The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

青い瞳の日本人 8

2016-01-26 04:49:53 | 世界経済
      
 かつての東北は貧しく、農家はたくさんの子供をかかえ、産まれてきた子供を育てられないことが多かった、だから、仕方なく処分、これが「間引(まび)き」、どんな手段があったか、
 1、濡れた和紙で顔をおおう
 2、しりで圧殺
 3、真冬 戸外に一晩 放置する
 4、山に捨てる  
 5、川に流す   
 6、臼の下に置く・・・

 6の臼(うす)はあの臼で、先日、博物館に臼があったがブキミな気配なのだ、
 「やったな」

 「サルカニ合戦」で、臼がサルを懲らしめるシーンがあったと思うが、これには意外な事実があるのかもしれない、泣きわめく我が子の声は、若い母親の胸に、どう響いただろうか、だから、恐山の信仰には、言語を絶した悲しみがあるんだろう、イタコの口を借りて、
 「こっちで たのしくやっているよ」
 「うっうっうっ」
 「だから しんぱいしないでね」
 「あーあーあー」

 野外に捨てられた子供はどうなったんだろう、かつて日本民俗学の父・柳田国男は、
 「世界中に オオカミがヒトの子供を育てたというエピソードがあるが わが国にはない」
 おそらく多くの弟子を動員して調べたんだろう、ところが南方熊楠、
 「いいかげんなことを 言ってもらってはこまる」
 「なにがいいかげんだ」
 「いいかげんだからいいかげんなのだ 君は学問に向いていないね」
 ワナワナと震える民俗学の権威、スパコン並の頭脳の南方は、
 「この古文書のここに ちゃんと記録されているではないか」

 その通りだった。