読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『猿飛佐助からハイデガーまで』

2014年10月10日 | 評論
木田元『猿飛佐助からハイデガーまで』(岩波書店、2003年)

先ごろ亡くなった著名な哲学研究者である。朝日新聞に紹介が載っていて、この本も紹介されていたので、読んでみた。

私の父(20年以上も前に60歳位で亡くなった)とほぼ同世代。木田元が終戦から東北大学に入るまでの、ある意味放浪時代の最後に山形の農林専門学校にいたということを書いているが、そういえば私の父親も倉吉のそんな学校に在籍していたという話を聞いたことがある。しかしそこを卒業したのかどうかしらないが、サラリーマンになって、その後独立し起業した。

私の家は本など無縁の家庭で、祖父は大工のような仕事をしていたが、田舎に住んでいながら、田畑を持たないので、祖父の大工での収入が唯一だったのだろうが、それも本式のものだったようには思えない。大工の手伝いに出かけて現金をもらってくる程度だったのではないだろうか。サラリーマンになった父の収入が唯一の安定した現金収入だったようだ。

そんな家庭なので家には書物などというようなものはほとんどなかった。そんな家庭で育った私も小学校の高学年になるまでほとんど本を読んだ記憶がない。それを変えたのは5年生のときに知り合った黒田くんという友人の影響である。

いまだに何だったのか分からないが、うちの小学校から私と黒田くんが代表として郡の集まりに出かけていった。それがきっかけで黒田くんと付き合うようになった。彼は両親とも教師で、天体望遠鏡はもっている、本もあれこれもっているという子で、彼の影響を受けて、私も天文のことに関心をもつようになった。折しもアポロ11号の月面着陸の頃でもあった。同じ頃読んだニュートン伝記の影響もあり、天文学関係のものを中心にして科学読み物をあれこれ図書室で借りてきて読むようになった。

中学校では科学読み物も引き続き読んでいたが、それだけでなく、推理小説も読み始めた。エラリー・クインなんかが当時の流行で、『Xの悲劇』『Yの悲劇』なんかを夢中になって読んだ。さらに自分でSF小説なんかも書いたことがある。同時にヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読んだことも思いだす。とくに受験勉強をしていた中3の頃に読んでいたので、自分を、神学校に入るために時を忘れて勉強していた主人公のハンスに重ねあわせていた。これはきっと読書感想文の宿題だったような気がする。

高校に入ってもしばらくは天文関係の勉強を大学でしようと思っていた。だが、高校で入ったボート部の友人の影響で文学に染まってしまった。最初は北杜夫だった。それから太宰治へと移り、完全に自堕落な高校生になってしまって、天文学を勉強するなどという理想はどこかへ飛んでしまっていた。高校ではおもに明治時代の日本文学、夏目漱石、島崎藤村などを読んでいた。それから自然主義というキーワードからフランスのゾラを読むようになり、大学ではフランス文学を勉強してみようと思うようになった。小説家になろうかと思って、小説を書いてみたりしたが、才能がないのが自分でも分かった。私小説みたいなものをいくつか書いてやめた。

こういう読書がらみの自伝というのは、書物というものが人生にいかに大きな影響をもつものか教えてくれるところがあって面白い。



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