますが
今回は甲斐さん縁(笑)の『息子たち』が見た
『おやじの背中』をご紹介します

まずは、石丸幹二さん…化学会社にお勤めだったお父様は
『寡黙で、いつも化学の専門書を読み自分の世界に生きてる人』

小学生の頃からピアノを習い、音楽科のある高校に進学された石丸さん
チェリストになりたくて『マイ・チェロ』が欲しくなり

『プロになれるのか』とおっしゃるお父様に
『やりたい意志があるのに何で摘むのか』と訴えられたそうだ

お父様が銀行でおろされて来た100万円分のお札を並べて
その重みを感じられたという

今の石丸さんにとって台本を読み込むことは、お仕事の一つになり
『自分の中にこもる生活』をなさっていると

専門書を読んでおられたお父様の後ろ姿から
『好きなことに対する向き合い方を学んでいたような気がする』と話されてます

続いて…『親父は料理人で、福岡で天ぷら屋をやってました』とチャゲさん
でも『お母ちゃんのごはんが一番美味しい』と
家の台所には立たれなかったそうだ

お店の跡継ぎはチャゲさんだと
お父様もチャゲさんご自身も思っておられたみたいだけど

ポプコンでグランプリを獲得され『ごめん、店継げんかも知れん』と謝るチャゲさんに
『好きなことをやんなさい』とおっしゃったんだとか…

『寡黙でしたが、祭りと目立つことが大好き』な(笑)お父様は
若い子に『チャゲパパ』と囲まれるために(爆)
よくコンサートにおみえだったらしい(笑)
ちなみに、お父様もお兄様もチャゲさんより歌がお上手だったそうです(笑)

『特攻隊の生き残り』として『戦争はいかん、意味がない』と
ずっと話されていたお父様のことを歌だけでなく、将来は文章に書いて
それをご子息にも読んで欲しいとおっしゃるチャゲさん

楽しく笑う回数が多いほど、その家族は幸せなのかなとお父様を思い出され
ご自身もお子さんの前で常に笑っていようと思うと話されてます

同じ福岡出身の石橋凌さんは
12歳の時にお父様を亡くされたそうだけど
お仕事で多忙だったお父様が、たまにご家族を映画に連れて行って下さるのが楽しみで

5人兄弟の末っ子でいらした石橋さんは、お父様におんぶして欲しくて
映画が終わる頃になると、わざと寝たふりをなさってたんだとか…(笑)

『寡黙な人で必要な時以外は口をきかない』方が
出勤前に兄弟5人を玄関に並ばせ
『俺が朝早くから働いている意味が判るか』とおっしゃったという
『息子たちの素行の悪さに堪忍袋の緒が切れたんでしょう(笑)』と石橋さん

高校3年の進路相談の際『赤点で染まった成績表』を前に
担任の先生から『進学も就職もせずにミュージシャンになるなんて…』と言われた時に

お母様が『本人が言ってるんだから、よかじゃなかですか』と返事されたのは
『礼節と和を持って生きろ』『芸は身を助ける』という
お父様の言葉が頭にあったからではないかと…

父親役が多くなって来られた今
お父様のような戦前生まれの気骨のある人間
ぶれない侍のような男を演じていきたいと思っておられるそうです

最後は鈴木亮平さん…建築士のお父様は
『当時としては珍しいくらい男女平等だった』らしく
『料理も掃除も洗濯もキッチリ半々』で

休日には、おやつにプリンを作られたり
クリームコロッケにこだわりがおありだったり
『料理は親父の方が上手かった』んだとか…

『基本的には明るい大阪のおっちゃん(笑)』だけど
鈴木さんが海外留学される前日に
お父様がせっかく仕立てて下さったスーツを受け取りに行くのを忘れ
『顔と腹を本気で殴られた』そうだ

でも、帰国後は怒鳴られることがなくなり
『大人の男として見てくれるようになった』という

『花子とアン』で関東大震災のシーンがあり
台本には『親子が無事を確認して安堵で笑顔になる』と書かれていたそうですが

小学6年生の時に阪神大震災を経験なさった鈴木さんは
監督と相談され『無言で抱き締める』演技に変えられたんだとか…

それは当時、子供部屋に飛び込んで来られたお父様が
『子供たちを守らなきゃ』という必死なお顔をなさっていたことが
今でも忘れられないからだそうです

ご子息の写真を持ち歩かれ、今も『会いたい、仲良くしたい』という
『雰囲気を感じさせる』お父様は
鈴木さんにとっても『母親のような安心感がある』方らしい(笑)

どなたのお父様も素敵な方ばかりで羨ましい限りです♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする