読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『在日』

2014年10月24日 | 評論
姜尚中『在日』(講談社、2004年)

今や飛ぶ鳥を落とす勢いで次々と著書を出している姜尚中の10年前の自伝的な本。アマゾンのレビューの多くは「反日の書」だとか「「簡単に論破」だというような、的外れなものばかりがトップに並んでいる。あたかもこの本で姜尚中が日本に対する恨みつらみを書いたとばかりのレビューばかりだが、そんなことはない。私が感じたのはまったく別のことだ。

読んでいるあいだずっと感じていた、この違和感は何なのだろうか?『在日』という本なのだから、在日であることが原因ではない。孫正義の自伝を読んだときにはまったく感じなかった違和感。

在日が大変な苦労をしてきたし、いまもしていることは、知っている(もちろんその絶望的なまでの実態を知っているのかと問い詰められたら、ぐうの音も出ないのけど)。

そして姜尚中がそれを経てきた自分の有り様を語っていることも分かる。この本で彼は、ある出来事を経て、それで自分は変わったということを繰り返し述べている。しかしその出来事は、なんとか事件のような出来事ばかりで、本当にそれで彼が変わったのか、私には理解できない。

彼は周りの在日たちからどう思われているのだろう。底辺をのたうち回っていた在日たちが突き当たる壁を彼はまったくたいした障害も感じずに経ている。たとえば大学進学(早稲田という私学の雄)、そしてドイツ留学(ここで脳天気な日本人留学生を批判しているが、たとえば彼の苦悩など中島義道のそれに比べたらたいしたものではない)、そして日本人女性との結婚、国際基督教大学への専任採用などなど。日本人であっても苦労するような道程を彼はたいした苦労もなくスルスルっと乗り越えてきた。

そんな彼が周りの在日からどう思われているのだろうか。指紋押捺の問題で川崎での第一号拒否者になったことを書いているが、身分が不安定だからその拒否闘争を辞めたことを記している。もちろんこのこと自体を私は論じる立場にはない。これに違和感を感じたのだろうか?しかしこれはだいぶ後になってから出てくる。私の違和感は最初からあったのに。

つまりここで書かれていることが、なんだか上辺だけのことで、彼の本当の内面は何一つ書かれていないような気がする。それがこの違和感なのかもしれない。


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