Mr.Kashiyama was a professor of philosophy at Waseda University.
I can remember his lecture clearly even now .
I was so luckey to be taught by him , because I could understand the philosophy of R.Descarts completely .
He said ,
" His principle is not a theory , it is a " fact " , almost religious exsperience , and he succeeded in constituting a modern world ."
We have to change from " Cogito ergo sum " to " Cogitans sum ,"
It means not only that " I think , therefore I am " , but also that " Thinking I exist ."
He said ,
" I stress it is not theory , it is the intuitive testimony .
樫山教授の哲学講義
川田先生の講義を紹介したので、樫山さんのも紹介しておこう、
「この世界を支える確固たる不動の原理を求めたデカルトを 世間は誤解していると思う」
「デカルトは すべてを疑った」
その「すべて」の中身は、
「まず キリスト教の神 カトリックの風土だから あからさまには言えないが これほどあやしいものはない だからワキに置く」
「愛や正義・真実はどうか 愛なんてものはエゴイズムの裏返しや自己満足のケースがある 正義もそうだ キリスト教徒の正義とイスラム教徒の正義は違う」
「法律 これもあやしい 一人を殺せば殺人者で百万人を殺せば英雄 こまったものだ 社会の真実もまた極めて相対的であることを知らねばならない」
デカルトは、この世界を支え・近代を支える第一原理に到達するのだが、ここに樫山さんの真骨頂があった、
「一般に 『我思う 故に 我在り・Je pense , donc je suis 』と言われているが これでは論理形式になってしまう
我思う Je pense Cogito
故に donc ergo
我在り Je suis sum
この『我思う』を論証しなければならない その論証をさらに論証する こうして無限に後退してゆく」
「・・・」
「だから これは『思っている我が在る』という直観的直証的事実・体験でなければならない」
「論理ではない 論理では原理にならない」
後で、
「仏教の己事究明(こじきゅうめい)に 似ていますね」
「だが 仏教は 近代を引き出せなかった」
「・・・」
「そこに ヨーロッパ哲学のダイナミズムがある 君には不満だろうが」
そこまで言うなら、
「近代は人間が中心で 人間の中でイチバン強いのが欲望 理性や悟性をおさえてしまう だから完成度の高い近代社会からは 一人のダ・ビンチもミケランジェロも生まれてはこない」
「・・・」
「人間を超越するものがない世界では 物質が中心となり せいぜいコーラとハンバーグが出てくるだけだ」
「近代は 人類の究極の進歩にとっては 回り道にしかすぎないのかもしれない」
「なかなか言うね ならば仏教が・仏教教団が何をしてきたか・・・」
なつかしい問答だ、先生は、私が、仏教学に行くことを見抜いておられたようだ。