読書な日々

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『武満徹・音楽創造への旅』

2016年08月12日 | 評論
立花隆『武満徹・音楽創造への旅』(文藝春秋、2016)

武満徹が亡くなったのが1996年か。時が経つのは速いものだな。もう20年にもなるのだ。たぶんその頃には武満徹のことはあまり知らなかったと思う。

今のマンションに引っ越してきたのが95年だから、その一年後ということになるが、私が武満徹を知ったのは、たぶん小澤征爾の『ボクの音楽武者修行』に二人の対談が載っていたからだと思う。そこに『ノヴェンバー・ステップス』初演のことが書いてあったからだろう。

それから「現代日本の音楽」シリーズで『ノヴェンバー・ステップス』と『弦楽のためのレクイエム』を聞いて、すごい音楽だなと感動したのも思い出す。

そこから逆に昔のことを思い出し、そういえば『木枯らし紋次郎』の音楽が似ていたなと思い、ケーブルテレビで再放送されたときにクレジットを見たら、湯浅譲二が音楽を担当していることが分かる。

さらに、カミさんが持っていた『MUSIC ECHO』という雑誌の1971年9月号あたりに高橋悠治のことが書いてあって、その写真の一つに武満徹が写っていることを思い出した。私も中学生のときにこの雑誌を購読していたので、この写真を見ていたはずだ。その時から「すごいおでこをした人がいるな」と感心していたのかどうか、よく思い出せないが。

2005年くらいにフランスのブザンソンで行われたルソーの研究会に行ったとき、そこに来ていた若い人から武満徹を研究したいのだが、日本に行けばどこで研究できるだろうかと聞かれた。たぶん日本では武満徹はあまり知られていないから、日本に来ても研究にならないと思うよと答えたが、この本を読むと、当たらずといえども遠からずだったことが分かる。

武満徹を知るための武満徹論は、たぶんこの本が初めてだろう。もちろん音楽の専門家が書いたわけではないが、武満徹がどんな音楽状況のなかで、あれこれの作品を書いていったのかよく分かる。

立花隆自身が現代音楽に強い興味をもっていて、よく演奏会を聞きに行ったというから、彼自身の言葉、彼自身の人生に咀嚼された言葉で書かれているので、現代音楽の素人にもよく分かる。もちろん武満徹のインタビューが元になっているということも大きな要因だろう。彼自身が立花隆に分かるように噛んで含めるように語っているからだ。

西洋音楽がすべての音を一つのシステムに構造化しているのに対して、日本の音は一つ一つが孤立したもの、したがって一つの音にすべての想念を内在させることができるというような話が出てくるが、よく分かる。『ノヴェンバー・ステップス』の尺八や琵琶の音がまさにそれだ。

この本を読むと、1960年代から70年代にかけて武満徹を始めとした作曲家たちが試みたさまざまな探求がよく分かる。そしてそれを続けた稀有の作曲家が武満徹だということも。だが、こうした探求の後にはどんな新しい音楽が来るのだろうか。

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