仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

ありがとうの奇跡

2024年08月07日 | 日記
『ありがとうの奇跡』(2016/11/26・小林正観著)からの転載です。

人生の前半は「手に入れていく時間」、
人生の後半は「手放していく時間」

私の高校の同級生は450人ほどいるのですが、その出世頭ともいえる男性がいます。彼は、あるシンクタンクに勤めていて、「日本政府が、海外で行ったプロジェクトをたくさん手伝った」と言っていました。あるとき、彼から電話があり、「相談したい」と言うので会ってみると、彼は、次のように話を切り出しました。
 「大学病院の検査で、肺ガンが発見された。それも、かなり悪い。夢にも思っていなかったので、大変うろたえていて、頭の整理がつかない。三次元的な話はともかくとして、四次元的な生死の世界については、あなたにしか相談することができない」
 私は彼に、「戦うこと、争うことを捨てることができるか?」と聞きました。
 彼は、「今、戦いの心、争いの心を捨てろ、と言われても、できない」と答えました。
 その後、彼はお金に糸目をつけず、最高の医療技術を持つ病院で手術を受けたそうです。退院後に彼から話を聞くと、「状態が悪すぎて、何ひとつ取り出すことなく、胸をそのまま縫合して終かった」そうです。体中にガン細胞が行き渡っていたのです。 そして彼は、「早ければ1ヵ月、長くて3ヵ月」の余命を宣告されました。
 私は、「オーストラリアにでも1年か2年遊びに行って、のんびり暮らして、人と争うこと、戦うこと、勝利することをやめたらどうか。3ヵ月あるのなら、その間に自分のやってきたことを文章にまとめることもできる」と彼に提案しました。
 彼は、「難しいけれど、やってみる」といって、帰って行ききました。
 6ヵ月後に同窓会の幹事から、「彼が亡くなった」という連絡を受けました。
 「早ければ1ヵ月、長くて3ヵ月」の余命だった彼が、「6ヵ月生きることができた」のは、争うこと、戦うこと、勝利することをやめたからかもしれません。
 たくさんのものを持っていれば持っているほど、死ぬときがつらくなります。彼は、たくさんの名誉も、地位も、称賛も、実績も得ています。そして、それらを手放すことができなかったから、彼は死ぬのが怖かったのだと思います。
 人生の前半生を過ぎれば、同じ年月をかけて、「いかに手放せるか」の訓練がはじよります。山の頂上に向かって、両サイドから風が吹いていて、努力という風は、常に頂上に向かって吹いています。「努力をして手に入れていく作業」は、人生の真ん中までは追い風でした。
 しかし、頂上に登り終わると、努力は逆風になります。人生の真ん中を過ぎてからは、今度は「得たものをいかに執着しないで、必要な人に手渡せるか」が問われはじめるようです。そして、自分か死ぬ3秒前、2秒前、1秒前になったときに、「私はすべて手を放して自由になることができた」という状態で死ぬことを「最高の死」といいます。(以上)

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