読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『日本の中の朝鮮文化8』

2015年06月04日 | 人文科学系
金達寿『日本の中の朝鮮文化8』(講談社、1984年)

このシリーズの第8弾とはいえ、因幡、出雲、隠岐、長門といったいわゆる山陰地方は、朝鮮文化を語る上では、北九州や越後地方とならぶ、おそらくトップクラスの地域であるのは言うまでもない。

極めつけは、出雲の話だが、金達寿が直接書いたのではなくて、同じ頃に『街道をいく』を書いていた司馬遼太郎の文章である。出雲大社に大国主大神のことを書いてくれるように依頼したところ、大国主大神が国譲りをした時に天孫族との契約があるからそれは書けないと断ってきたという話、さらにそのことを島根県人の先輩の記者に話したら、その出雲大社の宮司は、天孫族が派遣した人間であって、私たち島根県人は国譲りのこと、大国主大神の悲憤を考えたら、今でも眠れぬ夜があるなどと悲憤慷慨したという話など、じつに興味深い。私は隣の鳥取県に住んでいたが、そんな話は聞いたことがないのは残念だ。

この地域はとにかく朝鮮文化を探るには興味深いものがたくさんある。例えば、美保関では今でも鳥肉を食べないという。それは新羅で鳥が神聖なものとされて食べなかったのが継承されているのではないかと思われる。

いまテレビで見ている『善徳女王』の中でトクマンがよく新羅のことを徐羅伐(ソラボル)と言ったり、鶏林と言ったりするのを不思議に思っていたのだが、そのこともこの本では触れられている。もともとソラボルというのが地域の名前だったが、新羅誕生のしばらく後に、ある林の中で鶏が鳴いて金の櫃のありかを教えたという。それを開けてみたら、男の子が入っていて、それを次期の国王にしたことから、鶏が国王を授けた神聖なものとみなされ、鶏林という国名がついたという。

どこを拾い読みしても興味深い箇所が出てくる。もちろんこの地域の出身ということで、身近なことだから、余計にそうなのかもしれない。

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