福岡は鉦と太鼓の鳴らない日がない(笑)と言われるほど
1年を通して祭りが多く
祭り好きな福岡ケンミンは
往々にして普段からテンションが高めらしい(爆)
甲斐さんが
福井ケンミンに親近感を覚える所以だそうだ(笑)
その数多い祭りの中でも
とりわけ博多っ子のテンションが上がるのが
博多の総鎮守である櫛田神社の祭礼『博多祇園山笠』
『山笠があるけん、博多たい!』というCMコピーそのままに
7月の声を聞くと仕事も何も手につかず
『山笠(やま)のぼせ』になってしまう方が多いらしい(笑)
甲斐さんも
『山笠と聞いただけで興奮してしまう』
『やっぱり博多の人間なんだ』とおっしゃっています(笑)
『博多人っていうのは
山笠をかいたことがある人間だけだ』とも話されてるんだけど
では、どこからどこまでが【博多】なのか?(笑)
そもそも、福岡市に【福岡】というJRの駅はなくて
山陽新幹線が停車するのは【博多】駅
西鉄には【福岡】駅があるけど
駅自体は天神に位置している(笑)
明治維新後に福岡市が生まれるまで【博多】と【福岡】は
那珂川を挟んで隣り合った別の町だったようで
【博多】は那珂川から東側に約1㎞
南北は博多埠頭から国体道路辺りまでの約2㎞
現在の博多区のホンの一部を指しているらしい
二千年以上も昔、邪馬台国の時代から存在し
港町、商人の町として発展して来たという
一方の【福岡】は
400年ほど前に作られた武士の町、城下町だったそうだ
歴史の長い方が影響力を持つのは自然の流れで(笑)
市の名前は福岡になっても
【博多】は【博多】であって福岡ではない(爆)
という意識が根強く残っているんじゃないでしょうか?(笑)
そのいわゆる【博多】を
小さな地域に分けたものを【流(ながれ)】と呼び
山笠は、各【流】ごとに
【かき山】を担いで約5㎞のコースを駆け抜け
そのタイムを競う祭りです♪
『小屋入り』と呼ばれる
山笠の台を作る山小屋がスタート
完成した山笠を山小屋にたてる『飾りつけ』
かき棒を博多湾の海水で洗う『棒洗い』
洗った棒を山笠に取り付ける『棒締め』
人形が乗せられ飾りつけを終えたら『御神入れ』が行われ
7月1日の公開とともに山笠が始まり
15日まで博多は山笠一色になるという
この期間中は『キュウリを食べてはいけない』らしい
キュウリの切り口が
櫛田神社の神紋と似ているからだとか…
また、法被に締め込みは正装として扱われ
冠婚葬祭にも出席OK(爆)
但し、不浄の者は山笠に関われないので
喪中の場合は、法被に手を通すことが出来ないという
そういう時に人の法被姿を見て
歯がゆく寂しい思いをするのが辛くて
博多に居ないようにする方もおられるらしい(苦笑)
不浄の者には女性も含まれるので(汗)
『手も触れてはいけましぇん』(爆)
…ということになっているそうだ(笑)
それはさておき…
山笠発祥当時には7つの流があり
一時期は10流まで増えたようだけど
昭和30年代半ばから40年代前半にかけて
【博多】に住む人がどんどん減ってしまい
かき手不足で山笠が絶えてしまうと
心配されたこともあったという(汗)
甲斐さんがお生まれになった清川近辺は
【南流】と呼ばれていた地域だそうだけど
残念ながら
現在、山笠に参加している7つの流の中に南流はありません(泣)
昭和30年代半ば頃といえば
ちょうど甲斐さんがご一家で
南区に移られた頃ですよね?
三つ子の魂 百までとは言うものの
『思い出すだけでも体がカッカしてくる』という甲斐さん
もし、今でも博多に住んでいらっしゃったら
相当な【のぼせもん】になっておられたことは間違いないですね(笑)
1年を通して祭りが多く
祭り好きな福岡ケンミンは
往々にして普段からテンションが高めらしい(爆)
甲斐さんが
福井ケンミンに親近感を覚える所以だそうだ(笑)
その数多い祭りの中でも
とりわけ博多っ子のテンションが上がるのが
博多の総鎮守である櫛田神社の祭礼『博多祇園山笠』
『山笠があるけん、博多たい!』というCMコピーそのままに
7月の声を聞くと仕事も何も手につかず
『山笠(やま)のぼせ』になってしまう方が多いらしい(笑)
甲斐さんも
『山笠と聞いただけで興奮してしまう』
『やっぱり博多の人間なんだ』とおっしゃっています(笑)
『博多人っていうのは
山笠をかいたことがある人間だけだ』とも話されてるんだけど
では、どこからどこまでが【博多】なのか?(笑)
そもそも、福岡市に【福岡】というJRの駅はなくて
山陽新幹線が停車するのは【博多】駅
西鉄には【福岡】駅があるけど
駅自体は天神に位置している(笑)
明治維新後に福岡市が生まれるまで【博多】と【福岡】は
那珂川を挟んで隣り合った別の町だったようで
【博多】は那珂川から東側に約1㎞
南北は博多埠頭から国体道路辺りまでの約2㎞
現在の博多区のホンの一部を指しているらしい
二千年以上も昔、邪馬台国の時代から存在し
港町、商人の町として発展して来たという
一方の【福岡】は
400年ほど前に作られた武士の町、城下町だったそうだ
歴史の長い方が影響力を持つのは自然の流れで(笑)
市の名前は福岡になっても
【博多】は【博多】であって福岡ではない(爆)
という意識が根強く残っているんじゃないでしょうか?(笑)
そのいわゆる【博多】を
小さな地域に分けたものを【流(ながれ)】と呼び
山笠は、各【流】ごとに
【かき山】を担いで約5㎞のコースを駆け抜け
そのタイムを競う祭りです♪
『小屋入り』と呼ばれる
山笠の台を作る山小屋がスタート
完成した山笠を山小屋にたてる『飾りつけ』
かき棒を博多湾の海水で洗う『棒洗い』
洗った棒を山笠に取り付ける『棒締め』
人形が乗せられ飾りつけを終えたら『御神入れ』が行われ
7月1日の公開とともに山笠が始まり
15日まで博多は山笠一色になるという
この期間中は『キュウリを食べてはいけない』らしい
キュウリの切り口が
櫛田神社の神紋と似ているからだとか…
また、法被に締め込みは正装として扱われ
冠婚葬祭にも出席OK(爆)
但し、不浄の者は山笠に関われないので
喪中の場合は、法被に手を通すことが出来ないという
そういう時に人の法被姿を見て
歯がゆく寂しい思いをするのが辛くて
博多に居ないようにする方もおられるらしい(苦笑)
不浄の者には女性も含まれるので(汗)
『手も触れてはいけましぇん』(爆)
…ということになっているそうだ(笑)
それはさておき…
山笠発祥当時には7つの流があり
一時期は10流まで増えたようだけど
昭和30年代半ばから40年代前半にかけて
【博多】に住む人がどんどん減ってしまい
かき手不足で山笠が絶えてしまうと
心配されたこともあったという(汗)
甲斐さんがお生まれになった清川近辺は
【南流】と呼ばれていた地域だそうだけど
残念ながら
現在、山笠に参加している7つの流の中に南流はありません(泣)
昭和30年代半ば頃といえば
ちょうど甲斐さんがご一家で
南区に移られた頃ですよね?
三つ子の魂 百までとは言うものの
『思い出すだけでも体がカッカしてくる』という甲斐さん
もし、今でも博多に住んでいらっしゃったら
相当な【のぼせもん】になっておられたことは間違いないですね(笑)