日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

古代アンデス文明展に行ってきました(2018.1.30)@国立科学博物館

2018年01月31日 | 美術館・博物館
古代アンデス文明展に行ってきました(2018.1.30)@国立科学博物館


次の雪が降る前にようやく行ってきました「古代アンデス文明展」!!

平日午後は結構混んでいました 写真撮影OK ただし最後のミイラの部屋等一部は撮影禁止
世界遺産としては マチュピチュ ティワナク ナスカの地上絵などが紹介されていました

文化の時系列展示

第1章 アンデスの神殿と宗教の始まり
コトシュ遺跡 (ペルー南部) 骨で作った笛など
カラル遺跡(世界遺産) ペルーの北 3000a.C.-1500a.C.


第2章 複雑な社会の始まり

チャビン文化
(世界遺産) 1300a.C.-500a.C. ペルー北部
チャビン・デ・ワンタル (世界遺産) 祈りの場でした 自分の首を斬る土器を見てびっくり!
クントゥル・ワシ遺跡 800-550a.C. ペルー北部

第3章 さまざまな地方文化の始まり
モチェ文化 200a.C~800 ペルー  ジャガー神を表すマスク 太陽の神殿 月の神殿 
ナスカ文化 200a.C.~650 ナスカの地上絵は水の儀式(雨乞い)であったという説 カワチ神殿 

第4章 地域を越えた政治システムの始まり

ティワナク文化
の遺跡(世界遺産) 石の文化だった ボリビア
山上の巡礼地 500~100 ティティカカ盆地
ワリ文化 650~1000 ペルー
シカン文化 800-1375 ペルー 灌漑農業 ロロ神殿 金属加工に優れていた
儀式や装飾品に使われた装飾つきのツボが可愛い(^.^)

チャンカイ文化
(ペルー) 北にチムー帝国 南にハチャカマラ宗教地に挟まれる
土器や織物


第5章 最後の帝国 チムー王国とインカ帝国
チムー王国 1100-1470 ペルー
インカ帝国 15世紀~1572 ペルー・ボリビア・エクアドル  ケチュア像 カパックニャン王の道(ワリ文化)
チャンチャン遺跡(世界遺産) ペルー

1532年
に インカ帝国最後の皇帝アタワルパが スペインの征服者ピサロに殺された 40年間インディオたちは抵抗したが 金はスペインに奪われ 殆ど残っていない 美術品としての金の価値は見過ごされた

 文字はなかったので 結び目で数字をあらわした


第6章 身体から見たアンデス文明

変形頭蓋 
前頭後頭扁平型と円錐型に分かれる 子どもの頃から頭を縛り形を変えていった
開頭術(トレパネーション) 
 パラカス文化 小さいものは頭蓋穿孔で 頭蓋骨に大きな穴があけられたものを見て驚愕した 

遺体を体育座りにさせてミイラを包む(ファルド) ワリのミイラ チリバヤのミイラ(900-1440) 内臓を抜く等の人工のミイラと 自然のミイラ(乾燥地帯のためそのままでもミイラ化する)

人身供儀
 (インカ、子どものミイラ) モチェ文化のいけにえの儀式では 人形を壊してそれと同じようにいけにえを殺戮したという

チリバヤ文化
 900-1440 ミイラと頭蓋骨変形
アンデスのミイラ思想 死者は生者とともに生活していると考えられ お供えもされた 
男児のミイラとその副葬品は 身体を包んでいる布は何度か取り換えられたようです
ミイラを開梱している映像は すぐそばにそのミイラがあったのでちょっと怖かった...

最後のアンデス文明のシアターは画面も大きくて見ごたえがありました 

同じ日であれば常設展も見られますが 午前から出かけていたので常設展まで見られませんでした 日本館は外国人が多かったです 

まぁ見に行けてよかった...いつもイタリア美術ばかりなので 世界遺産検定も受けてることだしネ!(^^)!

カテゴリ「アンデス文明の世界遺産」: ウマウアカ  カラル遺跡 クスコ
サマイパタの砦 サン・アグスティン チャビン・デ・ワンタル  チャン・チャン
ティエラデントロ  ティワナク  ナスカの地上絵 マチュ・ピチュの歴史保護区
リオ・アビセオ国立公園

アンデス文明展
は こちら 2018年2月18日(日)まで!!


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飛騨高山の世界遺産の白川郷ライトアップの思い出&白川郷についてイタリア語で話す

2018年01月27日 | 日本文化紹介

飛騨高山の世界遺産の白川郷ライトアップの思い出(2010年1月)&白川郷についてイタリア語で話す

飛騨高山 雪の白川郷に行ってきました 若い頃に両親と訪れた なつかしい街です

母が元気なうちに再び高山を訪れたいとずっと前から思っていて 「雪の白川郷ライトアップと 飛騨高山半日フリータイム」という クラブツーリズムの1泊2日のバスツアーに参加しました 

雪の白川郷… 2010年は雪に恵まれ 着く前からしんしんとぼたん雪が降り始める中 「道の駅 白川郷」で早めの夕食をいただき いざ防寒の身支度をして白川郷へ!  

まずは「合掌造り民家園」に入ってぜんざいをいただき 暗い中を懐中電灯を片手に歩き回り こんどはであい橋をわたって 「白川郷の合掌造り集落」へと向かいました 

バスが早く着いたため予定よりも長い2時間半の滞在となり 両方十分に観ることができてすごくラッキーでした(^o^)/

雪道の側面に鎌倉のように穴をあけ その中に蝋燭を立てる という試みはこの年が初めてだそうで 幻想的でした 


降りしきる雪の中を大勢の人が歩き写真を撮り その中を縫って和田家(重要文化財)までせっせと歩きました 夜の雪景色を写すのはなかなか難しいですね!! バッテリーも喰うし...
和田家

ホテルも最高でした…今回泊まったのは「ホテルアソシア高山リゾート」という5つ星の大きな立派なリゾートホテルで そのお部屋の広いこと!! こんなに広いお部屋は日本では泊まったことがほとんどなく ベルリンの壁崩壊時に泊まったHotel Agonに匹敵する広さでした(^_^)

お風呂も露天風呂その他何種類も楽しめて 夜は二人でビールで乾杯...沢山歩きよく眠れました (いやー自分で申し込んだらこんなホテルにはとても泊まれませんね…)

翌日は早く起きてビュッフェ形式の朝食をいただき(これがまたおいしかった!!)8時過ぎにはシャトルバスに乗り込み 高山の町の散策をたっぷり4時間堪能しました

この日のために 高山観光局からパンフレットを取りよせてみると この日1月24日(日)は 年に一度の「二十四日市」が開かれるとあり これまたラッキーでした♪
目抜き通りには朝から出店が並び 町の人々や観光客でごった返していました

陣屋朝市」で「さるぼぼ」のキーホルダーを買い 朝市のおばちゃんとお喋りして 中橋をわたって「古い町並み」へと向かいました 



さるぼぼは 高山の代表的な民芸品で 今は赤以外にいろんな色があります さるの赤ちゃんという意味のお守りでもあり 行く度に買っては友だちにお土産で配っています(^o^)/

上三之町などの古い町並み… ここは数年前にバスツアーで2度目に訪れた時は50分しか滞在できずとても残念で いつかリベンジをと思っていたのですが 今回ようやくたっぷりと散策することができました

宮川の朝市」を宮川沿いにそぞろ歩き 今度は「屋台会館」へと向かい 「桜山日光館」も見たあと 方角を間違えたおかげで(笑) 「江名子川」の散策まですることができました
ここは桜が綺麗な小さな川で あまりここまで来る観光客はいないのかもしれませんね

そしてかの「高山ラーメン」を昼食に食べて (高山の雑誌でラーメンの出汁の取り方なども調べ…細いちぢれ麺が美味しかったー!!) 駅へと戻ってシャトルバスでホテルに戻り  途中長野県信州「石井味噌」に立ち寄って 3年仕込みの天然醸造無添加国産大豆のお味噌を買って帰りました (これもこだわりの日本のスローフードのひとつですね!!) 
バスで一斉に廻るのではなく 自由散策のたっぷりできる 充実した2日間のバスツアーでした\(^o^)/

…これで 私の中の長年の飛騨高山へのこだわりがようやく消えて 代わりにステキな思い出が心に残りました 好きな町は何度行ってもいいですね(^o^)/

ホテルよし 雪にも恵まれ たっぷり雪の白川郷を楽しめ 高山に半日フリーで滞在できて 年に一度の二十四日市にもぶつかり たいそうラッキーな旅行でした

* 素晴らしいツアーを企画してくださいました(株)クラブツーリズム様に お礼申し上げます 

    *       *       *

白川郷についてイタリア語で話す

Il villaggio di Shirakawa

I Villaggi storici di Shirakawa-gō (白川郷) e Gokayama (五箇山) sono un sito giapponese inserito dal 1995 nell'elenco dei Patrimoni dell'umanità (世界遺産) dell'UNESCO.

Essi si trovano nella valle del fiume Shogawa (庄川), sul confine fra le prefetture di Gifu e Toyama (岐阜・富山県境にある). 

Shirakawa-gō ("Vecchio distretto del fiume bianco") è collocato (位置する) nel villaggio di Shirakawa (白川村) nella prefettura di Gifu, mentre l'area di Gokayama ("Cinque Montagne") è compresa fra Kamitaira e Taira a Nanto (南砺市), nella prefettura di Toyama.
  
Questi villaggi sono molto noti per le costruzioni erette nello stile cosiddetto gasshō-zukuri(合掌造り), caratterizzato da un tetto in paglia (茅葺き屋根) fortemente spiovente (傾斜した) che ricorda due mani unite in preghiera (合掌). 

Le proprietà della paglia, combinate con la forma del tetto, fanno sì che le costruzioni possano resistere alle forti nevicate (豪雪に耐える) che si verificano (起こる) in questa regione nei periodi invernali.
 
* 積雪を防ぐため 45~60度の傾斜で作られた茅葺き屋根 釘(chiodo)は使用せず

Le abitazioni sono costruite su 3 o 4 piani (3,4階建て) e storicamente progettate per ospitare famiglie molto numerose (大家族) ed un'efficiente organizzazione degli spazi (広いスペース), dedicati anche ad attività artigianali (手工業).

(中略) I piani superiori(上の階) erano tradizionalmente adibiti alla sericoltura(養蚕に充てる), mentre il piano terra (地階) veniva utilizzato per la produzione di nitrato di potassio(硝酸カリウム), l'elemento base della polvere da sparo(発砲).

 * 上の階は風通しがよく養蚕や紙漉(す)きが行われ 地下では煙硝の生産(蚕の糞で作る)などの家内制手工業が行われていた 「結(ゆい/Yui)」という相互扶助組織で屋根の吹き替えなどを行っていました

白川郷(イタリア語)は こちら 


写真: 雪の白川郷 


全国で雪や寒波なので 雪の白川郷を思い出しながら載せました

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Todiのオリーブオイルセミナー&テイスティングに行ってきました(2017.11.9)@日伊学院

2018年01月23日 | イタリア料理・イタリアン食材
Todiのオリーブオイルセミナー&テイスティングに行ってきました(2017.11.9)@日伊学院

昨年のワインセミナーに引き続き 行ってきましたトーディの「オリーブオイルセミナー&テイスティング」!!

まず最初にトーディの「La Lingua la Vita」校のStefania校長等からのビデオメッセージに続き 講師の宮沢先生から 「ウンブリアの黄金 - 食と芸術が出会う場所 - 」と題して オリーブオイルの歴史等をご紹介いただき そのあとはいよいよトーディのオリーブオイルの試食会♪ たっぷりとスライスパンにかけていただきました(^O^)/

Mario Ruoppolo(il postinoの郵便配達人役)のパスタのレシピと オリーブのパテのブルスケッタのレシピもおみやげにいただきました♪

convivio
は宴(うたげ) ラテン語で一緒に生きるという意味です 食は芸術とも深く結びついています たとえば「最後の晩餐」アルチンボルドの連作 オペラ椿姫の「乾杯の歌」 デカメロン 映画「山猫」の大宴会のシーン そして映画「イル・ポスティーノ」等々...

Una famiglia perfetta」という映画はなんと トーディで撮影されたのだそうです!

トーディの人のことをtuderte(todino)と言います (toscanoとかromanoと同じ) umbricelli al pomodoro 串刺しのグリル イタリアで唯一海がないウンブリア州では肉が多く食べられており その他色々な料理が紹介されました テキストを読み上げるFelice先生も 美味しそう~お腹すいてきた...って(*'▽') 

pane nocciatoはくるみパン pizza di Pasqua は復活祭で食べるピザ サン・ジョゼッペの祝いの日(3月19日、キリストの父のお祝いで父の日のようなもの)に食べるbicicleta ciaramicolaというドルチェ Frittelle di riso等など...

そして前回のワインセミナーでも聞いた 「世界でもっとも住みやすい村」に選ばれたお話も!! トーディはスローシティ加盟都市でもあり またスローフードを推進している町として選ばれたのですね:

Cittaslow(スローフード運動で選ばれた「スローな街」)のひとつでもあるTodiは 1991年に ケンタッキー大学教授によって行われた「世界で最も住みやすい街(la città più vivibile del mondo)」に選ばれました

理由は... microclima favorevole 気候のよさ 人間と環境のよりよいバランス(人口過多ではない) il ritmo di vita rilassati リラックスした生活リズム 
godimento della bellezza 美しさを楽しめること 
rispetto delle tradizioni storiche, artigianali e culinarie 歴史と手工芸と食の伝統の尊重etc..」(前回のリポートより)

有名なのは黒トリュフ スペルト小麦(farro) そしてpecorino di Roccia(大きなペコリーノチーズ) その他...

実はオリーブオイルは 6000年も前に クレタ島 シリア等で生まれ フェニキア人がそれを地中海沿岸や南バルカン アフリカ等に広め やがてギリシャ人そしてローマ人が使ったという歴史もお話いただきました 食材の歴史を辿るのはとても興味深いですね!

オリーブの収穫はだいたい10月から11月に始まり 12月初めまで この時期に行くと搾りたてのオリーブオイルが楽しめるという貴重な季節です 

次はオリーブオイルが健康にもよいというお話 抗酸化作用のあるポリフェノール  消化によく肝臓や胃にもやさしいこと 動脈を保護し ビタミンが含まれていて 地中海食には欠かせませんね

そして次は 今年で開校29年めを迎えるLa Lingua la Vita校で開催されている オリーブオイルのコースについてご紹介いただきました: 

文化プログラムはたとえば トルジャーノ観光とワイン美術館 ウンブリアの最高級ワインサグランティーノの産地のモンテファルコ観光 ワイナリー訪問 ソムリエによる試飲(degustazione)と料理レッスン 季節ごとのスペシャルイベント(収穫祭 ワイナリー開放 ワインイベントなど)がもりだくさんです!

あるいはまた トーディ見学 搾油所見学  オイルの町トレビ観光 料理教室 季節により搾油所オープン見学等の たっぷり詰まった1週間プログラムです 

 ← いろいろなパンフをいただきました♪


この語学学校では 陶芸 ジュエリー 絵画 料理(小さな町なので ピザ屋さんでピザを直接教わることができるとのこと) 刺繍 寄木細工などのコースもあります

私は実は イタリア文化会館以前の会場(どこかのビル)でイタリア留学フェアが開催されていた頃から (2007年以前だったかな?)通い詰めていまして(笑) その頃からここの学校のことは知っていました 自分がドイツ語の語学留学をしたのも小さな町だったもので... なので小さな町ならではの魅力もよくわかります♡ 

また エトルリア文化も残っているのでエトルリアに興味のある方はぴったりですね!!

そしてこのあとは お待ちかねの試食(degustazione) あんなにたっぷりかけていいんですね~( `ー´)ノ 新鮮でピリッと辛みの少し感じられる豊かな味でした!! 日本では買えないのだそうです

トーディ(Todi)は こちら

La lingua la vita校は こちら

前回のワインセミナーのリポートは こちら


オリーブオイルセミナーのお知らせは こちら


ステキなセミナーを開催してくださいました日伊学院様 La lingua la vita様に心よりお礼申し上げます



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ドキュメンタリー「時の旅人-伊東マンショ 肖像画の謎-」上映会に行ってきました(2017.12.7)@イタリア文化会館

2018年01月19日 | イタリアの美術館・博物館
ドキュメンタリー「時の旅人-伊東マンショ 肖像画の謎-」上映会に行ってきました(2017.12.7)@イタリア文化会館



この日は第3回フォスコ・マライ―ニ賞授賞式に引き続き ドキュメンタリー「時の旅人-伊東マンショ 肖像画の謎-」上映会と鼎談を聞きました テレビ宮崎制作の番組は九州全土で放映されたのですが 今回東京ではまず ここイタリア文化会館での上映となりました

天正遣欧少年使節のひとり 伊東マンショの肖像画がミラノで発見されたとの報道があったのは2014年のことでした 2016年 ドメニコ・ティントレット作のこの肖像画が 東京国立博物館で特別展示され その機会にイタリア文化会館ではシンポジウムを開催しました

今回それに続くものとして 伊東マンショの出身地である宮崎のテレビ局 「テレビ宮崎」が制作した 肖像画にまつわる物語や伊東マンショの功績を描いたドキュメンタリー「時の旅人-伊東マンショ 肖像画の謎-」を上映し 上映後には 東京大学名誉教授小佐野重利氏 同作品のディレクター雪丸千彩子氏 肖像画発見の特報記事を担当した読売新聞社文化部長 前田恭二氏が鼎談しました

作品内容(テレビ宮崎)

450年ほど前 宮崎県西都市都於郡(とのこおり)に生まれた少年 伊東マンショ
伊東家当主の孫として生まれたマンショだが 8歳の時 一族が島津家との勢力争いに破れ 豊後(現在の大分県)へと敗走する 
キリシタン大名・大友宗麟が治める豊後 マンショはそこでキリスト教に出会い 後にイエズス会が計画した「天正遣欧少年使節」の主席正使として 2人のローマ教皇に謁見する
そして 彼らは未だ知られていなかった「日本」や「日本人」の存在をヨーロッパに知らしめた

しかし マンショたちが帰国の途に着く頃 日本ではキリシタン弾圧が始まり 彼らの功績は日本の歴史の表舞台からは消え去ってしまった
日本初の外交官とも言うべき役割を果たしたマンショは 宮崎が誇る偉人の一人だが 彼の存在や功績 宮崎県出身であることを知る人は少ない

2014年 「イタリア・ミラノで伊東マンショの肖像画が発見された」とのニュースが報道され 2016年 宮崎での里帰り展が実現した
これまでのマンショの姿と言えば 16世紀当時の新聞(版画)やスケッチ画でしか偲ぶことは出来なかったが 今回発見された肖像画は 16歳のマンショの表情を生き生きと描いた油絵

肖像画は400年以上前 その時代を確かに生きたマンショのより人間らしい魅力 現実味が伝わってくる1枚だ
発表に至るまでには イタリア人女性研究者による5年にも及ぶ研究があったことも分かった

この肖像画はどのような過程を経てマンショだと突き止められたのか 使節4人の肖像画が描かれたという記録は残るものの 行方知れずとなっていた肖像画は 400年以上もの間どこにあったのか
そして誰が何のために描かせたのか…肖像画にまつわる物語や された謎を紐解きながら 時の人 伊東マンショの功績や 最新の研究結果に迫るドキュメンタリー番組

* この番組は「FNSドキュメンタリー大賞」ノミネート作品でした

  *     *       *


この番組では 地元宮崎県からこのような人物が輩出されたことを誇りに思う地元の方々が出てきます 伊東マンショ(1570?~1612)がわずか8才で豊後落ちをしたその道を案内する地元のガイドの方 歴史研究家 あるいは子供たちがマンショの歌を歌いながら 手作りの兜をかぶりお祭りに参加するシーンに加えて(ローカル局の番組なので特にそちらをクローズアップした)  2014年にミラノで発見されたこのマンショの16才の若き頃の肖像画が どうやってマンショの肖像画だとわかり 誰が描いたのかがわかったか その奇跡を辿っています

それは この絵を保管するミラノ・トリヴルツィオ財団(La Fondazione Trivulzio)パオラ・ディリコさんというイタリア人研究者がこの絵と出合ったことに始まります 
西洋人ではない このfanciullo(少年)のまなざしに強く惹かれ 誰が描かれたのかをつきとめたいと研究を始めました  
最初はフィリピン人かと思ったそうです ですが上司に日本研究者がおり 豊後の文字が解読されたことから急展開し 1585年という年号と場所が判明され 絵の裏側に「Mansio」とあったことから 伊東マンショの肖像画と確定されたとのこと
絵の特定って大変なのですよね...

16才でミラノに行った彼は 12才で2年半もかけて「天正遣欧少年使節」の主席正使として航行しました パオラさんの「自分の子ならジェラートを買いに ひとりではまだ行かせないような年の子どもが 国の代表として海外に行ったのです」との驚きの言葉が印象的でした

キャンバスの枠にはティントレットとのサインがあり 父親ヤコポが描き 息子ドメニコが襟や帽子等を手直ししたとのこと 当時ティントレットは黄色を描くのに鈴鉛黄を使っていたことからも特定されました

1585年にヴェネツィアを訪れた一行は 描かれたこの肖像画は 儀式のための大作の下絵として描かれましたが ヴェネツィアとバチカンとの対立により儀式用の大作が描かれなくなったことから 肖像画を売るために のちに襟を大きく描いたり帽子も手直しされたとのこと  


さらに この絵はティントレット公房で描かれて ヴェネツィアからカルビオ侯爵(スペイン人)の手にわたり 彼のローマ・ナポリ駐在にも絵は付き添い やがて侯爵の死後に他の膨大な作品とともに競売にかけられ フィレンツェの貴族が競り落とした時は名前も「少年の絵」というくらいしかなく やがてその貴族の娘がミラノに嫁入りする時の嫁入り道具のひとつとして輿入れリストにあったという 400年あまりの絵の来歴に固唾をのみました... 日本よりもヨーロッパの方が絵の来歴が確実にたどれるのですね

パオラさんが番組のラストで「旅人だったマンショは 絵になってからも旅人だったのですね 運命ですね...」とつぶやくところで終わっています


そしてまた マンショ自身も 宮崎に生まれて8才で豊後(大分)落ち 16才で天正遣欧少年使節としてヨーロッパに行き 帰国後は 1587年の豊臣秀吉によるバテレン追放令発布等で 43才で病死との人生を辿ります 
若いうちにルネサンス期のヨーロッパをこの目で見て 帰国後に布教に力を尽くすはずが 時代の転換期の中で数奇な運命をたどったのですね...


鼎談では 絵の発見を特報記事にされた読売新聞文化部長 番組を制作したテレビ宮崎のディレクターのお二人が 東大名誉教授の小佐野重利氏の司会により 番組や特報記事制作にまつわる様々なお話をしてくださいました  
 
貴重な番組とお話が聞けて 大変嬉しく思います 素晴らしいイベントをありがとうございました

開催のお知らせは こちら


2018年1月10日(水)NHK BSプレミアムで「400年後の真実~慶長遣欧使節の謎に迫る~」が放送されたそうです ← 見逃した~...

* 写真は 富士美術館で開催された「遥かなるルネサンス」展のチラシ 右が伊藤マンショの肖像画



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大雪のセンター試験の思い出/Il ricordo del giorno degli esami di ammissione alle Università(1.13)

2018年01月15日 | イタリア語作文・二次対策
大雪のセンター試験の思い出/Il ricordo del giorno del primo turno degli esami di ammissione alle Università nella neve alta(2018.1.13)



Apenna ho aperto le tende della finestra alla mattina del giorno del primo turno degli esami di ammissione alle Università), l'ho notata la neve molto alta.

大学入試センター試験(National Center Test for University Admissions
の朝、窓のカーテンを開けるや否や、大雪が目にとびこんだ。

Tutto il paesaggio dalla finestra è coperto della neve molto alto.

窓からの景色はすべて大雪でおおわれていた。

"Mamma mia, nevica così forte proprio al giorno degli esami molto importante!!"

「なんてこと、こんな大切な試験の日にこんなに大雪が降るなんて!」

A questo momento ha squillato il telefono improvvisamente.

その瞬間 突然電話が鳴った。

Mio padre mi ha detto al telefono che mia nonna è in coma nell'ospedale.

父が電話口で 祖母が病院で昏睡状態にあると私に言った。

"Devo andarci subito."

「すぐに行かなくては。」

Ho preparato la colazione in fretta, incoraggiato mio figlio: "Fa tutto il possibile! In bocca al lupo!"

急いで朝食を作り、息子を励ました: 「全力を尽くして!頑張って!」

Dopo subito che lui è uscito per dare l'esame, anch'io sono partita per l'ospedale nella neve molto alta.

彼が試験に出かけるとすぐに、私もまた大雪の中を病院へと出かけた。

A questo giorno del gennaio nel 2006 guardavo tutto il giorno la neve dalla finesta dell'ospedale dove mia nonna si era ricoverata.

2006年1月のこの日、私は祖母が入院していた病院の窓から 一日中雪を眺めていた。


Mio figlio lavora adesso come l'insegnante. Quest'anno 2018 noi facciamo celebrare la funzione commemorativa per il tredicesimo anniversario della sua morte.

今息子は教師として働いている。2018年の今年、私たちは祖母の13回忌を行う

Avendo le notizie del primo turno degli esami di ammissione alle Università ogni anno, mi ricordo sempre di questo giorno nel 2006, particolarmente quando nevica...

毎年センター試験のニュースを聞くと、いつも私は2006年のこの日のことを思い出す、とりわけ雪が降った時は...。

* 今年はセンター試験直前に 大雪の中に大勢の電車の乗客が閉じ込められることがありましたね 思わずあの日のことを思い出しました  


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生まれて初めての剪画体験!!(2016年春)@地元板橋の剪画教室

2018年01月11日 | 日本文化紹介

生まれて初めての剪画体験!!(2016年春)@地元板橋の剪画教室


地元の剪画教室におじゃまさせていただき 剪画を生まれて初めて体験してきました!!

剪画は 黒い和紙を刃先で切り出して描く絵画です 

専用カッターを使って 黒い紙と和紙を重ねたものを下絵に沿って切ってゆき はがしてから台紙に貼って飾ります

3時間半の体験講座で小さな4作品を仕上げましたが これはとても早いペースだそうです!? たぶん漫画を描いていた頃に スクリーントーンを切ったり貼ったりしていたからかもしれません(*^^)v

最初にラインに沿って切る基礎練習 次に好きな絵を選び オウムに次いでパプリカを選びました
小さいところから切り始めてゆき 〇や鋭い角度のところは「おひげ」という切り残しが出ないように カッターを紙から離さないようにしながら 紙をまわして切ってゆきます

その他 切る方向や紙のこと スプレーのりや小さなアイロンを使って整える パステルで効果を入れる技法等 色々なアドバイスをいただき楽しく体験してきました
また素晴らしい講師作品(地元の銀行ロビーにも展示されていて 時々見ています)も堪能させていただきました 

剪画は 遊戯的な意味合いの「切り絵」と 完成された芸術作品として区別するために 中国では「剪紙」(お守りやお土産として普及しています)と呼ばれているところから「剪画」と名づけられました

主に和歌山の着物の柄の型紙から生まれたもので 34年の歴史があります
型紙は台紙がないため工芸品であり これに台紙をつけて芸術としてゆくのが剪画とのこと


段々と上達するに従い 細いところを切り離すミスもなくなり 3,4ヶ月かけて下絵を起こして直しながら完成させた下絵に従って ひたすらカットしてゆく作業は集中力を必要とします
大きな作品だと20時間以上かかりますが 自分が昔訪れた街や風景の写真から下絵を起こしてゆき 作品を仕上げるのは実に達成感があります 

私も段々と疲れてきて切り離すミスが出てきてしまい また〇をカットするのがうまくできず 細かい部分 特に目の形などがうまくカットできず カーブもガチガチになってしまい苦労しましたが 先日のカリグラフィーではなぞる下描きがなくてフリーハンドで苦労したのに比べると 下絵に沿って切る剪画はやりやすかったです(*´ω`*)

下にステキなグラデーションの和紙を置くと その美しさにうっとり...

無心に何かに取り組むのっていいですね~ 

日本剪画協会
は こちら

私は毎年夏に開催される日本剪画美術展に行き 会長の講評等をいつも聞いています ←自分ではやってないのに(笑) 絵を描いていたのでとっても興味があります♡

講師の先生とはご近所で 今回もたまたま体験講座をお誘いいただきました 
語学は最後は忘れてしまうから(おいおい) こうして「残る」ものっていいですね~ (*´ω`*)

講師の先生のブログは こちら


   *    *    *

切り紙: l'arte di comporre dei quadri con i ritagli di carta
 (紙の切り抜きによって絵を組み立てるアート)

切り絵(きりえ)は、白黒に染め分けた下絵を黒い紙に固定し、不要な部分を切り抜いて絵を作り上げていく絵画の手法のひとつ。
一般的な認知度の高い手法ではないが、白と黒のコントラストの妙や、刃物の切り口による独特の造形が味わい深く、愛好家が多い。 (Wikipedia)



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シンポジウム「食の伝統と革新、持続可能性、および栄養 - 無形文化遺産としての地中海式食事法と和食 -」を聞いてきました(2017.11.22)@イタリア文化会館

2018年01月07日 | イタリア料理・イタリアン食材

シンポジウム「食の伝統と革新、持続可能性、および栄養 - 無形文化遺産としての地中海式食事法と和食」を聞いてきました(2017.11.22)@イタリア文化会館


第2回世界イタリア料理週間」(2017.11.17~26)のメインイベントが このシンポジウム「食の伝統と革新、持続可能性、および栄養 - 無形文化遺産としての地中海式食事法と和食 -(Tradizione e innovazione per il cibo e la nutrizione sostenibili del futuro: le diete mediterranea e giapponese in quanto "Patrimoni culturali immateriali dell'umanità" dell'UNESCO)」でした

4名のパネリストの方々が学術的観点から様々な貴重なご報告をされ モデレーター(木村純子/法政大学教授)がラストにまとめてくださり その後のビュッフェでは イタリア農業食料林業政策省 そして協賛のBarilla社 Bottega社による素晴らしいイタリア料理とワインが次から次へと...この場で新しい人たちとも出会い 忘れられない貴重な一日となりました:
 
     *       *       *

紹介文:
2010年地中海食 2013年和食がそれぞれユネスコ無形文化遺産に登録されました
これら2つの食事法は異なるものでありながら、様々な点において共通する特徴を有しています
双方とも 脈々と受け継がれてきた天然資源の持続可能な使用法や 生産・加工・保存方法を持ち 長年におよぶ実践と伝統を背景としているのです

本シンポジウムの目的は 学術的なアプローチを通し イタリアと日本両国において食と栄養の文化が持つ重要性に光をあてることです
食の伝統や地域産業を維持しつつ 同時に食品の健全で持続可能な生産を確保するために両国がいかに尽力しているのかについても焦点を当てます

イタリアと日本の食文化や生産への関心を 今後さらに高めていくための鍵は その類似点と相違点を適切に理解することです 
各分野の具体的な研究プロジェクトを手がかりに 社会科学と自然科学両方の視点から議論します

  *       *       *

1. 「ユネスコ無形文化遺産の視点から考える地中海式食事法の栄養と環境に与える影響
カルロ・アルベルト・プラテージ(ローマ第三大学教授、バリラ食品栄養学センター顧問)

イタリアの輸出総額のうち8.7%がイタリアの食材 ただ世界には偽ブランドのイタリア食もある 

 ← イタリア各州のDOP IGP

なぜイタリア料理は愛されるのか?  1. Tasty 味(2017年の 「世界のレストランBest50」のトップはイタリアのOsteria Francescana)  2. Healthy 健康  3. Convenient 作りやすさ (フランス料理は8割が調理人の腕 イタリア料理は8割が素材) 4. ingrediente telling a story 素材のストーリー性  5. Inexpensive 安さ そして 6. Sosteinible 持続性 これはあまり知られていないが フードガイドピラミッドを示しつつ 環境にやさしいことと身体にやさしいという2つの目的があると示してくださいました ← 地中海食では肉は少なめに(環境負荷が実は高い)と勧めています

 ← フードガイドピラミッド 2つの目的

← 食品ごとのCo2の環境負荷

バリラ食品栄養学センター
での研究結果の発表: パスタをゆでる時に水を3割減らせばCo2も8%減る ガスを減らせる鍋も開発されたそうです

輪作の大切さ 農家の収入を落とさずに持続可能な収穫を続けるためのデシジョンサポートシステム テクノロジーによりベストな方法を探る試みが 各方面と協力して進められている 環境影響を3割減らしつつ収穫を3割アップ 等についてご報告いただきました 

 ← Barillaによる co-innovation for sustainability

このあとのビュッフェでは様々なパスタが続々と...
 ← Barillaの展示

   *       *       *

2.中村丁次「健康食としての地中海食と和食の類似点および相違点」(神奈川県立保健福祉大学学長)

地中海食は生活習慣病の予防食でもあり 食事 運動 適度なアルコール 禁煙 この4つの要因が守られれば死亡リスクは下がる この食事のモデルとなっているのが地中海食

地中海食スコア」(9点満点)により 今までは栄養素からのアプローチだけだった健康度の評価を初めて試みた(2008年) ただ最近では 高収入・高学歴の人には心疾患のリスク低下が認められたが 低収入・低学歴の人には認められなかった スローダイエット 丁寧な食事づくりの必要性

和食が2013年 無形文化遺産に登録された その特徴を紹介しつつ 昔の日本は低栄養の貧しい食事で日本人は短命だったが 戦後の食の欧米化が急激に進んだ これ程短期間に変化した例は他の民族にはない 戦後アメリカからミルク 小麦粉が輸入され学校給食が始まり 子どもたちの低栄養が改善された
第二次大戦後の子どもたちの栄養失調が 学校給食導入により4か月後と2年後に改善された当時の貴重な写真も見せていただきました
 
1960~70年代に 食の西洋化によりメタボが増えたが 1995年からようやく脂肪摂取が減り始めた 極端な西洋化を止めたのは伝統的な食文化と栄養教育だった 給食もパンからコメに変わり 食育などの栄養指導がなされた 

 ← 1995年からようやく脂肪の摂取量が減り始めた

地中海食と和食との類似点は 穀物が主食 肉は少なめ 魚介が多くバター等が少ない
相違点は オリーブオイルに対して油が少ない エネルギー比率が30-40%に対して20-30%の低脂肪食
また 虚血性心疾患のリスクは日本が最も低く イタリアも低い位置にあります


参考: 地中海式食事法は こちら

和食が無形文化遺産に は こちら


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3.「海洋生態系における恵みとしての魚」 古谷研(創価大学教授)

このお話はショッキングでした 将来漁業資源がどうなってゆくのか 真剣に取り組まないといけないと思いました

鮭は寿司ネタとしては マグロよりも好まれている(JETRO) 日本よりもイタリアの方が鮭の料理法は多い 今は人工ふ化により養殖が増えた 

日本では江戸時代に始まる鮭の養殖の歴史について紹介 遡上するまでに稚魚のうちに食べられる等の困難があり オホーツク海 太平洋 ベーリング海 アラスカ湾へと4年前後かけてもとの海に戻ってくる その間にプランクトンをどこでどれだけ摂取するかの研究結果(ベーリング海が7割)  プランクトンに含まれるカロチノイドが鮭の身の赤い色となる 漁獲高の30倍の価格にあたる餌を海から摂取するシャドーコストについて説明 養殖ではオキアミが原料 

温暖化によりRCP8.5(代表的濃度経路)のシナリオ 今世紀末までには鮭の生息は困難となる可能性について示唆 2100年にはプランクトンが夏にはかなり減る 近年は養殖が増加 

食物連鎖 プランクトンを小さな魚が食べて それを大きな魚が食べて...このサイクルでどれか一つでもリンクが欠けると食物連鎖はストップしてしまう 海には環境・浄化・精神面等でさまざまな役割・機能がある (ちょうど田んぼが お米の栽培だけでなく保水機能があり 洪水等を防ぐのと似ていますね) 

← 海の生態系のどれか一つでも欠けると食物連鎖はストップする 

食卓からのメッセージ 水産物は海の多様性の証であり 人類の生存にとって大切であるからこそ 海の恵みを担保してくれる生物多様性は守らなければならない 

 ← 温暖化が鮭に与える影響の可能性 

    *       *       *


4.「麹菌(ニホンコウジカビ)と日本の発酵食品」丸山潤一(東京大学准教授)

こちらはとても興味深い研究結果を示していただきました 「麹菌は国菌」であり 日本酒 醤油 味噌 酢 みりん 甘酒 塩麴等様々なものが作られており 「家畜化された微生物」とのこと 

さらに化粧品 生ハム 鹿肉などの醤油作りにも応用されるだろうとのことで 近々東京大学では初の甘酒が「日本の伝統的エネルギードリンク」として発売予定とのこと

 ← 麹菌(Koji-mold)

麹菌はうまみ(Umami)を作り出します 菌糸を伸ばしてゆく貴重な映像も見せていただきました 様々な種類があり ゲノム配列を解読し 麹菌の祖先も示していただきながら 祖先とは違って毒は作られていないことが判明 また雄雌はないが それに近い接合型の特性が発見され 将来は交配を研究とのこと 
お酒の神様 坂口教授が発見したoryzae(麹菌)のcell fusion(細胞融合)の貴重な写真も見せていただきました

また麹菌の内部の構造や 水をかけると頭部から中身が浮き出る発見 ビタミンを作るメカニズムも世界で初めて発見されたそうです  
東大の甘酒 楽しみですね!

   *     *      *

実は地中海料理と日本食を 無形文化遺産登録の観点から話すのかと思っていたのですが かなり学術的な発表でビックリしました! 木村モデレーターによる総括のあとで ホワイエでビュッフェが始まりました:  

← 豪華なビュッフェ!!

← Barillaの様々なパスタ♪ お米の形のリゾーニ(risoni)も!

← dolceは別腹!?

大変ビッグなシンポジウムを開催していただきましたイタリア文化会館様 関係者の皆様に心よりお礼申し上げます 同時通訳もとても素晴らしかったです!

開催のお知らせは こちら


* 写真は 会場に展示されていたFoog Guide Pyramid



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世界一自由で平和な国サンマリノ 600年戦争ゼロ その秘密にせまる(2017.10.22)@TBS「世界遺産」&「自由と平和を守りぬいた世界最古の共和国 サンマリノ共和国」より

2018年01月04日 | イタリア旅行・世界遺産

世界一自由で平和な国サンマリノ 600年戦争ゼロ その秘密にせまる(2017.10.22)@TBS「世界遺産」&「自由と平和を守りぬいた世界最古の共和国 サンマリノ共和国」より


TBSで日曜6時から放映中の番組「世界遺産」を録画して見ています♪ 10月22日(日)は 「サンマリノ歴史地区とティターノ山」でした とてもステキでしたので記録に残しておきました 新年のすがすがしい気分にぴったり♪:

イタリアの中にある小さな国サンマリノ(Serenissima Repubblica di San Marino)は 現存する世界最古の共和国です
険しい断崖を持つティターノ山にはシンボルとなった3つの塔。国を守る砦でした。

そして山の斜面には中世の街並みを残す旧市街。取材した5月は、イタリア各地を転戦する人気のクラシックカーレース「ミッレミリア(Mille Miglia)」が行われていました
世界中から観光客がやって来るサンマリノ
15世紀から600年戦争をしていない「世界一自由で平和な国」の魅力を紹介します


自由のシンボル 2人の元首


国の自由を守り 独裁者の誕生を防ぐためサンマリノでは「元首(執政/Capitani Reggenti)を2人 任期は半年」というユニークな政治を 800年間続けてきました

そして今年(2017年)4月には史上初 国家元首(執政)が2人とも女性になったのです
就任式や議会の様子などを紹介します 
元首が二人いる それがサンマリノの「自由」の秘密であり 元首とはいえ報酬はゼロとのこと 60名の議員の中から投票で選ばれます

人口3万人 世田谷区ほどの大きさの国のシンボルはティターノ山 その断崖ぎりぎりまで続く城壁に囲まれた部分が旧市街で 世界遺産となっています 

サンマリノの歴史地区とティターノ山」(2008年、文化遺産)は こちら

城壁をくぐると中世そのままの街に入り 坂と路地だらけで まるで迷路のようです (ローテンブルクとちょっと似ている場所がありますね) 

かつて議事堂としても使われた ヴァローニ宮に入りました 部屋の中にはなんと 13世紀以降の元首の名前が壁に刻まれているのです 独裁を防ぐために任期が半年なので 3000人もの元首が800年もの間 この国を治めてきたのです

元元首の住民は 元首だった時に2人でローマ法王から国のトップとしての心構えを教わったそうです 「国は苦しんでいる民衆に手を差し伸べなければならないと教わりました」との言葉

元首が2人 それはプブリコ宮の評議会の間にも描かれているある伝説から始まりました 
4世紀初め マリーノという名の石工がローマ皇帝によるキリスト教迫害を逃れてティターノ山に潜伏し キリスト教徒の共同体をつくったという伝説にちなんで「聖(サン)マリーノ」が国名となりました 
彼の最後の言葉が 「汝が他の人々より自由であることを望む」だったのです


自由と平和を守った石弓

サンマリノは城壁で囲まれた要塞都市です
断崖の山には敵の侵入を見張る3つの砦が築かれ 中世最強の武器といわれる石弓で 守りを固めました

鉄でできた鋭い矢は 中世最強の武器でした 見張り台から町を見下ろし 自由と平和を守った石弓です
今はスポーツとなった石弓 石弓大会のチャンピオンにその威力を見せてもらいました
中世の衣装を着て 20キロ近い石弓を城壁に乗せて 発射台に置き照準を合わせ 100メートル先の目標にも当てたとのこと!

また 国賓をもてなすスイーツは 手間がかかるのですがカッチャテッロ(Cacciatello)という卵を使ったドルチェ(良質のプリンみたいな)は 香りづけのレモンの皮 砂糖とミルク シナモン 卵と合わせて2時間焼き 粉砂糖をふって出来上がり♡  


600年 戦争をしていない国

プブリコ宮の中にはリンカーンの像があります サンマリノの名誉市民とのこと
彼の書簡にはこうありました: 貴国は小国ながら 最も尊敬すべき国のひとつです

サンマリノの武器は外交でした 1797年のナポレオンからの書簡が残っています 
小麦と大砲と領土を与えるとの申し出に サンマリノは領土は断りました 
領土の拡大は よけいな争いを招くと考えたからです こうして争いの種を徹底的に避けてきました...


サンマリノは第二次大戦中も「中立」を守りました 屋根の上に 中立を意味する白い十字を描いて空爆を逃れたのです 
そして 人口の3倍以上の 10万人の避難民を受け入れました 
2011年に引き上げられた さびた電車 この電車は難民たちを救ったのです 朽ち果てたこの車両は 1944-45年に 実は病院として使われていたのです

彼らに食料を配給し 電車を病院にして 伝染病の治療も行いました
避難民の中には 後にイタリア映画の巨匠となる F.フェリーニの家族もいたのです その台帳も示されました 
彼の故郷はサンマリノ近くのリミニ(Limini)でした
鉄道で結ばれていましたが 空爆で線路は破壊されました 民家や教会に入りきらなかった難民を 鉄道のトンネルにもかくまったのです 
トンネルの壁には 難民の家族ごとに振り分けられた世帯番号が刻まれているのです...
国民への配給を減らし 難民たちにも毎日小麦を配ったのです

病院にもなったサンマリノの鉄道 小さな国サンマリノは こうして10万人もの命を 未来につないだのです...


「世界一自由で平和な国サンマリノ 600年戦争ゼロ その秘密にせまる
」の番組は こちら


サンマリノ共和国
は こちら
 
サンマリノ共和国の世界遺産 「サンマリノの歴史地区とティターノ山」は こちら

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自由と平和を守りぬいた世界最古の共和国 サンマリノ共和国 La Repubblica di Sanmarino」(ジュゼッペ・ロッシ著 日商データバンク(株)発行) より

この本は1987年に発行されたものを 先日の神田古本市で家族がたまたま見つけて買ってきました← 家族は私の欲しい本がわかるようです(笑)

この中にはこうあります:
「公用語はイタリア語だが 多くの観光客が訪れるため フランス語や英語 ドイツ語も話せる」
「国旗は 紋章には3つの山と塔が描かれ まわりの枝を結ぶリボンには「Ribertaas(自由)」と書かれている このリベルタスこと 国民が長い歴史の中で守り抜いてきたものである」

「サンマリノは 世界最古の共和国で 最新兵器で武装した軍隊も保有していません」(訳者あとがきより)

また かのチェーザレ・ボルジアのことにも触れられています 「もし幸運がボルジアの味方となっていたらイタリアの統一はおそらく350年は早く実現したであろう人物である。しかしボルジアの計画が失敗に終わったあとには ただ残虐さと犯罪行為のみが彼のせいだと歴史に記憶されたのである」(第5章抜粋) 

これはチェーザレの父 法王アレクサンドル六世(ロドリーゴ・ボルジア)死後に ボルジア家の不倶戴天の敵ユリウス二世(ジュリアーノ・デッラ・ロ―ヴェレ)に法王の座が移ったため チェーザレのイタリア統一の夢が破れたことを差している サンマリノもチェーザレの支配を短期間受けた 

「第二次世界大戦中 避難者の数はあふれる程だった あらゆる街角に避難者があふれ 特に安全と思われたのは リミニ~サンマリノ鉄道のトンネルだった 
多くはロマーニャ トスカニから ウンブリア、マルケ地方その他からである
スープは金を持っていない人に無料で配られることが多かった 9月には電気がとまり パン工場が止まった しかし市民の善意がおこり 古いかまどを持ち出して10万人の避難者がパンを得たのだ 慈善病院が多くの患者を収容し 修道院や鑑定 兵舎や教会 墓地の回廊さえも避難者たちのすみかとなった」

「市民の良心によってのみ この小さな国の人々の犠牲を評価することができる。かれらは不幸には差別などありえないことを知っていたからである。強大な力に対する小国の問いかけとして、軍隊を動員せず、慈善を行う道をとった。」(第8章抜粋)

このサンマリノ共和国から 多くのことを学びたいなと感じました...


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お正月飾り(adornamento tradizionale giapponese del anno nuovo)についてイタリア語で話す(2018年1月)

2018年01月01日 | 日本文化紹介

お正月飾り(adornamento tradizionale giapponese del anno nuovo)についてイタリア語で話す(2018年1月)


皆様 あけましておめでとうございます Buon anno nuovo!!

お正月飾りを飾って お供え餅を飾って...とうとうお正月になりましたね! うちはまだおせち料理 作っています♡

お正月飾り
について:

Si tratta di decorazioni propiziatorie(なだめる、贖罪の), che vengono esposte per dare il benvenuto(ようこそ) alle divinità (神) all'inizio dell'anno.

お正月飾りは 神様を迎えるためのもので、あしらうものは縁起のよいものである

1. 締め飾り/shimekazari viene posto ai lati del vialetto(小道) d'ingresso
玄関の両側の小道に飾られる

橙/daidai (arancio amaro), 扇/ventaglio pieghevole、gambero/海老, 裏白urajiro(シダ/felce) 昆布/konbu(algha)

2. 門松/kadomatau viene messo ai lati del cancello/格子の門の両側に飾られる

竹/bambù、松の枝/rami di pino

3. 鏡餅/kagamimoci viene messo sull'altarino(小祭壇) di casa o in cucina
家の あるいは台所の小祭壇に置かれる

橙/daidai, 餅/mochi(polpetta di riso)、 裏白/urajiro(felce)、半紙(hanshi, carta di riso)

 出典: Il Giappone a colpo d'occhio/Guida per viaggiatori curiosi(現在絶版)

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新年の幕開け(apertura)を彩る(decorare) 「お正月飾り(adorno tradizionale giapponese del anno nuovo)」は 開運(portafortuna)を祈り 幸せ(felicità)を願う心を込めて ひとつひとつ(ad uno ad uno)手作り(fatto a mano)で作られたものです

お正月飾りとは 各家庭に新年の神様をお迎えして 幸運を授けていただく(conferire)行事と言われてきました

お正月飾りは その年神様(divinità dello shintoismo giapponese)をお迎えする目印(segno)であり お迎えした(accogliere)年神様は そこに宿り(dimorare) お正月の間とどまっています(rimanere)

一年が幸せとなるよう 古い不浄(impulità)を払い(pulificare) 商売繁盛(prosperità degli affari) 家内安全(il benessere della famiglia)等を祈願する(pregare)意味も込められています

(出典: 国産のお正月飾り「越後魚沼飾り 紅白みのり」の包装より)


ちなみに お正月飾りを始める「正月事始め(iniziamento dei affari del anno nuovo)」は 12月13日とのこと

その日から飾り初めて(cominciare a esporre) 松の内* (一般的に7日ですが、地域により異なります)を過ぎたら外します(togliare)

どんど焼き等に出して炊き上げてもらうのが習わしですが 環境問題等の配慮から お住まいの地方自治体の指示に従って処分してください とあります

* 松の内= 正月の門松(decorazione del portone di casa con rami di pino)の立っている期間(periodo) 年神が家々に滞在する期間
   
* 写真は 東都生協で届けていただいた 国産のお正月飾り「越後魚沼飾り 紅白みのり」です 南魚沼・稲わら使用で 「日本のワラ(paglia)には歳神様が宿る(dimorare)といわれています」とあります

以下は これまでに書いたお正月にちなんだ記事:

* 「お節料理についてイタリア語で話す」 は こちら
 

* 「参拝andare a pregare(初詣・おみくじ)についてイタリア語で話す」は こちら

* 「日本酒についてイタリア語で話す 日本酒と日本文化」は こちら

*「文化としてのイタリア料理・日本料理(Cucina italiana e cucina giapponese come cultura)/後編・日本料理」は こちら
 
皆様も どうかよいお正月をお迎えください( ^^) _U~~


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