日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

「トリエステ、今と昔 ~外国の統治下にあったトリエステ~」に行ってきました(2018.9.11)@高円寺ピアッツアイタリア

2018年09月30日 | イタリア旅行・世界遺産

「トリエステ、今と昔 ~外国の統治下にあったトリエステ~」に行ってきました(2018.9.11)@高円寺ピアッツアイタリア


ずっと南イタリアについてばかりやってきたので 久々に行ってきました北イタリアのトリエステのセミナー!!

中央ヨーロッパと バルカン半島の影響を受けた 今日のトリエステ
方言や料理 建築や文化の違いを トリエステ出身のマッテオ先生と学びました

トリエステに行ったことのある方もいらしていて 私は行ったことはないのですが 
「未回収のイタリア」の話が聞けそうなので いつものように予習してから行きました
世界遺産検定終了直後だったので ひさびさにイタリア語に触れて新鮮でした(笑)

      *      *      *

まずは トリエステの歴史から


Antichitàa e Medioevo 古代から中世:


50a.C.まで トリエステはTergesteと呼ばれていました 

ローマ帝国(Impero Romano) ビザンチン帝国(Impero Bizantino) フランク王国(Franchi)を経て 11世紀にTergestum(タルゲストゥム/ラテン語)の管轄区(Diocesi)となり 12世紀にトリエステの自由コムーネ(Comune di Trieste)となりましたが 13~14世紀には ヴェネツィア共和国(Repubblica di Venezia/697年-1797年)が 事実上トリエステを支配しました

ちなみに中世(Medioevo)とは 476年(ローマ帝国の滅亡)から 1492年(コロンブスのアメリカ大陸発見)までを指します

Dal Medio Evo ai Giorni Nostri そして中世から現在までの歴史:


1382年~1918年 はオーストリア支配 つまりオーストリア・ハンガリー帝国(Impero Austro-Ungarico/1867~1918)に支配されます
マリア・テレジアの時代はトリエステの繁栄時代でした 

Wikipedia:
ヴェネツィアの脅威に対抗できなかったトリエステの自治都市市民たちは、オーストリア公レオポルト3世に、トリエステを彼の封土に加えてくれるよう懇願した。
1382年10月停戦合意締結が行われた。しかし市民らは17世紀まで自治権の一定部分を保持した。


そして 1748年 1815年 1918年の それぞれのヨーロッパ地図を見てゆきました 
それぞれヴェネツィア共和国 オーストリア・ハンガリー帝国が拡大していました 1918年の地図にはユーゴスラヴィアがありましたね

第一次世界大戦(1914~1918)では イタリア王国(1861~1946)は ドイツ オーストリア=ハンガリーと三国同盟を締結していましたが オーストリア=ハンガリーが同盟の規定に違反してセルビアに対して宣戦したのは攻撃に当たるからイタリアには参戦の義務はないと イタリアは中央同盟国に加入しなかったのですが 実はイタリアはイギリスなどと極秘に交渉し 1915年4月に秘密条約を締結しました

イタリアには連合国(協商国)側に参戦することを約束する代わりに オーストリアに支配されている「未回収のイタリア(Italia irredenta)」といわれたイタリア人居住地と それ以外の新たな領土を割譲される保証を得て これによりイタリアは1915年5月連合国(協商側)に参戦したのですね (「イタリア戦線」) ← セミナーは初級レベルのイタリア語でしたので あとから色々調べました 

そしてまた トリエステはトレントと共に 歴史的にイタリア人が暮らしてきたとする全ての土地をイタリアへ併合するという「未回収のイタリア」回復運動の中心地でもありました

第一次世界大戦後 オーストリア=ハンガリー帝国は瓦解し トリエステは1920年にヴェネツィア・ジュリア全体と一緒に イタリアへ併合されました(1918~1943)


続く第二次世界大戦では トリエスと北イタリアは ドイツに占領されてしまいます 
ナチス政権下で イタリア領内唯一の強制収容所が作られました 

1945年5月1日
のメーデーに  チトー率いるユーゴスラヴィア・パルチザン軍が到着し トリエステは解放されます (トリエステの40日←実際は38日とのこと)

1945年~1954年は 連合軍による統治(Governo Militare Alleato)でした

この頃 トリエステ自由地域(Territorio libero di Trieste/1947~1954)として国連管理下に置かれました 
Zone Aと Zone B
に 分割されていたのですね

そして 1954年10月25日 トリエステ(この頃Zone Aに含まれていた)はイタリアに返還され 「トリエステ県」として 今に至ります(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の州都) 


たいへんな歴史があったのですね... 今まであまり知らなかったのですが 今回のセミナーでようやく知ることができました Matteo先生に感謝いたします

     *      *      *

そして次は方言(dialetto)です

1800年までは tergestinoが トリエステの方言だったそうです
フリウリ方言(friulano)と似ているとのこと

そして1800年から現在までは dialetto triestino(トリエステ方言)で ヴェネト方言(veneto)と似ているそうです

若者は 家庭の中では家族と また友達とも方言で話していますが だんだんとトリエステ方言はすたれてゆき 時代とともにやがてなくなってゆくのではないかとのこと

そのトリエステ方言を みんなで少しだけ習いました!(^^)!

そして次に トリエステの歌(Canzoni triestine)も 歌詞を現代イタリア語に直してから みんなで歌いました!!

Ancora un litro de quel bon」という酔っ払いの歌ですが 年寄りはすぐに酔っぱらうのが好きで もう一杯の酒を飲んでから家に帰る という歌詞で 
un litro(1リットル升)という単位で飲んでいたのだそうで デキャンタ つまりカラフェ(caraffa)を使っていたのですね

    *      *      *

次に Demografia e lingue 人口統計と言語です

1910年時点では イタリア人 70% スロベニア人(sloveno) 25% ドイツ人 5%でしたが
1971年時点では イタリア人 95% スロベニア人 5%となりました

ドイツ語の言葉(parole tedesche)が トリエステ方言(dialetto triestino)に影響を与えた言葉の例もいくつか:
gucken(guardare, sbirciare/盗み見する)から cucar が
Schluck(sorso/一飲み)から slucが等...

さらにはスロベニア語の言葉(parole slovene)が トリエステ方言に影響を与えた言葉も:

cist(pulito)が cisto(senza soldi) お金がない(その日だけ持っていない)に
potok(ruscello/小川、せせらぎ)が patocに 等...

ドイツ語はわかるので なかなか興味深かったです ^^) _旦~~

関係ないのですが サルデーニャのアルゲーロ(Alghero)は昔カタルーニャに占領され入植者も多かったので 4割の住民がカタルーニャ語アルゲーロ方言 (dialetto algherese) を話すそうです そんな風にして言葉は歴史と強く結びついているのですね!

*      *      *

トリエステ料理(cucina triestina)


オーストリア料理の影響を受けて グーラッシュ(gulasch)や ザッハートルテ(torta Sacher) ザウアークラウト(cragno)等もあるのですね!!

crenは西洋わさびのようなもの  gnocchi di pane(パンのニョッキ) はパン(小麦粉や卵も)のニョッキで ちょうどクヌードル(Knudl)のようなもの

 ← gnocchi di pane (パンのニョッキ)

cevapcici/チェヴァプチチは スラブ系の肉料理  
そして i(j)otaは ザウアークラウトをベースにしたようなミネストローネスープ
 
ドルチェでは ドイツのkrapfenから crafen というパンケーキのようなものがあるそうです

   *      *      *

最後は見どころ紹介:

Castello Miramare(ミラマーレ城) Canal Grande そして Piazza Unità 等を見ました

  ← Castello Miramare /ミラマーレ城

そしてなんとトリエステには シシィ(エリーザベト(オーストリア=ハンガリー帝国フランツ・ヨーゼフ1世の皇后)の像があるそうで 20年前に建てられたそうです

最初のころはオーストリアの像を建てることに抵抗があったものの 今やオーストリアは敵ではないので オーストリアへのノスタルジーがあるのだそうです

それを聞いて思わず ドイツ統一後の旧東ドイツで だんだんと「オスタルギーOstargie」(旧東ドイツへのノスタルジー)が生まれてきた状況と 少し似ているのかなぁ...と感じました 

そして最後に トリエステの人々の特徴について聞きましたが よく働くというウディーネ人(udinesi)と あまり働かず楽しんでばかりというトリエステ人(triestini)の お互いの見方が微妙に異なる感じでした ^^) _旦~~

まだ行ったことのないトリエステ...イタリアの歴史なども知ることができた興味深い そして楽しいセミナーでした 

セミナー「トリエステ、今と昔
」は こちら

素晴らしいセミナーを開催してくださいましたピアッツアイタリア様に心よりお礼申し上げます




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「天正少年使節とイタリア: 世界布教時代のイタリア美術」に参加して 思いを受け継ぐ大切さを感じました(2018.9.22)@星美学園短期大学イタリア文化講座  

2018年09月27日 | イタリア関連の催し
「天正少年使節とイタリア: 世界布教時代のイタリア美術」に参加して 思いを受け継ぐ大切さを感じました(2018.9.22)@星美学園短期大学イタリア文化講座
 


「天正少年使節とイタリア」という文化講座に出て 研究者たちの 思いを受け継ぐ大切さを感じてきました それなくしては歴史は動かないのだと...

1582(天正10)年に長崎を出航した天正遣欧少年使節は 極東におけるカトリック宣教成功の生き証人としてヨーロッパ諸国を巡り 1585年3月にローマ教皇への謁見を果たしました

4人の少年たち(fanciulli)は 16世紀後半のイタリアでどんな体験をし 何を見てきたのでしょうか
彼らの旅程を辿りながら 当時最先端のイタリア美術について庭園から絵画 工芸まで幅広く解説します
織田信長からの贈物として教皇に献上された「安土城屛風」の行方についてもお話しします:


講座ではまず 天正遣欧少年使節(天正少年使節)について説明していただきました
イエズス会の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが 有馬のセミナリオ修了生たちである 伊東マンショ他4名等を キリシタン大名の使節としてローマ教皇のもとに派遣する計画で 日本人にヨーロッパの先進文化を体験させてイエズス会宣教師への信頼を醸成する目的で始められたものです

当時のことですから船で2年以上かけて 長崎からリスボンまで到達し (ヴァリニャーノはインドのゴアで待機 4年後に復路で再会) リヴォルノからイタリアに入り トスカーナ大公国でメディチ家に歓待され 一行は宮廷マニエリスムの絵画に出会います

そしてカプラローラでのファルネーゼ枢機卿の別荘滞在を経て いよいよローマに入り ヴァチカンの「帝王の間」で教皇グレゴリウス13世に謁見を果たしますが(1585年3月23日) あろうことかこのグレゴリウス13世が そのわずか2週間後に急逝され(1585年4月10日) コンクラーヴェを経てシクストゥス5世が新教皇となり 選出翌日に謁見するのですね 
ポッセッソ(シクストゥス5世のローマ司教座着任行列)にも参列し その記録も作品に残されています 

少年使節たちは滞在中にも フランスなど各国から招へいされますが ローマ教皇謁見でもって 極東布教の成果を見せることを最大の目標としていたとのこと

6月にはロレートを巡礼し ヴェネツィア共和国に入り こんどはヴェネツィア派の絵画と出会います 
またムラーノ島のガラス工房も見学し サン・マルコ広場での聖十字架行列も見学しました(1585年6月29日)

7月にはヴィチェンツァに入り テアトロ・オリンピコを訪問し その時の記念の作品も残っています

そしてマントヴァ公国でゴンザーガ家の歓待を受け ドゥカーレ宮殿に滞在します
7月末から8月にかけて ミラノのブレラ宮殿に滞在し 8月8日にジェノヴァから出航し バルセロナへと向かいます

この間に一行が見てきたイタリア美術作品についても 詳しくみてゆきました

復路は1586年4月12日にリスボンからインドのゴアを経て 1590年7月21日に長崎に到着しますが その時すでにキリシタンが弾圧される時代へと変わってしまい... 秀吉に謁見するも困難な時代へと突入してゆきます...

また 極東の地日本から 二十歳にもならない少年たちが使節としてイタリアに来たことで イタリアではどのように描かれていたのかも見てゆきました ローマからはローマ市民権を授与されるなど歓待されました

かみしも等を見たこともないまま 口述されるままに絵を描いたものや 地球の反対側から来訪した日本のキリスト教使節が 4人で行ったにもかかわらず3人で描かれていたものもあり 東方三博士になぞらえてどうしても3人にしたかったという説もあります

さらにはここで ヤコポ・ティントレットに依頼され 息子ドメニコ・ティントレットが仕上げたと言われる 天正遣欧使節の肖像画 4人描いたはずが切り取られ 伊東マンショの肖像画がのちにミラノのトリヴルツィオ財団が発見したというものですが 日本にもやってきましたね...「遥かなるルネサンス」展(富士美術館)

 ← 発見された伊東マンショの肖像画が来日

くわしくは 「ドキュメンタリー「時の旅人-伊東マンショ 肖像画の謎-」上映会に行ってきました(2017.12.7)@イタリア文化会館

    *     *    *


安土山図屏風」探索プロジェクトについて


さて その紛失した屏風についてですが...


昨年の「時の旅人ドキュメンタリー「時の旅人-伊東マンショ 肖像画の謎-」上映会に出た時にも パオラさんというミラノの女性研究者が 何年もかけて絵の来歴を調べてきたからこそ実現したことを知りましたが 今回もまた 別のパオラ・カヴァリエ―リさんが 「安土山図屏風」探索プロジェクトに参加し 2004年に「伊東マンショの肖像」素描を発見したのだと知りました グレゴリウス13世の末裔の家に何度も問い合わせをして ようやくだそうです!


安土城
は 信長が建てたもののわずか数年で1582年に焼失してしまったもので それを描いた屏風は 加納永徳の作品として国宝級の価値を持っています
信長が使節を通してローマ教皇に献呈し 世界に日本を知らしめたのですね

これがある時点で所在がわからなくなったままなのですが(1592年までは 「地図の画廊」での存在が確認されています) この時期ちょうど画廊の大規模工事があったようなのです

2007年に安土町事業として 学術調査団が(このセミナーの新保講師を含む)現地入りして 入念な調査をした結果を伺い さらには研究者がその思いを受け継ぎ 2017年前後から領域横断的なメンバーにより さらに入念な史料調査が行われているというのですね 

そして1585年にグレゴリウス13世が設置を指示した場所もつきとめたとのことで 現在プロジェクト継続のためのクラウド・ファウンディングが始まっています

詳しくは こちら

また 「芸術新潮」10月号でも 特集記事が組まれるとのこと

10月5日(金)~11月4日(日) 熱海のMOA美術館にて企画展「信長とクアトロ・ラガッツィ 桃山の夢と幻+杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ」が開催されます

企画展は こちら

10月6日(土)には「安土城図屏風探索プロジェクト」キックオフ・シンポジウム 杉本博司と探す! 幻の安土城図屏風も開催されます

貴重な歴史の瞬間に 少しでも立ち会えたことに感謝します


文化講座リポートは こちら

文化講座の案内は こちら

次は「ローマ帝政初期の権力継承と女性 -ドムス・アウグスタ(アウグストゥスの家)の役割-」(10/20)「イタリアの歌(カント)の世界
-カンツォーネだけじゃない!? イタリア民謡の多様性-
」(12/1)です

素晴らしい文化講座を開催してくださいました 星美学園短期大学様に心よりお礼申し上げます この日は体育祭をやっておりにぎやかでした(^.^)



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「宗教に揺れるイタリア -移民の急増、イスラムとの向き合い方-」に参加しました(2017.10.21)@星美学園短期大学公開講座

2018年09月24日 | イタリア関連の催し
「宗教に揺れるイタリア -移民の急増、イスラムとの向き合い方-」に参加しました(2017.10.21)@星美学園短期大学公開講座

雨の中(選挙の前日)行ってきました星美学園公開講座!

1. 注視/攻撃されるイスラム

まずは2015年1月に起きたシャルリ・エブド事件について この事件のあとにイタリア国内のムスリムへのインタビューをした際のコメントをご紹介いただきながら ムスリムとの関連づけがおのずとなされているのではないかとの指摘 

まず人口約605万人のイタリアでのムスリム人口は 人口の3~4% 160万人程度とのこと 
ここでローマにあるヨーロッパ最大のモスクをご紹介いただきました
出身国や地域は多様性に富んでおり 一枚岩の集合体ではないところが トルコ移民の多いドイツや北アフリカ移民の多いフランスとは違う点など またイタリアでは1990年代から入り始めており まだ移民2世は学齢期が多い等を伺いました

次に 「北部同盟(Lega Nord→Lega)」の 国内のムスリムを対象とした攻撃的な発言 そして  ネオ・ファシストをルーツに持つ「国民同盟(Alleanza Nazionale)」(2009年に解散)のイスラム嫌悪発言についてご紹介いただきました 


2. イタリアの排外主義の展開について


ここでは 移民の受け入れと法整備の展開の流れについて お話いただきました
アニメ「母をたずねて三千里」をどーんとご紹介いただき(あっ なつかしい!!) 1861年イタリア統一から約100年間は 2600万人の移民を アメリカ アルゼンチン等に送り出していた「移民送り出し国」だったこと

それが1990年代頃から急激に 移民受け入れ国に転換したこと 
1971年に逆転し始め 12,2万人受け入れ 1997年100万 2007年300万 そして2017年の「外国籍市民」は504.7万人 人口の約8.3%にもなったこと

この中において「移民法」の整備はどうだったのかを見てゆきました

1990年マルテッリ法から 1998年トゥルコ・ナポリターノ法 そして2002年ボッシ・フィーニ法への流れをお話いただきました

トゥルコ・ナポリターノ法は 中道左派のプローディ政権下で生まれた 移民をイタリア社会の新たな構成員として包括する方向性を示唆しましたが 移民の急増に歯止めかける意図は実効性には乏しく 次にできたボッシ・フィーニ法は 中道右派政権下(ベルルスコーニ政権)で生まれたもので 移民を社会の不安要素との前提のもとに増加に歯止めをかけるものですが 実効性はやはり乏しいものでした

この北部同盟のいう 「貧しい南部に北部の富が奪われる」との持論ですが イタリアは欧州でも競争力は低く 南部が北部の市場となっているのではないかとの見解には聞く耳は持たないようです 90年代に移民が増加してから 治安悪化を理由に反移民を掲げますが 有用な労働力とみなす現実的な観点も織り込んでいて 治安・移民部は「移民に関する一般ガイドライン」を定めています 


イタリアの排外主義に抗する動きとしては 内閣府に「反人種差別局」がありEU加盟国としてチェックが入ります また移民問題に取り組むNGOや 左派勢力 カトリック(カリタス等が有名)があり 特にイタリア統一150周年記念事業のひとつとして作られた「国立移民博物館(Museo Nazionale Emigrazione Italiana/MEI)」について 写真を見ながらご説明いただきました ローマのヴィットリオ・エマヌエレ二世記念堂の中にありましたが ジェノヴァに移転されるようです(移民を送り出した街でもあるし...)

そしてまた教皇フランシスコについてお話いただきました 彼がシャルリ・エブド事件のあとに語った言葉(表現の自由と同時に宗教の自由がある云々) 就任後の洗足式でムスリムの少年もいる少年院に赴き 宗教間対話に取り組む教皇フランシスコ... ローマのお土産屋さんで買ったバチカンのカレンダーも見せていただきました

教皇はアルゼンチン出身ですが 両親はイタリア移民で 教皇自らがよく電話をかけるので その電話対応のマニュアルもあるそうです! コンクラーベの時に一斉にローマ中の教会の鐘が鳴りだした時の感動をお話くださり こちらまで感動しました(#^.^#)

休憩をはさんで 次は3. 宗教と社会の位相です

共和国憲法(第二次大戦後に反ファシズムのもとでできた)の規定にもとづく「協約」のシステムについてご説明いただきました
カトリック以外の宗教・宗派が 国家と「協約」を締結し 宗教にかかるさまざまな権利が行使できます
オット・ペル・ミッレ制度(1000分の8制度/Otto per mille)」に基づく税配分についても伺いました 所得税の0.8%を 宗教団体もしくは国庫に入れるかを選べるのですね カトリックを選ぶ人が相対的に多いようですが カトリック指定率は低下しているとのこと

ただイタリアは 共和国憲法/Costituzione della Repubblica italiana(1947年)と ラテラノ協定/Patti lateranensi(1929)の二重構造となっているため ラテラノ協定ではカトリックがイタリア唯一の宗教と取り決めているのでその矛盾が何十年も残っているのですね...ここで講師の先生の在ローマ中のさまざまなエピソードが入り イタリアの「おおらかさ」を実体験された興味深いお話に ついつい耳がダンボに(笑)

現状の政教協約(ヴィッラ・マダーマ協約/1984年)は「ラテラノ協約の改正」と位置付けられ カトリックの特別な位置づけについて見直しされています

一方 イスラムの諸団体は イスラム文化センター(Centro Culturale Islamico d'Italia) UCOII(Unione delle Comunità Islamiche d'Italia)等や イタリアイスラム教協議会等がありますが 求心力を持つ代表者が不在等の理由で 実は「協約」は未締結なのだそうです 移民の増加とともにカトリックに次ぐ第2の宗教へとなったのですが...
この辺の事情についてもお話いただきました


4. ナショナル・アイデンティティの位相


よく知られていますが イタリア人としてのアイデンティティよりも 自分の街のアイデンティティの方が強いため (郷土愛/カンパニリズモ/campagnilismo) ナショナル・アイデンティティの不在があります 
その不在を穴埋めしうる要素として カトリックが根付いたイタリア社会(カトリック=イタリア・アイデンティティ) また 国境を越えた世界的広がりをもつカトリック その他の矛盾をも含めたお話を色々としてくださいました

イタリアの非カトリック化もそのひとつで 離婚法(1970年代)や人工妊娠中絶法(1978年)等 世俗化の流れに押されていっていますね

* ここで思い出しました! 映画「眠れる美女(Bella addormentata)」でも 「エルアーナ事件」がきっかけとなった尊厳死の法案がテーマとなっていましたね

そしてまた カトリックの非イタリア化もだんだんと進みつあります 大戦後の直近3代の教皇は非イタリア人であり キリスト教徒にヨーロッパ人が占める割合も低下する見通しで 南米は現状維持 サブサハラ地域(アフリカのサハラ砂漠以南)の伸びが見込まれるそうです
また 公立学校での十字架設置をめぐっての欧州人権裁判所の判決などもご紹介いただきました 

というわけで 移民というよりは イタリア社会の状況を反映したイスラムへの向き合い方についてお話いただきました 


続く質疑応答では 1.経済が移民排斥と関係がある中 なぜ南部ではなく豊かな北部に移民排斥が多いのか?について 南部は失業率が高いので移民は北部(工業地帯)を目指してくる (ちなみにイタリアの失業率は アルバイトやパートについている人も失業者にカウントするそうで 日本とは違うそうです)

2. イタリアの諸政党について 3. 難民の増加について これは海難事故の報道もあり (ランペドゥーサ島など) 難民は独・仏を目指してくるが 地理的にも海路ではまずイタリア そして今イタリアの難民施設はパンク状態で 巡視船も予算がなくEUに支援を求めている というお話をしていただきました 本当に年を追うごとに難民が増えてゆく中 何ができるのか...考えさせられるお話をいただきました 

講座に出てお話を聞くと 今まで断片的だった知識が 全体的に形を整えて頭にすっと入り そのあとこうして色々調べてゆくと とてもよくわかるようになるのです 

また イタリアも2018年3月4日の総選挙を経て さらに様変わりしていますね...

2018年度の公開講座は こちら

* 写真は ヴァチカンのピーニャの中庭 (2008年の語学留学の時の)



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イタリア料理専門展示会「ACCI Gusto 2018」が開催されます(2018.10.3日,4日)@都立産業貿易センター台東館+ANAクラウンプラザ京都(2018.11.12,13)

2018年09月22日 | イタリア料理・イタリアン食材
イタリア料理専門展示会「ACCI Gusto 2018」が開催されます(2018.10.3日,4日)@都立産業貿易センター台東館+ANAクラウンプラザ京都(2018.11.12,13)




今年は 日本イタリア料理協会の設立30周年ということで すべての料理人が参加できるイタリア料理コンテスト
Premio ACCI(プレミオ アッチ)」の決勝審査も行うとのこと!!

イタリア料理専門展「第8回ACCI Gusto」開催のご案内

このたび、日本イタリア料理協会(会長:落合務)はイタリア料理専門展「第8回 ACCI Gusto」を
2018年10月3日(火) 4日(水)の2日間 都立産業貿易センター台東館
5・6・7F(浅草駅5分)にて開催いたします

過去7回開催し 前回は過去最高の出展者数(107社)となりました本展は 
イタリア料理向けの食材・飲料・機材メーカーの出展以外に イタリア料理に使える新たな食材などの出展が増えてきており
ますます盛り上がりを見せております

また今年は日本イタリア料理協会設立30周年にあたり すべての料理人が参加できるイタリア料理コンテスト
Premio ACCI (プレミオ アッチ)」の決勝審査も ACCI Gusto会場内で開催いたします

それ以外にもトップイタリアンシェフのデモンストレーションに加え 著名なイタリア料理専門家によるセミナーも行います


2018年10月03日(水)・04日(木)10:00~17:00 ※2日間
← 日本イタリア料理協会も30周年!!

入場料¥1,000が無料になる入場事前登録ページは こちら

詳しくは こちら

* さらに京都でも開催されます!!
 
ACCI GUSTO in Kyoto
が開催されます(2018.11.12,13)@ANAクラウンプラザ京都京都

11月12日(月)・13日(火)の2日間、関西エリアで初の開催となる、イタリア料理専門展「ACCI Gusto京都」をANAクラウンプラザ京都で開催いたします!

詳しくは こちら

情報をいただきました 日本イタリア料理協会様に心よりお礼申し上げます


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「イタリア ネオ+クラッシコ映画祭2018」が開催されます(2018.10.6~10. 19)@恵比寿ガーデンプレイス

2018年09月21日 | イタリア映画・映画
「イタリア ネオ+クラッシコ映画祭2018」が開催されます(2018.10.6~10.19)@恵比寿ガーデンシネマ


10月6日(土)より2週間 YEBISU GARDEN CINEMAにて「イタリア ネオ+クラッシコ映画祭2018」が開催されます


イタリア映画が誇る心揺さぶる名作や これまで回顧されることがなかった隠れた名作を デジタル・リマスター版でお楽しみいただける絶好の機会です

<上映作品>
ある個人的な問題―レインボウ
(監督:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ 2017年/84分/カラー)

ともに歩む人生
(監督:エドアルド・ウィンスピア 2017年/110分/カラー)

ヘラクレス
(監督:ピエトロ・フランチーシ 1958年/103分/カラー/デジタル・リマスター版)

ヘラクレスの逆襲』
(監督:ピエトロ・フランチーシ 1959年/100分/カラー/デジタル・リマスター版)

ナポリの饗宴』
(監督:エットレ・ジャンニーニ 1954年/129分/カラー/デジタル・リマスター版)

イタリア式離婚狂想曲
(監督:ピエトロ・ジェルミ 1961年/105分/モノクロ/デジタル・リマスター版)

にがい米
(監督:ジュゼッペ・デ・サンティス 1949年/107分/モノクロ/デジタル・リマスター版)

暗殺指令』
(監督:エンツォ・プロヴェンツァーレ 1959年/100分/モノクロ/デジタル・リマスター版)

ゼロ地帯
(監督:ジッロ・ポンテコルヴォ 1960年/118分/モノクロ)

太陽の誘惑』
(監督:フランチェスコ・マゼッリ 1960年/105分/モノクロ/デジタル・リマスター版)

狂った夜』
(監督:マウロ・ボロニーニ 1959年/93分/モノクロ/デジタル・リマスター版)

愛の果てへの旅』
(監督:パオロ・ソレンティーノ 2004年/104分/カラー)

YEBISU GARDEN CINEMA は こちら

詳しくは こちら

『にがい米』のシルヴァーナ・マンガノが魅力的でした♪ イタリア語を学び始めた時にイタリア文化会館の図書館で借りたことがあります 
ネオレアリズモ映画として最大のヒットとのこと 社会的背景もわかりますね(^.^)

【延長上映決定!10/20(土)~26(金)、7作品の追加上映が決定しました】

* 情報をいただきましたイタリア文化会館様に心よりお礼申し上げます

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伊勢丹 イタリア展が開催されます(2018.9.19~24,26~30)@伊勢丹新宿店6階

2018年09月19日 | イタリア料理・イタリアン食材


伊勢丹 イタリア展が開催されます(2018.9.19~24,26~30)@伊勢丹新宿店6階


今年はPart 1 とPart 2 に分かれての ロングラン開催となります♪

■PART1:
2018年9月19日[水]〜24日[月・振替休日]最終日午後7時終了

■PART2:
2018年9月26日[水]〜30日[日]最終日午後7時終了

伊勢丹新宿店本館6階・7階=催物場
※9月25日[火]はイタリア展はお休みとさせていただきます。

伊勢丹 イタリア展は こちら

詳しくは こちら


* マイッッア先生の弟さんのリッカルド氏(ワインインポーター)も参加されるとのこと 「風土」という会社だそうです♪ ← NHK講座で顔はわかりま~す( *´艸`)

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ドイツ語圏文化セミナー「クリムト、シーレ、オットー・ワーグナー没後100年記念企画 ウィーンと世紀末を彩った芸術家たち」に参加して(2018.6.15)@(公財)日独協会

2018年09月16日 | ドイツ語・独検

ドイツ語圏文化セミナー「クリムト、シーレ、オットー・ワーグナー没後100年記念企画 ウィーンと世紀末を彩った芸術家たち」に参加して(2018.6.15)@(公財)日独協会


1918年、ハプスブルク家の帝政終焉と共に、ウィーンのモダニズム芸術を生み出した4人の芸術家が世を去った

象徴主義を代表する画家グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)に 個性的な作風で知られる現代美術家
エゴン・シーレ(Egon Schiele) 近代建築家でウィーン分離派の中心人物 オットー・ワーグナー(Otto Wagner) ウィーン工房をデザインしたユニヴァーサル・アーティスト コロマン・モーザー(Koloman Moser)だ

ウィーン市は2018年を「モダニズム100周年記念」として様々な特別展を開催している: 
美術史美術館「クリムト・ブリュッケ」(2018年2月末~9月2日) 
ウィーン・ミュージアム「
オットー・ヴァーグナー展」(2018年3月15日~10月7日)
レオポルド博物館「エゴン・シーレ 表現主義と叙情詩」(2018年2月末~11月4日)
「グスタフ・クリムト展」(2018年6月22日~11月4日)他

詳しくは オーストリア政府観光局のHP

エゴン・シーレはタブーとされていた肉体を赤裸々に描き成功したが 1918年に大流行したスペイン風邪で28才の若さで亡くなる直前に描かれた「家族」(ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館蔵)には、出産を控えて亡くなった若き妻と赤ん坊も描かれている。

レオポルト美術館にはクリムトの大作「死と命」も展示されている オーディオガイドの日本語版の解説は大変分かりやすい 一般にどこのミュージアム・ショップでも街中の土産物店より良い品を揃えており 近代的デザインや名画を模したスカーフ等のグッズもある

美術史美術館の吹き抜けの「階段の間」には若き頃のクリムトの絵が柱の間にあり見えづらいため、スワロフスキー社が双眼鏡を寄贈したエピソードを伺った
二階のカフェは ウィーンでこれ程優雅で美しいカフェはないとのこと
さらにはフェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」 この絵の為にウイーンに来るファンもおり ブリューゲルの「雪中の狩人」も日本人に人気で 講師の沖島博美先生はこの絵とよく似た風景をボヘミアの冬の列車の旅でご覧になり 大変感動されたそうである

← 有名なクリムトの「接吻」

グスタフ・クリムトは金箔を使った人物画が有名だが 「接吻」のあるベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館所蔵の「アッター湖畔の家」は、クリムト一族が今も住むアッター湖畔の 写真では再現できない風景画の印象派のような色遣いが見事 またここにはシーレの「死と乙女」もある

「ウィーン市博物館・カールスプラッツ
」は観光客がそれほど訪れることがない穴場で、クリムト作「エミーリエ・フレーゲ」は、クリムトの愛人たちの中で本命だった女性の肖像画といわれている
  
さらにユーゲント・シュティールの建築では セセッシオン(分離派会館)が そしてバウハウス以前の巨匠であり建築家オットー・ヴァーグナーの手がけたカールスプラッツ駅舎 メダイヨンハウス マヨリカ・ハウス 郵便貯金局、またコロマン・モーザのウイーン工房とMAK(応用美術館)等をご紹介いただき 宿泊するホテルの窓からごく普通に貴重な文化財が見られる これがウィーンなのだと力説された

さて街の観光に移り シュテファン大聖堂の屋根に使われた瓦屋根はハンガリーのジョルナイ工房作で ブダペストのエリザベート教会の屋根瓦と同じ
アウガルテンの磁器のピンクの「ウィーンの薔薇」が日本人に人気だが 新色シリーズもできた
奥にカフェがあることがあまり知られていないデーメルのザッハトルテ そしてアンナ・トルテが名物、等々。

旧王宮のスペイン乗馬学校では白馬の調教ショー等も間近で見られ 近くに『第三の男』に出てきた家がある
旧王宮の国立図書館は世界一美しいといわれ シシィ・ミュージアムのエリザベート(シシィ)婚礼前夜の衣装等も大変美しく 皇帝の居室 さらにはウィーン会議で使われた皿や神聖ローマ皇帝の冠(ニュルンベルクにあるのはレプリカ)等も所蔵されている

王宮庭園には有名なモーツァルトの銅像があるが 68年間統治したフランツ・ヨーゼフ皇帝の銅像は隅に置かれている
美しい市庁舎はその後 ミュンヘンの市庁舎など多くの建物に影響を与えた 市庁舎前の広場にはクリスマス市が立つ
ブルク劇場にはクリムトの天井画があり 裏手の市民庭園にはシシィの大理石の像がある
二頭立てのフィアカーというオープン式観光用馬車もウィーンならでは

自然界に直線という線は存在しない」と主張して造られたフンデルトヴァッサークンストハウス・ウィーンのカフェは が生い茂る夏が雰囲気がよい。
クリムト・ヴィラが一般公開されアトリエが再現されている シェーンブルン宮殿についても詳しくご説明いただいた。

最後にヨーロッパ人好みのモダンなホテルがいくつか(ハンモックのあるホテル、出窓に入り込めるホテル、25時間ホテル等)紹介され 最後にデーメルとザッハーのザッハー・トルテの食べ比べの結果を伺い、活発な質疑応答でお開きとなった
 
参考: 「旅名人ブックス67 ウィーン 文化都市8つの物語」(沖島博美著、日経BP企画発行) は こちら

  
      *     *     *

実は 沖島先生の著書 「プラハ 迷宮の散歩道」がうちにありました♪ このチャンスにサインいただきました( `ー´)ノ 

シェーンブルン宮殿やシュテファン大聖堂等には昔行きました 新年の花火も観ました! 懐かしいですね♡

ドイツ語圏文化セミナー「クリムト、シーレ、オットー・ワーグナー没後100年記念企画 ウィーンと世紀末を彩った芸術家たち」は こちら


私の拙いリポートが (公財)日独月報7月号に掲載されています
素晴らしいセミナーを開催してくださいました(公財)日独協会様に心よりお礼申し上げます

* 写真は ゼツェッシオン(分離派会館)




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「イタリアのチュールレース刺しゅう展 ~小さな村の伝統技法と和の心~」が開催されます(2018.9.18~23)@タチカワブラインド銀座スペース オッテ 

2018年09月14日 | イタリア製品
「イタリアのチュールレース刺しゅう展 ~小さな村の伝統技法と和の心~」が開催されます(2018.9.18~23)@タチカワブラインド銀座スペース オッテ 


刺しゅう作家のクスノキ アツコ氏が、これまでに制作してきた チュールレース刺しゅう作品を紹介する初の個展を開催します

イタリア中部ウンブリア州の小さな村・パニカーレに受け継がれる チュールレース刺しゅう

その技法を駆使して制作したテーブルクロスや ウエディングヴェール リングピローといった伝統的なスタイルの作品に加え  藍染め糸でチュールレースに刺しゅうを施し 日本古来の和柄を表現した 創作作品など 約40点を展示します

この他 同氏が主宰する刺しゅう教室の生徒たちの作品も紹介します

どの作品もひと針ひと針 丹精を込め全て手作業で創作されたものです 
繊細で優美なチュールレース作品を ぜひこの機会にご覧ください

会 場 : タチカワブラインド銀座スペース オッテ
期 間 : 2018年9月18日(火)~23日(日)
時 間 : 10:00~18:00 (初日は14:00~、最終日は~17:00)
入場料 : 無料
主 催 : クスノキ アツコ
協 力 : 立川ブラインド工業株式会社

アクセス: 東京都中央区銀座8-8-15
タチカワブラインド銀座ショールームB1F
      JR・銀座線 新橋駅より徒歩5分


【クスノキ アツコ(刺しゅう作家)】

チュールレース刺しゅうの繊細で優美な美しさに心を奪われ イタリアのパニカーレでその技術を習得
日伊学院で文化講座の講師を務めたほか 都内で自らの刺しゅう教室も主宰している

2012年世界らん展日本大賞(美術工芸審査部門)で特別賞 2016年創作手工芸展
(公益財団法人日本手工芸作家連合会主催)では審査委員長賞をそれぞれ受賞する
近年は チュールレース刺しゅうの技法と藍染め糸や 和柄といった日本の美との融合にも取り組んでいる


ウンブリア州の町パニカーレ(Panicale)は 伝統的な刺しゅう「チュールレース(tulle lace)」も有名です
チュールレースは薄い布地を下絵の紙に縫い付けて 微妙な力加減で仕上げるものです

中世の街並みが残った美しい街並みのパニカーレは「イタリアの最も美しい村」クラブ加盟コムーネです

* 日伊学院に通っていた頃に たしか聞いたことがありました パニカーレのチュールレース!! 繊細で美しいんですよね artigiano(手仕事)のイタリアの刺しゅうって...💛


詳しくは こちら


チラシは こちら



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「世界遺産検定2級」でまさかの98点取りました!!+勉強方法(2018.9.9)@世界遺産アカデミー

2018年09月12日 | 各国の世界遺産・せかけん

「世界遺産検定2級」でまさかの98点取りました!!(2018.9.9)+勉強方法@世界遺産アカデミー
 

今年の世界遺産検定2級は 普段出ない問題も出たようで いつもより難しかったと思いますが 頑張って98点取りました!! 

一瞬100点かしら?と思って舞い上がりましたが 1問早合点して ミスしたことに気づきました~(;´∀`)
昨年の4級98点 3級98点に続き 今回の2級も98点です

ちなみに1級過去問も 2級受験数日前に まだテキストも読んでないのにやってみたら131点(200点満点/140点合格ライン)が出たので この際受けることにしました!(^^)!
2級を高得点で取れれば 1級もぎりぎり合格ラインに近いってことが 実験してみてわかりました

「2級が終わったら語学に戻ります」と 言っていたのですが~(笑)
1級って 一生一度でいいから取ってみたい~(#^.^#)
語学検定の1級は 私には多分無理だから...

語学検定は 砂浜の砂粒のように範囲が広いけど 
世界遺産検定は テキストの中からしか出題されないので 私にはまるで 箱庭のように感じるんですよ...
作文もリスニングも二次面接もないし 四択だし 消去法で答えがだいたいわかるようになっていて 
100均で買ってきた世界地図を眺めながら 家にいながらにして世界旅行に行った気分♪

毎日毎日一心不乱に かなりテキストを読み込んだので 視力がまた落ちたみたい...  

勉強方法:
とにかく テキストを読んでもなかなか覚えられないので 過去問7冊を何度も何度もやりました(22回分)

2週間前までに2週し終えて 6割から7~8割と段々とアップしてゆき(合格ラインは60点) 直前に模試のように1回分とってあったのをやると92点が出て そのあとまたバリバリ勉強して当日98点でした!(^^)!
つまり 当日まで伸びしろがあるってことですね

また 過去問で出題されたところは 必ず◎をつけておきます 
すると 出題される回数の多いものと まったく出題されないものがまるわかりなので とても助かります(^.^) ← どうせこれは出ない!とわかるので 気が楽~(笑)

何年かに1回は出題されるものもありますが この方法で出題頻度がわかるし 消去法で正解にたどり着けます ← 今回はそういうのが出ました(;・∀・)


← 付箋だらけになった過去問とテキスト 最後はこの付箋もなくなりました

そしてラストの週は 連日過去問3週目~ 
ここまでくれば 鉛筆も使わずに答を確認して あやふやなところに付箋を貼って 何度も何度も復習してゆきます 
最後にはその付箋がほとんどなくなるまで...

日本の世界遺産は細かい構成遺産まで聞かれますが 世界各国のものは メインのものを除けば 太字・赤字のところが頭に残っていれば なんとか〇はつけられます

まぁ何度もやればしみ込んでゆきますね~ とにかくこれをやらないと 一日やらないだけでも抜けてゆくのですよ...(年齢もあるのかも)
世界遺産の歴史の年号は 順番を聞かれますので何度もチェックが必要です!! 

過去問の他にやったこと:

世界遺産オンラインガイド」で 国別にすべて読み 世界旅行に行った気分♪
これを読むと 個々の遺産についてのストーリー・歴史がわかるので 納得できて覚えられるのです
丸暗記や語呂合わせは限界があるのですね... 少したつと忘れるし


サークルでここ2年「世界遺産入門講座」を開催したため 最新情報はバッチリ!!
開会のあいさつで 今年の世界遺産委員会の開催地を皆の前で話したから 忘れるわけないし(笑)

昨年は 世界遺産がテーマで イタリア語スピーチコンテストに初出場も叶いました
テーマは「世界遺産のコントラスト 軍艦島と沖ノ島」です

さらに クラブツーリズム(株)の「世界遺産旅行講座/日本遺産講座」を毎月受けて 記事にまとめました 

TBSの「世界遺産」のテレビを録画して テキストにメモしながら見ました
ドイツ語やイタリア語で 世界遺産について発表するレッスンを取りました 

他にも世界史や日本史の色々な参考書なども買いましたが こちらは 読んだそばから忘れてゆくので 今回はスルーしました...

という感じで 2級と1級の準備をごたまぜにしている感じで 楽しく続けてきました 
3級の頃は 分厚い2級のテキスト見ただけで諦めかけていたのを思えば成長したもんです!!

注意すべき点:

世界遺産検定のテキストは最新版
を使うことです

最初 いただいた古い版を使ったために 過去問の途中からテキストにない1級選択肢が登場してくるので とたんに点が取れなくなり...

よく考えたらテキストが改訂されてボリュームがアップして 1級の内容も2級で出題されるようになったからなのです!!
あわてて本屋さんに 最新版テキストを買いに走りました(笑) 

世界遺産検定HPのFacebookにイイネ!ボタン
を押しておき 記事が出てくるようにしたら 検定直前に重要なアドバイスが出てきました:

世界遺産の基礎知識(詳しく) 世界遺産のもつ価値 日本の遺産(詳しく)
赤字や太字以外でも 固有名詞や特徴など...
世界の遺産は興味や関心のあるところから勉強し 同じテーマやカテゴリーに入っている遺産は 一緒にチェック!

その他 ニュースや 世界遺産検定のSNSをチェックすること そして 
新しく世界遺産になったもの等 ホットなニュースは まぁだいたい出題されます! 

また 国別に この国にはどんな世界遺産があるかもチェックして 世界地図(100均で買った)で 場所を確かめながらチェックします 

さらに カテゴリー別にもチェックします 
そうやって様々な方向から 何度も何度もやることで ようやく頭に残るのです...特に苦手な国は(;´∀`) 

そして 語呂合わせでどうにかこうにか 遺産名と国名と キーポイントを頭に入れてゆきますが テキストを閉じたとたんに 頭から抜けるのです(笑) 

しかしあきらめずに続けてゆけば 最後はさすがに覚えます!! 

そういうことを2週間くらいずうっとやり続けて びっしり貼った付箋が だんだんと減り...当日を迎えます

めったに出ないところも 頭の隅に残っていれば 消去法で解けるようになります
最後は野生のカン!? 地図も出ますので...
あとは語学のカンも役立ちました (なので 中国の遺産は苦手...)

もちろん最初は ひとつひとつの世界遺産を頭に入れるだけですが そのあと 
インカなのか マヤなのか アステカなのか等 きちんと整理して
地図とともに頭に入れて 「ちゃんと引き出しにしまう作業」をしないとダメです

さらに インカ帝国の街だけど そのあとスペインに征服されて...という 
歴史の流れ」も頭に入れないと まず ひっかけられます(ひっかけられた!)

また 100点を取られた方も結構いらっしゃるようです(過去問のグラフ参照)

 ← 試験会場の大学のキャンパス 

ただ いつものことながら 試験会場で途中で退出される方が多くて...
最後まで粘って 終了間際で1問 逆転正解を導き出せたので あまりすぐにあきらめない方がいいと思うんだけど...

「受かればいいや」じゃなくて 高得点で受からないと 次の級までの道のりが その分遠くなるのです

だからこそ 高得点で受かっておくことが 次の級のことを考えれば重要になってくるのです

これは 伊検2級が1点差で ぎりぎり崖っぷち合格だった私が 2級の真の実力をつけるのに何年もかかったので 身に染みているのです 
伊検2級までは7年間かかり 37冊もやったんですよ~

それと やはり若い方が多かったなぁ...シニア組はあの大学の広い会場でほんの数名...そして 私もその一人(;´∀`) 
98点取れて嬉しくて 試験の日は お刺身と霜降り肉をドーンと!!(#^.^#) 

というわけで 来年は1級を受けることにしました~ 語学もようやく再開します!(^^)!

世界遺産検定こちら← 年4回やっています


世界遺産検定1級にエントリーしました - 2級98点合格から半年 -(2019.3.15)」は こちら

世界遺産関連年表を作りました」(世界遺産検定1級準備として)は こちら

「世界遺産検定1級に一発合格できました!!(140点/認定点134点/200点満点)(2019.8.10)@世界遺産アカデミー」は こちら

* 写真は 試験会場 

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「未来派の身体感覚と舞踊 -前衛芸術運動のイタリア的身体観-」に参加しました(2017.11.18)@星美学園短期大学公開講座

2018年09月08日 | イタリア関連の催し

「未来派の身体感覚と舞踊 -前衛芸術運動のイタリア的身体観-」に参加しました(2017.11.18)@星美学園短期大学公開講座



未来派は 今まで絵画くらいしか知りませんでしたが 初めて未来派の舞踏の講座に参加してきました イタリア文化会館のエントランスにある赤い2つのオブジェ(写真)が 
もしかしたらこのU. Boccioniの「踊る身体」のオブジェではないか?との話になりました 

    *      *      *  

ルネサンス期の宮廷舞踏は 美しい身振りの探求でした
19世紀末に生まれたロマンティック・バレエとバッロ・グランデの成り立ちと変遷についてご紹介いただきました 重力から解放され 空中で踊るイメージです 
Excelsior(1881)のオペラの最盛期も 大勢の登場するオペラ映像を 講座のラストに鑑賞しました

20世紀初頭 ミラノに始まった未来派は「Futurismo」といって 1909年にマニフェスト「未来派創立宣言」が生まれてから 
1944年まで続いた(宣言したFilippo Tommaso Marinettiもこの年に亡くなっている)前衛芸術運動で 時代の変化を敏感に察知する新鋭アーティストの集まりでした

自動車や飛行機などの機械によって日常の暮らしが激変すると かれらはそれを芸術表現にも反映させようと試みたのです 

当時 自動車や飛行機がもたらした前人未到のスピードを味わった身体は それをどのように身体芸術に取り入れたのかについて 実はあまり知られていない
未来派の舞踊について 舞踊の歴史を交えて紹介してくださいました

この「未来派創立宣言」では 「速度の」が称賛され 「唸りをあげるレーシングカーは サモトラケのニケよりも美しい」とあります また 「後ろを振り返る必要はない 
時間と空間は 昨日消滅した」と... ただ暴力的な言葉の激しさが当時は偏見を持たれたようです

飛行機等の機械を利用する者は それらが自分の精神に決定的な影響を駆使していることに気づいてすらいない との未来派によね指摘は 例えば今でいえば スマホのある自分とない自分がどう変わったか? 
との問いかけにも似ていまるとのこと

視覚 聴覚 触覚 嗅覚 味覚などの五感に感知された「新しさ」が 新たな芸術表現の発想の源となったのですね 

3冊の分厚いFuturismoのカタログを回していただき 見ながら話を進めていきました 2014年のグッゲンハイムの展覧会は ファシズム期とも関わっていたFuturismoの
総括でもありました

未来派は 絵画 音楽 文学 騒音芸術 バラエティ 建築 映画 ダンス 航空絵画などにも及びます

モダンダンスの2潮流について: 1つは身体の機械化と増強で ニジンスキー等が代表です それに対して2つめは 自然と体 - 魂の調和 そして 内面性の表出
(機械化しているからこその)であり 代表的なのはイサドラ・ダンカンです 
たとえば棒を持って布をまとって舞うと 身長は3~4メートルにも及び 旋回するとより大きな表現ができますね 実際に映像を見ましたが なんとなく新体操を思い浮かべました

そして未来派の「踊る身体」 ここでは例のU.BoccioniのForme uniche della continuità nello spazioという彫刻作品(1913)が登場しましたが 
子ども向けの英語ガイドではスーパーマンと表現されていたので 私もついついガンダムを想像してしまいました(''◇'')ゞ

ガス管やドラム管のような筒の中に身体を入れて舞うという表現もあり 踊りづらくても表現する能力を通して 新たな身体表現を試みるのだそうです つまり
未来派ダンス宣言」とは 「筋肉の可能性を超越し ダンスを通して 理想的なモーターによって"増強した身体"を目指さなければならない」というものです 
「差し迫る人間とモーターの同一化に備えなければならない」とのことでした 

"Balla"という絵画も 写真の発明により 踊る女の子の足の動きを連続写真のように表現したものです ダンスではまた 踊り手がおらず
舞台装置のようなもののみで表現するダンスもあったとのこと 前衛的ですね~

未来派の「飛ぶ身体」について

今度は「速度の新しい宗教 - 倫理宣言」(1916)について 勇気あるものだけが経験できる表現として 飛行機に乗る経験を通して表現する(絵画を描く、バレエを踊る)
というものです

ひとつの飛行機を一人のダンサーにみたてて 飛行による複雑な精神状態の表現を介して 新しい芸術形式を作るもので ダンスを凌駕するものとのこと

未来派航空演劇
では 「機体はパイロットの身体の延長部分」であり 「飛行によって創造する芸術形式はダンスに類似する」というもので 「太古の肉体には翼が眠っている」(マリネッティ)
とされました まさに飛行機は「飛ぶ身体」であり 人も進化すれば飛べると考えられていたのですね

航空絵画」は 最初は画家が飛行機に同乗し紙に絵を描こうとしますが 当時はまだ双葉機で 紙が風に吹き飛んでしまいダメでした... でも
飛行を体験せずに描くことはできないとされていたのですね 画家が飛行を体現していたのです 
また 航空ダンスでは さらに プロペラの旋回をダンスで再現したり 衣装も プロペラの形のものをつけたりしたそうです 飛行による恐怖 喜び 興奮などを
ダンスで表現したのですね その映像も見せていただきました

今まであまり聞いたことのないお話で とても刺激になりました 

素晴らしい講座を開いていただきました 星美学園短期大学様に 心よりお礼申し上げます。
来年度の講座も楽しみです♡

未来派については こちら

2018年度の公開講座は こちら

* 今回の災害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます




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第2回「ヴェールに包まれたキリストと サン・セヴェーロ礼拝堂にある美術品」のセミナーに参加してきました(2018.8.29)@高円寺ピァッツァイタリア

2018年09月04日 | イタリアの美術館・博物館

第2回「ヴェールに包まれたキリストと サン・セヴェーロ礼拝堂にある美術品」のセミナーに参加してきました(2018.8.29)@高円寺ピァッツァイタリア


何年か前に ナポリ在住のイタリア人とサン・セヴェーロ礼拝堂(Cappella Sansevero)に行きとても感動したので このセミナー第2回「ヴェールに包まれたキリストと サン・セヴェーロ礼拝堂にある美術品」に参加してきました!!

第1回は「サン・セヴェーロ礼拝堂と サングロ家の呪われたライモンド王子」(サングロ家の7代目当主ライモンド王子は massoneria/フリーメイソンだったというお話で 残念ですがこちらは欠席しました)
 

このサン・セヴェーロ礼拝堂はなんといってもil Cristo velato/ヴェールに包まれたキリスト像が素晴らしく 
私が友人と行った時も 息を呑む程感動しました 
大理石でベールを掘るなんて...しかも1つの大理石からすべてを彫り出すなんて...どうやって...
また 地下にある「macchine anatomiche(人体解剖像)」の人体解剖のミイラも すごすぎて眠れない程でした~

このサン・セヴェーロ礼拝堂(Cappella Sansevero)は サン・セヴェーロ公家のサングロ(Sangro)家の一族の像等が置かれた 一族を記念するための礼拝堂で 
sconsacrata(神聖さを失った)のため 今は礼拝堂ではなく美術館(Museo Cappella Sansevero)となっています 

入って一番中心にあるのが このCristo velatoの像です 

ライモンド王子(Raimondo di Sangro)が 彫刻家Antonio Corradini/アントニオ・コラディーニに命じて作らせた バロック様式の大理石像なのですが 彼は84才と高齢だったため 
bozzetto(クロッキー) in terracotta(テラコッタ)をもとに もっと若い彫刻家 Giuseppe Sammartino/ジィゥゼッペ・サンマルティーノに彫らせます 

彼はこのbozzetto(クロッキー)は使わずに 3か月で作ったとのこと
80才まで掘り続けていたのですが 伝説によると このキリスト像よりも美しい像を掘れなくするためにaccecare(盲目にする)されたそうですが...? 真実は違うようです

キリストが磔にされた十字架から降ろされ 瀕死の状態で(morente)まだ息があることを表すため 顔にかけられたベール(velo)が 鼻孔(narice)の中に吸い込まれる(息を吸っているため)
また腹(pancia)は引っ込んでいる そして額には vera(静脈)が浮き出ているのですね
 
実物大の大きさで(grandezza naturale) 1つの大理石からすべてを彫り出しましたが 最初は大理石ではなく 本物のベールではないかと思われた程でした
ライモンド公は錬金術師(alchimista)でもあり 色のついた臭い煙が家から出てきたこともあったそうで 人々は 本物のベールを大理石の粉につけて
大理石化(marmorizzazione)したのではないかと疑ったそうですが 正真正銘大理石(marmo)だと証明されています (科学的調査やナポリ銀行の記録等)

そして ペンチと釘(tenaglia e dei chiodi) いばらの冠(corona di spina)も置かれています 
磔(はりつけ)にされた(crocifissione)時の釘の穴(buco)が 手のひらに空いているのですね...

ぐるっとまわって見るとキリストの表情は 苦しみがとれて 静かなものとなっています 同じ像ですが見る方向で変わるのです

ライモンドは1歳の時に母を亡くし 父はヨーロッパ中を旅してまわり放蕩生活を送り のちに修道院に入りました
なのでライモンドは父方の祖父(nonno paterno)に育てられたとのこと この両親の像もここにあります

彼はフリーメイソン(massoneria)に入りますが 真実はなかなかわからないものであり ベール(velo)はそれをシンボライズするとのこと 
床は迷宮(labirinto)になっていますが 迷宮もやはりフリーメイソンの 人生の困難さを表すものだそうです


     *       *       *

次に 礼拝堂にあるたくさんの像を 写真とともにひとつひとつ説明していただきました 特に気に入ったものをここに紹介しますね

ここには 10の美徳と呼ばれる像(一族をモチーフとしたもの)が置かれています 
Capella Sansevero(サン・セヴェーロ礼拝堂) は こちら ← ここの下に
内部の像の配置が No.で示されています そのNo.で位置がわかります

3. Decoro (品格)

これは 3番目の王Giovan Francesco di Sangroの2人の妻にささげられた像です Antonio Corradini作
若者はライオンの頭(野生の自然を表す)を持っていますが これは人間の魂の力は野生の自然を上回ることを象徴しているそうです
また 左右違ったサンダルを履いており 天国と地獄を表しているとのこと

7. Zelo della Religione (宗教の熱意)

これは 初代当主でありこの礼拝堂の創設者Giovan Francesco di Sangroの 2人の妻を記念するための像です
老人が手にするランプ(lampada)は真実の証 また老人は足で蛇(serpente)を踏みつけて(calpestare)います 蛇は異端(eresia)のシンボルですね

9. Soavità del giogo coniugale (婚姻の絆の甘美さ)

息子Vincenzoの妻Gaetana つまり嫁に捧げた像ですが まだ彼女が生きていた時に肖像画を描いたため 素描(abbozzato)のままとなっているのですって 
これは生前にちゃんとした肖像画を描くのはよくないとされていたからだそうです

これは 16. Sincertà 誠実 という ライモンドの妻Carlotta Gaetaniに捧げられた像でも同じで やはり生前に作られたために素描でした

そしてピラミッド(piramide)の形があり これは実はmassoneria(フリーメイソン)のシンボルでもあったのですね
このビラミッドの三角形は この礼拝堂の天井にも描かれていました

彼女は右手に2つの燃える心臓(cuole in fiamme)を持っていて それは夫婦の深い愛情をシンボライズしているのですが 一方左手には
羽毛で覆われたくびき(giogo)を支えていて これは甘美な服従(dolce obbedienza)をシンボライズしているのだそうです

11. Pudicizia (はにかみ) これはライモンドが1歳の時に亡くなった 母親Cecilia Gaetaniに捧げられた像で 
大変美しい大理石の像です 

 ← ライモンドの母の像 Pudicizia

Antonio Corradini
作ですが これを作った年に亡くなっています 彼の代表作(capolavoro)とも言われていますね

この大理石像は 半透明のベール(velo semitrasparente)に覆われた女性の身体を大理石で掘ってあり 私には他のどの像よりも魅力を感じてしまいます 
ベールが女性の身体にぴったりとくっついている自然なさまを彫り出したのです ← さすが母への愛♡

さらに 左手を乗せた 壊れた墓碑(lapide spezzata) そして足元から生えている木々が la morte prematura (早死に)をシンボライズしているのです...
息子ライモンドが1歳の時に亡くなったのからですね... 

14. Disinganno 悟り

この像はライモンドの父(Antonio)に捧げられた像ですが Cristo velato そしてライモンドの母のPudiciziaとともに この礼拝堂の3大作品のひとつなのですね

 ← ライモンドの父の像 Disinganno

il peccato (罪)をあらわすrete(網)から逃れるさま(身体を覆う網をはずそうとしている)を表していますが 
これはライモンドの父が 早くに母を亡くした息子を残して放蕩生活に出たことを指しているのですね (なので ライモンドは父方の祖父に育てられた)
この父親は老いてからナポリに戻り 罪を悔いて修道院(convento)に入ったのです 

この像は intelletto umano(人間知性)のシンボルである putto(プット、大理石の子供像)が 網をはずすのを手伝っています
 
さらにその足元には mondanità (世俗)のシンボルである地球儀(il globo terrestre)があり その地球儀に 
聖書(la bibbia)がたてかけられていますね
この作品にはmassoneria(フリーメイソン)の言及も見られるそうです 入信(inizioazioni)の時に目隠しをされた(bendati)志願者が 目をあけた時に真実がわかるという言及です

最も心を打つ要素は 目の細かい網(la fitta rete)です これは彫刻家Queiroloの熟練のたまものですが この網がまた 本物の網かと見まごう程に精巧で 
実際本物の網に 大理石の粉を漬け込んで固めたのではないかと疑われたそうです (私もそう思っても不思議はないなと思いますね)

さらには この網が完成したあとで 汚れ落としのために掃除をしようとした時に 弟子たちは壊しては大変と皆断り 作者のFrancesco Queirolo(フランチェスコ・クェイローロが 
仕方なく一人で掃除をしたとのことです( ゚Д゚)

第2次大戦でドイツ軍が破壊のためにここに入ってきた時に corda vera (本物のロープ)だと思われて ハンマーで打ったところ ひとかけらが
床に落ちて これは大理石だとわかり破壊を免れたそうですが こんな素晴らしい作品を こ 壊すだなんて 信じられないですよね"(-""-)"

23. Monumento a Cecco de'Sangro チェッコ・デ・サングロのモニュメント 

← Monumento a Cecco de'Sangro

これはFracesco Celebranoの作品で 発想はおそらく前職のQueiroloのものだそうです
甲冑をつけた兵士(un guerriero armato)が 大きな箱(cassa)から出てくる像なのですが これは la rocca di Amiens(アミアンの城塞)を征服した時に
2日間棺(bara)の中で死んだふりをしてから出てきて征服した時のことを描いており かの「トロイアの木馬(il cavallo di Troia)」を連想させるだけではなく 
死と復活(morte e resurrezione)」をも連想させるのですね


最後に ライモンドの肖像画(ritratto di Raimondo di Sangro)が あとからCarlo Amalfi/カルロ・アマルフィによって描かれたのですが 
年を取ってからの肖像画ですが いつ描かれたかは(datazione)定かではないものの 唯一残っている肖像画とのことで さらには 傷んでいる(robinato)のですね
これは 呪われているから(maledetto)という説もありますが(ナポリは迷信が多いのです)  実は 絵の上にガラスの天窓(lucernario in vetro)があり 何世紀も経つうちに 
大気の作用が保存状態を悪化させたのではないか というのが真相のようですね...


また行きたくなりました~サン・セヴェーロ礼拝堂💛  すべての像の説明を聞いたので 今度はひとつひとつちゃんと見たいですね...

素晴らしいセミナーを開催してくださいました ピァッツァイタリア様に心よりお礼申し上げます

サン・セヴェーロ礼拝堂(Cappella Sansevero
)は こちら

紹介記事は こちら

開催のお知らせは こちら

* な なんとプラモをやっているうちの家族が サン・セヴェーロについてよーく知っているとのこと( ゚Д゚) 造形をやる人間なら当然だそうでビックリ!!



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通訳ボランティアガイド準備セミナー(Olimpiadi Tokyo 2020 Seminario per i volontari)セミナー第1弾に参加してきました(2018.8.22)@吉祥寺LCI

2018年09月01日 | 日本文化紹介
通訳ボランティアガイド準備セミナー(Olimpiadi Tokyo 2020 Seminario per i volontari)セミナー第1弾に参加してきました(2018.8.22)@吉祥寺LCI


LCIで開催された 通訳ボランティアガイド準備セミナー第1弾に参加してきました

アテンドする際に知っておきたい内容 「イタリア人が日本のどんな所に関心があり、何を観たいのか」を理解し スポーツに関する言葉 東京の観光名所の説明 
日本の習慣 マナーや礼儀 交通手段などについて案内することを目指すセミナーです


【CAPITOLO 1】スポーツに関して
-スポーツ用語 Gli sport delle olimpiadi in italiano
-イタリア人が観戦したいスポーツについて Quali sport seguono di più gli italiani
- イタリア人の得意とするスポーツ  In quali sport sono forti gli italiani  

これは様々な種目をイタリア語でなんというか? いつからオリンピック競技種目になったか? ひとつひとつ見てゆきました 
写真つきでわかりやすい! イタリア人のオリンピック選手知ってますか?との質問に ようやく
コストナー選手の言葉が出てきました...あまり気にしてなかった(;´∀`)

ciclismo(自転車競技) calcio(サッカー)が人気で またScherma(フェンシング)はイタリアは強いそうです
今度の2020オリンピックから競技種目になるものも紹介していただきました Arrambicata sportiva (スポーツクライミング)等ですね


【CAPITOLO 2】 案内方法について Come dare indicazioni ai turisti:
- 道案内 Strada
- 交通手段 Metropolitana, treni, autobus
- お勧め観光スポット Luoghi turistici da consigliare

次は イタリア人を案内する実践編です! 道案内はいつもやっている 道を左に曲がってとか 横切って右側に...等の言い方をやりました
traversa 横道 attraversare 横切る 

次は駅です biglietteria automatica (切符の自動販売機) tornelli (自動改札機) 切符の買い方など
切符の読み方 時間の言い方 電車の種類 イタリアにはない女性専用車の説明など...
新国立競技場・東京体育館にはどうやって行くか?というロールプレイもグループに分かれてやりました
 (実はどこに建設中なのか 正確には把握していなかった...)

さて お勧め観光スポットはどこ?
まずは谷中 根津 千駄木 ここの谷中霊園には徳川慶喜の墓がありますが 私もイタリア人3人連れて行きましたよ~
イタリア人留学生たちと谷中七福神めぐりに行き徳川慶喜の墓も見てきました♪(2017.5.28)&七福神めぐりについてイタリア語で話す」は
 こちら

上野 アメ横 終了時間を事前に知らせるとよい等のアドバイス 国立美術館もいいけど 世界遺産にもなった国立西洋美術館もぜひ💛

新宿 歌舞伎町 新宿御苑 東京都庁の展望台もいいですね!!

皇居 皇居外苑(i giardini orientali imperiali) 銀座 東京駅(アムステルダム駅に倣って作られた)
銀座については こちら

明治神宮 (Santuario Meiji) 代々木公園 ここは隣接していますね 無料です
原宿 ここも竹下通り等コスプレが人気です 
浅草 かっぱ橋通り(riproduzioni in cera dei piatti 食品サンプルなどがある) 
東京スカイツリー ← これは行きましたが展望台が2千円!!

渋谷では ハチ公 la statua di Hachiko(il cane) スクランブル交差点 l'incrocio pedonale più traffcato del mondo 
表参道 秋葉原 ここにはガンダムカフェがあり イタリア人もガンダム (l'anime Gundam) が好きなのですって!!
ちなみに manga animeは もはやイタリア語です(笑)

【CAPITOLO 3】 食文化について
- お勧め方法 Cosa consigliare
- 日本郷土料理の説明 Spiegare a un italiano un cibo tipico giapponese
- 食事アレルギーについて Problemi alimentari/intolleranze

居酒屋 回転すし お好み焼き屋 焼き鳥屋 ラーメン屋(イタリアにもあるが高いらしい)
ロールプレイで お好み焼き すきやき・しゃぶしゃぶの説明 食材の説明なども順番でやりました!!

和食の歴史
は こちら
日本料理は こちら

そして最後は重要な 食物アレルギー(allegrgie, intolleranze)等の情報です 
ベジタリアン(vegetarioano)ビーガン(vegano)は流行(modo)ですが 
アレルギーは命にかかわる問題ですのでよくよく注意しましょう 

例えば乳製品アレルギー intolleranza al lattosio グルテンアレルギー intolleranza al gultine等です 
日本でも グルテンフリー の食品がありますね  グルテンフリーレストランは こちら
blodo(ブロード)には色々なものが入っていますので気をつけましょう 
アテンドには 事前の情報収集が大切ですね~ (体験しました)


大変貴重なセミナーを開催してくださいましたLCI様に 心よりお礼申し上げます

通訳ボランティアガイド準備セミナー
は こちら

セミナー第2弾は 11月29日(水)です!!

内容:
【CAPITOLO 1】応急手当について Primo soccorso
- 症状についての表現 Spiegazione dei sintomi
 
【CAPITOLO 2】観光名所案内について Luoghi da visitare
- イタリア人が興味を持つ観光名所 Luoghi interessanti per gli italiani
- 寺院の説明 Templi
- 日本人の習慣やマナーの説明 Usanze giapponesi nei luoghi sacri e negli spazi comuni

【CAPITOLO 3】イタリア人の関心事 Cosa chiedono spesso gli italiani
- 経験談による イタリア人のよくある質問  le domande piu` frequenti
- その他  Curiosità

神社等の参拝のマナー等について 説明できるようになりましょう!(^^)!


*板橋区のA体育館が 東京オリンピックのイタリア・バレーボールチームの練習会場に決まりました:
「板橋区はイタリア・ボローニャ国際絵本原画展をきっかけにボローニャ市と交流が続き、2005年に友好都市交流協定を締結するなど
イタリアとの関係は深い。
期間中は公開練習など、区民と選手の交流の場も設定される。」とのこと

詳しくは こちら 私は板橋在住なので色々考えています(^.^)




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