会社員を辞めて照和に復帰された甲斐さんは
ひとりで弾き語りをなさっていたけど
しばらくすると
同じ月曜日に出演していた妙安寺ファミリー・バンドが
バックで演奏するようになったり
小宮さんが企画されるコンサートでは
照和の出演者からメンバーを集めたりと
バンドスタイルで演奏される機会が増えていたようだ
ちなみに
当時リンドンのイチローさん、ドラマー伊藤さんも
甲斐さんとカントリーバンドを組んで
照和に出演されていたという
ピエロのベーシストだった安部さんと
共演することも多かったらしいんだけど
ポプコンやハッピー・フォーク・コンテストに出場された頃には
大森さん、長岡さんとご一緒でした
コンテスト当時のことを訊かれた大森さんは…
絶対、自分たちが優勝すると思っていた(笑)
一番記憶に残っているのは
優勝した時に泊まったホテルで
大騒ぎしたことだそうだ(爆)
ベッドはひっくり返すし
風呂はメチャメチャにするし、外タレ並み(爆)
…って、外タレは浴槽でカップヌードルは作らないでしょ!?(爆)
ホテルには迷惑かけました(苦笑)とおっしゃってます(笑)
高円寺での合宿生活について、大森さんいわく…
甲斐さんは毎日の仕事だけでなく
次の曲や次のアルバム、バンドの将来といった
大局的なことを考えていたようだった
甲斐さんご自身も
慣れないドラマーの仕事で
疲れて眠り込んでいる松藤さんを見て
俺はコイツをここまで連れて来て良かったのかなぁと
複雑な気分になったり
一生食わせてやれるくらい
ビッグなバンドにしてみせると
心に誓ったりしていたとおっしゃってます
一人暮らしがしたいと高円寺から引っ越しされたのも
曲作りに集中したかったからだそうだ
大森さんは、甲斐バンドの最年長者として
そんな甲斐さんを気遣ったり
メンバーのフォローをしたりと気苦労もあったという
レコーディングやライブが上手くいかなかった時
端から見ればケンカしているかのごとく
博多弁で話し合うけど
家に帰れば
誰かが落ち込んでいても変に慰めるようなことは言わず
ニコニコして冷ややかな目で(爆)
何やってるのかな?
早くこっちに来ないかな?と眺めていたそうだ(笑)
ちなみに
麻雀や賭け事はやっても良いけど
甲斐バンド4人ではやらないようにしよう
と言い出したのは大森さんだったらしい(笑)
何よりも大森さんの存在そのものが
メンバー同士の潤滑油というか
癒しになっていたんでしょうね♪
【フェアリー】のPV撮影事故の話もそうだけど(爆)
ちょっと天然…失礼!
もとい、ピュアな(笑)感性とあの優しい笑顔♪
当時のマネージャー武石さんも
口数の少なかった彼が
トンデモないところでトンデモない合いの手を入れて笑わすので
(ライブ前の)楽屋でも
緊張できなくて困ってしまうことがよくある(苦笑)
と話されてました(爆)
甲斐さんは、よく話題が飛ぶ方ですけど(笑)
奥さんによると…
以前はそれがもっと激しかった上に(笑)
人の話を聞かないので(爆)
甲斐さんが
『あれナンて名前だった?』とか
『それ何時のことなの?』と訊いて
大森さんが答えようとすると
甲斐さんはもう他の話をしてる(爆)
なんてことが頻繁にあったそうだ(笑)
そのくせ、大森さんが
『パープル・シャドウズ』と『ディープ・パープル』を間違えると
ディープ・パープルが【小さなスナック】を歌うかいな!(爆)
次は小さなスナックです
ディープ・パープルどうぞ!!(爆)
と爆笑しながらツッコミまくっておられたらしい(爆)
その甲斐さんが大人しく見えるくらい?(爆)
バンドイチおしゃべりだった長岡さんと
大森さんは、一体どんな話をされていたんでしょうね?(爆)
ひとりで弾き語りをなさっていたけど
しばらくすると
同じ月曜日に出演していた妙安寺ファミリー・バンドが
バックで演奏するようになったり
小宮さんが企画されるコンサートでは
照和の出演者からメンバーを集めたりと
バンドスタイルで演奏される機会が増えていたようだ
ちなみに
当時リンドンのイチローさん、ドラマー伊藤さんも
甲斐さんとカントリーバンドを組んで
照和に出演されていたという
ピエロのベーシストだった安部さんと
共演することも多かったらしいんだけど
ポプコンやハッピー・フォーク・コンテストに出場された頃には
大森さん、長岡さんとご一緒でした
コンテスト当時のことを訊かれた大森さんは…
絶対、自分たちが優勝すると思っていた(笑)
一番記憶に残っているのは
優勝した時に泊まったホテルで
大騒ぎしたことだそうだ(爆)
ベッドはひっくり返すし
風呂はメチャメチャにするし、外タレ並み(爆)
…って、外タレは浴槽でカップヌードルは作らないでしょ!?(爆)
ホテルには迷惑かけました(苦笑)とおっしゃってます(笑)
高円寺での合宿生活について、大森さんいわく…
甲斐さんは毎日の仕事だけでなく
次の曲や次のアルバム、バンドの将来といった
大局的なことを考えていたようだった
甲斐さんご自身も
慣れないドラマーの仕事で
疲れて眠り込んでいる松藤さんを見て
俺はコイツをここまで連れて来て良かったのかなぁと
複雑な気分になったり
一生食わせてやれるくらい
ビッグなバンドにしてみせると
心に誓ったりしていたとおっしゃってます
一人暮らしがしたいと高円寺から引っ越しされたのも
曲作りに集中したかったからだそうだ
大森さんは、甲斐バンドの最年長者として
そんな甲斐さんを気遣ったり
メンバーのフォローをしたりと気苦労もあったという
レコーディングやライブが上手くいかなかった時
端から見ればケンカしているかのごとく
博多弁で話し合うけど
家に帰れば
誰かが落ち込んでいても変に慰めるようなことは言わず
ニコニコして冷ややかな目で(爆)
何やってるのかな?
早くこっちに来ないかな?と眺めていたそうだ(笑)
ちなみに
麻雀や賭け事はやっても良いけど
甲斐バンド4人ではやらないようにしよう
と言い出したのは大森さんだったらしい(笑)
何よりも大森さんの存在そのものが
メンバー同士の潤滑油というか
癒しになっていたんでしょうね♪
【フェアリー】のPV撮影事故の話もそうだけど(爆)
ちょっと天然…失礼!
もとい、ピュアな(笑)感性とあの優しい笑顔♪
当時のマネージャー武石さんも
口数の少なかった彼が
トンデモないところでトンデモない合いの手を入れて笑わすので
(ライブ前の)楽屋でも
緊張できなくて困ってしまうことがよくある(苦笑)
と話されてました(爆)
甲斐さんは、よく話題が飛ぶ方ですけど(笑)
奥さんによると…
以前はそれがもっと激しかった上に(笑)
人の話を聞かないので(爆)
甲斐さんが
『あれナンて名前だった?』とか
『それ何時のことなの?』と訊いて
大森さんが答えようとすると
甲斐さんはもう他の話をしてる(爆)
なんてことが頻繁にあったそうだ(笑)
そのくせ、大森さんが
『パープル・シャドウズ』と『ディープ・パープル』を間違えると
ディープ・パープルが【小さなスナック】を歌うかいな!(爆)
次は小さなスナックです
ディープ・パープルどうぞ!!(爆)
と爆笑しながらツッコミまくっておられたらしい(爆)
その甲斐さんが大人しく見えるくらい?(爆)
バンドイチおしゃべりだった長岡さんと
大森さんは、一体どんな話をされていたんでしょうね?(爆)