ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

追っかけ姉ちゃん回顧録

2015-06-18 16:22:19 | メディア
…と言っても奥さんの手記ではなくて(笑)
甲斐バンド解散5年後に影山亜紀子さんが書かれた記事です

『ルイードで演ってた頃から観ている数少ない生き残りファンの一人だった
そして約10年、ファイナルの86年まで聴き続け
いわば人生の一番おいしい時期を甲斐バンドと共に過ごした』と影山さん

翌年の甲斐さんのソロ・ツアーでも、青森から山口まで…時に広島へ日帰りなど
メンバーよりもハードなスケジュールをこなし(笑)
せっせと追っかけては、ほとんどのツアーに顔を出していたのに

あまりにもライブを観すぎたせいか?
甲斐バンド後期からラストの決め技がワンパターン…
だんだん甲斐さんの歌に共感できなくなって
ついに脱落してしまった…と書かれてます(苦笑)

影山さんいわく…どうもファンっていうのは
ミュージシャンに似てワガママになってしまうようで(笑)
あのハードボイルド嗜好がどうしても肌に合わなくって…

いや、ハードボイルドは好きなんだけど
あの泥臭いながらも心に残る独特の世界から入ってしまったので
甲斐さんにしてはスマートな歌詞は、私の中では納得できなかったんだよね

やっぱり初期の頃のカタカナのない歌詞は
ちょっと真似できるもんじゃなかったもの
ほんの一例だけど『1メートル君は60センチ』なんて歌詞は、そうそう出ては来ないよ

あの頃の甲斐バンドほど日本語をうまくロックにのせていたバンドを私は他に知らない
…と、奥さんから聴いた当時の女性ファンの方々の秘めたる思いとよく似たことが綴られてます

さらに…甲斐バンドほどアクが強くて(笑)
思いっきり好き嫌いの激しいバンドもなかったんじゃないだろうか?(笑)
…って、影山さんご自身も『最初は大キライだった』ようだけど…(笑)

『こんな生意気なヤツはいないな(笑)』と文句を言いながらも
ラジオを聴いてしまい、ライブを観てみたくなって(笑)
気がつくと『てめえ』などと甲斐さんの口グセがうつっていらしたらしい(爆)

サンストで甲斐さんに教えて貰ったバンドのほとんどが
今も活躍してるのを見て、目のつけどころは流石だと唸らされたり
ラジオで取り上げられた本やレコードを探しまわったり
影響された部分も少なくない…とか

レコードの溝がなくなるまで聴き潰しては同じアルバムを買って来た…とか
『注ぎ込んだお金で家が建つ(爆)』と言われるというエピソードにデジャヴ感満載(笑)

せっせとハイウェイバスや鈍行列車で、アチコチ出かけたおかげで
行ったことのない県は数えるほどしか残っていない
そこまでしても観たくなる何かがあったんだ…と影山さん

必然的にチケット取りにも熱が入り
徹夜並び最長2週間という記録も持っておられるんだとか…(爆)

武道館ライブのために、わざわざ定期を買って(笑)交代で新宿に並び
朝まで『大貧民大会』をやるわ(笑)寿司の出前は頼むわ(笑)で

最後には『並び』がやりたくてチケットを取る(爆)という
訳の判らない状況に陥ってしまったそうだ(笑)

野音で『海の向こうでストーンズも演ってるので』と
【ホンキー・トンク・ウィメン】を歌ってくれたこと

箱根でのミラーボールに目が眩みそうだった【100万$ナイト】
ジョンが逝ってしまったあの日の武道館

チケット発売当日に新聞で告知された厚年ライブ
その1曲目が【100万$】だったこと

品川プリンスで押し潰されそうになったり
ZONEの前日はホテルに泊まり徹夜してライブを迎えたり(笑)

武道館のアンコールで初めて【漂泊者】を演った時の狂乱や
大阪でイチローさんが正式メンバーになった時の感動

黒澤フィルムスタジオでの本当のラストライブで
最後の最後に泣いてしまったこと…等々

どのライブもまるで昨日のことのように思い出せる
そしてステージでの甲斐さんは、いつも最高に素敵だった

曲を聴くだけで、その時の色んな思い出が蘇って来る
その頃の思い出には、必ずと言っていいほど
バックに甲斐バンドの曲が流れている…と結ばれてます

おそらく奥さんも同じように多感な日々を
甲斐さんの曲にまみれて(笑)過ごしたんでしょう

ただ…奥さんは、影山さんのように
甲斐さんに写真をお願いして『ヤだ!』と思いきり断られ(汗)
落ち込んでいたら同情をかって(笑)一緒にカメラに納まったことも

『顔が悪いんだから(汗)態度ぐらいチャンとしろ!』と言われたことはないそうです(笑)
コメント
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