ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

大森信和さんその1

2013-07-07 15:00:17 | 日記
今日は七夕ですね

大森さんがお星さまになられてから9年…

東京の甲斐友さんは
毎年ご挨拶に行かれているようです


大森さんは
小学生の頃からクラシックがお好きで
特にチャイコフスキーがお気に入りだったそうだ

器楽部に入られ
当時はふくよかな(笑)体型だったから?
太鼓やティンパニーを担当されていたとか…

中学1年の時
ビートルズに出会って衝撃を受けてからも

線の細い楽器(爆)ばかりではなく
クラシックの重厚な音を聞いて
バランスを取っておられたらしい


ベンチャーズを知って
『これなら出来そうだ』(笑)と
初めてギターを手にされたようだけど

興味があったのはエレキベースで
高校、大学のバンドではベース担当だったという


福岡大学のフォークソング愛好会に入られ
1年の時から照和に出演されたり

アマチュアのスタジオ・ミュージシャンをなさったりして

大学へは午後の実習に出るだけで
午前中の講義は休んでばかりだったそうだ(汗)


岸川さんの
『ショコラ・ヤング・ヤング・ナイト』や『歌え!若者』という番組にも
よく出演していらっしゃったようで

公開録音の際には観覧席ではなく
ミキサールームで岸川さんと一緒にご覧になっていたという


この番組に出演していた
『ノーマン・ホイットフィールド』を初めて見た時は

『ウァ、すげえ』じゃなく
『ドキッとした』そうだ(笑)

当時はきれいに発する声ばかりだったので

甲斐さんの枯れた声と
絞り出すような歌い方にヤラレちゃったと…(笑)

大森さんいわく…
甲斐さんの歌う【ヘルプレス】は

ニールヤングでもなく、しゃがれ声のニールヤングでもなく

ブルース・シンガーが歌うとああなるんだなぁ

その時にはバンド名を知っただけで
『左利きで髪の毛が長い高校生』(笑)の名前は
ご存知なかったらしいけど

当時から甲斐さんのルックスは目立っておられたそうだ(笑)

大森さんは大学3年の時
本格的にギターを弾くようになられ

妙安寺ファミリーバンドの久保さんに
『うるさい奴っちゃな』と言われるくらい(苦笑)
しつこくギターの弾き方を訊ねておられたらしい(笑)

久保さんはただ、大森さんの目の前で
ギターを弾いてみせるだけだったようだけど

大森さんは、それを熱心に見聞きしてマスターしていかれたという

長岡さんとは学部こそ違え
同じ大学の同じサークルに所属して

それぞれのバンドで照和にも出演されており
同じアパートに住んでいらっしゃったから

夜中にお互いの部屋で音楽を聴いたり
ベンチを盗みに行ったり…(爆)

ちなみに
大森さんは長岡さんと『筑前』を結成された頃から
ご自身で曲を作るようになったそうだ

甲斐さんとの再会?は
甲斐さんが照和に復帰されて
昼間ひとりで練習しておられた時に

偶然、立ち寄った大森さんが声をかけて
一緒にブルースを演奏されたんですよね♪

甲斐さんは何の曲だったか?
覚えていないとおっしゃっていたけど

大森さんは
『曲というより、甲斐さんが適当に何か歌ってた』
と話されてました(爆)

松藤さんは
いつも学生服姿で照和にやって来て

地下の楽屋に降りる階段に座って
ギターを弾いておられたらしい(笑)

当時の松藤さんについて

大森さんも甲斐さんも
全く同じ姿を話されているのが可笑しいです(爆)

もっとも、大森さんには
バス代を借りることはなかったようですが…(爆)


それだけ印象に残るくらい
毎日のように同じ場所で
ギターを弾いていらっしゃったんでしょうね(笑)

他の出演者の方々も

高校生で学生服着てるヤツがいるとか

学生服なんかで来るヤツの気が知れん(笑)
などとおっしゃってたらしい(笑)

でも、博多の気質で(笑)
誰も松藤さんに声をかけないし

それでも、やって来てコツコツ弾いてる(笑)
というのが照和の気風だったそうだ(笑)

そんな噂になるほど
ギターは上手かったようで

大森さんは
もし自分でバンドのメンバーを集めるとしたら
コイツを入れようかなと思われたという

その後、甲斐バンドを結成する時に
松藤さんを入れようと言ったのも
実際に口説き落としたのも大森さんだったという

つくづく、人の縁って不思議なものですねぇ…
コメント
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