読書な日々

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フランス語で読む『星の王子さま』(4)

2016年03月02日 | 評論
フランス語で読む『星の王子さま』(4)

Vは有名なバオバブの木の話である。

バオバブの木も最初からあんなに大きいわけではなくて、バラやその他可愛らしい草花と区別がつかないくらいに可愛らしい状態から始まるが、最後には小さな星なんか破壊してしまうほど大きくなるという話だ。だから小さな芽のうちに摘み取ってしまわけなければならないという。

これは非常に微妙な内容である。悪は芽のうちに摘み取ってしまえ、という話の寓話なのだろう。サン=テグジュペリが最後はナチス・ドイツに対する戦いの途上で事故によって(たぶん)不時着して地中海に沈んだということを知れば、しかもこの小説は遠いアメリカでこうしたフランスの窮状を懸念しつつ、自分も早くフランスに戻ってドイツと戦いたいという思いの中で書かれたことを考えるならば、この寓話は、いつの間にか、しかしあっという間にヨーロッパを支配するようになったナチス・ドイツ批判であり、そうした悪の芽に気づかなかった自分たちの自責の念を書いたものと見ることができる。

引っかかるのは、この章の冒頭のau hasard des réflexionsである。

Chaque jour, j'apprenais quelque chose sur la planète, sur le départ, sur le voyage. Ça venait tout doucement, au hasard des réflexions. C'est ainsi que, le troisième jour, je connus le drame des baobabs.
(小島訳)日ごとに、ぼくは、王子さまの惑星について、旅立ちについて、そして旅行について、何かを知るようになった。(王子さまが)たまたま口にする(思いがけない)考えごとによって、実にゆっくりと話しがわかってきた。このようにして、三日目にバオバブの惨事を知った。)

問題は、このles réflexionsが誰の考察なのかということである。au hasard des のdesが前置詞de+複数定冠詞lesであることは問題ない。考察の内容が定冠詞になっているということは、一般論を内容にしているわけではなくて、前に出てきたものを受けているからで、それは、星の王子さまの星や彼の旅立ちや旅行のことについての考察だろう。ならばそれは「私」の考察にほかならない、というのが私の考えだ。

たしかに「私」の考察を喚起したのは、もちろん星の王子さまがたまたま口にしたことだとは思うが、この文脈で réflexionsを、小島訳のように「星の王子さまが口にした考えごと」とまで訳せるだろうか?

ただ闇雲に考えていても結論はでないので、伝家の宝刀Le Petit Robertを調べてみた。すると、IIの2にpensée exprimée (orale ou écrite) d'une personne qui a réfléchi.とある。ということは「口頭で表現された考え」ということを意味するのだから、小島訳のように「星の王子さまが口にした考えごと」ということも可能なのだ。というか小島訳のほうが正解かもしれない。なるほどね、調べてみるもんだな。



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