読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『藤原氏の正体』

2015年06月29日 | 作家サ行
関裕二『藤原氏の正体』(新潮文庫、2010年)

苗字に藤のつくもの(伊藤、加藤、佐藤など)は藤原一族のもとで家臣をしていた者たちで、その仕事内容や働いていた場所からそのような苗字をつけることを許されたのだという話を聞いたことがあるが、佐藤なんて日本の最多数を誇る苗字だから、もしそれが本当なら、藤原一族の家臣が日本にはそんなにいたのかと驚くほどだ。

それはともかく、藤原一族の祖である中臣鎌足(鎌子)がじつは新羅によって滅ぼされた百済の最後の義慈王の四男だか五男の豊璋(グーグルの漢字変換に出てきた!)だったのではないかという仮説を著者は出している。

もともと豊璋という人は日本に人質として滞在していたが、中大兄皇子と手を組んで、蘇我一族が進めていた公地公民制や新羅よりの外交政策を、蘇我入鹿を殺してこの一族に大打撃を与えて、公地公民制の手柄を横取りし、外交政策では百済よりに転換させ、660年に新羅が百済を滅ぼしたあと、百済の残党たちが反旗を翻した時に、彼らの応援のために日本軍を送って、白村江の戦いに参戦させた。

その後、豊璋の行方はわからなくなっていたというが、この著者は密かに日本に戻って、天皇となった中大兄皇子とともに国政を動かす存在になっていたというのだ。

ここまではまだ著者の仮設なのだが、中臣鎌足が藤原姓をもらい、藤原家ができてからは、それはもう権力を独占するために、邪魔者を陰謀にはめて自殺させる、毒を盛って殺す、菅原道真のように左遷させて憤死させるなど、ちょうど韓国ドラマの『チャングムの誓い』のチェ一族のように、ありとあらゆる悪行をなしてきたということは、これはもう歴史上の事実である。

著者は、このような独占欲の強い、一族のためには何でもする、みたいな一族は、それまでの日本にはいなかったと言う。それまでは共存共栄というのが多くの豪族貴族の行動様式であったから、藤原家のような行動は日本のようなところでは容易に成り上がれたという。

それにしてもなんとも面白い本だ。古代史の愛好家が多い理由も分かるような気がする。
アマゾンのカスタマーレビューではこの仮説はあまり人気はないようだ。中には「義経=ジンギスカン説」と同レベルなんてレビューもあったけど、そんなものなんだろうか?私は非常にレベルの高い仮説だと思うけどね。

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