goo blog サービス終了のお知らせ 

The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

An existentialism is so subjective

2016-02-12 04:44:48 | 世界経済

The existentialism was very popular in Japan , but today we can't find it .
And where had the people called an existentalist gone ?

While I was thinking an aloof subject , many accident occured .
Well , this time , I knew that C.L.Strauss who was an antropologist was a jew , he criticized the existentialism of Jean-Paul Sartre ,
" It was too subjective ."

I think by his saying we may be able to transcend the dark , narrow world of existentism and live in a healthy dimension of mind .
           
        実存主義は主観的すぎる
 かつて、実存主義が流行った、一世風靡、だが、今は、まったく見ることはない、大きな顔で知ったかぶりをしていた連中、なにをしているんだろう。
    
 さて、浮世離れしたテーマにかかずりあっている間に、いろいろなことが起きていた、文化人類学者のレビ・ストロースがユダヤ人であることを知った、彼は、サルトルの実存主義を、
 「主観的すぎる」

 言ってくれた、その通りだ、深刻そうな顔のインテリたちは、どこに行ったのだろう、そう、左翼思想と実存主義はセットになっていたのかもしれない。

 学生時代、実存主義がブームで実存主義のセンセーは我が世の春、
 「キミー 大学なんか 友だちをつくるぐらいで いいんだよ」
 「人生には 意味はないんだ 不条理だからね」
 「人生なんて そんなもんなんだよ」
 人生の出発点に立つ若者に、なんていう言葉だったんだろう。

 樫山さんに、そのことを言うと、
 「すっかり変わってしまってね」
 「質が 落ちたんですか」
 「ふふふ 教授会に出るのが こわいくらいだ」
 「・・・」
 「形而上学なんか まるで分かっていない」
 「実存主義がサイコーだと 吹聴しています」
 「哲学の一部だということに 気づいてくれるといいんだがね」
 「ほんとうに」
 「あの戦争で 優秀な学生から先に 死んでしまったんだ」
 「・・・」
 「あんなクズが教壇に 立っている」

 当時、早稲田には3人の実存主義のセンセー、
 1、松浪信三郎
 2、K    
 3.G      

 松浪さんはマジメだった、と思う。
 Kは四国の寺の出身で、仏教の方が格が上だと思うが、なにを狂ったのか「サルトルだ ヴォボワールだ」、そう、口の端が曲がっていた。
 Gには、ひどい目にあった、典型的な口先だけのインテリで、軽薄この上ない、直近、「育休」を主張したが、つれあいが妊娠中にナイスボデイを自宅に連れ込んだイケメン議員に似ていた、テレビで「あの手のカオは ダメね」

 まったく、その通り、
 「キミは いいことを言うが書いたものがないからダメなんだよ」
 苦心惨憺して書き上げると、「これは ぼくの分野でないから分からないね」、そんなチョーシだった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。