A man in his 50's stayed there .
When he was a student of Tokyo Agriculture University , he went out with a student mobiligation and survived , but lost the power to live completely ..
His grandmother took him seriously ,
" So . he does not have sloppy so much .
At that time , the United States and the Soviets were in conflict , he said ,
" It isn't good thing ."
I can not forget his sad expression ."
この寺には何十もの部屋があったから住むには不自由しない、そこで、いつも何人かの居候(いそうろう)がいた。
50代の男性は東京農大の学生だったが、学徒動員で出征して、なんとか生き残れたのだが、社会に出る気力を無くしてしまっていて、東京とこの寺をふらふらと行き来していた。
私の回りにはいないタイプでインテリのたよりなさと品の良さをそなえていた、どぎつくなれない人であった、それに対して、
「ユンボーで おまえの家を壊して 遺産相続の費用にしよう」
「なあーに 半日もあればできるさ」
「オレは 僧侶だからな」
イノシシや山ザルの通う小学校でビリの成績、それがなんとか坊主になるとヒョーヘン、暴力団もどきのカネもうけ、あきれ果てる、こまったものだ、100年後200年後まで記録しておこう。
おばあさん子でずいぶん可愛がられて育ったらしい、
「だから あんなになったんだ」
当時はアメリカとソビエトが対立していたが、
「あんまり いいことではありませんね」
その寂しげな表情、
「これが 本当の人間なのかもしれない」
遠い少年の日の悲しい悟り。