日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

「サルジニア語 ラテン語の面影残す地中海の島ことば La Sardegna linguistica」(菅田茂昭著/早稲田大学出版部)を読みました 

2022年03月21日 | サルデーニャ・シチリア

「サルジニア語 ラテン語の面影残す地中海の島ことば La Sardegna linguistica l'isola mediterranea dove sopravvive la latinità」(菅田茂昭著/早稲田大学出版部)を読みました 

 

この著者の方の講演を まだイタリア語を始めたばかりの頃にイタリア文化会館で聞いたことがあります 懐かしい... 

本について:

イタリア・サルジニア島の方言サルジニア語は、ロマンス語の一つである。他のロマンス語では ラテン語からロマンス語への変化の過程で消滅したものが、サルジニア語には残っていることが多く、サルジニア語はラテン語の原型をよくとどめているという特徴を持つ。

サルジニア島での現地調査の結果をもとに、サルジニア語の音声・文法・語彙・語形成を解説するほか、このことばがロマンス語圏にどう位置付けられるかを明らかにする。

   *   *   *

地元の図書館のイタリア語コーナーに よく目立つように置いてあったこの本 あらかたイタリア語の問題集や参考書は読んでしまった私には目当たりしく 吸い寄せられるようにすぐに手に取った

サルディーニャには行ったことはないが 色々なセミナーや本等を通じて身近に感じている

本より抜粋:

「サルジニア語は ロマンス語の中ではラテン語に近いという印象を与える

イタリア語やフランス語など 他のロマンス語では 進化の過程で失われたラテン語の要素が 孤立したサルデーニャの島には残っている サルジニア語はまさに ラテン語の面影を残すロマンス語なのである」

こうして著者が40年以上にわたってサルジニア島に通い  様々な本を書きました サルデーニャを代表するM.ピタウ(Pittau)教授とも親交があったとのこと

2001年のピタウ教授の著書では BC1500年頃からローマの征服まで続いたこの時代の原語を 「ヌラーゲ語」から「前サルジニア語」へと変更しました 

この言語を話していた人たちは 前13世紀半ば頃 小アジアのリディア(Lidia)より渡来し そのころすでにヌラーゲは建てられていたとされます 

前8世紀から前6世紀にかけて フェニキアに そして前6世紀からローマに征服(BC238年)されるまで カルタゴに支配されました 

フェニキア語の名残りとして カンピダーノ方言がいくつかありますが 地名にはTharros(タロス)  Macomer(マコメール)などがあります 

同時に イベリア・バスク語からの影響もあります 

 

歴史:

サルジニア語の歴史は BC238年のローマの征服とともに島にもたらされたラテン語から始まります 

534年から9900年頃までのビザンティン時代は 役所ではギリシア語が公用語でした 

アラゴン王国の支配下(1323~1479)では カタルーニャ語が スペインの支配下(1479~1708)ではスペイン語が公用語となりました

北西部のアルゲーロ(Althero)では 今もカタルーニャ語が話されています

サヴォイア王国に属していたことからピエモンテ方言の語彙も入ってきました 

1861年にイタリアが統一されてからは イタリア語が公用語となりました 今では家庭の中でサルジニア語の各地の方言が話されています*

* カンピダーノ方言 ログドーロ方言 ガッルーラ方言 サッサリ方言 ヌーオロ方言など

 

さらに サルジニア語の運用や文法へと本は進みます:

冠詞は 男性名詞単数は su 女性名詞単数は  sa 

たとえば su libru その本 など

 

動詞の時制もだいたいイタリア語に似ていますね

ちなみに サルジニア語の近過去は 遠過去(ラテン語の完了過去)に代わる働きを担っているとのこと

そして サルジニア語の接続法半過去は ラテン語の接続法未来完了過去の形式を ほぼ継承しているそうです

条件法は ラテン語を継承するものではなく ロマンス語における改新のひとつなのですね 接続法からの分岐ととらえることができるそうです

 

いろいろな文例:

Deo soe sardu.   私はサルジニア人です

Semus sardos.   私たちはサルジニア人です

Mariola mándigat su casu.  マリオーラはチーズを食べる

動詞の位置はかなり自由で 疑問詞のない疑問文では 何種類もの語順があります びっくり!

 

接続法:

Cherio chi Mariangela benzat cras.   私は明日 マリアンジェラが来てほしい

Mariangela benit cras.        明日 マリアンジェラが来ます

 

次は語彙です:

アルカイズムに富んでおり(特にヌオーロ地域) ラテン語の面影を残しています

たとえば イタリア語の「家」は casa サルジニア語では domo (domus) です

そして地域差に富んで 多様な地理同義語(geosinonimi)が見られます

地域による違いがみられる語彙のことです

 

そしていよいよ サルジニア料理の名称例に入ります:

Frégula de cocciula (Fregola con arselle) アサリのフレーゴラ (小粒パスタ)

Porcheddu a s'ispidu (Porcetto arrosto)  子豚の丸焼き

Pane carasau (Carta da musica) サルジニア風ドライパン 割る音から五線紙とも呼ばれます

 

本は こちら

 


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日本サルデーニャ・オンラインミュージアム / Museo Online Giappone Sardegnaのオープニングイベントにzoomで参加しました(2021.10.19)

2021年10月21日 | サルデーニャ・シチリア

日本サルデーニャ・オンラインミュージアム / Museo Online Giappone Sardegnaのオープニングイベントにzoomで参加しました(2021.10.19)@サルデーニャの建築と文化展実行委員会

 

新宿の工学院大学で10月19日に開催された「日本サルデーニャ・オンラインミュージアム 地中海の中心に浮かぶ島サルデーニャの建築と文化展(Museo Online Giappone Sardegna)」のオープニングイベントに zoomで参加しました

コロナ下のため オンラインでのミュージアムをオープンされたとのこと これは 2020年に刊行された「NICHE(ニッチ) 07  地中海の中心に浮かぶ島、サルデーニャへ!」(工学院大学建築学部同窓会NICHE出版会編)をベースにしたコンテンツが紹介された  大変すばらしい公式サイトです

このサイトには 私も習ったことのある サルデーニャ出身のGiovanni Piliarvu氏(カメラマン・日本サルデーニャ協会会長)も担当され 氏の美しい写真満載です! 

 

   *    *   *

この日の基調講演では 陣内先生の「サルデーニャの水の信仰」について興味深いお話を伺いました

先生の「地中海の聖なる島サルデーニャ」という著書を読んだことがあります  地べたに座って歓談する女性たち 木製のバルコニー 一階に家畜 二階が住居 宗教行列と それに使われたノヴ ェナリオ(Novenario)...

また 「La Sardegna vista dai giapponesi」という本が4か国語(日本語 英語 イタリア語 サルデーニャ語)で出版されているそうです 

サンタ・クリスティーナの聖なる井戸(il pozzo sacro nuragico di "Santa Cristina")についてのお話   田園の教会(chiese campestre)のお話もとても興味深かったです 

マリア・ライ氏ウラッサイの山を芸術展示にしたことについても紹介されました 

 

藤森氏の 「ヌラーゲ遺跡や墓地にみる巨石文明」の基調講演では 先生のドルメン メンヒル 巨人墓 ネクロポリス 巨石文化等の世界的な研究と サルデーニャのヌラーゲの巨石文化についてご紹介いただきました ヌラーゲはお墓ではなく人が住む住居だったのですね 

アルベロベッロのトゥルッリはヌラーゲに由来していると とある旅行番組で見ましたが そのようなこともおっしゃってました

日本にも縄文時代の古墳で発見された女性の土偶がありますが マルタ島やトルコ等で発見されたものとよく似ていますね!  ガイア信仰を表すものではないかとのこと 興味が尽きません... 

 

そしていよいよラストに ISOLA会長・カメラマンのジョヴァンニ・ピリアルヴ氏の 「サルデーニャと日本について」のお話に移りました

15年前に来日した頃 サルデーニャはまだ日本ではほとんど知られていなかったというエピソードに始まり このオンラインミュージアムやワールドツアーが サルデーニャをさらに知ってもらうきっかけになればとの熱いメッセージに感動しました💖

できれば工学院大学に直接足を運びたかったです 知り合いも来ていたかも☺

 

 工学院大学HPのお知らせは こちら 

公式サイト:  日本サルデーニャ・オンラインミュージアム 地中海の中心に浮かぶ島サルデーニャの建築と文化展」 Sardegna in Giappone Museo Online. 

 

写真:    世界遺産 スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ(Su Nuraxi di Barumini)

 


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サルデーニャ・オリスターノ地域の山火事の報に接して(2021.7.25)@ISOLAサルデーニャ協会

2021年07月28日 | サルデーニャ・シチリア

サルデーニャ・オリスターノ地域の山火事の報に接して(2021.7.25)@ISOLAサルデーニャ協会

 

火、アウトドアの画像のようです
 
 
 

2021年7月25日に起きたサルデーニャ・オリスターノ地域での山火事の報に触れ たいへん心を痛めております 

サルデーニャには行ったことはまだないのですが サルデーニャ出身の先生方や

様々なイベントや交流を通して とても身近に感じておりました

 

ドイツでの洪水のニュースもそうですが 気候変動により 徐々に状況が悪化していることをひしひしと感じております

 

    *    *    *

日本サルデーニャ協会の記事より転載:

 

サルディニアの火事: ISOLA サルデーニャ協会は、火事で壊滅的な被害を受けたオリスタンの地方自治体を支援するために、連帯して活動しています。
 
サルデーニャの火事:7月25日に発生した山火事によって 壊滅的な被害を受けたオリスタンの地方自治体を支援するために、ISOLA サルデーニャ協会は、連帯して活動しています。
 
「豊かな植生で知られた"森"はすでにありません。火事で家や農場が破壊され、ブドウ畑やオリーブ畑も焼けてしまいました。
多くの動物も焼け死んでしまいました。
オリスタン地域の13の町では3日間の火災で、2万ヘクタールが灰と化してしまいました。
まだ被害の全貌はわかっていません。ようやく人々は被害の状況を把握し始めているところです。
 
公式には何も発表されていませんが、一部の人々は10億ユーロを超える被害額を見積もっています。
今最初の段階で言えるのは、40度の気温と風に煽られて急速に広がってしまったであろうということです」 ——Davide Madeddu, "Il Sole 24Ore", 2021年7月27日).
 
この記事は、モンティファールの13の村で起きている悲劇的な状況を要約したものです。
この火事によって、すべての環境遺産(森林、土地、動物、家屋)に被害が出ており、経済的価値の損失だけではなく、再建不可能な身近な「人間の風景」の消滅という点でも大変ショックな出来事です。単純に数値化できません。
 
ISOLA サルデーニャ協会は、F.A.S.I.の募金活動に参加することを決定しました。
F.A.S.I.(Federazione delle Associazioni Sarde in Italia)は、サルデーニャ移民の70のサークルをまとめる連盟で、そのためサルデーニャ出身の何千人もの会員と島の友人が集まっています。
壊滅的な被害を受けた自治体との間で合意された、被害の「修復」に使用される資金を集めます。
 
優先すべきことは、サルデーニャの13のコミュニティを襲った出来事に対する私たちの思い、シンパシーを具体化することで、火災によって生じた「傷」を可能な限り癒さなければならない自治体に具体的な貢献をすることです。
 
ISOLAサルデーニャ協会は、日本で寄付金を集め、FASIの連帯募金専用の口座に振り込みます。 希望する個人、企業、団体が寄付を行うことができます。
この寄付金は、被災した自治体の行政機関との合意に基づいて決定された行動に使用されます。
すべての寄付金額とその使用方法は、F.A.S.I.のウェブサイトに記録されます。
 
サルディーニャ協会で集まった金額のトレーサビリティーを保証することができます。
 
 
  イーゾラサルディーニャキョウカイ
  三菱UFJ銀行 荻窪支店
  普通口座 口座番号:0534487
 
ご協力ありがとうございます。
 
     *    *    *
 
ニュース映像(英語)は こちら
 
記事(Rogo nell'Oristanese, fiamme e paura in oltre dieci centri abitati: oltre 1500 sfollati e 20mila ettari distrutti)は こちら
 
 
迅速に活動を開始され このニュースを私たちに知らせてくださいました日本サルデーニャ協会様に 心よりお礼申し上げます
 
 
*続報 「L'ITALIA BRUCIA, LA SOLIDARIETÀ DI CARITAS ITALIANA」は こちら
サルデーニャだけでなく イタリア各地でも山火事が起き 10万ヘクタールが燃えたそうです
 


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Giovanni先生の「サルデーニャ講座」に行ってきました(2020.3.7)@高円寺ピアッツアイタリア

2020年10月09日 | サルデーニャ・シチリア

Giovanni先生の「サルデーニャ講座」に行ってきました(2020.3.7)@高円寺ピアッツアイタリア


久々にお会いしましたGiovanni Pilliarvu先生!! サルデーニャ講座は盛況で 私はこのために前回のリポートを読み返して準備しました ^^) _旦~~

Giovanni先生は日本サルデーニャ協会会長でもいらして 今までにも様々な協会(通称: Isola)のサルデーニャイベントでもご一緒させていただきましたっけ...

Sardegna al centro del Mediterraneo  地中海の中心のサルデーニャ


サルデーニャはちょうど四国くらいの大きさで ざっと言えばコルシカ島の下です(笑) 人口は167万と少なく自然が豊か

国旗は クアトロ・モーリ (Quattro mori/4人のムーア人)」)の旗です 4つの顔は北アフリカ出身の祖先の顔を表しており 前は右向きではなく左向きで目隠しをしていたそうです

サルデーニャ語はラテン語から来ています サルデーニャ語の方言の地図を示しながら 北はコルシカ語(lingua corsa) 南はサルデーニャ語(lingua sarda)各種 そして北西のアルゲーロ(Alghero)はカタルーニャ語(Catalano)  南西の小島はリグーリア語(Ligure)...これはジェノヴァから流刑者が流れたためとのこと
 
「イタリア全土で公用語とされているのはイタリア語だが、サルデーニャではサルデーニャ語(Sardu)が広く使われている。サルデーニャ語はイタリア語の方言(言語変種)ではなく、ラテン語を起源とするロマンス語に属する言語である」(Wikipedia)

テレビの普及により全サルデーニャ人がイタリア語を話せるようになったとのこと
若い世代の先生ご自身は サルデーニャ語は話せないが 聞いてわかるそうです
  
サルデーニャ語にはイタリア語にはない X (ジ) Su Nuraxi (ス ヌラージ)という文字がありこれはフェニキア語から来ています
THARROS のH もフェニキア語からですって 

        *       *       *

まずはサルデーニャの歴史から:

 
    ↑
  いただいた資料 年表 言語分布地図 行政区地図

Popolazioni nuraghiche 1500 a.C.~  ヌラーゲ人 紀元前1500年~

サルデーニャ人の起源はさまざまありますが ヌラーゲ人は紀元前1500年頃からいて 紀元前238年に ポエニ戦争終結のあと ヌラーゲ文明は途絶えたそうです

「新石器時代からローマ帝国の時代にかけて、ヌラーゲ(Nuraghe)人が上陸し、生活しはじめた。この謎に満ちた民族は、紀元前20世紀頃、東地中海からやって来たものと推測されている。」(Wikipedia)

そのヌラーゲ時代のDomus de janas について説明してくださいました 40以上の墓があり ドアは異世界に通じるとされていました 
女は月と水と そして男は太陽 闘牛とつながっていたそうです 
ここでは水の道があり 最古のワイン作りの痕跡がヌラーゲで見つかっているそうです


Sardegna pre-nuraghica  サルデーニャ プレ・ヌラーゲ  


最初のそして重要なヌラーゲは Nuraghe Santa Antine  これは  sa domo de su re (イタリア語で「王の家」 "la casa del re") とも呼ばれていました

ヌラーゲは砦(fortezza)であった時代もあり  避難所(rifugio)として敵が来れば村人たちが中に住めたし 宗教施設として使われた時代もありました 井戸があり 女神に捧げられたもので 小さな入口をくぐり(神へのリスペクト)  中には死後の世界で使うものが置かれています

Santuario nuragico di Santa Cristina は 三角形の入り口をしたヌラーゲで聖なる井戸(pozzo sacro)でした 女神(la dea Madre)に捧げられ 春分・秋分の日に上の穴から光が入ります 水が今もあります

そして サルデーニャ唯一の世界遺産である スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ(Su Nuraxi di Balumini) 
詳しくは こちら

石の組み方も説明して頂きました 少しずつずらして乗せると崩れない 入口が弱いので大きな石で支えるそうです 

tomba dei giganti についても説明してくださいました  これは巨人が建てたかと思われるような重く大きな石で あの世のドアがあり 死後の世界を大切にしています
海に向かって建てられたそうで これは敵を威嚇するためですね

モンテ・プラ―マの巨人 これは紀元前6~9世紀に建てられた Oristano県Cabrasにある巨人の遺跡で 1970年代に発掘され カリアリの国立考古学博物館(il Museo archeologico nazionale di Cagliari)に展示されていますが 2~2,5メートルと 当初思っていたよりも大きくなかったそうです (足が短い)

サルデーニャは考古学ファンにはたまらないですね!!

      *       *       *

歴史: 先史時代 → 石器文化と黒曜石(ossidiana)の時代 → ヌラーゲ文化の時代 → サルデーニャにおけるフェニキア人、カルタゴ人、そしてローマ人 → 中世 → サルデーニャ王国の誕生から現代 (Wikipedia)

「エジプトを侵略した海洋民族シャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽が疑わしいが ノーラ遺跡の石碑は フェニキア人がこの島をShardenと呼んだ証拠となっており、これがSardiniaという名前の由来となっている。 」(Wikipedia)
サルデーニャ民族の起源を調べていると サルデーニャの国の名前の起源が 「シャルダナ」というアジアから来た最古の海洋民族につながっているとは...ロマンがありますね💛

また フェニキア人(i fenici)についても語ってくださいました 
紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出し 地中海全域を舞台に活躍し カルタゴの街を作ったのですね 
サルデーニャはそのフェニキア人と その前はギリシャ人(i grechi)と貿易していました 

フェニキア人のあとに 紀元前500年ごろカルタゴ人(Punici、ポエニ)がサルデーニャ周辺の地中海の覇権を確立しました カルタゴの影響はサルデーニャのほぼ全域に及んでいます 

紀元前238年 ローマ人がサルデーニャの島を獲得しました 
ローマはカルタゴとのポエニ戦争に勝利し 戦後にカルタゴの傭兵が反乱を起こしたため ローマはサルデーニャを占領しました その時点で既にサルデーニャには社会基盤と少なくとも平野部では)都市化された文化があったのですね

そしてサルデーニャはシチリアとともに エジプト征服までのあいだローマの穀倉地帯(granai di Roma)のひとつでありつづけたのです (エジプトは肥沃な土地があった)

「フェニキア・カルタゴ文化は ローマ人の支配下にあっても 紀元後数世紀まで根強く残lり Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)は 建築と都市計画の重要な考古学遺跡となっている」 (Wikipedia)

ざっと年表にすると:

Fenici  フェニキア人  (700-200 a.C.)
Romani  ローマ人   (238-476)
Vandali ヴァンダル人 (476-533)
Bizantini  ビザンチン(東ローマ帝国)人 (533-827)
Giudicati (900-1323) 4つの領国 giudici 領主 「審判による統治」を意味するジュディカーティ(Giudicati)という制度 

giudicatiとは 自分たちを守るために勝手に作った国だ (普通はimperatore(皇帝)や神から権力をもらって国を作るが)とのこと

アラブ人に対抗するために 海洋共和国のピサとジェノヴァに守ってもらったのは 彼らも次はやられるのでということらしい
アラブ人(i arabi)だけはサルデーニャに入りませんでした スペインを通して来ただけとのこと

「ローマ帝国の滅亡後、サルデーニャは何度と征服の対象とされている
456年北アフリカのヴァンダル人に占領され  711年からはサラセン人による沿岸部の都市への攻撃を受け 1063年から 東ローマ帝国の政治行政組織を踏襲する形で 審判による統治を意味するジュディカーティ(Giudicati)という制度が形成された
同じ時代、アラゴン=カタルーニャ王国(Catalani Aragonesi )の影響が大きくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領まで続いた。当時のスペインの影響の強さは、今でもアルゲーロ周辺でカタルーニャ語の方言が使われていることからも伺える」(Wikipedia) 

スペイン人(Spagnoli)がいた頃(700年間)は一番暗い時代だった 長い中世だった とのこと
スペインはサルデーニャをとろうとして 発展をストップさせた 700年もの間...
ロマネスク教会は多いそうです 1300年~ 他の新しい建築はあまり入っていない

そして引き続きサルデーニャ王国(Regno di Sardegna)の話に入りました
「スペイン継承戦争でサルデーニャがスペインからオーストリアに渡った後、1720年にシチリア島との交換によりサヴォイア家が領有してからイタリア統一の1861年まで、サルデーニャはピエモンテとサルデーニャ王国を形成していた。本拠はサルデーニャ島ではなく大陸のピエモンテにあり、首都はトリノであった。
1861年にサルデーニャ王国がイタリア統一を果たして国名を「イタリア王国」と改めた。」(Wikipedia)

これでサルデーニャの歴史はおしまい! 一番たいへんなところです(*ノωノ)


  *       *       *

次は伝統 Tradizioni

 
      ↑
   サルデーニャのお祭りの地図

お祭り(le feste):


1月16、17日 
 S.Antonio Abate (聖アントニオ・アバーテ祭り) Dorgali /ドルガーリ:
16日の夜 聖アントニオ・アバーテに献じるローズマリーで作った松明がともされ 17日は見学者に手作りパンや蜂蜜ベースのお菓子が配られます 聖アントニオは火あぶりの刑で亡くなりました

2月のオリスターノ(Oristano)でのSa Sartiglia 騎馬祭り 
村ごとに伝統があり これは子孫繫栄を願って 2人の騎手がアクロバットで馬を駆り 吊り下げた星の穴を刀で刺すという祭りです 服も自分で着てはならない シャーマンのようですね

5月の最期から2番目の日曜日 La Cavalcata sarda (Sassari) パレードのような祭りで 1000年にサラセン人に打ち勝った歴史を記念してパレードや歌 舞踏でにぎわいます 

カーニバルの時期の Mammuthones (Mamoiada) これは黒い仮面 背中に鐘を下げて鳴らしながら 自然を起こすダンスを踊り行列します けっこう不気味です...

ちなみに前に作った「サルデーニャのお祭りリスト(Il Calendario delle feste in Sardegna)」は こちら

   *       *       *

音楽 musica:

Canto a tenore ヌラーゲの時代から歌われており 1人がメロディー 3人がベース (低音は牛 中音は羊 高音は風) ユネスコ無形文化遺産ですね

ラウネッダス(launeddas) 頬の中で吸って吐いてを同時に行うという高度な技術 fiato continuo 目の前で聞いたことがあるのですがすごいです!
バグパイプを自分の口でやるという感じかも...

演奏は こちら (音が出ます)

       *       *       *

 
     ↑
   サルデーニャの工芸品の地図

Artigianato 工芸品


絨毯 金細工 家具 珊瑚 ナイフ 仮面等 村ごとに違います
儀式のパン(pane rituale)は 冠婚葬祭や祭り等でふるまわれるパン細工です

    *       *       *

Alimenti tipici  特産品



サルシッチャ・サルダ(Sarsiccia sarda)
 これはサラミのようですね プロシュートは最近です
ドルチェは 中でもセアダスカフェで食べられるテリッカスは ザザッパ(ぶどうの搾りかす)を使った 死者の日に作るお菓子とのこと

イタリアでからすみ(Bottarga)と言えば サルデーニャのからすみです シチリアがマグロですね

クスクスに似た粒状パスタ「フレグラ(fregra)」は今も手作りという これは南のみ
ニョッキ状の「マロレッドゥス」 (Malloreddus) もニョケッティ・サルディとして有名
堅く焼いた薄いパン「パーネ・カラザウ(Pane carasau)」は長期保存が可能な食材
パーネ・カラザウとトマトソース、ペコリーノ(羊乳のチーズ)とをラザニア状に重ねた「パーネ・フラッタウ」 (Pane frattau) があります

お酒(bevande alcoliche)/
ミルト酒は キンバイカで作られるリキュール
グラッパ ビネガー リモンチェッロ などなど...
ワインはマルバージァワインが有名 ヴェルメンティーノ・ガルーラ カノナウ... 

チーズ(formaggi)/

「サルデーニャ島では牧羊が盛んなことから、羊乳を用いたペコリーノが多く生産される、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオ州・トスカーナ州とともにサルデーニャ州も生産地域としての指定を受けている。「ペコリーノ・サルド(pecorino sardo)」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャ産のペコリーノにのみ認められた名称である。

このほか、サルデーニャではカチョカヴァッロなども生産される。
サルデーニャ島のユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫の働きでペコリーノの発酵をすすめたカース・マルツゥ(casu marzu)がある。」(Wikipedia)

    *       *       *

Turismo  観光

海が美しく シチリアは造りすぎたがサルデーニャの海は人工的ではない
8月は人がとにかく多い 海岸にはスペイン時代の砦もある

Sardegna Turismoは こちら

サルデーニャ出身の政治家ではアントニオ・グラムシエンリコ・ベルリンゲル ノーベル賞作家で グラツィア・デレッダ(Grazia Deledda)という女流作家がいます 女性では珍しいのですよね

山は1700メートルくらいで 動物もここにしかないものがいて 白いロバ 鷲 野生馬のジャーラ馬などがいるそうです

時間が過ぎてもずっと私たちの興味津々の質問に答えてくださいました Grazie💛 
帰りもGiovanni先生のサルデーニャ・ツアーの貴重なお話を伺いながら帰りました~ ^^) _旦~~


前回の講座のリポート『「ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」のセミナーリポート ヌラーゲからフレグラまで盛りだくさん♪(2016.11.26)@高円寺piazzaItalia』は こちら

サルデーニャ講座のお知らせは こちら

* 魅力ある講座を開催してくださいましたピアッツアイタリア様に心よりお礼申し上げます

ちなみに 11月29日(日)13:00-15:00 zoomで 陣内秀信先生とGiovanni先生による サルデーニャのセミナー「サルデーニャ聖と俗の空間 風景から読む」が開催されます@朝日カルチャーセンター

詳しくは こちら




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ジョヴァンニ先生のサルデーニャ講座が開催されます(2020.3.7)@高円寺ピアッツアイタリア

2020年02月13日 | サルデーニャ・シチリア
ジョヴァンニ先生のサルデーニャ講座が開催されます(2020.3.7)@高円寺ピアッツアイタリア

《サルデーニャ講座》

イタリアの西沖合、地中海に浮かぶサルデーニャ島。
”イタリア文化”とは少し異なる、独特の歴史と文化を持つ美しい島。
サルデーニャ出身のジョバンニ先生が、その歴史とサルデーニャの数々の神秘をご紹介します。

開講日時: 2020年3月7日(土) 11:00~12:30(90分)
受講料:  ¥3,200(税抜)
講師:   Giovanni Piliarvu先生

サルデーニャ講座は こちら

前回のリポートは こちら

 * ピアッツァの写真は若い頃ので 今のGiovanni先生はさらにイケメンで~す( *´艸`)

  *      *      *

サルデーニャについては 2015年のイタリア留学フェアにてBosaの語学学校のブースを担当したことがあり いきなりサルデーニャのことを調べ始めました!! 日伊学院のIPAのレッスンでも 先生にわけを話してサルデーニャについてわざわざ取り上げてもらったり サルデーニャに縁のある方たちと出会い なんとか成功させました

その時のひとりが Giovanni Piliarvu先生です 
高円寺阿波踊りの公式カメラマン いえ 新進気鋭のサルデーニャ出身のカメラマン また語学教師にサルデーニャツアー主催と...多岐にわたる活躍ぶりに私もファンです♡ 阿波踊りの時はイタリア語でインタビューもしました ^^) _旦~~

ひさびさにお会いするGiovanni先生は 前回の2017年のセミナーの時よりも さらにイケメンになっているはず...( *´艸`) 

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イタリア旅行説明会 サルデーニャ・シチリア編に行き 再びイタリア文化会館図書室に登録して「シチリア歴史紀行」を読みました!(2018.2.15)@ユーラシア旅行社

2018年07月14日 | サルデーニャ・シチリア
イタリア旅行説明会 サルデーニャ・シチリア編に行き 再びイタリア文化会館の図書室に登録して「シチリア歴史紀行」を読みました!(2018.2.15)@ユーラシア旅行社


ユーラシア旅行社主催のイタリア旅行説明会を聞きに イタリア文化会館にひさびさに行ってきました...よく考えたらこの時点では昨年のスピーチコンテスト(12/2)出場以来です 信じられない! 2ヵ月もイタリア文化会館に来てないなんて~( ゚Д゚) ← 私の中で何かが足りなかったのはそのせい(笑)??

午前はサルデーニャとランペドゥーサ島 お昼をはさんで午後は南イタリアとシチリアでした

友人たちが次々とシチリアに行ってるんです... 世界遺産を学んでいても サルデーニャはヌラーゲだけですがシチリアには世界遺産が7件あり イタリア人たちの中でも「イタリア本土にはないものがシチリアには残っている」として愛されているとのこと

この日私は 再びイタリア文化会館の図書室で登録証(tessera)を作っていただきました!! そう もうレッスンには通っていないけれど (代わりに7か所前後の語学学校の単発セミナーに出ています) 今度は図書室に通います!! うちのサークルで7月22日(日)と8月5日(日)に「第2回世界遺産入門講座 -イタリアの世界遺産 (南イタリア・シチリア編)-」という講座を開くため(現在満席) 下準備もかねて♡ 今年はシチリアをメインに学ぼうっと!!

図書室は昨年末に改装してステキになりました♪ 配置もすべて変わりました!!
 ← 書架や机等配置ががらりと変わった図書室♪

   *       *        *

まずはサルデーニャ


サルデーニャ
の国旗は クアトロ・モーリ (4人のムーア人)の旗です 4つの顔は北アフリカ出身の祖先の顔を表しているとのこと(国旗についても調べると色々な説や歴史が...)

← サルデーニャの国旗

サルデーニャ王国の歴史をざっと...  13-4世紀にスペインのアラゴン王国の支配下となっていました 

カリアリ
は フェニキア人の作った港町で ツアーによっては植物園や ローマ時代の石切り場跡にも行くそうです 丘の上までバスで行き そこから下りながら要塞等を見学するそうです

バルーミニ村にある世界遺産ヌラーゲ・ス・ヌラクシ 7千もあるヌラーゲは何のために作られたかは諸説ありますね~ タロスの遺跡は ヌラーゲ跡 フェニキア カルタゴ ローマの文明の跡が混在しており興味深いですね

アルゲーロ
 ここは14世紀にアラゴン王国に支配され カタルーニャ人が移民として入った影響でカタルーニャ語(カタラン語)が残っていますね きれいな街です♡ 4割がカタルーニャ語アルゲーロ方言 (dialetto algherese)を話します 訛りはあるがスペインのカタルーニャ人にも通じるとのこと 

私がブースを担当したBosa(ボーザ)の街の語学学校には このアルゲーロから海岸沿いに車等で行くのですが とにかく海岸沿いの景色がきれいだから!! それにアルゲーロで一泊するのもいいし♡  

モンテ・ダコッディ(Monte D'Acoddi)
 内陸でピラミッド型の石の遺跡があり 4,000a.C.に人が住んでいました  ← 今回初めて知りました( ゚Д゚)

 ← モンテ・ダコッディの巨石文化

ラ・マッダレーナ(La Maddalena)
 サルデーニャ北端の高級リゾート地です コルクの木が欧州2位です!!  バスごとカーフェリーに乗ってマッダレーナ島に行くそうです 

そして サルデーニャの食材があれこれ紹介されました♡ パーネ・カラザウ 飾りパン(panificio artigianale) セアダス オリスターノ名産のからすみのパスタ フレグラ 海の幸いろいろ... そして様々なサルデーニャのお祭りについて紹介していただきました
 

そして次はランペドゥーサ島!! これは映画「海と大陸(Terraferma)」の印象が強いのですが 「空飛ぶ船の島」として あまりにも透明な海にぽっかり浮かぶボートの影ですね...♡

その絶景ポイントであるラビットビーチへの道のり ここはウミガメの産卵の場所で自然保護区域だそうです

島で終日ボートクルーズを楽しむ時の様々な説明をしてくださいました 島の北側は断崖絶壁で 南側は海水浴や海に浮かぶボートの絶景ポイントなどがメインですね 夕陽の絶景ポイントもあります ランペドゥーサ島は小さな町ですが 夜はローマ通りを中心に繁華街がにぎわいます 

    *       *        *

そしてお昼休みをはさんで 午後は南イタリアとシチリアです

ナポリ
(世界遺産) 考古学博物館にある イッソスの戦い(アレクサンドロス大王とダレイオス3世の) これはポンペイで発掘されてここに収められています 私はポンペイのレプリカと 博物館のオリジナルと両方見た記憶があります 高校世界史の教科書に載っています♪

マヨルカ焼きの美しいサンタキアラ教会 そしてポンペイ(世界遺産)は2時間半取ります 秘儀荘は必見!! あくまでも鮮やかな赤い壁 この秘儀は何をあらわしているのでしょうか...
 ← 秘儀荘
 
カプリ島と青の洞窟
 入り方や 入りやすい季節(夏)などのお話 私は山の上から見ました~(笑)

ポジターノ アルベロベッロ(世界遺産) マテーラ(世界遺産) レッチェ カステルデルモンテ(世界遺産) ブリンディシ プロチダ島
 (イル・ポスティーノの舞台)などを次々ご紹介いただきました

そしていよいよシチリアです!!

1000a.C.頃イタリア本土からシクリ人(シチリアの語源)が移住してきました シクリという世界遺産の町の名前もシチリアの語源となっているのですね ← Giovanni先生のステキなシクリの夜景の写真がうちにも飾ってあります♪

シチリアの国旗トリナクリア」はとても面白い形です

カルタゴ ギリシャ ローマ ビザンチン アラブ ノルマン スペイン...とまさに文明の十字路ですね ← シチリアの歴史は これがまたボリュームあるんですよ~

フェニキア人の港町 パレルモ(世界遺産)のノルマン王宮内のパラティーナ礼拝堂では キリスト教とイスラム的な建築技法が混ざり合った珍しいアラブ・ノルマン様式が見られます 巨大なキリストのモザイクがすごいのですが 天井にはイスラムの鍾乳彫りが...

シラクサ
にある円形劇場(Anfiteatro)は1,5万人収容できるそうで 街の規模を示しているのですね シラクサの岸壁墓地跡は世界遺産ですね


タオルミーナ
は古代ギリシア劇場(写真)が素晴らしく 冠雪したエトナ山(世界遺産/自然遺産)が絶景です

アグリジェント
(世界遺産)の聖なる道(via sacra)と 3つの神殿の谷(コンコルディア神殿 ヘラ神殿 ヘラクレス神殿) アーモンドの花...


セリヌンテ
に行くのはコースによるそうですが カルタゴに破壊された遺跡の跡が残り 今ちょうど古代ローマ講座も取っているのでとても感銘を受けました 見て派手さはないのですが 歴史をじかに感じられる場所ですね

モツィア島 
 フェニキア人が作った町で カルタゴの文明の足跡があり ローマに破壊されたモザイクがあります ここまで行くツアーは少ないそうです ← 通ですね~♡

  ← モツィア島

あとは トラパニ地方の塩田 (6~4a.C.) フェニキア人の時代から変わらない製塩方法で作られていて風車もあります

カステルモーラ
イタリアの美しい村のひとつで 街の散策をするのが楽しい♡

イゾラ・ベッラ(美しい島)には 洞窟(grotta)があり ナポレオンも逗留していました

世界遺産ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ/カサーレ荘(Villa romana del Casale)は ビキニ(実は運動着)姿の女性のモザイクが有名ですが 当時のローマがいかに権力があったかがわかりますね 以前モザイク講座に出たことがあるのですが力仕事で 昔は奴隷の仕事だったそうです

ここはマクシミアヌス帝の別荘とのことですが その記述がこの日図書室で借りた「シチリア歴史紀行(Viaggio nella storia della Sicilia)」(小森谷慶子/白水社)第9章の中にありました!
「マクセンティウス帝(マクシミアヌス帝の子)は斜視であったとされ 斜視を表す三角のモザイク片がどのモザイクにもはめ込まれている。これがこの屋敷の建設者はマクシミアヌス帝であるという論拠の一つである」とのこと。

ノート バロックの装飾が有名な世界遺産の街で ニコラッチ通りのバルコニーの下が花じゅうたん(インフィオラータ)の会場です 花じゅうたんは私はフィレンツェで見ました♪

ラグーサ 
ここは世界遺産のバロックの街で 円柱と鐘楼とカーブの多さがシチリア・バロックの特徴ということです

カルタジローネ
はアラブの技術の影響が残り 土も取れることからマヨルカ焼きが有名で ここのサンタ・マリア・デル・モンテの142段の大階段の陶芸はすべて模様が違います 

チェファルーは ここぞシチリア!という素朴な街で 「イタリアの最も美しい村」に加盟しています 映画「ニューシネマパラダイス」の海岸のシーンは ここチェファルーで撮影されました (映画の舞台はパラッツォ・アドリアーノ)

エオリエ諸島(世界遺産/自然遺産)に行くコースもあります 語源は風の神アイオロス(Eolo)の住む島からきています

ルイジ・ピランデッロ原作の映画「カオス・シチリア物語」(監督: タビアーニ兄弟)のラストで有名な ピランデッロの祖父がブルボン王家に追われてマルタ島に亡命し それを家族が漁船で追う途中で真っ白な「軽石(pomice)の島」に立ち寄り その白い坂から滑り降りて遊び つかのまの楽しさを味わうという最も印象的なシーン(DVDの表紙にもなった)がここのリパリ島を舞台に撮影されたことを この日借りて来た本「シチリア歴史紀行」の第2章で知った時の喜びといったら!!

その他アグリツーリズムあり アルバネシ村の復活祭は その名の通りアルバニアからの移民が住んだ町です
 
エーガディ諸島 ファビアーナ島の透明な青い海...

アグリジェント
の町はずれにある 石灰岩でできた階段状の真っ白な石壁スカーラ・デ・トゥルキ(scala dei Turchi)はトルコの階段という意味です

 
アラブからシチリアにオレンジとアーモンドが持ち込まれました アーモンドペーストで作ったフルーツそっくりのドルチェ フルッタ マルトラーナ/frutta Martoranaもシチリアの名産 そしてカンノーロ(作りたてが味わえる!) タオルミーナ特産のウニのソースのパスタ その他...

私のまだ知らない街も色々と紹介され 思わずこの日図書室で借りたシチリアの本を読み始めたらすっと頭に入ってきました!!
この日はこのあと イタリア周遊と北イタリアと 夕方まで説明会は続いていました

私も 新たに図書室に登録して 気分一新で頑張ります!! 

追記: この日借りて読んだ「シチリア歴史紀行」の終盤には「オメルタ(Omertà)」という沈黙の掟について書かれています これはマフィアを扱ったイタリア映画(「運命に逆らったシチリアの少女」等)にも出てきますが その起源はリソルジメント(イタリア統一)の頃に イタリア統一政府からの重税に苦しむシチリアの人びとが徴兵から逃れるために山賊となり 検挙のためにトリノの政府が送り込んだ役人をピエモンテ人と呼んで不信と反感を抱き口をつぐんだという 外国支配が繰り返されたシチリアの人びとが長年の間に身に着けた一種の防衛行為だとあったのです

またさらに「ニューシネマパラダイス」(1988)の映画の大ヒットにより ようやくシチリアの重苦しく閉鎖的な雰囲気が一掃され 観光地としても国内外の人気を集めるようになっていったことがわかりました シチリアの歴史を知るのにとてもよい一冊です。

説明会は こちら

ユーラシア旅行社のサルデーニャの特集ページは こちら

ユーラシア旅行社のシチリアの特集ページは こちら


ステキなイタリア旅行説明会を開催してくださいましたユーラシア旅行社様に心よりお礼申し上げます



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Sardegna per scoprire la chiave della longevità - 長寿のカギを見つけに -&世界最高齢117才のエンマさん亡くなる!!&Nスペ健康長寿 徹底解明"

2017年04月16日 | サルデーニャ・シチリア
Sardegna - per scoprire la chiave della longevità - /サルデーニャ - 長寿のカギを見つけに - イタリア語作文&世界最高齢117才のエンマ・モラーニ(Emma Morani)さん亡くなる!!&NHKスペシャル「健康長寿 徹底解明 100歳の世界」


世界最高齢のエンマ・モラーノ(Emma Morano)さん(117才と137日)が 2017年4月15日 とうとう亡くなられました (2017年4月15日付La Repubblicaニュース) この記事をエンマさんに捧げたいと思います


世界一長寿の女性は ピエモンテ州に住むエンマ・モラーノ/Emma Moranoさん 1899年生まれの117才(2017年1月現在)です!! 
「毎日2個の生卵と 果物のスムージーを飲む 決して怒らない 若い頃にひどい夫と別れ独りで生きてきた だから長生きなのよ」と言う彼女は nipoti(甥っ子たち)の送ってくれたFacebookで おめでとうのメッセージを読んだとのこと 

"Emma Morano, la persona più vecchia del mondo confessa: "Essere single è la ragione per cui sono ancora viva""の記事は こちら
(2017.1.17 L'Huffington Post)

* その後 2017年4月 エンマ・モラーニ(Emma Morani)さんが117才と137日で亡くなられました

詳しくは こちら (2017.4.15付La Repubblica.it記事)

インタビュー映像は こちら
 

2017.4.17付毎日新聞ニュースは こちら

 
     *      *      *

さて 長寿といえば サルデーニャ...

そのサルデーニャについて 作文を書きました(日伊学院IPAのレッスンの宿題/2016年春):


La Sardegna è la seconda isola del Mediterraneo, dopo la Sicilia, e la terza regione italiana, dopo la Sicilia e il Piemonte. Gli abitanti sono 1,66 milioni per una densità demografica di 69 abitanti per 100 k㎡.
.


サルデーニャは シチリアに次ぐ地中海の2番目の島で シチリアとピエモンテに次ぐ3番目のイタリアの州です
人口は166万人で、100平方キロメートルあたりの人口密度は69人です*



Ci sono 8 province e 377 comuni. Ci sono tante colline e montagne rispetto all'Italia. Ci sono pochi terremoti.
Per il clima mediterraneo hanno inverni miti, e la temperatura scende raramente sotto lo zero.
Nell’estate fa caldo, dai 30 fino a 35 gradi, ma non è umido.



8つの州と377のコミューン(自治体)があります
イタリアと比べるとより多くの丘や山があります 地震は少ないです
地中海性気候のため冬は温暖で 氷点下ゼロ以下にはほとんど下がりません
夏は暑く30~35度になりますが 湿気はありません 


Nell'antichità c'era la Civiltà nuragica, e dopo fu conquistata dai Fenici e gli Etruschi, Cartagine (Punic), Romani, ecc. Ad Alghero si parla ancora la lingua catalana, influenzata da invasione di Catalani.

古代にヌラーゲ文化がありました そしてその後はフェニキア人 エトルリア人 カルタゴ人(古代カルタゴ人) ローマ人等に征服されました
アルゲーロではまだカタロニア語を話していますが、それはカタロニア人の侵略に影響されたからです


Il "Regno di Sardegna" fu istituito nel 1720 e ebbe termine nel 1861 (l'anno del Risorgimento).


"サルデーニャ王国"は1720年に設立され 1861年のリソルジメント(イタリア国家統一運動)まで続きました


Il monumento popolare è "Nuraghe Su Nuraxi" presso Barumini. Ci sono settemila nuraghi in Sardegna, sono tombe megalitiche. Anche a Nora, a Tharros ci sono le antiche rovine . Anche è stata scavata la statua dei Giganti di Mont’e Prama presso Cabras.

有名な遺跡はバルーミニにある"ヌラーゲ(スー ヌラージ ディ バル―ミニ)"です。
サルデーニャには7千ものヌラーゲがありますが、それらは巨石の墓なのです
ノーラにも、タロスにも古い遺跡があります
カブーラスでは 「モンテプラーマの巨人」の像が掘り起こされました


A Nuoro c'è la casa dove è nata di Grazia Deledda, la scrittrice italiana e vincitrice del Premio Novel per la letteratura nel 1926.
La Costa Smeralda è una zona turistica. Il capoluogo è Cagliari.


ヌオーロには 1926年にノーベル文学賞を受賞したイタリア人女流作家のグラツィア・デレッダの生家があります
エメラルドの海岸は 観光ポストです 首都はカリアリです


Si parla il sardo, la lungua sarda, non è il dialetto, è una lingua appartenente al gruppo romanzo delle lingue indoeuropee.


サルデーニャ語を話しますが、これは方言ではなく インドヨーロッパ語のロマンス語グループに属する言語です


In Sardegna si festeggiano tante feste, p.es.S. Efisio (1゜ maggio a Cagliari), Mamoiada (Carnevale), Sartiglia (a Oristano), ecc.

サルデーニャにはたくさんの祭りがあります、たとえば5月1日にカリアリで行われる聖エフィジオ祭、カーニバルのマモイアーダ、オリスターノのカーニバルのサルティリア等。


La longevità dei sardi è molto conosciuto.
La percentuale degli abitanti che ha più di 100 anni è 3 volte maggiore della percentuale d'Europa.
Forse dalla natura sarda e l'abitudine alimentare sana e tradizionale mediterraneo, la vita naturale meno stressante, sebbene ci sia il problema dello spopolamento.
Si dice che il segreto dei centenari sarebbe anche la carne di maiale.  Anche in Giappone a Okinawa, la zona della longevità, si mangia tante carne di maiale.


サルデーニャ人の長寿は とても有名です
100才以上の人の人口率はヨーロッパの3倍です
たぶんそれはサルデーニャの自然 地中海の伝統的で健康的な食習慣 ストレスの少ない自然な生活によるものでしょう たとえ人口過疎の問題があるにせよです
百歳寿命の秘密は豚肉でもある とも言われています 日本の沖縄も長寿で知られていますが、豚肉をたくさん食べます



La cultura sarda: la cucina sarda è influenzato dalla cultura araba e africana, e nel 2010 la cucina sarda è stata inserita con la dieta Mediterranea nel Patrimonio dell'umanità dell' UNESCO.


サルデーニャの文化: サルデーニャ料理はアラブやアフリカ文化に影響を受けています、そして2010年にサルデーニャ料理は地中海料理とともに ユネスコの無形文化遺産に登録されました


I cibi popolari sardi sono bottarga, fregula (come cuscus) , Malloreddus (come gnocchi), pane carasau, pane frattau*, pecorino sardo, casu marzu, ci sono anche tanti vini sardi.

有名なサルデーニャ料理はボッタルガ(ぼらのからすみ)、クスクスのようなフレグラ(粒々パスタ)、ニョッキのような マロレードゥスパーネ・カラザウ(丸い紙のようなパン)、パーネ・フラッタウ*(音が出ます)、ペコリーノ・サルドのチーズ、カース・マルスゥ(生きた蛆虫の入ったチーズ)、サルデーニャのワインもたくさんあります。

Un antico strumento formato da canne detto “launeddas”* è lo strumento molto particolare, per suonarlo bisogna imparare la tecnica del fiato continuo. Il costume sardo è molto particolare e esotico.

ラウネッダス」*(音が出ます) という葦で出来た古い楽器は とても特殊な楽器で、奏でるには息継ぎせずに吹くテクニックを学ぶ必要があります
サルデーニャの民族衣装はとても独特でエキゾチックです


Per scoprire la chiave della longevità dei sardi vale la pena di viaggiare in Sardegna!

長寿のカギを見つけに サルデーニャを旅する価値があるというものです! 

   *      *      *

IPAのレッスンで 色々と調べているサルデーニャについて書いた作文を添削していただきました(*^^)

たくさん間違えていますが 主にケアレスミス(単数複数とか rかlかのスペルミスとか 冠詞とか...) ←冠詞は上級になっても難しい!!
La Sardegna とか rispetto all'Italia と 国名には冠詞がつく!!
Risorgimentoは 大文字で la longevità dei sardi (di sardiではない) とか il problema dello spopolamento. (di spopolamentoではない) とか たいていは冠詞がつくのですよね~ 

作文を書く時には 冠詞に気を付けて書きましょう(^^)/


また 「サルデーニャの人口密度は100平方キロメートルあたり69人」と書きましたが ちなみに日本では337人です(wikipediaより) それを書いたところ サルデーニャ(島)と日本(国)を比べるのはおかしい 日本のどこかの島と比べるのがよい とのアドバイスをいただき 調べてみると 北海道は64人で同じくらいでした 

    Sardegnaの観光サイト(イタリア語)は こちら

サルデーニャ料理店 Tharros/タロス(渋谷)は こちら (とても参考になりました)

     *        *       *

さて おまけです

2016年10月29日(土)放映NHKスペシャル「あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明 100歳の世界」

この番組でイタリア人とサルデーニャ人が 長寿の例として出演されたので 書き留めておきましょう(^^)/

番組には世界の「スーパー百寿者」が続々と登場。謎に満ちたセンテナリアンたちの驚異のパワーと健康に満ちた暮らしを記録し、そこに到達するための条件に、医学・栄養学・心理学・環境学・社会学などあらゆる角度から迫る。

日野原重明先生(105才)も出演されてました 今日本で100才以上のセンテナリアンは 6,5万人! 100才以上でも現役で働く人が番組に出てきました 
この生存率の高さは「内臓の慢性炎症レベルが低い」ことがカギだそうです 細胞の老化や免疫低下等により老化性サイトカインが発生し 慢性炎症と疾患の悪循環が進んでゆきますが チェックはCRPという数値で血液検査によりチェックできるそうです (1.00以上は異常) ←私の検診結果を見たら書いてなかった…

双子であってもDNA(遺伝子)は25%しか寿命に影響せず 75%は環境要因とのこと
長寿のホットスポットのひとつは イタリア!! 地中海食が紹介されました
カンパニーア州のチンレト国立公園近くのアッチャローリは人口2,000人のうち300人がなんとセンテナリアン!! 「地中海食プロジェクト」により 慢性炎症レベルが低いことがわかったそうです

魚 オリーブオイル ナッツ 野菜等
がよいそうです♪ ただし地中海食はフランスやイギリスはあまり効果が見られず 地域によるとのこと 人種やライフスタイルによっても違います
腸内細菌」が健康長寿のカギで これは地域・人種・生活習慣等により長年培われたものです ですので日本人には日本食が合っているそうです 
日本食の良さは (べにばな油より魚油の方が炎症が少ない) 海草や豆 味噌なども同様です 動物性脂肪はやはり良くない 日野原先生の オリーブオイルを使った朝食が紹介されました♪

さていよいよサルデーニャ!! センテナリアンの比率は他国の男女比9:1に対して1:1!! 男性の長寿が大きな特徴です♡

身体活動を続けることがカギで 番組ではブドウ畑を耕す老人 急こう配の階段を上り農作業等で毎日8キロ歩きます 「負荷の強い動き」を日々続けていて健康 65才定年どころか90才になっても働いています これが長寿の要因なのだそうです

長寿地域研究プロジェクト」がイタリアでも行われ センテナリアンの体内機能が発表されました 「きわめて優れた微小循環」があるということで 血管の中で老廃物を回収する微小循環により老化のスピードを送られているのだそうです これが長寿のカギで さらなる解明が待たれますね!!
年を取っても体を動かすことは 酸素をよく運び血流をよくしてくれ 慢性炎症を予防してくれます 
なるほど~

次に 精神面を見てみました センテナリアンでも現役の理髪師(アメリカ人)が紹介され 人の喜ぶ顔を見て仕事で「満足感を得る」ことが慢性炎症を減らすのによいとのこと しかも自分のしたいことを(食欲や娯楽、性欲など)満たすだけの「快楽型の満足感」ではダメで 人の役にたつ等、「生きがい型の高いレベルの満足感」が重要とのこと!!
心の持ちようが健康につながっているのですね… 生きがいを感じる人と感じない人は同じことをやっても違うと日野原先生

精神的ストレスが炎症を進めることがわかっている 「運動 食事 生きがい
そしてラストは 長寿を達成すると豊かで幸せな時間が持てる その例としてイタリア人女性「世界最高齢 116才のEmma Moranoさん」(1899年生まれ、世界唯一の1800年代生まれ!!)が登場しました (上記の記事参照)

彼女は100才を超えた今が 家族の介護を受けてほとんど寝て過ごすだけの今が 身体は衰えて外出ができないにも関わらず 今までで最も今が幸せとのこと 
これは「老年的超越」という状態で 施設で独り暮らしの100才の日本人女性の調査によっても 今が最も幸せとのこと 
これは若い人に比べて「いやなことを覚えていない 肯定的なことを覚えている」感情が多くなり 今の暮らしを肯定的にとらえるようになるのだそうです へえ~? 
これは高齢者独特の心理状態で 残された時間をポジティブなものに感情を向けてゆくようになるのですって ←私が果たしてそうなるのか不安(笑)

高齢になると 心のありかた 幸せのありかたが変わってくるのだそうです (でも私は これは幸せな条件があるからなのかも…と思ってしまいました)
日野原先生も 100才を超えてから 人生のあり方が変わり心が豊かになった それまではつらいことがたくさんあったのだそうです 
少子高齢化の日本を救う道は「健康長寿」であり 研究が望まれます

「新しいことを創(はじ)めることを忘れないかぎり 人はいつまでも若く生きられる」(哲学者マルティン・ブーバー)
プロダクティブ・エイジング」 生涯現役人生 これが目標!!


番組は こちら
 

* というわけで どんな人が長生きできるのかな? と色々考え中です(^_^) ひ孫や玄孫(やしゃご)に囲まれた人あり エンマさんのように夫と別れたあと独り身で生きてきた人あり... 色々ですね~

追記 「頑固じいちゃん・ばあちゃんは長生き? イタリアの長寿村調査で分かったこと」は こちら


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サルデーニャ(Sardegna)&ボーザ(Bosa)のお祭りカレンダー(il calendario delle feste in Sardegna e a Bosa)

2017年03月27日 | サルデーニャ・シチリア

「サルデーニャ(Sardegna)&ボーザ(Bosa)のお祭りカレンダー(il calendario delle feste in Sardegna e a Bosa)


サルデーニャにはたくさんのお祭りがあり ここにほんの少しですがご紹介いたします 

私がいつも見ているボーザ(Bosa)BosaのFacebookでは ビール祭りとかカーニバルとかしょっちゅうアップされていて 見ているだけでも楽しいですョ(^_^):


サルデーニャのお祭り(delle feste in Sardegna
):

1月16,7日 S.Antonio Abate (聖アントニオ・アバーテ祭り) Dorgali/ドルガーリ:
16日の夜 聖アントニオ・アバーテに献じるローズマリーで作った松明がともされ 17日は見学者に手作りパンや蜂蜜ベースのお菓子が配られる


2月下旬の3日間(年により変動) Carnevale(カルネバーレ/謝肉祭) Oristano/オリスターノ:
1日目は街で選ばれた若者が民族衣装を着て馬に乗り、翌日まで一度も馬から降りない
2日目は騎士を先頭に、ラッパ隊や鼓笛隊とともに参加者全員が1200年代の衣装をまとって行列する
3日目は中世のゲームが行われる
Sartiglia(OristanoのCarnevale)は こちら


Carnevale di Mamoiada
(マモイアーダのカーニヴァル) Mamoiada/マモイアーダ(ヌオーロの南17km) 時期:カーニヴァル
サルデーニャ島でも特に古くからの歴史をもつ民族色強いカーニヴァル
伝統舞踊や マムソネス イッソハドレスという島の伝統的仮面行進が行われ “Juvanne Martis Sero”という仮面の登場でカーニヴァルは終ります
最終日にはこの人形が乗った荷馬車が死を嘆く人々の失意の歌とともに街を廻ります


Basqua(パスクア/イースター)の40日前  Riti della Quaresima e della Settimana Santa(四旬節と聖週間の祭り) Sassari/サッサリ:
二つの行列が繰り広げる祭り、 1日目は 一つの行列は十字架に架けられたキリスト像を運び もう一つはマリア像を運ぶ
2日目は 2つの行列が出会ってキリスト像を十字架から下ろすと キリストの復活を祝い 村の鐘が鳴らされる

5月1~4日 S. Efisio a Cagliari(聖エフィズィオ祭り) Cagliari/カリアリ:
1656年に聖エフィズィオがペストを終焉させたことに感謝する祭り
牛車の行行進と各地方の花を巻きちらし 伝統衣装を着た各地の代表や司祭 聖エフィズィオ信者会の行列が続く
最後に 聖人の像を乗せた幌付き馬車が現れ 徒歩の信者に続いて南西部の街ノラ(Nora)へと向かう
世界でもっともカラフルな宗教行事と言われる カリアリの旧市街のローマ通りが花で埋め尽くされるのは5月1日


5月の最後から2番目の日曜日 Cavalcata Sarda(サルデーニャの騎馬行列) Sassari/サッサリ:
「午前中、島の全土から集まった人々が民族衣装を着て馬や牛と町中を行進 する、午後は騎手によるアクロバットがあり、夜には行列に参加した人々が再びイタリア広場に集まって伝統舞踊を披露する
サルデーニャ全土から民族衣装を着た人々が集まって行列をするため この日だけで島の様々な土地の伝統が見られる


6月24日頃(夏至の日) S.Giovanni Battista(聖ジョヴァンニ・バッティスタ祭) サルデーニャ各地:
ヨーロッパ中で行われる祭り 男性は祭りに欠かせない「ファロ(falo)」というかがり火を焚き 女性はお菓子を作る  
大地 水 植物 人間など エネルギーあるものすべてを称える サルデーニャでは島の東部のBari Sardo(バリサルド)が有名


奇数年の6月30日の次の日曜 
La Battaglia(決戦祭り) Sanluri/サンル-リ:
1409年 アルボレア王国の支配下にあったサンルーリが フランス軍とともにアラゴン王国と戦って敗れた戦いょ後世に伝える祭り
見どころは決戦の再現シーン ほかに中世の料理がふるまわれ コンサートや展示会も開催される

8月14日  Candelieri(ロウソク祭り) Sassari/サッサリ:
巨大な木製のロウソクをカステッロ広場からサンタ・マリア・ディ・べトレム教会の祭壇下まで運ぶ宗教行列
大衆の代表者 巡礼者 左官 農民など 9つのグループに分かれてロウソクを支え 踊るように行進する
サッサリの地元の人に最も愛されているお祭り 聖母マリアの昇天を祝って盛大に行われている

毎年8月29日の前の日曜  Sagra del Redentore(救世主の祝祭) Nuoro/ヌオーロ:
20世紀初頭にオルトベーネ山の頂上にキリスト像が設置されたのが起源
島内でも大規模な祭りのひとつで 民族衣装を着たグループが町を練り歩く 
行列は翌朝の夜明けとともに山頂を目指して巡礼する
独特の雰囲気の仮面をつける Nuoroは内陸部最大の街だが ひなびていて"大きな村"というイメージ

9月の最初の土、日曜  Corsa degli Scalzi(素足のマラソン) Cabras/カブラス:
1日目は 重いキリスト像を街の教会から村の外の教会まで素足で運ぶ
2日目に裸足で走って街の教会に運び戻す
中世に若者たちがキリスト像を侵入者から守るため 安全な場所を探して担いで走ったことを称える祭り

10月最期の週末 Sagra delle Castagne(栗祭り) Aritzo/アリッツォ:
ブドウの収穫を終えたあと 新しいワインを飲みながら栗を味わう祭り
さまざまな栗の料理やお菓子を楽しむ
サルデーニャの各地から大勢の人が訪れる

11月21日 Festa di Nostra Signora delle Grazie(恵みの聖母マリア祭) Nuoro/ヌオーロ:
1700年のペスト病を治した聖母マリアを称える祭り
12才になるすべての処女の少女が伝統衣装で教会へ行き 村の無事を祈る

12月25日午前0時  Natale(クリスマス) ←音が出ます  Gergei/ジェルジェイ:
土地の洞窟でプレセーペ(キリスト誕生シーンの飾り物)を本物の人間が再現する
羊飼いたちが伝統楽器ザンポーニャ(バグパイプに似た楽器)を演奏する


出典: 「旅 サルデーニャ島とコルシカ島 ふたつの夏休み」(2009年9月号/新潮社)

   *        *       *

ボーザのお祭り(Le feste a Bosa):


1~2月 KARRASEGARE 'OSINCU - GIOGGIA LALDAGGIOLU 2016



2月 Carnevale
4月Pasquetta a Bosa con il sole
(pasquettaは復活祭pasquaの翌日のこと、ピクニックをする習慣あり)


4月23-25日 Bosa Beer Fest



5月第3週土日GRANDE FESTA DEL VINO A BOSA


6月21日(日) Bosa Sereno variavile (Temo川のほとりでの食事)

7月25日 Beach Battle Bosa Marina

8月7日 Carnevale Estivo 夏のカーニバル

8月8日 Bosa Rock Festival Bosa Marina
 
ハイシーズンの夏のイベントはほぼ毎日!!

 夏のイベントカレンダー


8月30日(日) Giochi Medievali


9月3~5日 Notti Bianchi(Animation Award)


9月11~13日 UNA DELLE FESTE PIU' BELLE REGNOS ALTOS

9月20日(日) Bosa Caddu (騎馬祭り)


*写真等はBosaの"Bosa-uno-dei-Borghi-più-belli-d'Italia"の許可を得ております 2016年の日程で作りました

*「サルデーニャの街(borgo)ボーザ(Bosa)の魅力をご紹介「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで2位に!(Rai2014)
」の記事は こちら


Bosa紹介ビデオ映像は 
">こちら

イタリア政府観光局のサルデーニャのページは こちら 

Sardegnaの観光サイト(イタリア語)は こちら

サルデーニャ料理店 Tharros/タロス(渋谷)は こちら 

 

* 滞在時期を決める時のご参考にと思い 楽しく作らせていただきました♡





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「地中海、古代の神秘に出会える島 サルデーニャ 文化セミナー」に参加してPorcedduを初めて食べました(2017.2.19)@渋谷タロス&porchettaとporcedduの違いって?

2017年03月20日 | サルデーニャ・シチリア

「地中海、古代の神秘に出会える島 サルデーニャ 文化セミナー」に参加してPorcedduを初めて食べました(2017.2.19)@渋谷タロス&porchettaとporcedduの違いって?


サルデーニャ文化セミナーを聞きに 渋谷のタロスに行ってきました 「儀式のパン」の時以来ですが この日はサルデーニャ人の講師のお話のあとで 引き続きディナー 豚の丸焼き(Porceddu)を初めて食べました

サルデーニャ文化セミナーでは サルデーニャ出身の講師Martico Cappai氏より サルデーニャの起源から歴史 ヌラーゲについて 外からの影響を強く受けた沿岸部に対して 独自の文化を守り続けた内陸部(山岳部) その違いを さまざまな面から語っていただきました (Acci Gustoの時にお話を聞いて 今回が2度目ですので 大分聞き取れるようになりました♪) ←通訳付きです(^_^)

新石器時代の陶器では 貝殻を使い粘土にギザギザの模様を描いたり、貝殻模様を装飾としてデザインしたりしながら 陶器が作られるようになりました


ヌラーゲ文明では フェニキアとの交流が始まり豊かになったこと 聖水信仰と古墳について 様々な写真を見ながら説明してくださいました 

また 2月のオリスターノでのSa Sartiglia(騎馬祭り)の映像では 3頭の馬に3人の男がまたがり アクロバットのように駆け抜け それがすごい迫力… 息をのみました 

2月のCarnevale di Mamoiada(ヌオーロ県のマモイアーダのカーニバル) は黒いお面をつけます 
内陸部のこのカーニバルは マムトネス(Mammuttones)という黒いお面をつけ ヤギの毛皮をまとい 家畜に付けるベルをたくさん下げて街を練り歩くという なんともいえないミステリアスな魅力に満ちています 

  
ワインは沿岸部で早くから作られましたが 西ヨーロッパの最古のワインはサルデーニャで作られたと最近発表されたらしいです

詳しくは こちら

沿岸部では魚料理(カルロフォルテのマグロ祭り/Girotonnoが有名) 内陸部では牧畜製品が多いですね
Burrida a sa casteddaia
は カリアリの ハナカケトラザメの煮込み料理
Sa Merca di maggineは オリスターノ県のボラの料理

内陸部の料理では 6月の羊を使ったLa Pecora in Cappotto という料理がありますが 春の牧草を食べた羊がおいしいから6月の羊で作るとのこと

そして出ました intrecciati 子ヤギや子羊の内臓を 腸で編んで作るのですが これは編む技術が高い 


Sa panada
は 丸いパイ生地のかごのような中に詰め物をした料理で 肉やウナギ 豆などを入れます

儀式のパン(pane rituale)や フィリンデゥ(Su Filindeu)という細い芸術的なパスタ(作り手が減っている)など… 

また チーズは お母さんのお乳しか飲んでいない子ヤギの胃を吊り下げて作るチーズ Calle Crabittu これをこの日生まれて初めて食べたのです (パーネ・カラザウに少し塗って) 実に濃厚な 塩気の効いた忘れられない味でした この子ヤギの胃の中の酵素自身で熟成されるチーズ この酵素はどのチーズにも使われており まさに原初のチーズなのですね 

 パーネ・カラザウに少し乗せた Calles Crabittu 初めて食べた


追記: この凝乳酵素は レンネット(rennet) というそうです

Casu Marzu (カース・マルツゥ) これは有名なチーズバエのウジ虫のチーズですね!サルデーニャから持ち出せないそうです


Macarones de Busa
は 手で丸め 編み棒を使って中に空洞があるサルデーニャのニョッキ
Su Succuは サフランを使ったスープ 教会に女たちが頭に載せて運ぶ儀式があるという


装飾品では filigranaという金細工(oreficeria)
また coricheddosという宝石のようなドルチェ 最初はホントに装飾品かと思ったほど繊細で美しく見とれてしまいました♡

ドルチェは代表的なものに Seadas セアーダス(中にチーズ、揚げてはちみつをかける) パーネ・サーバ/pane saba(長く煮たワインのシロップをパン生地にかける)に使うサーバ(Saba)は 古代ローマから作られた砂糖の代わりのシロップ

またこの日はキャッケレ(豚の脂で揚げたお菓子)をいただきました♡

 Tharrosで食べたキャッケレ

様々なサルデーニャの文化に触れ またサルデーニャを愛するディープな方々とも出会うことができて とても有意義な夜でした♡ 

 Tharrosの前菜いろいろ♡

そのディナーのメインが Porcedduという仔豚の丸焼きでした 皮はパリパリでコラーゲンたっぷりで まさに「いのちをいただく」という感じでした 
ディナーでは 恐れ多くも主催者の方の隣に座らせていただき 食文化についての深~いお話をたくさん伺うことができ 実に貴重な体験でした♡

魚料理のメイン 2キロもあるボラ!!

私はイタリア料理のcucina poveraについて 今までよくわかっていなかったようです cucina riccaはお金をかけて美味しいのはあたりまえ でも様々な料理法により 貧しい材料でも美味しくいただくことができる それが食の文化だと…

たとえばローマのテスタッチョ地域の内臓料理 お給料のかわりに内蔵をもらい それで様々な料理を作った そこから内臓料理の文化が発展していったわけです 
そのほかイタリア人の食についての根源的な考え方も伺いました 
武器では民族は滅びないが 文化を破壊されると民族は滅びる...深く頷くお話でした

 
乾杯(salute!)をサルデーニャ語では 「アケンターノス/Akentannos!!」といいます "arriverà a 100 anni!"(100才まで生きるだろう!)という意味です♡

会場の Tharros(渋谷のサルデーニャ料理のお店)


      *     *     *


さて気になっていたのが実は 「Porchetta」と「Porceddu」はどう違うか?です~
ここからは予習したもので この日いただいたPorcedduは 味付けなどはちょっと違っていました:

porchettaとporceddu(サルデーニャ語)の違いは こちら

Porchetta e porceddu: dimensioni, cucina e speziatura(薬味)

La porchetta di Ariccia (Roma) IGP (Indicazione Geografica Protetta)* è molto diversa dal porceddu sardo PAT (Prodotto Agroalimentare Tipico/原産地名称保護制度) che è un suino da latte(乳飲み児の豚).

Il porceddu è dunque un maialino cresciuto che non supera mai i 10 chili(10キロ以下の豚), di solito è compreso tra i 5 e gli 8-9 chili.
Le differenze tra porchetta e porceddu vanno dal tipo di maiale usato fino alla preparazione con tutto quello che ci sta in mezzo(中の詰め物).

つまり porceddu(サルデーニャ)は 10キロ以下の 母豚のお乳だけで育った子豚を使い 中の詰め物も違います


La porchetta di Ariccia


La porchetta di Ariccia(Roma) viene fatta con suini(豚肉) di grosse dimensioni, con un bell’esemplare adulto, cresciuto e pasciuto(栄養充分な), come si suol dire, anche oltre il necessario per intenderci.
Si capisce subito che, per quanto entrambi gustosissimi, porchetta e porceddu, al palato(味覚) risultano profondamente diversi.

Più deciso il sapore del primo e dalla crosta croccantina(パリパリの硬い皮), più delicato e dalla carne molto tenera(やわらかい), che sa “di latte”, il secondo.

Un’altra differenza essenziale sta nella preparazione(料理の下ごしらえ) di porchetta e porceddu. 
Il maiale con cui viene fatta la porchetta viene infornato (焼き釜に入れる), la carcassa (形骸) dell’animale disossata(骨を取った) e poi il tutto è aromatizzato(香辛料を加える) con rosmarino, sale, aglio  (poco) e origano.

* IGPとは保護地理的表示(Indicazione Geografica Protetta)の略で、限定された土地で生産される農産物または食品の品質向上を目的にした技術の開発、発展を踏まえた保護制度です。
このため、IGPが認証される農産物、食品は、限定された地域で生産され、地理的特性をもつ製造、加工製法が求められ、生産または加工の過程の一定期間も指定された土地内で行われたものが対象です。 (DOPの妹のようなもの)
DOP=Denominazione di Origine Protettaイタリアにおける原産地名称保護制度



Il porceddu sardo


E il porceddu sardo? Il piccolo suino a differenza della porchetta non viene cotto in forno (オーブンで焼くのではなく) ma cucinato alla brace(炭火で焼く).

Il maialino da latte (乳飲み児の仔豚) dopo essere stato privato delle interiora (内臓を捨てられた) viene messo sulle graticole (焼き網) al girarrosto(ロースト用回転機). 

Il signor Giovanni e la signora Marinella, presenti con il Ristorante Sardo “Arte Sapori dalla Sardegna” all’Artigiano in Fiera ci spiegano che loro per preparare il porceddu non usano nessun ingrediente e nessun aroma, a parte il sale(塩以外に何も材料も香料も使わない), servono solo “legna e carbone” per arrostire(あぶる) al girarrosto il maialino.

Il vero segreto qui, fatta salva la bontà (旨さ) della carne, sta nella pazienza e nell’abilità dello chef, dell’arrostitore(焼き職人): il porceddu deve essere cucinato molto lentamente(ゆっくり焼かれる), deve stare qualcosa come “tre ore e mezza sul girarrosto” (ロースト用回転機の上で3時間半) ci dice sorridendo Giovanni, mentre è all’opera. 

Un’altra differenza tra porchetta e porceddu riguarda il modo di mangiarli(食べ方): il porceddu di norma (通常) viene servito ben caldo (暖かいまま食べる), non di rado (まれに) in piatti da portata cosparsi di mirto (キンバイカ), la porchetta invece viene consumata sia calda sia fredda(熱くても冷たくても).


 迫力あります porceddu


まとめますと ポルケッタは成人の豚(頭を切り落とす)の中に詰め物をして オーブンで焼いて 熱いままでも冷たくしても食べます

ポルチェッドゥ(サルデーニャ)は 母豚のお乳だけで育った10キロ以下の仔豚を 塩以外何も味付けせずに 炭火でゆっくり焼いて アツアツで食べる

地中海、古代の神秘に出会える島 サルデーニャ 文化セミナー」 開催のお知らせは こちら


素晴らしいセミナーを本当にありがとうございました!!

4月16日(日)にも第2回「サルデーニャ文化セミナー 歴史から食卓へ」が開催されます
詳しくは こちら


また 日伊協会でも6月3日に六本木Bar del Soleにて開催されます 楽しみ♡





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ヨーロッパ人の先史時代はサルデーニャ人のDNAの中に書かれていた/La preistoria europea è scritta nel DNA dei sardi(2017.2.14)

2017年02月19日 | サルデーニャ・シチリア
ヨーロッパ人の先史時代は サルデーニャ人のDNAの中に書かれていた/La preistoria europea è scritta nel DNA dei sardi(2017.2.14)@サルデーニャの各新聞


 
2017年のバレンタインデーの日に サルデーニャのビッグニュースが飛び込んできました!! Facebookで読んだイタリアやサルデーニャの新聞記事で ある大がかりな遺伝子調査により 石器時代に農耕民族の登場によって消えた狩猟民族等 先史時代のヨーロッパ人の遺伝子が 島という閉ざされた環境にあったサルデーニャ人のDNAの中に発見されたというものでした

サルデーニャ人の起源に興味があったので いくつもの記事を探しては 片っ端から読みあさりました! 難しかったけどおぼろげにわかりました 

     *     *     *

15 febbraio 2017


La preistoria europea è scritta nel DNA dei sardi
ヨーロッパ人の先史時代は サルデーニャ人のDNAの中に書かれていた

 

Uno studio di un gruppo internazionale di scienziati ha messo in luce alcune caratteristiche peculiari del patrimonio genetico dei sardi.


科学者たちの国際的なグループの調査が、サルデーニャ人の遺伝的資質の いくつかの固有な特徴を明るみに出した。

In particolare, l’analisi del DNA mitocondriale degli attuali abitanti della Sardegna sembrerebbe indicare che la prima occupazione dell’isola risale al Mesolitico , mostrando inoltre l’esistenza di due origini genetiche ben distinte dei primi abitanti 

di Matteo Serra


特に、サルデーニャに今住んでいる住民たちのミトコンドリアのDNAの分析は、サルデーニャ島の初期の入植(定住)が中石器時代にさかのぼる ことを指示しているように思われる、 さらにその上に 初期の住民たちの とても際立った2つの遺伝子の起源を示しながらである。


Il patrimonio genetico dei sardi è unico nel suo genere, e contiene informazioni molto preziose sulle origini dell'occupazione della Sardegna nel contesto della preistoria europea.

サルデーニャ人の遺伝的資質は その種(人類)において唯一のものであり、 そしてヨーロッパ人の先史時代の脈絡(コンテクスト)における サルデーニャの占領の起源についてのとても詳細な情報を有しているのだ。


Lo dimostra uno studio pubblicato sulla rivista “Molecular Biology and Evolution” da un gruppo di ricerca internazionale guidato dalla genetista Anna Olivieri, dell'Università di Pavia.

そのことを証明しているあるひとつの研究が 「Molecular Biology and Evolution」という雑誌に公表された。これは パヴィア大学の遺伝学者 アンナ・オリヴィエリ(Anna Olivieri)によって率いられた国際的な調査グループによる研究である。

Le isole hanno sempre esercitato un fascino particolare su biologi evoluzionisti, genetisti e archeologi per via dell'isolamento geografico e delle caratteristiche spesso uniche delle popolazioni che le abitano.

サルデーニャ島は常に 特別な魅力を放ってきた、 生物学者たちに 進化論者たちに 遺伝学者たちに 考古学者たちに。 地理的な孤立(隔絶)によって また そこに住む人々の しばしば比類なき特徴によって。

In particolare la Sardegna, per la sua posizione chiave nel cuore del Mediterraneo, rappresenta un'arena di studio ideale.

特にサルデーニャは、 地中海の中心というその位置がカギとなり 理想的な研究の舞台となっているのだ。

Per comprendere meglio le origini genetiche dei sardi, i ricercatori hanno analizzato il DNA mitocondriale *(contenuto nei mitocondri, le "centrali energetiche" delle cellule) di 3491 attuali abitanti della Sardegna, confrontandolo con 21 campioni preistorici, con un ampio database di genomi mitocondriali non appartenenti a sardi e anche con quello di Ötzi, la più antica mummia europea (risalente  all'età del rame, attorno al 3300 a.C.), scoperta nel 1991 ai piedi del ghiacciaio del Similaun, al confine tra Italia e Austria.

  * (quello ereditato per via materna) (母系の遺伝による)  Stampaの記事より

サルデーニャ人の遺伝子の起源をより理解するために、 研究者たちは サルデーニャの現在の住民3,491人からの「ミトコンドリアのDNA/デオキシリボ核酸*) (ミトコンドリアの内容物、そして細胞の"エネルギーの中枢部)」を分析し、21先史時代のサンプルと比較しながら、 サルデーニャ人には表れていないミトコンドリアのゲノム(染色体の一種)の膨大なデータベースと比較しながら、またそして 1991年にイタリアとオーストリアの国境のSimilaunの氷河のふもとで発見された、ヨーロッパ最古のミイラである Oetzi (アイスマン), (紀元前約3,300年の銅器時代にさかのぼる)のミトコンドリアのゲノムとも比較したのだ。*

  * tra questi anche il famoso uomo di Similaun, Oetzi, che non ha mostrato di avere particolari 'parentele' con il popolo sardo, al contrario di quanto ipotizzato in precedenza .

その中には有名なSimilaunのアイスマン(Oetzi)があるが、それはあらかじめ仮説として立てたものとは反対に、サルデーニャ人との特別な「親戚関係」は見せなかった。 (ANSAの記事より補足)
 

I risultati evidenziano che la Sardegna rappresenta un'anomalia nel panorama genetico europeo, e per più di un motivo.

結果はサルデーニャがヨーロッパ人の遺伝子のパノラマにおける異例を示していることを明らかにしており、原因という以上のものだ。

Anzitutto, i ricercatori hanno scoperto che quasi l'80 per cento*  dei genomi mitocondriali dei sardi di oggi appartiene a rami genetici che non si trovano in nessun altro luogo al di fuori dell'isola.



何よりもまず、研究者たちは 現在のサルデーニャ人のミトコンドリアのゲノムの80%(サルデーニャ)島の外のどの場所にもない遺伝子の血統に属することを発見した。 * ←補足


* Dall'analisi dei dati è invece "emerso che l'80% dei genomi mitocondriali dei sardi moderni appartiene a gruppi genetici (aplogruppi) presenti solo in Sardegna".

このデータの分析から"現れたのは 現代サルデーニャ人のミトコンドリアのゲノムの80%サルデーニャにしか存在しない遺伝子グループ(アプログループ)に属している"ということだ  (ANSAの記事より) 

 
Inoltre, gli scienziati hanno classificato i genomi mitocondriali dei sardi in 89 gruppi genetici, detti aplogruppi.

さらにその他に、科学者たちはサルデーニャ人のミトコンドリアのゲノムを、aplogruppi(アプログループ)という89の遺伝子のグループに分類した

Quasi tutti gli aplogruppi, che probabilmente comparvero nell'isola dopo la sua prima occupazione, risalgono a un periodo compreso tra il Neolitico (tra 4000 e 7800 anni fa), il Nuragico (tra 2000 e 4000 anni fa) e il post-Nuragico (meno di 2000 anni fa).

ほとんどすべてのアプログループ(aplogruppi)は、おそらくサルデーニャ島に初期の占領(入植)のあとで現れたものだが、それらは新石器時代(4,000~7,800年前)、ヌラーゲ時代(2,000~4,000年前)、そしてポスト・ヌラーゲ時代(2,000年前よりも最近)が含まれた時代にさかのぼる。


Tuttavia, le origini di alcuni rari aplogruppi tra quelli appartenenti ai sardi moderni sono ancora più antiche, precedenti alla data di inizio più probabile del Neolitico in Sardegna, ossia circa 7800 anni fa. 

しかしながら、いくつかの珍しいアプログループ(aplogruppi)の起源は、それらは現代サルデーニャ人に属しているのだが、まださらに古く、おそらくはサルデーニャの新石器時代の始まりの時期よりももっと前、すなわち7,800年前である。

“Le nostre analisi suggeriscono la possibilità che diversi aplogruppi potessero essere già presenti nell'isola prima del Neolitico”, sottolinea Francesco Cucca, dell'Istituto di ricerca genetica e biomedica del CNR di Cagliari, co-autore dello studio.

「私たちの分析は、さまざまなアプログループが すでに新石器時代よりも前にサルデーニャ島にいた可能性を示唆しています。」と遺伝子調査研究所の フランチェスコ・クッカ(Francesco Cucca)氏は強調する、彼はカリアリのCNRの生体臨床医であり、この調査の共同指導者である。

Ma questo scenario, oltre a rappresentare la prova archeologica di un'occupazione della Sardegna già ai tempi del Mesolitico (quindi tra il 10.000 e l'8000 a.C.), suggerirebbe anche l'esistenza di una duplice origine genetica dei suoi abitanti.

しかしこのシナリオは、中石器時代での(つまり紀元前10,000~8,000年の間に) サルデーニャの入植の考古学的証拠を示すほかに、その住民たちの二重の遺伝子の起源をも示唆しているかもしれないのだ。

Due tra gli aplogruppi più antichi, chiamati K1a2d e U5b1i1 (che rappresentano quasi il tre per cento del totale), hanno infatti origini geografiche molto diverse: le radici dell'aplogruppo K1a2d sono collocate nel Vicino Oriente, mentre quelle di U5b1i1 nell'Europa occidentale.

より古いアプログループの中の2つ、K1a2dそして U5b1i1 と呼ばれるが、(それらは全グループの3%を占める)それらは実際 とても異なった地理的起源を持っている: K1a2dのアプログループの根(起源)は近東に位置しているのに対し、U5b1i1の起源は西ヨーロッパに位置しているのだ。

Lo studio evidenzia insomma che i sardi contemporanei sono portatori di un'eredità genetica unica, maturata soprattutto grazie al relativo isolamento dai tanti sconvolgimenti demografici che hanno caratterizzato il continente europeo. Un isolamento che ha favorito la conservazione di tracce genetiche così antiche.
 
この研究はようするに、現在のサルデーニャ人は、唯一の遺伝子の遺産の運搬人であることを明らかにしているのだ。ヨーロッパ大陸を特徴づけている多くの人口統計学の転覆による 比較的孤立した島のおかげで。孤立(隔絶)は このような古代の遺伝子の跡を保存するのが好きなようだ。


 “È ormai evidente - spiega Olivieri - che la mobilità umana, l'intercomunicazione e il flusso genetico attorno al Mediterraneo fin dai tempi dell'ultima era glaciale hanno lasciato firme ben precise, che sono sopravvissute fino ai giorni nostri. 

「ついにやっと明らかになった」とオリヴィエリは説明する、「地中海の周りでの人間の動き(移動)が、人々の間のコミュニケーションが、遺伝子の流れが、さいごの氷河時代からずっと とても正確な署名(サイン)を残したということが、そしてそれが私たちの時代まで生き残っていたということが。

E alcuni di questi segni del passato sono conservati dai sardi”.

そしてそれらの過去の中のいくつかの印が、サルデーニャ人によって保存されているということが。」

記事は こちら


   *     *     *


Il Dna dei sardi è il più simile
a quello degli europei preistorici
(サルデーニャ人のDNAは先史時代のヨーロッパ人のそれと最も似ている) 
 の記事(corriere)より補足:


Migrazioni
移住

All’inizio del Neolitico (tra 12 mila e 8 mila anni fa) i primi agricoltori arrivati in Europa dal Medio oriente occuparono le zone abitate da popolazioni più antiche di cacciatori-raccoglitori e, in parte, si mescolarono a loro.

新石器時代(12,000~8000年前)の初めに 中東からやってきた初期の農耕民族が それ以前にその地域に住んでいた狩猟・採集民族を占領した、そして一部は、彼らと交わった


In Sardegna, però, grazie anche all’isolamento, il mescolamento genetico è stato meno intenso e l’attuale popolazione presenta un Dna che ha ancora punti di contatto con quello di quei primi lontani abitanti.

サルデーニャでは、しかしながら、(島という)孤立(隔絶)のおかげで、遺伝子の混合はさほど激しくはなかった。 そして島に今住んでいる人々は、 はるか以前の初期の住民たちの持っていたDNAとの接点を持っているのだ。


Rifugi genetici
遺伝子の避難


«Finora si riteneva che i primi agricoltori, giunti in Europa tra 12 mila e 8 mila anni fa, avessero spazzato via le popolazioni più antiche di raccoglitori e cacciatori», spiega Alessandro Achilli, professore associato di genetica all’Università di Pavia.

「今まで 初期の農耕民族は、12,000~8,000年前にヨーロッパに到達したのですが、それよりも古い採集・狩猟民族一掃したのではないかと考えられていました。」と パヴィア大学の遺伝学の準教授 アレッサンドロ・アキーリ(Alessandro Achilli)は説明する。


Lo studio dei genetisti italiani, invece, dimostra che nelle popolazioni europee moderne è ancora possibile trovare tracce degli antenati paleolitici.

しかしながら、イタリアの遺伝学者たちの研究が、現代ヨーロッパ人の住民の中に、旧石器時代の祖先たちの痕跡を見つけることがまだ可能なのだ ということを示しているのです。

Secondo i ricercatori, le zone dove queste tracce hanno avuto più possibilità di essersi conservate fino a noi si trovano nell’area mediterranea e tra la Spagna settentrionale e la Francia sud-occidentale, in un’area chiamata rifugio franco-cantabrico * (che comprende i Paesi baschi).

調査員たちによると、この痕跡が私たちにまで保存されている可能性がより多いゾーンがあるのは、地中海のゾーンであり、スペイン北部と南西フランスの間の、フランコ・カンタブリコの隠れ家 * と呼ばれるエリア(バスクの国々も含む)にあるというのです。


* francoはフランスの  cantabricoは スペイン北部のカンタブリアの

ヨーロッパ人の遺伝子の歴史は こちら


なお この計画は 「Il progetto Italgenomics」と命名されたとのこと

  *     *     *

  補足:

高校の世界史の教科書の年表&記事より:

先史時代(preistoria):

旧石器時代(Paleolitico) 4,500,000~10,000年前 
= 狩猟・採集民族(cacciatori e raccoglitori)

・氷河時代(era glaciale)  10,000年前
 
中石器時代(Mesolitico) 10,000~8,000年前 あるいは12,000~8,000年前 
= 農耕(agricoltori)・牧畜民族

  新石器時代(il Neolitico) 4,000~7,000(7,800)年前 = 農耕・牧畜民族

原史時代:
   青銅器時代(l’età del rame) 5,500~3,500年前 
= シュメール人 灌漑農業開始

歴史時代:
  鉄器時代  3,500年前~       インド=ヨーロッパ語系民族の登場

 ・ヌラーゲ時代(il Nuragico) 2,000~4,000年前   
・ポスト・ヌラーゲ時代(il Post-Nuragico) 2,000年前~


   *    *    *


それ以外に見つけて読んだ記事:

Ancora 'vivo' Dna dei sardi preistorici (先史時代のサルデーニャ人のDNAはまだ"生きている") は こちら (ANSA)

L’origine dei sardi, nuovo studio: “Dna unico in tutta l’area euro-mediterranea”(サルデーニャ人の起源、新しい研究: "全ヨーロッパ・地中海エリアにおける唯一のDNA")
 は こちら (Sardiniapost)

Il Dna dei sardi è il più simile
a quello degli europei preistorici (サルデーニャ人のDNAは先史時代のヨーロッパ人のそれと最も似ている) 
 は 
こちら (corriere)

Il Dna dei primi sardi è ancora vivo
Svela una preistoria inedita e fa luce sull'origine degli europei
(初期/原始のサルデーニャ人のDNAはまだ生きている 未発表の先史時代をあばき、ヨーロッパ人の起源に光をあてる)
は 
こちら (ANSA)


italiani prima dei romani: il Dna dei sardi svela un popolo di 8 mila anni fa
(ローマ人より前のイタリア人: サルデーニャ人のDNAは8千年前の民族をあばく)

こちら (il messaggero)


伊検2級レベルの新聞記事です  勉強し続けてきてこれくらいの記事を読めるようになっておいてよかった♪ どんどん記事が出現してきて恐れおののきましたがなんとか読みました(笑) 
過去問ではさんざん苦しみましたが 伊検2級の読解に出てくる「新聞記事の読み方」(特に学術調査結果などがよく出ます)をきっちりやっておくと こうして自分でイタリアの情報を直接取ることができるようになるんだなぁと しみじみ嬉しい(*^^*)←理解不足やミスはご容赦ください

それにしても 孤立した島で何千年も住んでいたために 民族固有の遺伝子がこうして今も残っているなんて サルデーニャって遺伝子研究上でもすっごい場所なんですね!! 


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「ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」セミナーリポート(2016.11.26)@piazzaItalia&サルデーニャセミナーのお知らせ(2017.2.19)@渋谷タロス

2017年01月28日 | サルデーニャ・シチリア

ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」のセミナーリポート ヌラーゲからフレグラまで盛りだくさん♪(2016.11.26)@高円寺piazzaItalia&「サルデーニャセミナー」開催のお知らせ(2017.2.19)@渋谷タロス



ようやくサッサリ出身のジョヴァンニ先生の「まるごとサルデーニャ」のセミナーに行ってきました!!
この日は午前中のIPAのレッスンからダッシュで高円寺piazzaItaliaに向かいました

サルデーニャの歴史 ヌラーゲについて 地理 言語 料理 等について 90分では話足りないような密な内容でした~
サルデーニャの物産を示した地図はジョヴァンニ先生のご持参のものです♡

   *       *       *

まずは ヌラーゲの時代について 年表をもとに説明いただきました:

最初のヌラーゲは形もシンプルだった ほとんどが土に埋まっていた 
だんだんと高くなり 形も複雑になっていった

Domus de Janas  1700ac
"Le domus de janas sono delle strutture sepolcrali(墓の) preistoriche (先史時代の) costituite da tombe scavate (堀った) nella roccia (岩) tipiche della Sardegna prenuragica. "(Wikipediaより)

"Gli archeologi sostengono che le prime domus de janas siano state scavate intorno alla metà del IV millennio a.C.(紀元前4千年紀の中ほど) durante il periodo in cui sull'isola si sviluppò la Cultura di San Ciriaco (Neolitico recente 3400-3200). "と大変古いものです

次のヌラーゲは 
Nuraghe Santa Antine


Sa domo de su Re
(in italiano "La casa del Re") 王の家と呼ばれていた

"L'intero complesso rappresenta un importante esempio di architettura preistorica mediterranea (地中海の先史時代の建築物の重要な例) e si presume (推定される) che l'altezza originaria del mastio centrale (中央の主要な塔) raggiungesse una misura compresa tra i 22 e i 24 metri (22~24メートルに達した), la più alta per quel periodo dopo le piramidi egizie e il mastio della reggia nuragica di Arrubiu che misurava tra i 25 e i 30 metri. "(エジプトのピラミッドや25~30メートルあったArrubiuのヌラーゲ王宮の主要な塔に次いで、この時代で最も高かった)(Wikipedia)


"Le indagini effettuate datano il primo insediamento(設置) tra il 1.600 ed il 1.450 a.C.(紀元前1,600~1,450年), nell'Età del Bronzo Medio(青銅時代)."(Wikipedia)

また 近くには村があった 入り口は南側で中はスペースがあります
muschio(苔)で覆われていた 
すべて石でできた家 中は大きな空間があり何階かに分かれていて階段もあった
砦(fortezza)として作られていたものもあるが ヌラーゲによって違う

 
世界遺産にもなった(サルデーニャではこのヌラーゲのみ登録) (Su Nuraxi di Barumini)
"Su Nuraxi o più propriamente il Villaggio nuragico di Su Nuraxi, è un insediamento risalente all'età nuragica sviluppatosi intorno ad un nuraghe quadrilobato risalente al XVI-XIV secolo a.C(紀元前16~14世紀). (cioè con un bastione(砦) di quattro torri angolari più una centrale), tra il XIII ed il VI secolo a.C.(紀元前13~6世紀), che si trova in Sardegna in territorio di Barumini. È uno dei villaggi Nuragici più grandi della Sardegna.(サルデーニャでもっとも大きいヌラーゲの村のひとつ)"(Wikipedia)

何のために作られたのか?

"Alcuni studiosi ritengono che la parte più antica del nuraghe fosse destinata ad uno scopo religioso(宗教的な目的のために作られた), di rifugio(避難所), civile o ancora di parlamento (市民あるいは議会の) o sede del capo villaggio (村の長の所在地), mentre le torri aggiunte erano più probabilmente destinate a scopo militare e di magazzino (一方付け加えられた他の塔は、軍事上の目的または倉庫と思われる)"(Wikipedia)



il Pozzo di Santa Cristina
(Santuario nuragico di Santa Cristina)
は 三角形の入り口をしたヌラーゲで井戸だった la dea Madreに捧げられた 春分・秋分の日に上の穴から光が入る 水が今もある

"Il sito si compone essenzialmente di due parti: la prima, quella più conosciuta e studiata, costituita dal tempio a pozzo, un pozzo sacro (聖なる井戸) risalente all'età nuragica, con strutture ad esso annesse(隣接した): capanna delle riunioni(集会小屋), recinto(囲い地) e altre capanne più piccole(他のもっと小さな小屋).
La seconda parte del complesso a circa duecento metri a sud-ovest (南西に向いた200メートルの第2部分) è costituita da un nuraghe monotorre(一つの塔のヌラーゲでできている), da alcune capanne in pietra (石でできた小屋) di forma allungata di incerta datazione ed un villaggio nuragico, ancora da scavare, di cui sono visibili solo alcuni elementi affioranti.

Benché di limitato interesse archeologico integra il complesso l'area devozionale (信仰エリア) cristiana della chiesa e novenario (9音節詩行の) di Santa Cristina inteso come il luogo nel quale si celebra la novena (9日間の祈り) in onore della santa."(Wikipedia)

ヌラーゲ人(popolazione nuragiche)は 紀元前1,500年頃からいたそうです 

モノリテ(石)は 最古の人間の遺跡で ストーンヘンジのようなもの
tombe di Giganti(巨人の墓) 巨人が建てたかと思われるような重く大きな石 
ドムス ディアナス 死のculto (宗教) この写真を見せていただき 遺体を置くスペース 会議や祝いごとをするスペースがあり ドアは異世界に通じるとされ 石のカバーをはずして遺体を入れた 以前はヌラーゲのまわりで子供たちが遊んでいたが今は入れない


Monte Pramaの巨人

紀元前6~9世紀に建てられた Oristano県Cabrasにある巨人の遺跡 発掘されカリアリの国立考古学博物館に展示された

"Le statue sono scolpite (掘られた) in arenaria(地下墳墓) gessosa(石灰石を含む) locale e la loro altezza varia tra i 2 e i 2,5 metri(2~2,5メートル)."(Wikipedia)
 frammenti(かけら)に分かれている これは考古学ファンにはたまらない!!

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民族そして歴史


歴史: 先史時代 → 石器文化と黒曜石(ossidiana)の時代 → ヌラーゲ文化の時代 → サルデーニャにおけるフェニキア人、カルタゴ人、そしてローマ人 → 中世 → サルデーニャ王国の誕生から現代 (Wikipedia)

「エジプトを侵略した海洋民族シャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽が疑わしく、立証されていない」(Wikipedia)とありましたが 先生はこれについてもお話してくださいました 曰く:

シャルダーナという民族 これはアジアのどこかから来た最古の民族といわれる 
サルデーニャにいた海賊ではないか エジプトのファラオの墓では盾が見つかっている
ヌラーゲ文明はローマ文明よりも古い etc...

いや~ 初めて聞きましたこの民族のこと!! 新しい発見です( ^^) _U~~

また フェニキア人についても語ってくださいました 
紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出し 地中海全域を舞台に活躍した カルタゴの街を作った 

フェニキア人はレバノンの出身で 地中海で交易を行っていた 彼らは島のあらゆるエリアに定住した 
フェニキア人ののちに 紀元前500年ごろカルタゴ人(Punic、ポエニ)がサルデーニャ周辺の地中海の覇権を確立した カルタゴの影響はサルデーニャのほぼ全域に及んでいる 

紀元前238年 ローマ人が島を獲得した
ローマはカルタゴと第一次ポエニ戦争を戦ったが 戦後にカルタゴの傭兵が反乱を起こしたため ローマはサルデーニャを占領した その時点で既にサルデーニャには社会基盤と(少なくとも平野部では)都市化された文化があった
サルデーニャはシチリアとともに エジプト征服までのあいだローマの穀倉地帯(granai di Roma)のひとつでありつづけた
フェニキア・カルタゴ文化は ローマ人の支配下にあっても 紀元後数世紀まで根強く残った Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)らは 建築と都市計画の調査に重要な考古学遺跡となっている」 (Wikipedia)

彼らは果実の木(alberi da frutto)を禁じていた 麦が大事だったから etc...


ジュディカーティ(Giudicati)の領国(14世紀)
「ローマ帝国の滅亡後、サルデーニャは何度と征服の対象とされている
456年北アフリカのヴァンダル人に占領され 711年からはサラセン人による沿岸部の都市への攻撃を受け 1063年から 東ローマ帝国の政治行政組織を踏襲する形で、審判による統治を意味するジュディカーティ(Giudicati)という制度が形成された
同じ時代、アラゴン=カタルーニャ王国の影響が大きくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領まで続いた。当時のスペインの影響の強さは、今でもアルゲーロ周辺でカタルーニャ語の方言が使われていることからも伺える」(Wikipedia)

スペイン人がいた頃(700年間)は一番暗い時代だった 長い中世だった とのこと

Giudicati(900-1323)は 中世サルデーニャを4分割していた独立国でした

giudicatiとは 自分たちを守るために勝手に作った国だ (普通はimperatore(皇帝)や神から権力をもらって国を作るが)とのこと

4 repubblicarinari marine
 海洋国家はヴェネツィア、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァのこと
シチリアにはアラブ人が入ったが サルデーニャには入ったことはなかった 

スペイン継承戦争でサルデーニャがスペインからオーストリアに渡った後、1720年にシチリア島との交換によりサヴォイア家が領有してからイタリア統一1861年まで、サルデーニャはピエモンテとサルデーニャ王国を形成していた。
1861年にサルデーニャ王国がイタリア統一を果たして国名を「イタリア王国」と改めた。(Wikipedia)



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サルデーニャ語(Sardu)について

サルデーニャ語はラテン語から来ている
 
「イタリア全土で公用語とされているのはイタリア語だが、サルデーニャではサルデーニャ語(Sardu)が広く使われている。サルデーニャ語はイタリア語の方言(言語変種)ではなく、ラテン語を起源とするロマンス語に属する言語である」(Wikipedia)

ちなみに 講師の苗字"Piliarvu"の語源(Piliはcapelli, arvuはbianchi) ラテン語ではピルス アルヴス 
いくつかのサルデーニャ語をご紹介いただいたがイタリア語と全然違う!

テレビの普及により全サルデーニャ人がイタリア語を話せるようになったとのこと
若い世代の講師自身は サルデーニャ語は話せないが聞いてわかるそうです
  
     *       *       *


次は お祭り(le feste):

2月のオリスターノでのSa Sartiglia 騎馬祭り カーニバルのあとの日曜と火曜日(l'ultima domenica e il martedì di carnevale ad Oristano) 罪人を生贄にしたというエグイ祭りとのこと 
民族衣装が村ごとに違うのはスペインの影響を受けたこともある etc...

ちなみにこちらは私が前に作ったサルデーニャのお祭りリスト(Il Calendario delle feste in Sardegna)です:

2月Carnevale di Mamoiada(マモイアーダのカーニバル)
 Mammuthones(Mamoiada)は黒いお面 
5月1~4日 Sant Efisio a Cagliari(聖エフィジオ祭)/ Cagliari
(聖アントニオ なまはげのような衣装 メルドゥーレスというマスクを付ける)
5月の最後から2番目の日曜日 Cavalcata Sarda(サルデ ーニャの騎馬行列) /Sassari
6月(夏至の日) S.Giovanni Battista/サルデーニャ各地
8月半ば  Chiostro del Carmelo (白黒写真)
8月14日(日)  Faradda dei Candelieri(蝋祭り)/Sassari
8月29日の前の日曜 Sagra del Redentore(救世主の祭り)Nuoro
10月最後の週末 Sagra delle Castagne(栗祭り)/ Aritzo 他

出典: サルデーニャ州観光サイト

 
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伝統文化(cultura tradizionale):

Tenores 男性4人によるテノール ユネスコの無形文化遺産となりました

ラウネッダス演奏 un fiatto continuo 葦でできた楽器
 こちらから聞けます (儀式のパンのセミナーで私が聞いた演奏/音が出ます)

Artigianato(手工芸) は刺繍 儀式のパン(il pane rituale) 陶器 ボタン corallo(サンゴ) ナイフ 羊飼いの道具 cuoio(なめし革) と色々あり その地図を示してくださいました



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サルデーニャの特産品(Alimentali tipici):


島であるため 外からモノが入るのが難しい 村ごとに食べ物も違っている 外の影響を受けたのは海のそば 山は手つかずで残された

「サルデーニャ料理 (Cucina sarda) は イタリア料理のほか アラブや北アフリカなどの料理の影響を受けて発展した 豊富な海産物や 羊の肉などが主要な食材として用いられる
2010年にユネスコの無形文化遺産に指定された「地中海の食文化」 (Mediterranean diet) の一部を構成する」(Wikipedia)


ドルチェ(dolci)/


テリッカスは ザザッパ(ぶどうかす)を使った 死者の日に作るお菓子とのこと



パスタ(la pasta)・パン(il pane)/
クスクスに似た粒状パスタ「フレグラ(fregra)」は今も手作りという これは南のみ
ニョッキ状の「マロレッドゥス」 (Malloreddus) もニョケッティ・サルディとして有名
堅く焼いた薄いパン「パーネ・カラザウ」は長期保存が可能な食材
パーネ・カラザウとトマトソース、ペコリーノ(羊乳のチーズ)とをラザニア状に重ねた「パーネ・フラッタウ」 (Pane frattau) がある。

海産物(frutta di mare)/
魚は南しかほとんど食べない からすみはサルデーニャが有名 しかしサッサリでは食べないそうだ 
「海産物(frutta di mare): サルデーニャ料理の主役のひとつは、エビやマグロ、イワシ、貝などといったさまざまな海産物が有名 日本のカラスミに相当する魚の卵巣の加工品「ボッタルガ」 (Bottarga) が、カリャリやトルトリ、サンタンティオコなど島内各地で生産されている」(Wikipedia)

お酒(bevande alcoliche)/
ミルト酒は キンバイカで作られるリキュール
グラッパ ビネガー リモンチェッロ などなど...
ワインはマルバージァワインが有名 ヴェルメンティーノ・ガルーラ カノナウ 
白ワインのカピケーラはとても高い!

「ワイン(i vini)/ サルデーニャはイタリアワインの生産が盛んな地域、多くのワインが原産地統制呼称(DOC)の指定を受けている
サルデーニャ全域を名称保護地域とするものには以下がある:
カンノナウ・ディ・サルデーニャ (Cannonau di Sardegna) 
モニカ・ディ・サルデーニャ (Monica di Sardegna) 
モスカート・ディ・サルデーニャ (Moscato di Sardegna) 
ヴェルメンティーノ・サルデーニャ (Vermentino di Sardegna) 
ガッルーラ地方で生産されるヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ (Vermentino di Gallura) は、統制呼称の最上級にあたる保証つき統制原産地呼称(DOCG)に指定されている。」(Wikipedia)


チーズ(formaggi)/
「サルデーニャ島では牧羊が盛んなことから、羊乳を用いたペコリーノが多く生産される、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオ州・トスカーナ州とともにサルデーニャ州も生産地域としての指定を受けている。「ペコリーノ・サルド」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャ産のペコリーノにのみ認められた名称である。
このほか、サルデーニャではカチョカヴァッロなども生産される。
サルデーニャ島のユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫の働きでペコリーノの発酵をすすめたカース・マルツゥがある。」(Wikipedia)

このあとは参加者の皆さんでおしゃべりしたり サルデーニャの本や雑誌を皆でまわしたりしました♪ とにかくサルデーニャ好きな皆さんが集まり 何度もサルデーニャに行ったことのある方などもいらしていて 大変ためになりました( ^^) _U~~ 

講座は こちら


*楽しい講座を開いてくださいましたpiazzaItalia様に心よりお礼申し上げます

*       *       *

おまけでーす♡:

サルデーニャの民族の起源(origine)
について:

サルデーニャの歴史は aC800年頃 ヌラーゲ人が住んでいた島にフェニキア人が入り カルタゴ人やローマ人の侵略を受け 中世のスペイン支配と続いた とのことですが 民族の起源について:

1.ネットで見つけたSardegna Postの記事に「アフリカが起源」という記事がありました:
“Dall’Africa alla Sardegna in 70 mila anni. Il mio DNA vi racconta il viaggio”(2016.11.1)
http://www.sardiniapost.it/cronaca/dallafrica-alla-sardegna-70mila-anni-nel-mio-dna-racconto-del-viaggio-dei-sardi/

2.『地中海の聖なる島 サルデーニャ』(陣内秀信著 山川出版社) のP55に「馬は生活に欠かせない家畜であり、馬にまたがる人をモチーフにした青銅器彫刻がたくさんある。古くから馬と共存するサルデーニャ人の先祖は、アジア・アルタイ高原にいた遊牧民族であるという有力な説もある」とありました。
また モンゴルがサルデーニャの民族の起源という説も、どこかで聞いたことがあります (なので乗馬が得意という説)

4.Wikipediaでは:
新石器時代からローマ帝国の時代にかけて、ヌラーゲ(Nuraghe)人が上陸し、生活しはじめた。この謎に満ちた民族は、紀元前20世紀頃、東地中海からやって来たものと推測されている。少しわかっていることは、エジプトの碑文に「海の民」という意味の名前で登場する人々を指しているということである。その碑文の研究によると、彼らは、サルディス(リディア)を出発し、ティレニア海にたどり着いた。そこで、サルデーニャに行く者とエトルリアに行く者に分かれた、ということである。
遺伝学的な研究によると、サルデーニャ人は周辺地域の人々や若い民族とは異なり、前インド=ヨーロッパ人だとしている。

5. 「サルデーニャ!南イタリアの美食と工芸の島紀行」(池田 匡克、池田愛美著、講談社)
によると「北東部にエトルリア人 西部バレアレス諸島経由でスペイン人 カリアリと南サルデーニャにはアフリカ民族が入った
それよりもはるか昔新石器時代の6000AC 西アジアから来た民族が 高度なオリエント文明を伝えた ヌラーゲがその一つである
ちなみにこれはLa Storia di Sardegna(カリアリ大学F.チェーザレ・カズーラ教授)の言葉である」とありました

サルデーニャ民族の起源には 所説あるようで興味津々です...♪

    *     *     *

2017年2月19日(日) 渋谷タロスにて 「サルデーニャセミナー」が開催されます:

まだまだ知られていない魅力の島サルデーニャ どんな島? 何があるの?魅力って何だろう?
未知の島サルデーニャを知っていただきたい!とサルデーニャ出身スタッフによるセミナー、郷土料理の会を行います! みなさま、どうぞお気軽にご参加ください。

日時:2017年2月19日(日)16:30~19:30
会費:5000円(セミナー・料理・ワンドリンク付き)
場所:渋谷サルデーニャ料理「タロス」
東京都渋谷区道玄坂1丁目5-2
お申込み: 03-3464-8511(タロス)

内容: セミナー(40分)「地中海、古代の神秘に出会える島 サルデーニャ
講師は、サルデーニャ島出身でタロスのスタッフでもあるマルティーノ・カッパーイ。(サルデーニャの文化オペレーター)

カリアリとシエナで美術史や文化史を学んだマルティーノによるセミナーです。
現地の人にしかわからない、一段深いサルデーニャの魅力に触れられる事間違いなしです。
食文化と歴史、古代から続くカーニバル(マモイアーダのカーニバルなど 不気味な黒い仮面を被る祭り)、繊細な工芸品などイタリアの中でも多くの謎に包まれている。そんな島を珍しい写真と共に紹介致します!
セミナー後はサルデーニャ島の郷土料理をブッフェ形式でお楽しみいただけます。中でも仔豚の丸焼き「ポルチェッドゥ」はイチオシです😊!
普段は中々食べられない一品、島ならではの料理をご用意しております。

セミナーは こちら

ポルチェッドゥ(Porceddu)って 仔豚の丸焼きです! あのクリスマス料理のセミナーで写真見てびっくりした料理です!(^^)!



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サルデーニャの儀式のパンのセミナー&初めてのラウネッダス演奏&タロスでビュッフェランチ (2016.10.2)@日本サルデーニャ協会

2016年10月20日 | サルデーニャ・シチリア

サルデーニャの儀式のパンのセミナー&初めてのラウネッダス演奏&タロスでビュッフェランチ (2016.10.2)@日本サルデーニャ協会



今日は 生まれて初めてサルデーニャのイベントに参加した 大変貴重な一日でした!!
イタリア商工会議所に行ったのも初めて 日本サルデーニャ協会(Associazione Isola Sardegna-Giappone)(4周年を迎えます)のイベントに参加したのも初めて サルデーニャの儀式のパン(pane rituale)を見て Prof. Battista Saiu氏から直接そのお話を聞くのも ラウネッダス(launeddas)という循環呼吸奏法(fiatto continuo)の演奏をSalvatore氏から聞くのも生まれて初めて そして会場では 以前レッスンを取ったサルデーニャ出身のGiovanni Piliarvu先生等と再会でき NHKに出演されていらっしゃるM先生とも初めてお話できてラッキーでした♪ 

何もかも初めてづくしで勇気がいったけど 知っている人がいなくても えいっ!と一人で申し込んで行ってみたら なつかしい方々と出会えて やっぱり行ってよかった~(^^)/

     *      *      *

サルデーニャに古くから伝わる儀式のパン il pane ritualeは 死者の弔いの時 結婚の時 復活祭や色々な記念日などの時に手作りで作られます 教会に奉納されるものは売り物ではダメです 特に殺された者に捧げるパンには様々な厳しいきまりごとがあります 結婚の時に作られるパン(coccoiなど)には 豊穣と多産を祝う様々な動植物がモチーフとなり ハサミで切り込みを入れて とても複雑な形にひとつひとつ仕上げてゆきます



これは前日にせっせと予習してきた パーネ・カラザウ(pane carasau)、carta da musicaとも呼ばれる丸く平たい薄いパン) pane frattau (羊飼いが日中外に持ち歩いたパーネ・カラザウの残りをトマトソースに浸して卵を乗せたサルデーニャの伝統料理) Malloreddus(サルデーニャのニョッキ) civraxiu(外の仕事に持ってゆく日常的な 丸くて硬い皮のパン)のようなサルデーニャで普及したパンではなく 儀式の時の特別なパンでした 
たとえば coccoi a pitzus (突起のあるコッコ-イ)という種類の白いパンです

日本と同じ島国であるサルデーニャのパンの種類は実に多く 並外れた美味しさです 
島国というのは 外からものが入って来やすく 出てゆきづらいため 固有の文化が保存されています 

最初に 死者のパン(pane dei morti) 丸く平たい形をしており 「存在しない」パンと言われています 
殺された(amazzato)遺体の場合(もちろんとてもレアなケースですが) 遺体が家にある時に 生地に十字を切り その家の主婦(massaia)が祈りながら生地をこねますが その際に金属(metallo)は使わず 爪や貝殻やわらの木などで模様をつけます できた最初のパンは貧しい人たちに分け 三か月後 一年後などにも作ります

もし死者のパンを作り忘れた時は 死者が夢の中にあらわれて 作るように促すそうです (ミステリアス...死者が夢に現れて何かを伝えるというのは ナポリ出身の戯曲家Eduardo De Filippoの作品にもありましたね!)
 
また 特別なことは 死者(defunti)が 和解したい(fare pace)人の夢の中に現れた時に作るというもの 死は公けのもので 誰かが殺された時には町中のかまど(forno)に火がつけられ 小麦ひと握りをかまどに投げ入れるそうです
 
また 日没に 死者のパンを携えてずきんを被った人がドアをたたくと ドアを開けなければならないきまりがあり これはパンをもらった人たちの中に 死者が和解をしたい人が誰かいるのだということで 死者がちゃんと死者となるために(成仏するためにという意味?)必要なのだそうです なのでドアに鍵をかけてはいけないそうです
なんともミステリアスですね~

死者のパン(殺されたのではない場合)は 牛(bue)の形をした(下半分に2か所の切り込みのある)sas cornonciasというパンを作ります 下に向いた角(corno)の形のパンは 紀元前7000年のサルデーニャの墓に描かれているのだそうです また ひっくり返した蝋燭の火は もうひとつの世界(あの世)を表しています 

*      *      *


さて次は 婚礼のパン(il pane nuziale)に移ります

Sos Cicirilliosは 夫婦の家に運ばれるパンで 第一子のおしゃぶり(ciuccio)になります 湿気にもよりますが保存がきくそうです

Sa Pippiaは半月の形 Sa Reulaは十字の形 Su Siddiは宝物という意味のパン Su Mandàtiuは 中心に小さな穴のあいた婚約のパンで すべて白く 質の良い小麦粉で作ります

また 動物や植物のモチーフがよく使われます しっぽが首を通るように作ります
たとえば ざくろ(melograno)は 種が多いので豊穣(abbondanza) 肥沃(fertirità)を意味し たくさんの子どもが生まれることを祈るために使われます 
ヤシ(palma)は 人間が最初に植えた聖なる木であり 実りの保証をするものです




パンの形もさまざまで ハート 閉じた円 開いた円 半円 くつの形(くつは「所有する」という意味があるそうです)
魚 小鳥 亀 バラ 馬 子ども 牛などの形もあります 復活祭(Pasqua)のパンは卵が包まれた形のパンです



材料は 硬質小麦粉 水 パン種/酵母(lievito madre)と塩で 仕上げにはさみなどで細かな切り込みを入れて 装飾豊かにひとつひとつ手で作られてゆきます

また 若い未婚の男性が亡くなった時には 母親が亡くなった息子の地下での再生を祈るため小麦をまき 皿を割ります(他の人が使えなくなり「あなただけに捧げる」という意味合い)

Pane de siafidrは王冠の形の婚礼のパン(pane nuziale a Corone) 男は太陽の光(raggi) 女は葉の冠です 
祝うのは幸福な娘(両親が元気な娘のこと)でないとならず 苦しんでいる人は人を祝う役目を担えないとのこと

特徴的なのは 儀式のパンを作るのは主に女の担う仕事で 男もパンは作りますが儀式には使われないとのこと 
売るためのパンは教会に捧げることはできず 聖なる意味は失われるそうです
時間のかかる儀式のパン作りは 一生に一度の結婚のために 手作りで作られ またこの日展示された45個の儀式のパンも それを作ってくださったサルデーニャの方たちにお見せするために 全員でパンを囲んで記念写真を写しました サルデーニャの国旗も飾って記念写真!!



   *      *      *

そして儀式のパンのお話のあとで バグパイプの祖先でもある管楽器ラウネッダス(launeddas)の生演奏を 生まれて初めて聞きました!!

これは本当に楽しみでした 3本の管のうち短いものは高い音 長い2本の管は高い音が出ますが 頬に空気をためて3本の笛を 息継ぎなしで吹き続ける循環呼吸奏法(fiatto continuo)という特殊技術なのですが これは演奏者によると「小さい頃から何十年も習ってきた」技術なのです (バグパイプの袋に空気をためますが こちらは頬の中にためるわけですね) 演奏者とお話をして お互いに感激してしまいました!!! 

  演奏(一部)は こちら (音が出ます)



そして 商工会議所近くからバスに乗り 何回か言った渋谷のサルデーニャ料理のお店 Tharrosに場所を移して ビュッフェ形式の貸し切りランチ♡ 
  
 
これが実にすごくて 生ハムやサラミ サラダ ゼッポリーニ(Seppolini) Carloforteのtonno(マグロ)などに続き 運ばれてきたインパナーダスという大きなパイには agnello(子羊)とpiselli(グリーンピース)が詰められています
  

ここでもまた儀式のパンの説明を受けたり launeddasの演奏や解説を聞いているうちに すっかり雰囲気に溶け込みました(^^)/ 

サルデーニャの人たちはとてもゆったりとしていて 日頃都会でギスギス忙しく暮らしている私には驚くことばかり 反省...(/_;)
それにレディーファーストが実に徹底しているのにも感心しました♡


イタリア関連のイベントには もう何年もあちこち出続けていた私ですが さすがに「サルデーニャ」のイベントは初めて!! 一気にサルデーニャに近づくことができて 私にとってはものすごい大きな一日でした!!

2ヶ月かけてアジア各国を回られていらした講演者・演奏者の皆様 本当にありがとうございました 日本サルデーニャ協会4周年 おめでとうございます!!

イベントは こちら


 

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サルデーニャの街ボーザ(Bosa)の魅力をご紹介「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで2位に!(Rai2014)

2016年03月25日 | サルデーニャ・シチリア

サルデーニャの街(borgo)ボーザ(Bosa)の魅力をご紹介「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで2位に!(Rai2014)



ローマから サルデーニャのアルゲーロ(Alghero)空港に乗り継ぎ そこから美しい海沿いの道を走り ボーザ・マリーナ(Bosa Marina)からテモ(Temo)川沿いにのぼってゆくと 小さなボーザ(Bosa)の街(borgo)に着きます...
ここは2014年にRaiの番組”alle falde del Chilimangiallo(キリマンジャロのふもとで)”の「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで 2位に選ばれた街なのです...

     *         *          *

ふとしたご縁で サルデーニャには一度も行ったこともない私が サルデーニャのBosaという小さな街に2014年にできた語学学校とかかわることになり サルデーニャの本を読んだりして少しずつ興味を持つようになりました

そこで今回このサルデーニャの小さな街(borgo) ボーザ(Bosa)について 少しですがご紹介させていただきますね:


Bosa(ボーサ) 標高2m,人口約8,000人
 (ちなみに州都であるカリアリ/Cagliariは22万人)

サルデーニャでもっとも特徴ある町のひとつで 船が流れる川に沿って作られた唯一の町
昔はスペインとの交易が盛んでしたが 今は観光が主な経済資源となっています
ワイン(Vino Malvasia) 網目形のレース(filet、メルレッティ) 黄金細工職人 錬鉄 男性コーラス等で有名 丘の上には サルデーニャの中世のもっとも良い例である Malaspina城が建っています  

Bosa の観光サイトは こちら

6月29日
S. Pietro祭では Temo川でボート競走が行われます
8月第1日曜日S.Maria祭でも同様のことが行われます
9月8日Regnos Altos祭りでは 町から城まで宗教的パレードが行われます

Bosaのカーニバルはとても有名で 1週間前の木曜には 仮面を付けた人々が歌いながら家々をまわり食べ物を集めます
カーニバルが終わると カーニバルの象徴であるGiolzi人形を集めて 中央広場で燃やすのです
夜には町の灯りはすべて消され 皆がろうそくをかざして巨大なかがり火を待ち カーニバルは終わりを告げるのです...


    出典: ガイドブック『魅了するサルデーニャ』(サルデーニャ文化会館発行)
 

ボーザの町の魅力は その人間の尺度に合った規模にある
道幅が狭いため 町中にはあまり車が入り込まず、住民を主役とするのどかな生活の場が見られる
路地に椅子を出し トランプをする子供たち 伝統的なレースを編む老婦など 地中海らしい戸外生活を楽しむ人たちが たくさんいる
       
出典: 『地中海の聖なる島 サルデーニャ』陣内秀信・柳瀬有志(山川出版社)より


       *       *      *

サルデーニャ語(lingua sarda/sardo)について

サルド語(sardo/sardu)は独自の文法を持つ言語で 島中で話されており方言ではない
サルデーニャには 北アフリカからやってきた人々が 旧石器時代から住み着いていたという
そしてスペインから他の人々(Balari)が またフェニキア人 のちにカルタゴ人がやってきた
フェニキア人以前 東洋からのヌラーゲ人の到来は サルデーニャに著しい特徴をもたらしたが 当時はまだ書き言葉をもたらさなかったようだ

紀元前4世紀頃 ローマ人はこの島を侵略し始めたが 238BCになって初めて 島をカルタゴ人から奪うのに成功した
カリアリとポルトトレス周辺では ラテン語が普及し始めた
9世紀になりサルデーニャは政治的に独立し始めた 
今でも唯一アルゲーロでは カタラン語が話されている

スペインの支配はサルド語にほんの少し影響を与えただけだったが サヴォイ(サヴォーヤ家)とともにイタリア語が正式に入ってきて サルド語は方言とみなされるようになる
しかし現実には サルド語は他のロマンス語とは違い 独立した言語である      
ガイドブック『魅了するサルデーニャ』(サルデーニャ文化会館発行)

(今でも島のお年寄りはサルド語を話し 若者は主にイタリア語を話すのだそうです)


また 少し離れたヌオロ(Nuoro)には 1926年ノーベル文学賞を受賞したグラツィア・デレッダ(Grazia Deredda)の生家(Museo Deleddiano) があります サルデーニャ鉄道が通じています


Bosaの歴史:

どこかスペインの雰囲気が漂うのも当然のことで、この町は13世紀末から18世紀に至るまでの長い間、スペインのアラゴン王国の支配下にあったのだ。

町の起源は、紀元前9~8世紀にフェニキア人のつくった集落にさかのぼるそうで、当時の碑文が残っているという。
以後は、ローマの支配やイスラムの侵入などを経て、アラゴン=カタルーニャ連合王国の植民地となった。

19世紀に入ると、イタリア統一を目指すサルデーニャ=ピエモンテ王国の支配下に組み込まれ、1807~21年にはボーザに県庁が置かれていたそうだ。
 ちなみに、つい最近までヌーオロ県に属していたはずだが、いつのまにかオリスターノ県に所属しているのも不思議である。

* Bosaの美しい町の風景と 伝統的な男性コーラスを紹介する映像は こちら

Bosaの魅力と祭り(festa)については こちら

(出典: Sardinia Summer School and ServicesのFacebookより/2015年3月)

* サルデーニャとボーザのお祭りカレンダーの記事は こちら


* Bosaの町が 2014年にRaiの番組”alle falde del Chilimangiallo(キリマンジャロのふもとで)”の「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで 2位に選ばれた時のTV映像は こちら 
(ラストに Bosaの名産Malvasiaワイン filetの刺繍や なめし革 男性コーラス等の紹介もあります)

(出典: Sardinia Summer School and ServicesのFacebookより/2014年11月)



ちなみに このコンテストで見事1位に選ばれたのは...シチリアのGangi(ガンジ)という街(borgo)です(^_^)
Raiの2時間番組は こちら ←そのうち書きます♪


Bosa そして Bosa Marinaをヘリコプターで空撮したRaiの映像は こちら

Bosa そしてサルデーニャは 大都市にはない魅力がたくさんあります 
長寿(100才を越える)の村 大自然 治安のよさ 人々の優しさ イタリア本国とは違う独特の文化...

Sardegnaの観光サイト(イタリア語)は こちら
Bosaのページは こちら
イタリア政府観光局(ENIT)の サルデーニャのページは こちら

Sardinia Summer School and Services校の日本窓口ができました!! 詳しくは こちら

「サルデーニャ旅」は こちら

* 写真は Bosaに流れる Temo川と Malaspina城 (Sardignia Summer school のHPより)


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"IPPO”イタリアで修業した若き靴職人のコミック&「素晴らしき靴職人展」(フェラガモミュージアム)

2014年01月13日 | サルデーニャ・シチリア
“IPPO” イタリアで修業した若き靴職人を描いたコミック(えすとえむ著/ヤングジャンプコミックス)&「素晴らしき靴職人展」(フェラガモミュージアム)


日本にはまだあまり根付いていないという 注文靴の文化...ひとりひとりに合ったその人だけのオーダーメイド(ビスポーク/Bespoke)の靴の文化はイタリアで代々受け継がれていますね

この漫画は 靴職人のイタリア人の祖父のもとでイタリアで修業をした日本人の若者 一条歩が 日本で工房を開き 注文靴を次々と作り続けてゆくというストーリー 早速買いました

注文靴の文化に対する日本とイタリアの違いを指摘するイタリア人の親族の言葉が考えさせられますね 

* * *

ドイツには整形外科靴の靴職人のマイスター(Orthopaedie-Schuhmacher)がたくさんいて 注文靴を作るのは保険が適用されているのだそうです 
そしてそのマイスターが日本にはほとんどいないのは それが高価であり保険が適用されないからでもあるとのこと(NHKテレビドイツ語講座の整形靴職人インタビューで見ました) ドイツでは第二次大戦で足を失った人が多かったこともあるそうです
 
このコミックの中にも義足に合う靴を作るエピソードがあり 一番心に残りました 

イタリア人は革製品 靴 バッグ アクセサリー等 ファッションにはこだわりを持つことでも知られていますね ホントにかっこいいですよ靴を履きこなしたイタリア人は(*^^*) こんどもっとちゃんと靴も見てみようっと♪


なんとなく ジブリの「耳をすませば」を思い起こさせます ヴァイオリン職人の祖父をたよりクレモナにわたった若者のお話しでしたね

それと 新海誠のアニメ「言の葉の庭」も 靴職人を目指す若者のほろ苦い青春を描いた珠玉作品 雲の描き方や雨の描写は秀逸でした...


コミック「IPPO」は こちら

現在第2巻まで発売中!!

公式サイトは こちら

   * * *

さてそして サルヴァトーレ・フェラガモ・ミュージアム(museo Salvatore Ferragamo)がフィレンツェにありますが 2014年3月31日まで 「素晴らしき靴職人展」を開催中とのことです!! サルヴァトーレ・フェラガモの幼少時を描いた動画がここから↓見られます すごーくイマジネーションが湧きますね~ (限定品を日本で販売するという情報もありますね)

詳しくは こちら ← 実はフェラガモミュージアムのことは 伊検のとある過去問で知りました(笑)


* 写真は うちにある唯一の注文靴のブーツですΣ(゜Д゜) ←うちに注文靴があるとは知らなんだ...(笑) 福島のファンタスティックスタジオというところで作ったものだそうです 


*情報をいただきました「日本におけるイタリア2014」様に心よりお礼申し上げます


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ヴェネツィアの旅行4コママンガ (1985年)

2011年10月11日 | サルデーニャ・シチリア
ヴェネツィアの旅行4コマ漫画(1985年)

ヴェネツィアのピエトロおじいちゃん (1985年)


1985年に20代で ドイツの語学学校で知り合った友人たちを訪ねるヨーロッパ一人旅をした
あの頃はまだイタリア語ができなかったので たまたま知り合ったピエトロおじいちゃんとはドイツ語で話した

ピエトロおじいちゃんは 観光地だけでなく 普段決して観光客が訪れることのない場所にも連れて行ってくれた
サンマルコ寺院は もう4半世紀も前のことなのに まるで夢の中のことのようにあの荘厳なミサの情景を思い出すことができる... サンマルコ寺院はくまなく案内してくれた まさにヴェネツィア人の誇りだ
小さな橋をいくつも渡りながら 地図が分からなくなってもそれでもかまわず 夕方遅くまで狭い小道をそぞろ歩いた...

運河のほとりで絵を描いていた若き画学生の描いた美しい絵は 今も我が家に飾ってある...

*昨日ベネツィアのテレビ(「世界遺産ヴェネツィア展」の辻井伸行氏の演奏)を見ていたら 昔ヴェネツィアを訪れた時のことを思い出し 思わずなつかしの旅行4コママンガをアップしてしまいました(笑)
実はまだまだたくさん描いてあります(;^_^A


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