2025年 5月24日(土)~25日(日) 11時~20時
2025年 5月24日(土)~25日(日) 11時~20時

















Sono andata alla mostra personale di una mia amica alla galleria a Gaien-mae, dopo alla mostra di "Glove puppetry(布袋劇)" a Tranomon, e alla fiera dei piatti italiani al grande magazzino Tobu a Ikebukuro
(2024.7.18)








紀元前に繁栄した古代エトルリア人の墓をなぜか発見できる特殊能力を持っている。
墓泥棒の仲間たちと掘り出した埋葬品を売りさばいては日銭を稼ぐ日々。
そんなアーサーにはもうひとつ探しているものがある。それは行方知れずの恋人・ベニアミーナだ。
ベニアミーナの母フローラ(イザベラ・ロッセリーニ)も アーサーが彼女を見つけてくれることを期待している。
しかし彼女の失踪には何やら事情があるようだ…。
ある日、稀少な価値を持つ美しい女神像を発見したことで、闇のアート市場をも巻き込んだ騒動に発展していく…。
原題:La chimera
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2024年7月19日






今日はまず 銀座1丁目の奥野ビルで開催初日のアエミリア・アルス(Aemilia.Ars)「白糸と黒糸のおはなし(La storia del filo bianco e del filo colorato)」ボローニャのメルレットレース(il Merletto Di Bologna)の展覧会(2024.5.16~21)に行きました




アエミリア・アルス(Aemilia. Ars)というレース編み技法は ボローニャの伝統的な技法で 日本で本格的に紹介されるのは初めてとのこと
マエストラのパオラ先生と アンティークレースの私蔵コレクションを携えてフランチェスカさんも見えられました
プント・アンティーコ( Punto Antico ) は イタリアの様々な地域で それぞれ独自に 他の技法と組み合わせて用いられている区限刺繍です







現代美術 (arte contemporaneo)のざっとした流れについてお話いただきました

イタリア史上最大級の波紋を呼んだ事件―『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』が公開されます(2024年4月26日~)@YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他
イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督最新作『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』(Rapito)
これはイタリア史上最大級の波紋を呼んだ「エドガルド・モルターラ誘拐事件」をベースに作られた スピルバーグが映像化を断念した 空前の衝撃作です
ユダヤ人街で家族とともに暮らしていた7歳を迎える男児エドガルドが、「何者かに洗礼を受けた」という情報により教会に連れ去られてしまった史実を描いている
1858年、ボローニャのユダヤ人街で、教皇から派遣された兵士たちがモルターラ家に押し入る。枢機卿の命令で、7歳になる息子エドガルドを連れ去りに来たのだ。
取り乱したエドガルドの両親は、息子を取り戻すためにあらゆる手を尽くす。世論と国際的なユダヤ人社会に支えられ、モルターラ夫妻の闘いは急速に政治的な局面を迎える。
しかし、教会とローマ教皇は、ますます揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に応じようとしなかった…。
記事は こちら
映画は こちら
予告編は こちら
実話に基づく映画とのこと イタリア統一直前に起きた事件を知り 驚きでした😲
「記憶の日 2024 ― グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語」に行ってきました(2024.1.26)@イタリア文化会館
「記憶の日(Giorno della Memoria)」として制定された1月27日にちなんで イタリア文化会館で行われた本の出版記念イベントに行ってきました 今年初めてのイタリア文化会館です

2000年7月20日、イタリアは1945年にソ連軍によってアウシュヴィッツ強制収容所が解放された1月27日を「記憶の日」(Giorno della Memoria)と名付け、公式の記念日としました。2005年に国際連合総会で決議採択されたのち、記憶の日は国際的な記念日となりました。
この記念日はショア―や人種法の犠牲者、移送や監禁、政治的な理由による死にいたったすべての人々、そして虐殺計画に反対し、迫害された人々を守り、命を救ったすべての人々を記憶するために定められました。
毎年この時期には、ユダヤ人やナチスの強制収容所に収容された人々の身に起こったことの記録を残し、二度とこのような惨事が繰り返されないために、さまざまな語りや熟考の機会が企画されています。
2024年、イタリア文化会館は「グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語」を紹介します。この本は1942年ジェノヴァからスイスへと逃避した8歳の子どもの日記を集めたものです。彼は身の回りが安全になれば、自身の物語を日記へと託したいと考えていました。
グイドの娘であるフランチェスカ・レーヴィ氏の証言、出版プロジェクトの監修者であるマヌエーラ・デ・レオナルディス氏によるプロジェクトの紹介、そして日記の日本語訳の朗読を、ジュズィー・ラウリオーラ氏が日記のために生み出したイメージの上映とともに行います。
* * *
この日 イタリア文化会館館長の挨拶に続き 駐日イタリア大使の言葉 そしてこの本の著者グイド・レーヴィの娘フランチェスカ・レーヴィによる この本の出版についての語りが始まりました
1942年 8歳だった父 グイド・レーヴィは ジェノヴァの空襲に逢い さまざまな街を経てようやく1943年にスイス・ジュネーブへと逃亡します 母親が密輸業者との交渉のために家を不在にする間の不安な日々 8歳の子どもが恐ろしい記憶を保ち それを日記に綴ります
それを彼が父親となってから家族の目にみえるところに置きながらも 家族は辛すぎるため封印していました それがあのコロナのロックダウン下にあった2020年に とうとう「この父の日記はこの本棚から外に出してあげなければならない」と決心し 出版に至った経緯を聞きました
1938年の人種法により イタリア在住のユダヤ人たちにも苦難の日々が訪れます グイド・レーヴィの家族もまた非合法に生きなければならず 1943年のイタリア社会共和国下において 全財産を没収するという法令のもとで 世俗のユダヤ人一家として様々な街を変遷しながら 1943年12月7日 ようやくスイスに入ったこと また他のユダヤ人家族がアウシュヴィッツに送還されてしまったこと スイスの国境に資料館があること 父はどんな苦難も明るい色をつけて夢を描ける才能があったのではないかとの言葉 そして最近ローマで観た宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」の冒頭の火事のシーンが 自分の幼い頃とシンクロしたこと 最後の証人である90才の叔父のこと等を 切々と語ってくださいました
ホワイエに展示されたショア―の本や出版された本の挿絵
続き出版プロジェクトの監修者であるマヌエーラ・デ・レオナルディス氏によるプロジェクトの紹介がありました
著者の娘フランチェスカの友人であり 他の何人かのショア―の生き残りのことにも触れた彼女は 「占領から逃亡へ」「非合法で地下に潜む」「ゲットー・強制収容所の中で」の3つのカテゴリーの中の 1と2の中間にあるこの著者の8歳の時に書いた日記を さまざまな年代にも読めるものにするために 多くの検討を行ったとのこと かばん一つでスイスに向かったミラノ生まれのリリアーナ・セグレ上院議員も アウシュヴィッツの生き残りのひとりでした
そして 1979年の父の死後に 兄とともに このテーマは切迫した課題でもあると捉えて出版にこぎつけたこと 本はアコーディオン形式で 12枚のジュズィー・ラウリオーラ氏によるイラストとともに 本物の日記と同じ大きさでもって作られ 美術品としても楽しめるものとしました それぞれの色にはそれぞれの意味を持たせたとのこと
続き イラストを描かれたジュズィー・ラウリオーラ氏により 著者がもし生きていたらきっと喜んでくださるだろう この仕事を通じてこの少年の心の中を旅することができた この少年には悲惨な現実を違う形に変える才能があったのではないかと感じた との言葉をいただきました
出版されたグイド・レーヴィの日記
イベントのチラシや本
そして 和訳の朗読とともに本のイメージがスクリーンに映し出されました 8歳の少年の言葉そのものの 心に響く素晴らしい訳でした
故郷ジェノヴァの空襲に始まり 列車でシエナに逃げ ドイツ人がやって来た時の恐怖 レーヴィからレヴィ―ニに名前を変えるも 兄の学校にファシストが来てばれてしまったこと 偽造身分証明書を作り ボローニャ そしてミラノ等を経て スイスの国境には青い外套を着た密輸業者が付き添ったこと 前日にスイス入りしていた祖母 男女別に分けられ藁のベッドに寝たり 言葉の通じないチューリッヒの病院に入院し ローザンヌの寄宿学校に入り 2年後にイタリアに帰国するという 生きているのが奇跡のように思えるという締めくくりでした
続く質疑応答のあとで 会場と心をひとつにして 世俗のユダヤ人として宗教的ユダヤ人コミュニティとは直接コンタクトをしなくとも どんな方法でスイス逃亡への情報を共有していたのかという質問に 帰国後に新たな課題を得たとの締めくくりで この「記憶の日」の貴重なイベントは終了いたしました
貴重なイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます
イベントは こちら
本"Giorno della Memoria: un diario per ricordare, Una storia piena di paure, di ansie e di avvenimenti quasi gialli (1942-1946)"(記憶の日: グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語)は こちら
『南イタリア発「灼熱のタランテッラ」トーク&ライブ ~カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノを迎えて~』に行ってきました(2023.9.20)@イタリア文化会館
今日もイタリア文化会館アニェッリ・ホールは 満席も満席~💕
かねてより楽しみにしていたタランテッラ 無事にキャンセル待ちが出て観に行くことができました😊
1975年に設立された 南イタリア・プーリア州の民族舞曲タランテッラ&ピッツィカの最高峰バンド 「カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノ(CGS)」の初来日公演を記念しての 南イタリアの文化とタランテッラ(ピッツィカ)音楽を紹介するトーク&ライブイベントです
トークのコメンテーターは な なんとディエゴ・マルティーナ氏😲
彼の著書「誤読のイタリア」をつい最近読んだので その流ちょうな日本語にビックリ😲
彼もサレント出身でタランテッラを愛し 毎年8月にレッチェ(Lecce)で行われる「タランタの夜(La notte della Taranta)」というフェスティバルにも行っているとのこと
プーリア方言の lu sule (太陽) lu mare (海) lu ientu(風)は 日本での3種の神器と同じように大切なものとのこと
レッチェ産の石pietra lecceseは乳白色をしており 触れると石とも思えぬ程柔らかいそうです
グレツィア・サレンティーナ(Grecia Salentina)等のいくつかの村では 今も少数ながら 老人や若者の間でグリコ語(Griko)というギリシャ語系の方言が話されており保存運動もあります
地中海の十字路にある多文化の入り混じった地域で生まれたため それがグループの名(Canzoniere Grecanico Salentino)にも反映されているとのこと Griko語で歌われる作品もあるそうで とうとう終了後にはCDを買ってしまいました💕
コメンテーターのディエゴ・マルティーナ氏
グループ代表のマウロ・ドゥランテ(Mauro Durante)氏の父ダニエーレ・ドゥランテ氏らが1975年に設立し 設立当初の意図を受け継ぎつつも新しい考えを重ね 未来に投影してゆきたいとの抱負を語っていただきました
* * *
さてタランテッラ(talantella)についてです
南イタリアに古来から伝わる民族舞踊で 毒蜘蛛に噛まれた(il morso del ragno)人が一晩中激しく踊り 汗とともに解毒するためのダンス音楽で 南イタリアに多く プーリア州ではピッツィカ(pizzica)と言われています
最古の記録は1346年のものが残されているとのことで (より古くからあるとも言われています) 50年代のドキュメンタリービデオを見せていただきましたが圧巻でした💃
実際にはタランチュラにはほとんど害はなく 精神的危機や不安に陥った人々による一種の癒し行為で 毒を出す治癒儀礼をタランティスモ(Tarantismo)といいます 一種のトランス状態ですね
次に楽器の紹介です タランテッラで使われる代表的な楽器 タンブレッロ(tambrello)を早速実演していただき そのスピード感と音の大きさにホールの空気が一瞬沸いた感じがした程です ディエゴ氏によると小学校でも習うそうです😊
Facebook ← tambrelloの実演
タランテッラで使われる種々の楽器
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さて 休憩をはさんで 後半はワークショップと実演です
3名の女性がステージに上がり ダンサーのシルヴィア(Silvia Perrone)さんとタランテッラを踊り始めました😲
そして 演奏に歌 ラストはタランテッラのダンスを 観客もみな立ち上がり手拍子を打ちながら そして一緒に歌いながらフィナーレとなりました
日本が大好きというマウロさんたちのその嬉しそうな顔を見ていると 初来日をどんなに喜んでいるかが伝わってきました😊
タランテッラの激しい踊りを披露
Facebook ← Tarantella(タランテッラ)の歌と踊り
そして終了後に買ったCDにサインをしていただき 少しお話もできて とても良い思い出となりました💕
最新(2023.1月)のCDにサインしていただきました♪
『南イタリア発「灼熱のタランテッラ」トーク&ライブ ~カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノを迎えて~』のお知らせは こちら
素晴らしいイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます