日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

2025年大阪・関西万博Expo2025のイタリアとドイツのパビリオン&バンダイナムコのパビリオンの紹介

2025年03月06日 | イタリア関連の催し
2025年大阪・関西万博(Expo2025)のイタリアとドイツのパビリオン&バンダイナムコのパビリオンの紹介


もうすぐ大阪・関西万博開催ですね(2025.4.13~10.13)😊
 (上の写真は イタリア館の外観イメージです)


イタリア館のテーマは  芸術は生命を再生する です
建築家マリオ・キュシネラによる建築で 「ルネッサンスの理想都市」を近代的に再解釈しています

パビリオン内部には 航空宇宙 社会 人間という3つの主要な領域があります
屋上には庭園とレストランがあり この庭園を眺めながらオリジナル素材のイタリア料理を楽しむことができます


 イタリア館のパンフレット

カラヴァッジョの名作を万博で見られるのは本当に楽しみです!

パビリオン内の劇場で毎日ライブパフォーマンスがあるようです


イタリアのパビリオンは こちら
紹介映像は こちら
L'Italia a Expo 2025は こちら

2025年大阪・関西万博:イタリアパビリオンが姫路で開催された国際参加者会議2025年(IPM 2025)で素晴らしさをアピール(2025.1.17)は  こちら 

これによると ナポリ国立考古学博物館(MANN)所蔵の大理石彫刻「ファルネーゼアトラス」(日本初)をはじめとする古代美術の名作の展示がパビリオンの中心となるとのこと 

それと 先日イタリア大使がイタリア文化会館のイベントのご挨拶で カラヴァッジョの作品が展示されるのでぜひいらしてくださいとおっしゃってました😲

それは 万博史上初めて 教皇聖座がイタリアパビリオンに専用コーナーを設けて カラヴァッジョの絵画キリストの埋葬」(1604年)の原画を展示するというものです

地面からわずか30センチという前代未聞の至近距離から 名作を目線の高さで間近で鑑賞できるとのこと😲  ←えぇーっ😲
 
イタリアと日本の文化的つながり: 天正遣欧使節を率いた4人の日本人武士の1人伊東マンショを描いたティントレットの「伊東マンショ肖像画」(1585年)が ミラノのトリボルチオ財団から貸与され、イタリアパビリオンで展示される とのこと😲

他にも Arturo Ferrarin*の飛行機が1920年に 史上初のローマ・東京間の飛行を成功させたことを記念して作られたSVA飛行機の骨格を厳密に再現しているそうです
  * ジブリアニメ「紅の豚」に出てくるのポルコ・ロッソの友人フェラーリン少佐のモデルと言われている


これについては 2015年にイタリア大使館の庭園を初めて訪問した時に この記念碑を見たことがあるので 調べてみたのですが...
東京のイタリア大使館(L'ambasciata d'Italia a Tokyo」という大使館発行の本のP35に載っていました💕
『8機で編成されたローマ・東京間横断飛行隊の中で唯一 1920年5月31日に日本に着陸したフェッラリンとマシェーロの偉業を記念して石碑を設置した』とあります


 さらに ADI(工業デザイン協会)と協力して ヨーロッパで最も歴史があり権威のあるデザイン賞であるコンパッソ・ドーロ国際賞のプロモーションも行うそうです 受賞製品はイタリアパビリオンで展示されるとのこと


    *    *    *

 次は ドイツです

 ドイツのパビリオン

パビリオンの正式名称は、わ!ドイツ とのこと

  Wa! Germany のドイツ館

テーマは 循環経済 Circular Econommy
 
循環経済「サーキュラーエコノミー」を体感するというものです
 
「わ!」は 循環の環、調和の和、感嘆のわ!の3つの意味を込めているそうで マスコットの名前はサーキュラーですって
 circular テーマの「循環」という名ですね
 
入口で手のひらサイズのサーキュラーを渡されるそうで それを持ってパビリオン見学するらしいです
 癒しキャラですね😊
 
ドイツのパビリオンは こちら

いつも読ませていただいている 大阪を紹介されていらっしゃるOSA LOVER様の「知れば知るほど行きたくなる万博パビリオン@プレ駅スポ」のブログ記事を 参考にさせていただきました ありがとうございました😊

   *    *    *

ちょっと外れますが個人的趣味により...(笑)

バンダイナムコ(BANDAI NAMKO)のパビリオン「GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION」は こちら
  Gundam Next Future Pavilion

大阪・関西万博 ガンダムパビリオン 新作映像『GUNDAM: Next Universal Century』Promotion Video の映像は こちら


EXPO 2025は  こちら



 
にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『隔離か/共生か ―近世ヴェネツィアのゲットーとユダヤ人―』と「ボーダークロッシングス展 —行き来する、その先へ—」に行ってきました(2025.1.24)@イタリア文化会館 

2025年01月26日 | イタリア関連の催し
『隔離か/共生か ―近世ヴェネツィアのゲットーとユダヤ人― Segregazione o simbiosi?  Ghetto ed ebrei di Venezia nella prima età moderna』と「ボーダークロッシングス展 —行き来する、その先へ—子どもと自然とデジタル/Sconfinamenti Incontri con soggetti viventi / Paesaggi digitaliに行ってきました(2025.1.24)@イタリア文化会館

2025年の記憶の日」(Giorno della Memoria) では ヴェネツィア・ゲットーについて リッカルド・カリマーニヴェニスのユダヤ人 ゲットーと地中海の500年(名古屋大学出版会、2024年)の監訳をされた鹿児島大学教授 藤内哲也氏による講演会が開催されました 

近世ヴェネツィアにおけるゲットーと そこに暮らすユダヤ人の諸相 キリスト教徒との関係性などについて紹介しながら ゲットーという空間が帯びることとなった社会的・文化的な性格や機能について考察してゆきました 

 『ヴェニスのユダヤ人 ゲットーと地中海の500年』とその原書 他書籍の展示

1516年3月 ヴェネツィア政府はゲットー・ヌオーヴォ(Ghetto nuovo)と呼ばれる小島にユダヤ人を強制的に集住させることを決定しました
以来 18世紀末の共和国滅亡の時まで ユダヤ人はゲットーに隔離されることになります
ゲットーには長期にわたってユダヤ人の身が居住させられていたことから ユダヤ人の信仰や文化 生活慣習が保持される一方 キリスト教徒との日常的な接触や知的交流も展開されました
このような状況を私たちはどのように理解することができるのでしょうか  (案内文より)

     *   *   *

著者のリッカルド・カリマーニ(Riccardo Calimani)氏は1946年生まれで ご家族は1517年のヴェネツィア・ゲットー (Ghetto di Venezia) 成立当初から住んでいたそうです

   ピンクがゲットー・ヌォーヴォ 緑がゲットー・ヴェッキオ  ヌォーヴォの方が先に建てられました


アシュケナージ(東欧系ユダヤ人) スファラディ(主にイベリア半島から来たスペイン系ユダヤ人)の二大勢力があり のちにスファラディが優位に立ちました

ゲットーは 金融業を営むユダヤ人の経済力を利用したいものの 一方でユダヤ人を排除したいヴェネツィア政府による妥協の産物でした 

夕方にはゲットーの門が閉められて夜間は外に出られません 
黄色いバッジと帽子を被る事を義務付けられていました 居住のための特許状は定期的に更新しなければならず不安定でした 
金融業以外にはつけず 利子もヴェネツィアでは低かったそうです

ドイツ人商館( Fondaco dei Tedeschi) トルコ人商館(Fondaco dei Turchi)等  外国人商人のための居住施設もご紹介いただきました

コンタクトゾーンとしてのゲットー  
ゲットー内ではキリスト教徒との接触や交流がありました キリスト教徒の家政婦等から強制洗礼をされた赤ん坊の例や 勧誘されてキリスト教に改宗したりということがあり いくつかの例をご紹介いただきました 緊張をはらんだ関係ですね

レオーネ・ダ・モデナ (Leone da Modena) は モデナで成功した家の出のラビで キリスト教徒も彼の説教を聴いて感激したとあります 
ベネツィア貴族との結びつき またパトロネイジの関係がありました
息子のトラブルを和解させたり 裁判官を買収したことがばれそうになり逮捕を恐れて逃げたり等人間的ですね...

女性詩人サラ・コッピオ・スッラム (Sarra Copia Sullam) は 文学サロンを主宰しており キリスト教改宗を迫られるも拒否したとのこと 

また ギャンブルにのめり込んだり 錬金術に成功するもヒ素中毒で早世するなどの例をご紹介いただきました

最後は 共生をもたらす前提や実態は?について  1797年にヴェネツィア共和国がナポレオンによって滅ぼされゲットーも撤廃され 門も撤去されました
マラーノ(やむなくキリスト教に改宗したユダヤ人)として 行き交う相手によって帽子をかぶり直す等が紹介されました 

共生とは単純な形ではなく 時代や社会ごとで異なり それを理解するために多元的な関係を知ることが大切とのしめくくりでした

続く質疑応答では 他の街でのゲットーについて
フェッラーラ ローマ アンコーナ フィレンツェ シエナ等が紹介されましたが もともと古くからユダヤ人が住んでいる地域を囲んで門を作りゲットーとしたとのこと もともとマイノリティは固まって住むのですね
一方リボルノでは自由に居住できてシナゴーグもあったそうです 

また ゲットー(ghetto)の語源について gettare 鋳造する との説とその反論等をご紹介くださいました (スペイン語でユダヤ人街はjuderia)  

「すべての人々は 敬意をもって扱われるべきである」とのカリマーニの本の冒頭の言葉が 世界で色々起きている今 心に響きました

開催のお知らせは こちら 


  *   *   *

「ボーダークロッシングス展 —行き来する、その先へ—」を観てきました(2025.1.18~2.1)@イタリア文化会館エキシビションホール

夕方5時半までは こちらを観ていました ずっと昔にワタリウム美術館で同様の展覧会「レッジョ・エミリア 驚くべき学びの世界展」(2011年)をやっていたことを思い出しながら...

北イタリア発祥の創造的な思考を育む教育「レッジォ・エミリア・アプローチ」は 1990年代にアメリカ版ニューズウィーク誌に「世界で最も先端的な幼児教育」として取り上げられたことを発端に高く評価され 近年より一層の注目を集めています


今の子どもたちは生まれながらにデジタル・ネイティブです デジタルと自然とのかかわりを様々な観点から試してゆく試みに惹かれました 保育関係の若い方たちが熱心に観ていました

 自然とデジタルの関係性についての研究事例


 植物をマイクロスコープで観ると違う世界が😲 

開催のお知らせは こちら
 
この日は早めに行き図書館にも立ち寄り 17:30まで展示を観て 講演と質疑応答終了の20:15までおり 用意された内容もすべて聞けてよかったです😊

素晴らしいイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に心よりお礼申し上げます


 
にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

"Festa di Natale ~con la Tombola~"に参加しました(2024.12.8)@高円寺ピアッツァイタリア

2024年12月09日 | イタリア関連の催し
"Festa di Natale ~con la Tombola~"に参加しました(2024.12.8)@高円寺ピアッツァイタリア

ひさびさに参加してきました~ピアッツァイタリアのクリスマスパーティー🎄

ピアッツァイタリアは2025年1月に 20周年を迎えます💐

Katia校長先生はじめ先生方と一緒に パネットーネ パンドーロ シュトレン スパークリングワイン🍷等をいただきながら歓談しました

私は小さな部屋で Giovanni先生と若い先生と イタリア語を始めたばかりの生徒さんと一緒にアニメの話をして 一緒に鋼鉄ジーグ(Geeg Robot d'acciaio)の歌を日本語で歌いました🎤  
Giovanni先生はカメラマンでもあり NHKテレビのイタリア語講座に時々ゲスト出演されています📺 ←毎週録画して観ています!

パーティーは 新しい先生方とお話できる貴重な機会でもあります💕 今度プライベートレッスンを取る予定の先生は 私の息子のような若い方です😲

昔は私も語学学校(ドイツ語、スペイン語)で クリスマスパーティーの運営のお手伝いをしたものですが  みな楽しい思い出です🎄 

   *     *     *  

さて後半はトンボラ(tombola)の時間です 

 3枚買ったtombolaのカード

マッティア先生の毎度おなじみの日本語の大きな声でのトンボラの説明に続いて numeri numeri~の掛け声でのトンボラ!! 

私は3枚買ったけど何も当たらず(笑) なんとゲストでいらしていたイタリアンポップスの歌手の方がトンボラを当てて イタリアの語学学校のレッスンのクーポンを見事ゲットしました😲
5枚買って見事トンボラをゲット! やはり投資するとその分リターンも大きいのですね~😲  

声量も大きくオーラを発しており トンボラを当ててのお礼のイタリアンポップスの熱唱に一同聴き入りました💕 

tombolaの掛け声 :  ambo(2枚)   terno(3枚)  quaterna(4枚)  cinquina(5枚) Tombola(カードすべて当たり)です🙌 
これを言わないと何もプレゼント🎁はもらえません~ 
ドルチェやタラッリ(南イタリアの固焼きパン)等が賞品でした🎁

ピアッツァイタリアの皆様 楽しい時間を本当にありがとうございました
そして 20周年おめでとうございます💐 
また今後ともよろしくお願いいたします💕

クリスマスパーティーのお知らせは こちら

 高円寺駅前のイルミネーション


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第9回世界イタリア料理週間の講演会「イタリア食文化の力-日本人からみたイタリア料理の謎を解く」に行ってきました(2024.11.22)@イタリア文化会館 

2024年11月23日 | イタリア関連の催し
第9回世界イタリア料理週間の講演会「イタリア食文化の力-日本人からみたイタリア料理の謎を解く(La forza della cucina italiana interrogativi e risposte)」に行ってきました(2024.11.22)@イタリア文化会館 

Sono andata a IIC per ascoltare il discorso "La forza della cucina italiana interrogativi e risposte" da Sig.ra Ikuko KAITANI, ricercatorice dei piatti italiani.


30年に渡りイタリアに通い イタリア料理・食文化を熟知し 日本人にイタリアの食を イタリア人に日本の食を教える料理研究家・貝谷郁子氏が 日本の食と比べながらイタリア料理を新たな視点で語ってくださいました 第9回世界イタリア料理週間の一環として開催されました

     *    *    *

主にイタリアの家庭料理を紹介されてきた貝谷先生は 今はイタリアと日本の地元料理の融合を目指した「和イタリアン」のレシピ開発等にも取り組んでいらっしゃるとのこと 

著書は29冊あるという貝谷先生ですが 実は十数年前に 夫が貝谷郁子先生の「あしたもパスタ」の本をプレゼントしてくれて せっせと作っていたのです💕
なので この本も持っていきました🍝🍷

「あしたもパスタ」


まず もし一か月イタリア料理が食べられないとしたら最後に何を食べる?という質問から始まりました やはりパスタがトップですね🍝

イタリア人によると 日本のドルチェ甘味が足りないとのこと 
イタリアのドルチェは砂糖をたくさん使います これはイタリア料理にはほとんど砂糖を使わないため(スーパーの棚でも端っこに置かれています) 最後のドルチェで甘味をたっぷり使ってちょうどよいとのこと 逆に日本料理は砂糖やみりんを使いますのでデザートはあまり甘くなくてもよいとのこと 

またイタリアの朝食で甘い菓子パン(クリーム入りのコルネット/クロワッサン等)が出ますが イタリア人が日本で日本式の朝食を食べると甘くないので耐えられないというのですね 

逆に日本人がイタリアで甘い菓子パンの朝食を食べるのはどうかな... 数日ならよいけど (うちは血糖値を押さえるため 砂糖は代替物に替えて今は一切使っていないので) この甘い朝食については 質疑応答で皆さん色々質問されていらっしゃいました🥐☕ 
ちなみに国別の糖尿病有病率は 2021年で日本が123位 イタリアは134位です 砂糖の消費量は日本より多いにもかかわらずです😲

       *    *    *

日本人は 和食で白いご飯🍚とおかずを交互に食べて「口内調味」をしますが イタリア人はしないそうです なので日本に来たら 一皿完結型のすし🍣 丼もの🍜 トンカツ等が人気とのこと 

パンの役割は 料理と料理の間に味覚をリセットすることで 水もそうですね 水も天然微炭酸の水の方がリセットしやすいそうです

イタリア料理も日本料理も だしが基本で オリーブオイルはうまみ成分のないだし パルミジャーノはうまみ成分のあるだし またアンチョビーやトマトも だしの役割を持っています もしもトマトが赤くなければ どんなにおいしくともここまで広まらなかったかもしれません🍅  
缶であれば カットトマトよりもホールトマトの方がくずしやすく トマトソースに向いているそうです パッサータ(あらごし)もよいですね

    *    *    *
 
貝谷先生の最近の著書『パルミジャーノをひと振り』は こちら

先生が開発された 和歌山・勝浦の まぐろ和イタリアン缶詰3種 は こちら 

先生のHPは こちら 


 色々なイタリア料理の本

ふだんなかなか気づかないイタリアンと和食の関係についてあらためて気づかせてくださり ありがとうございました 自分のよく使う料理本の著者の方に十数年たって初めてお会いできて感激です💕


講演会のお知らせは こちら


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琵琶職人ドリアーノ・スリス氏の作った琵琶教室(2024.4.22)@NHKテレビでイタリア語

2024年07月24日 | イタリア関連の催し
琵琶職人ドリアーノ・スリス氏の作った琵琶教室(2024.4.22)@NHKテレビでイタリア語
 

NHKテレビでイタリア語「しあわせ気分のイタリア語」は いつも録画して観ています📺


2024.4.22の4回目「チーズ工房を訪ねる」の回にはなんと イタリア会館・福岡(Centro Italiano di Fukuoka)の館長ドリアーノ・スリス(Doriano Sulis/琵琶製作・修復職人)氏も出演されていました😲


2012年5月にイタリア文化会館で開催された 「エドアルド・デ・フィリッポの「デ・プレトーレ・ヴィンチェンツォ特別上映会」に行ってきました(2012.5.17) 」(2012.5.17)の舞台でお見かけして以来です


 ドリアーノ・スリス氏(サルデーニャ出身)

琵琶職人 ドリアーノ・スリス 
Doriano Suris,  artigiano di Biwa, liuto giapponese

現在 筑前琵琶の制作や修復ができるのは 彼ひとり 
Per ora l'unica persona che può produrre o  riparare  Chikuzen-Biwa.

同じ琵琶はひとつとしてない   
Non c'e nessun Biwa uguale

まさに音の彫刻 
wa è una scultura, in pratica una scultura sonora.

1974年に日本で琵琶に出会い  地元の筑前琵琶職人に入門
Lui ha sentito il suono di Biwa nel 1974 in Giappone, subito diventato discepolo del'artigiano di Chikuzen-biwa locale.

2022年福岡県の指定無形文化財保持者に認定された
Nel 2022 lui è stato riconosciuto come detentore di beni culturali immateriali della provincia di Fukuoka.

技術を次の世代に伝えるため 2021年に琵琶の制作教室を設立した 
Per tramandare la tecnica artigianale, lui ha fondato una scuola di Biwa nel 2021.

琵琶制作教室  BIWA KAN - 琵琶館 は こちら

ドリアーノさんのイタリア流人生の言葉 
vita, pensieri e parole

「Fino a oggi mi e' servito tutto
 今まで学んだことは すべて役に立つ」

インタビュー記事は こちら

こんなところでスリス氏に再会できるなんて...  NHKのイタリア語番組で なつかしい方々に再会できるのが嬉しいです📺 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人の個展を観てから虎ノ門で「布袋劇」の展示を観て池袋東武のイタリア展に行ってきました(2024.7.18)

2024年07月19日 | イタリア関連の催し
友人の個展を観てから虎ノ門で「布袋劇」の展示を観て池袋東武のイタリア展に行ってきました(2024.7.18)


Sono andata alla mostra personale di una mia amica alla galleria a Gaien-mae, dopo alla mostra di "Glove puppetry(布袋劇)" a Tranomon, e alla fiera dei piatti italiani al grande magazzino Tobu a Ikebukuro
(2024.7.18)

この日は最も暑い時間帯に家を出て☀ まずは友人の個展を観に行きました

とくますひろこ展 少年の日」(2024.715~7.20)@Gallery House Maga (銀座線外苑前駅)

虫とり、雪あそび、学校の帰り道... 
長いようで短い子どもの時を集めてみました。(案内ハガキより)

 「終業式」(左) 
                   「きたか? いや まだだ」(右)

終業式(l'ultimo giorno della trimestre a scuola)って いっぱい学校から荷物を持ち帰ってくるのですよね...しかも朝顔の鉢植えまで🌸
右の絵は 待ち伏せしてるのかな? 

「あーか あか、あか、あかあか、レッツゴ!」(左) 

左の運動会(festa sportiva a scuola)の応援シーン 我が子の小学生の時の運動会をめっちゃ思い出しました~😢 一番気に入りました💕

なんというか この作家さんと同じく 私も男の子2人を育ててきたので うん わかるわかる!! という気持ちが溢れてしまいました😊 
いたずらっ子だったんですよね~うちも...😊

   *    *     * 

次に 虎ノ門駅そばの「台湾文化センター」で開催中の「伝統文化の継承と発展 文化の境界を越える霹靂布袋劇」(2024.6.20~7.29)を観に行きました 駅からすぐなので暑い中助かりました~☀

 大きさは60~90cm 

 「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」は こちら

人形浄瑠璃の大きなもののようですが 台湾では布袋劇といえば誰もが知っているそうです 17世紀から始まり時代とともに次第に大きく精巧に作られるようになってきた民間芸能です 人形の変化は5種類に分かれています アニメや映画にもなっています

 木彫りの人形の顔

 時代の変遷の展示 昔は小さかった

今のものはさすがに大きく美しくうっとり💕 

 イケメンの主人公...言葉はわからない(笑) 

撮影シーンも観ましたが 人形の中に腕を入れて様々なシーンで特撮のように激しい動きを入れて動かし 特殊効果も豊富です
言葉はわかりませんが 台湾の文化に触れて新しい発見が出来ました
ご紹介くださった友人に感謝いたします

台湾には政治的なこともありまだ世界遺産はありませんが この布袋劇は UNESCOの無形文化遺産になっていてもおかしくないと思います😊
 
布袋劇は 今のところは「バンダイチャンネル」で観られるとのこと

 いただいたチラシ類


      *    *     * 

午前中から歩き続けて一万数千歩... 池袋東武百貨店で開催初日のイタリア展」にちょこっと立ち寄り ざっと観てから家路につきました~ 
円安で大変ですね... 😞

南イタリアのセラミックの陶器の輝くばかりのまぶしさ... 鮮やかさに圧倒されました!!

 池袋東武百貨店のイタリア展

一日よく歩きました👞 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア映画『墓泥棒と失われた女神(La chimera)』ロードショーのお知らせ(2024.7.19~)@Bunkamuraル・シネマ他 

2024年06月22日 | イタリア関連の催し
イタリア映画『墓泥棒と失われた女神(La chimera)』ロードショーのお知らせ(2024.7.19~)@Bunkamuraル・シネマ他 



墓泥棒が探すのは、お宝か愛か―。

80年代、イタリア・トスカーナ地方の田舎町。
考古学愛好家のイギリス人・アーサー(ジョシュ・オコナー)は、
紀元前に繁栄した古代エトルリア人の墓をなぜか発見できる特殊能力を持っている。
墓泥棒の仲間たちと掘り出した埋葬品を売りさばいては日銭を稼ぐ日々。

そんなアーサーにはもうひとつ探しているものがある。それは行方知れずの恋人・ベニアミーナだ。

ベニアミーナの母フローラ(イザベラ・ロッセリーニ)も アーサーが彼女を見つけてくれることを期待している。
しかし彼女の失踪には何やら事情があるようだ…。

ある日、稀少な価値を持つ美しい女神像を発見したことで、闇のアート市場をも巻き込んだ騒動に発展していく…。

「幸福なラザロ」「夏をゆく人々」などで高く評価されるイタリアのアリーチェ・ロルバケルが監督・脚本を手がけ、愛の幻想にとらわれた墓泥棒の数奇な運命を描いたドラマ。

監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル Alice Rohrwacher

2023年製作/131分/G/イタリア・フランス・スイス合作
原題:La chimera
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2024年7月19日 

墓荒らしは Tombaroli というのですね😲

映画は こちら

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア・アモーレミーオ初日に行きディエゴ・マルティーナのトークショーを聞いてきました(2024.5.25)@六本木ヒルズ

2024年05月22日 | イタリア関連の催し
イタリア・アモーレミーオ初日に行きディエゴ・マルティーナのトークショーを聞いてきました(2024.5.25)@六本木ヒルズ


昨年のイタリア・アモーレミーオは原宿でしたが 今年は久々に六本木ヒルズで開催されました!!  
昨年は 習ってもいないのに応援にかけつけた(笑)ルカ先生の百名山の登山の話を聞きましたが 今年はなんと 「誤読のイタリア」著者のディエゴ・マルティーナ氏のトークショーがあるというので 早めに行ってきました😊

実は私のプライベートレッスンで この「誤読のイタリア」の感想をイタリア語で述べるというテーマで話したことがあるのです📖 

「誤読のイタリア」(光文社新書)を読み イタリア語で感想を話しました』は こちら 

それがトークショーはわずか10分... 😞 でもかぶりつきで聞いていました~

要約:  「表現」がキーワードであり 来日13年めで ローマ大学の頃から谷川俊太郎が好きだった 彼は単語をひとつずつ尊敬して使っており新しい表現を試した作家だった 今はイタリアの俳句にもチャレンジしており テーマは「日常」  俳句には季語があり 五七五のsillaba があり イタリア語俳句にもそれはある

ちなみに季語の「青嵐」(5月くらいの嵐)は 俳句をやっていない人は普通は知らない😲  「わび・さび」もイタリア語・イタリア人にはなく 伝えきれないとのこと
「出会い(incontro)」のニュアンスの日伊の違いについて... イタリア人にとっては家を出てからそこら中にあるもの 日本人にとってはなかなかないもの 出会いから交流や何かが始まる「人間的なもの」です

また 夢(sogno)については 将来も表現し続けたい 文 絵 映画等様々な分野で...とのことでした ご活躍をお祈りいたします

    *   *   *
 友人のイラストレーター ティツィアーナ・サンタニエッロ作の猫のTシャツを着てアランチーノを手に


その後 アランチーノをいただきながら ジェノヴァのミシュランシェフ Chef Ivano Ricchebono 「くるみのソースのラビオリ」(ravioli alla salsa di noce)のクッキングショーを見ました クルミを大理石のモルタイオですりつぶす手作業の工程💕

 Chef Ivano Ricchebono 

もう今まで日本イタリア料理協会のクッキングショーを見たのは数知れず...なので試食は他の方に譲りましたが なんと「日本テレビ シューイチ」(7:30~10:25)の収録があり 試食の感想等を取材しておりました📹   明日日曜の朝にやるのかも?? 


会場をそぞろ歩いてると ピァッツァイタリアの校長先生が生徒さんたちと歩いていらしてるのを見て声をかけました♡ 私のことを覚えていてくださり感激💕 他にもイタリア大使 ピエトロさん等もおみかけして 日伊のカップルも前より増えた感じですね~😊  
この他にも会員さん等7名が時間差で会場にいらしているというスゴイ初日となりました!

 自転車デザイナー自ら来日!

とにかく 六本木ヒルズの会場に座ってイタリア人のトークショーやクッキングショーをまったり観ていると しみじみ幸せを感じるのです💕 イタリア語やっててよかった イタリアが好きでいてよかった 同じ趣味の人と時間を過ごせて まさに人生の彩りですね😊 

 去年初孫の初プレゼントに名入りスタイを贈ったお店が今年も出店!

 シルクのお店

 イタリアのクルマ ぴかぴか✨😲

もう18年間色々やりきったのでガツガツ追い求めることはしないでいいし 若い人にチャンスをゆずります 自分はまったりとこの空間を楽しんでおります 

会場にはイタリア人もたくさん来ていましたが 日本人&イタリア人のカップル 及び子連れカップルが前より増えたなぁ~と感じております💕  

イタリア・アモーレミーオ(2024.5.25,26)は こちら 

明日もやりますイタリア・アモーレミーオ💕


追加情報 日曜に出演したイタリア人のGianni Giammarioliというラーメン屋の店主は やはりアニメ愛で日本に2004年に移住された方とのこと ラーメン食べに行かなくちゃ🍜
"Sora ni sobieru~ Kurogane no siro~~♪" Ancora ho trovato un'altro italiano per il amore ad anime giapponesi si e' trasferito nel 2004 in Giappone Ho visto il suo video d'intervista (5/17): 

Devo andarci a mangiare una volta il suo ramen🍜
ラーメン 一八亭 da Gianni Giammarioli  

一八亭 イタリアと日本を調和させたラーメンと餃子の美味しいお店。西東京市、青梅街道沿いの一八亭。 
Grazie per l'informazione!!


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アエミリア・アルス ボローニャのメルレットレースの展覧会@銀座&デ・キリコ展@上野に行き ジェラートマンマ・ミーア@湯島でジェラート食べてきました🍨(2024.5.16) 

2024年05月16日 | イタリア関連の催し
アエミリア・アルス(Aemilia.Ars)「白糸と黒糸のおはなし(La storia del filo bianco e del filo colorato)」ボローニャのメルレットレース(il Merletto Di Bologna)の展覧会@銀座&デ・キリコ展(mostra di De Chirico)@上野に行き  ジェラートマンマ・ミーア(Gelato Mamma mia)@湯島でイタリアンジェラート食べてきました🍨(2024.5.16) 


今日はまず 銀座1丁目の
奥野ビルで開催初日のアエミリア・アルス(Aemilia.Ars)「白糸と黒糸のおはなし(La storia del filo bianco e del filo colorato)」ボローニャのメルレットレース(il Merletto Di Bologna)の展覧会(2024.5.16~21)に行きました 

  銀座1丁目の奥野ビル  風情ある古いビルで保存運動もあります

 手動エレベーターに乗りました!

 展覧会にはイタリアからも...

 ボローニャのメルレットレースの展覧会(il Merletto Di Bologna)のはがき

アエミリア・アルス(Aemilia. Ars)というレース編み技法は ボローニャの伝統的な技法で 日本で本格的に紹介されるのは初めてとのこと
マエストラのパオラ先生と アンティークレースの私蔵コレクションを携えてフランチェスカさんも見えられました
プント・アンティーコ( Punto Antico ) は イタリアの様々な地域で それぞれ独自に 他の技法と組み合わせて用いられている区限刺繍です

アエミリア・アルスのレースの特徴は 何世紀も伝承されてきたレティチェロ(reticello)と呼ばれる刺繍技術を進化させて 針と糸のみで行うニードルレースとして復活させたことにあり punto in area(空中へのステッチ)とも言われています


展覧会は 
こちら (2024.5.16~21)@銀座Galerie La(奥野ビル6階)

クロスステッチも展示されていて クリムトの「接吻」等は 制作になんと1年半もかかったのだそうです😲 細かくて目がまわりそうでした...

    *    *    *

そして「デ・キリコ展(Giorgio De Chirico:  Metaphysical Journey)」(上野の東京都美術館)に行きじっくり見て(感想は後日)  その足で上野の弁天堂や不忍池まで歩いてゆき...

 デ・キリコ展 (mostra de Chirico)

 不忍池から弁天堂が見える (dallo stagno Shinobazu si puo vedere tempio Benten 

 アンドレアさんのやっているジェラート・マンマ・ミーア🍨  Gelato Mamma-mia da Andrea


湯島にあるジェラート・マンマ・ミーア(文京区湯島3-42-11) (Gelato Mamma mia)に行ってイタリアン・ジェラートを食べました🍨 

私はピスタチオ カシス赤ワイン 瀬戸内レモン🍋(pistacchi, vino rosso di ribes nero, limone di Setouchi)のジェラートをたのんで それ食べてる間に他の3人のお客さんが みぃーんな「ピスタチオ pistacchi 」を注文したのよ🍨 おっしゃー!!  
Tutti hanno ordinato "pistacchi" mentre mangiavo il gelato, perfetto!! Mangiamo pistacchi🍨 

 私がジェラート食べてる間に ほらっこんなにお客さん(女の子ばかり)がずらーり😲 
Tante donne aspettano davanti a "Gelato Mamma-mia"😲


このアンドレアさんは 私のイタリア語の先生の友人なのです もう9年近く 上野の美術館帰りには必ず立ち寄ってます🍨
Andrea, padrone del di "Gelateria Mamma-mia" e un amico di mia insegnante italiana, e frequento già circa 9 anni, dopo della mostra a Ueno ci passo sempre🍨 

そして帰る道すがら 3/24に行ったアニメカラオケ「あにすた!」の前を通って家に帰りました ここはジェラート屋さんから御徒町駅に行く時に 近すぎるので必ず通るんですよね😲
Strada facendo, sono passata ad "Ani-sta!" (anime karaoke) dove siamo andati il 23 marzo, sono tornata a casa.   Dalla gelateria mamma-mia alla stazione Okachimachi devo passarci sempre, troppo vicino😲

 あにすた! (Ani-sta! anime karaoke)


15,000歩も歩いた一日でした~👞  Sono andata già 15,000 passi👞


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Giorgio De Chirico デ・キリコのMetafisicaの世界」のセミナーに参加しました(2024.3.13)@LCI

2024年04月09日 | イタリア関連の催し
「Giorgio De Chirico デ・キリコのMetafisicaの世界」のセミナーに参加しました(2024.3.13)@LCI

今年のイタリア関連の展覧会は ジョルジォ・デ・キリコですね🖼
吉祥寺のLCIのオンラインセミナーに参加しました💻


ジョルジォ・デ・キリコ(1888~1978)   はギリシャ生まれ 父は鉄道技師 母は男爵夫人で コスモポリタン・ファミリーでした😲
弟のアンドレアはアテネ出身 のちにAlberto Savinioと名を変えます
1905年 キリコが17才の時に 父(62)が亡くなります 
1903~06年に アテネで絵画を学び  1906~09年に ミュンヘンの美大に通います

マックス・クリンガーMax Kringer(1857~1920)は ドイツの象徴主義(simbolismo)* シュルレアリスムの先駆として  デ・キリコらにも多大な影響を与えました 
 * 象徴主義:   記号や寓話を用いて 神秘的でスピリチュアル 濃い色を用いた夢のような雰囲気の絵画

またアーノルド・ベックリンArnold Böcklin(1827~1901)も象徴主義の画家ですが 20世紀のシュルレアリスム絵画にも大きな影響を与えました

デ・キリコの作品にはニーチェのモットー(謎以外の何を愛せようか)が刻まれています 
1909年 19才で母と弟のいるミラノに移ります
(1909~1919年の作品が最も知られています)

     *     *       *

メタフィジカ(la metafisica/形而上絵画) フィレンツェ、パリ、フェッラーラ

1910年にフィレンツェへ移ります
ベックリンの時代が終わり 初期のメタフィジカ絵画*が生まれるのですが 健康に問題が生じます

 * メタフィジカ:  絵画の表現方法(遠近法、明暗、色彩)を使って現実を越える何かを表現できるようになり、無意識に属す夢や原子を描写する 写実的な風景であっても 場違いな要素があるため夢のような雰囲気を感じさせる


1911年にパリへ  イタリア広場(piazza d’Italia)をテーマとして形而上絵画を描き始めます
光と色の明確なコントラスト 空間の協調 人がいないかとても小さく描かれていますね😲
遠近法に則っておらず 柱廊はアーチ状 古典的な像 孤独感が漂います
(私はイタリア文化会館のレッスンで使っていたテキストで 初めてデ・キリコの絵画を観たのですが 衝撃的でした😲)

イタリア広場(Piazza d'Italia) 様々なバージョンがあります


ニーチェの影響  

ニーチェはトリノを愛していました
1911年に再びパリへ ピカソとアポリネール(最前線でこめかみに流れ弾を受けた)はデ・キリコを称賛したそうです

前衛的芸術のギャラリーを運営していたポール・ギョーム (画商) と 初めて絵画の売買契約を結びます😊 

1915 第一次世界大戦が勃発!!  弟とイタリアへ帰国します
1917年 神経疾患で入院中に カルロ・カッラと出会います 
彼は未来派(futurismo)および形而上絵画の画家で デ・キリコと接して形而上絵画を描くようになりますが のちに形而上絵画というアイデアを巡ってデ・キリコと対立することとなりました

ここでメタフィジカが誕生しますが 未来派と 形而上絵画は対局にあるとのこと

デ・キリコにとって フェッラーラは最も幾何学的でメタフィジカな都市でした 
ルネッサンスの完全な対称形ですね

メタフィジカの起源はアリストテレスに遡り 物理的なものを超越すること 目に見えないものの存在を意味するのですね


形而上絵画の特徴は  人間の一般的な感覚では見えない現実 神秘、幻覚、夢を表現、 幻想的な空間等です

    *        *       *

Gli interi metafisici 形而上学的インテリア

フェッラーラの街のゲットーとその店への関心  ビスケットにはメタフィジカの側面があり そのため ゲットーの店から刺激を受けて フェッラーラ伝統の菓子やパンを使った絵画を制作しました

ここでクイズ:   フェッラーラの伝統的なお菓子は?  
   答えは  Coppietta ferrareseです😊 

絵の中の絵  ミケランジェロへのオマージュ
ここで 「ダビデの手」のある形而上的室内の絵を描きます


マヌカン i manichini

1917年に フェッラーラでは マヌカンシリーズが始まります 
ギリシャ彫像のかわりに 顔がなく平べったい顔面のマヌカンが登場するのですね😲でもマヌカンには生命がないのです

  マヌカンシリーズ (i manichini)

ここで カルロ・カッラの作品との違いを見てゆきました

室内 顔が小さく信ぴょう性が薄い等です

 *        *       *

Lo sviluppo degli anni ‘20 dalla metafisica al clasicismo
20年代におけるメタフィジカと古典主義の発展

1920~24年 ローマ・フィレンツェ 
ルネッサンスの作品に刺激を受けており ラファエロの愛人の絵
la fornarina」と デ・キリコの絵はポーズもよく似ていますね😲 
こうして デ・キリコは ラファエロの作品 「アテネの学堂」等をモデルとして活用してゆきました

イタリア広場(1950)の作品にも ラファエロの影響が見られます

放蕩息子』(1922)にも メタフィジカの要素と 古典的要素が混在していますね
息子はデ・キリコ 父は古典的伝統を表すとのこと😲

アルゴナウタイ(Gli algonautai)にもメタフィジカの要素があり 古代ギリシャ関連の要素を含んでいます

1925~27年 再びパリへ  光のメタフィジカを研究します
地中海の神話』 この背景は海岸のメタフィジカですね
解剖ヌードと形而上学的インテリア等 デ・キリコにとっては
嵐の海よりも 穏やかで平らな海の方が厄介でした

1925~27年 シュールレアリスム芸術運動との論争 

ここでは デ・キリコの新しい作品を称賛せず 他の新しいテーマを発展させていました 
マックス・エルンスト(M.Ernst)などがそうで デ・キリコとは相いれないのですね
  
1930年に ライッサ・カルツァと結婚しますが すぐに離婚 その後 イザベラ・ファーとフィレンツェで暮らします
神秘的な浴槽』という作品では ワックスで光っていた床に着想を得て 寄木細工の床を描きました
浴槽に沈む人々は ファシズムに適した人々を指すそうです
1973年のミラノ・トリエンナーレにも この浴槽の作品が出品されていますね 

第3部
1940~68年 ネオバロック(il neobarocco)

1939年イタリアへ帰国し  1944年 ローマを終の棲家とします  スペイン広場トレヴィの泉の近くに住んでいました😲 テラコッタの作品を作り 1946年 イザベラとようやく結婚💒 
  
静物画(natura morta)」は 1800年に登場しますが デ・キリコによるとむしろ近代の絵画を表現しています
ドイツ語での「Stilleben」英語での「still life」の方が 物体の穏やかで静的な状態を指すというデ・キリコの表現と合っているのですね (死mortaではなく生Leben!)

1800年代中頃から絵画の衰退がはじまります

衣装を着た肖像画が描かれますが その衣装のディテールは非常に細かいですね😲
彼はインタビューにも劇場の衣装を着て現れたとのこと

 
ネオバロック時代のメタフィジカ

「現実は地球上に存在しないので 絵画の中にも存在しない」「人間は真実でないことが好き」とのこと😲
ミューズ」の作品も上野で展示されています

‘68~’78年 ネオメタフィジカ 形而上絵画

ここで彼は 今までのメタフィジカ作品を手直ししてゆきます
色と静寂さ 「イタリア広場」でも 1924年と1974年では 孤立感から解放感へと変わっていますね

燃え尽きた太陽のあるイタリア広場(Piazza d’Italia con sole spento)」(1971)など 2つのテーマをまとめています 太陽と月がひもでつながっています

最後に 上野のデ・キリコ展に展示されているメタフィジカの作品についてみてゆきました:

瞑想者(il meditatore)』 『オィディプスとスフィンクス』の謎解き等😊

オデュッセウスの帰還(il ritorno di Ulisse)』は 室内のメタフィジカを描いた80才の作品ですが 過去の記憶から離れて新しい探求を始めるのですね
 
1978年11月20日 ローマにて90才で死去 遺骨はローマのトラステヴェレの サン・フランチェスコ・ア・リパ教会にあるそうです⛪ 

デ・キリコ展は こちら 

LCIのセミナーのお知らせは こちら


追記:

日伊協会の終了証授与式(3/30)で聞いた特別セミナー『20世紀初頭から今日までのイタリアの芸術        ― イタリア人アーティストの世界観の推移(通訳付)
こちらでは 未来派(futurismo)    シュールレアリスム gruppo 1900という運動 
アルテ・ポヴェラ(Alte povera)という運動 高価な素材を使わずごみや日用品も排泄物すらも使ったそうです😲
   
 現代美術 (arte contemporaneo)のざっとした流れについてお話いただきました 
自分の視点から自由な解釈にまかせること またイタリアの美術館ではよく話すそうです  イタリアでの開かれた美術教育についてもご紹介いただきました 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリアン・デザイン・デー講演会「東洋的発想 イタリアン・デザインと日本の関係史」に参加しました(2024.3.14)@イタリア文化会館 

2024年04月06日 | イタリア関連の催し
イタリアン・デザイン・デー講演会「東洋的発想 イタリアン・デザインと日本の関係史」に参加しました(2024.3.14)@イタリア文化会館 


久しぶりにイタリア文化会館に行ってきました この時はまだ千鳥ヶ淵の桜🌸は咲いていませんでした

講演会要旨: 
この講演会のテーマは、長きにわたり、数々の実りをもたらしたイタリアン・デザインと日本との関係です。この講演会の会場であり、ガエ・アウレンティによって生み出された建築物であるイタリア文化会館を出発点に、マルコ・サンミケーリはミラノ・トリエンナーレ国際展示会での日本パビリオンの展示を紹介します。そのなかには、蓮池槇郎や細江勲夫のように、イタリアで高い評価を受けたプロフェッショナルもいます。

20世紀後半には、日本に足を運ぶことで想像力と感性を育んだイタリア人デザイナーたちが現れました。たとえば、マックス・フーバーや葵・フーバー・河野、河野鷹思と交流のあったブルーノ・ムナーリ、あるいは倉俣史郎や梅田正徳、高濱和秀と友情をはぐくんだカルロ・スカルパやエットレ・ソットサスなどです。また、現在活躍するデザイナーとして、武内経至や後藤司、菰田和世、デザインユニットMist-Oも挙げなければならないでしょう。

この講演会は、イタリアン・デザインの巨匠のなかでも、最も日本的であったアンジェロ・マンジャロッティへのオマージュで締められます。

     *    *    *
  
会場には  2023年10月に参加した『アルファベット・マンジャロッティ』の映画上映会でお見かけした マンジャロッティのお弟子さん方も見えていらして懐かしかったです😊

そう この日の会場であるイタリア文化会館こそ ガエ・アウレンティが設計した建物でありイタリアデザインのシンボルなのですよね💕


 イタリア文化会館にあったポスター

2025年第24回のミラノ・トリエンナーレのテーマは「不平等(Inequalities as unbalance)」とのこと

Museo del Design Italianoには 300を超えるセレクションが展示されています 
ここのGiancario De Carlo gardenという庭園では 今春 上野で展覧会が開催されるデ・キリコ作の「奇妙な浴槽 (The Mysterious Baths)」という即品が展示されています 
 
また ミラノのリナーテ空港でも トリエンナーレの作品が見られるそうです🛫 

2025年の大阪万博でもイタリアのパビリオンが予定されています

引き続き 日本人デザイナー達の作品もご紹介いただきました 

1960年の第12回ミラノ・トリエンナーレでは 日本パビリオンに竹と家電を融合した工業デザインが現れました

1988年の第17回では 未来都市がテーマとなり(The Cities of the World and the Future of the Metropolis) 当時あまり受けなかった「情報化社会」が今は注目されています

1996年の第19回には阪神淡路大震災が起き クライシス 大都市の匿名性の危機 公共空間の回復等がテーマとなりました(Identities and differences. Integration and plurality in today forms. Cultures between ephemeral and durable)

Carlo Scarpaは日本愛好家でもあり 永遠を日本文化から学んだそうです 背もたれで体を受け入れるカーブの椅子など

1947年のマックス・フーバーの作ったポスター等もご紹介いただきました

そしていよいよ アンジェロ・マンジャロッティの登場です 彼はもっとも日本的なイタリア人デザイナーであり お弟子さんや協力者には日本人が多く この会場にもいらしていました 
重力のみではめ込むテーブルや ひじ掛け椅子 時計等 興味深かったです 

最後に質疑応答に移りましたが この日は同時通訳で(私の尊敬する先生の!)  講演は原稿があるものの質疑応答はフリーハンドで 話者の難解で早口の解答を聞きながら訳すという 人間業とは思えない同時通訳を聴いてドキドキしながら終了時間を迎えました😲

素晴らしいイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます

開催のお知らせは こちら





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』が公開されます(2024年4月26日~)@YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他

2024年03月20日 | イタリア関連の催し

イタリア史上最大級の波紋を呼んだ事件―『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』が公開されます(2024年4月26日~)@YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他


イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督最新作『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』(Rapito)

これはイタリア史上最大級の波紋を呼んだ「エドガルド・モルターラ誘拐事件」をベースに作られた スピルバーグが映像化を断念した 空前の衝撃作です  

ユダヤ人街で家族とともに暮らしていた7歳を迎える男児エドガルドが、「何者かに洗礼を受けた」という情報により教会に連れ去られてしまった史実を描いている

1858年、ボローニャのユダヤ人街で、教皇から派遣された兵士たちがモルターラ家に押し入る。枢機卿の命令で、7歳になる息子エドガルドを連れ去りに来たのだ。

取り乱したエドガルドの両親は、息子を取り戻すためにあらゆる手を尽くす。世論と国際的なユダヤ人社会に支えられ、モルターラ夫妻の闘いは急速に政治的な局面を迎える。

しかし、教会とローマ教皇は、ますます揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に応じようとしなかった…。

記事は こちら

映画は こちら

予告編は こちら

実話に基づく映画とのこと イタリア統一直前に起きた事件を知り 驚きでした😲

 

イタリア語ランキング
イタリア語ランキング

 

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ
にほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「記憶の日 2024 ― グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語」に行ってきました(2024.1.26)@イタリア文化会館

2024年01月28日 | イタリア関連の催し

「記憶の日 2024 ― グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語」に行ってきました(2024.1.26)@イタリア文化会館

 

記憶の日(Giorno della Memoria)」として制定された1月27日にちなんで イタリア文化会館で行われた本の出版記念イベントに行ってきました 今年初めてのイタリア文化会館です

Diario di Guido Levi (introduzione)

2000年7月20日、イタリアは1945年にソ連軍によってアウシュヴィッツ強制収容所が解放された1月27日を「記憶の日」(Giorno della Memoria)と名付け、公式の記念日としました。2005年に国際連合総会で決議採択されたのち、記憶の日は国際的な記念日となりました。

この記念日はショア―や人種法の犠牲者、移送や監禁、政治的な理由による死にいたったすべての人々、そして虐殺計画に反対し、迫害された人々を守り、命を救ったすべての人々を記憶するために定められました。

毎年この時期には、ユダヤ人やナチスの強制収容所に収容された人々の身に起こったことの記録を残し、二度とこのような惨事が繰り返されないために、さまざまな語りや熟考の機会が企画されています。

2024年、イタリア文化会館は「グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語」を紹介します。この本は1942年ジェノヴァからスイスへと逃避した8歳の子どもの日記を集めたものです。彼は身の回りが安全になれば、自身の物語を日記へと託したいと考えていました。

グイドの娘であるフランチェスカ・レーヴィ氏の証言、出版プロジェクトの監修者であるマヌエーラ・デ・レオナルディス氏によるプロジェクトの紹介、そして日記の日本語訳の朗読を、ジュズィー・ラウリオーラ氏が日記のために生み出したイメージの上映とともに行います。

       *     *     *

この日 イタリア文化会館館長の挨拶に続き 駐日イタリア大使の言葉 そしてこの本の著者グイド・レーヴィの娘フランチェスカ・レーヴィによる この本の出版についての語りが始まりました

1942年 8歳だった父 グイド・レーヴィは ジェノヴァの空襲に逢い さまざまな街を経てようやく1943年にスイス・ジュネーブへと逃亡します 母親が密輸業者との交渉のために家を不在にする間の不安な日々 8歳の子どもが恐ろしい記憶を保ち それを日記に綴ります

それを彼が父親となってから家族の目にみえるところに置きながらも 家族は辛すぎるため封印していました それがあのコロナのロックダウン下にあった2020年に とうとう「この父の日記はこの本棚から外に出してあげなければならない」と決心し 出版に至った経緯を聞きました

1938年の人種法により イタリア在住のユダヤ人たちにも苦難の日々が訪れます グイド・レーヴィの家族もまた非合法に生きなければならず 1943年のイタリア社会共和国下において 全財産を没収するという法令のもとで 世俗のユダヤ人一家として様々な街を変遷しながら 1943年12月7日 ようやくスイスに入ったこと また他のユダヤ人家族がアウシュヴィッツに送還されてしまったこと スイスの国境に資料館があること 父はどんな苦難も明るい色をつけて夢を描ける才能があったのではないかとの言葉 そして最近ローマで観た宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」の冒頭の火事のシーンが 自分の幼い頃とシンクロしたこと 最後の証人である90才の叔父のこと等を 切々と語ってくださいました

  ホワイエに展示されたショア―の本や出版された本の挿絵

 

続き出版プロジェクトの監修者であるマヌエーラ・デ・レオナルディス氏によるプロジェクトの紹介がありました

著者の娘フランチェスカの友人であり 他の何人かのショア―の生き残りのことにも触れた彼女は 「占領から逃亡へ」「非合法で地下に潜む」「ゲットー・強制収容所の中で」の3つのカテゴリーの中の 1と2の中間にあるこの著者の8歳の時に書いた日記を さまざまな年代にも読めるものにするために 多くの検討を行ったとのこと かばん一つでスイスに向かったミラノ生まれのリリアーナ・セグレ上院議員も アウシュヴィッツの生き残りのひとりでした

そして 1979年の父の死後に 兄とともに このテーマは切迫した課題でもあると捉えて出版にこぎつけたこと 本はアコーディオン形式で 12枚のジュズィー・ラウリオーラ氏によるイラストとともに 本物の日記と同じ大きさでもって作られ 美術品としても楽しめるものとしました それぞれの色にはそれぞれの意味を持たせたとのこと

続き イラストを描かれたジュズィー・ラウリオーラ氏により 著者がもし生きていたらきっと喜んでくださるだろう この仕事を通じてこの少年の心の中を旅することができた この少年には悲惨な現実を違う形に変える才能があったのではないかと感じた との言葉をいただきました

 

   出版されたグイド・レーヴィの日記

 

   イベントのチラシや本

そして 和訳の朗読とともに本のイメージがスクリーンに映し出されました 8歳の少年の言葉そのものの 心に響く素晴らしい訳でした 

故郷ジェノヴァの空襲に始まり 列車でシエナに逃げ ドイツ人がやって来た時の恐怖 レーヴィからレヴィ―ニに名前を変えるも 兄の学校にファシストが来てばれてしまったこと 偽造身分証明書を作り ボローニャ そしてミラノ等を経て スイスの国境には青い外套を着た密輸業者が付き添ったこと 前日にスイス入りしていた祖母 男女別に分けられ藁のベッドに寝たり 言葉の通じないチューリッヒの病院に入院し ローザンヌの寄宿学校に入り 2年後にイタリアに帰国するという 生きているのが奇跡のように思えるという締めくくりでした

続く質疑応答のあとで 会場と心をひとつにして 世俗のユダヤ人として宗教的ユダヤ人コミュニティとは直接コンタクトをしなくとも どんな方法でスイス逃亡への情報を共有していたのかという質問に 帰国後に新たな課題を得たとの締めくくりで この「記憶の日」の貴重なイベントは終了いたしました 

貴重なイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます

 

イベントは こちら

"Giorno della Memoria: un diario per ricordare, Una storia piena di paure, di ansie e di avvenimenti quasi gialli (1942-1946)"(記憶の日: グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語)は こちら

 

イタリア語ランキング
イタリア語ランキング

 

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ
にほんブログ村

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『南イタリア発「灼熱のタランテッラ」トーク&ライブ ~カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノを迎えて~』に行ってきました(2023.9.20)@イタリア文化会館

2023年09月21日 | イタリア関連の催し

『南イタリア発「灼熱のタランテッラ」トーク&ライブ ~カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノを迎えて~』に行ってきました(2023.9.20)@イタリア文化会館

 

今日もイタリア文化会館アニェッリ・ホールは 満席も満席~💕

かねてより楽しみにしていたタランテッラ 無事にキャンセル待ちが出て観に行くことができました😊

1975年に設立された 南イタリア・プーリア州の民族舞曲タランテッラ&ピッツィカの最高峰バンド 「カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノ(CGS)」の初来日公演を記念しての 南イタリアの文化とタランテッラ(ピッツィカ)音楽を紹介するトーク&ライブイベントです

 

トークのコメンテーターは な なんとディエゴ・マルティーナ氏😲 

彼の著書「誤読のイタリア」をつい最近読んだので その流ちょうな日本語にビックリ😲 

彼もサレント出身でタランテッラを愛し 毎年8月にレッチェ(Lecce)で行われる「タランタの夜(La notte della Taranta)」というフェスティバルにも行っているとのこと

プーリア方言の lu sule (太陽)  lu mare (海)  lu ientu(風)は 日本での3種の神器と同じように大切なものとのこと

レッチェ産の石pietra lecceseは乳白色をしており 触れると石とも思えぬ程柔らかいそうです

グレツィア・サレンティーナ(Grecia Salentina)等のいくつかの村では 今も少数ながら 老人や若者の間でグリコ語(Griko)というギリシャ語系の方言が話されており保存運動もあります 

地中海の十字路にある多文化の入り混じった地域で生まれたため それがグループの名(Canzoniere Grecanico Salentino)にも反映されているとのこと Griko語で歌われる作品もあるそうで とうとう終了後にはCDを買ってしまいました💕

 

                                        コメンテーターのディエゴ・マルティーナ氏

グループ代表のマウロ・ドゥランテ(Mauro Durante)氏の父ダニエーレ・ドゥランテ氏らが1975年に設立し 設立当初の意図を受け継ぎつつも新しい考えを重ね  未来に投影してゆきたいとの抱負を語っていただきました 

    *       *       *

さてタランテッラ(talantella)についてです

南イタリアに古来から伝わる民族舞踊で 毒蜘蛛に噛まれた(il morso del ragno)人が一晩中激しく踊り  汗とともに解毒するためのダンス音楽で 南イタリアに多く プーリア州ではピッツィカ(pizzica)と言われています 

最古の記録は1346年のものが残されているとのことで (より古くからあるとも言われています) 50年代のドキュメンタリービデオを見せていただきましたが圧巻でした💃 

実際にはタランチュラにはほとんど害はなく 精神的危機や不安に陥った人々による一種の癒し行為で 毒を出す治癒儀礼をタランティスモ(Tarantismo)といいます 一種のトランス状態ですね

 

次に楽器の紹介です タランテッラで使われる代表的な楽器 タンブレッロ(tambrello)を早速実演していただき そのスピード感と音の大きさにホールの空気が一瞬沸いた感じがした程です ディエゴ氏によると小学校でも習うそうです😊

Facebook ← tambrelloの実演

 

                   タランテッラで使われる種々の楽器

 

     *       *       *

さて 休憩をはさんで 後半はワークショップと実演です

3名の女性がステージに上がり ダンサーのシルヴィア(Silvia Perrone)さんとタランテッラを踊り始めました😲 

そして 演奏に歌 ラストはタランテッラのダンスを 観客もみな立ち上がり手拍子を打ちながら そして一緒に歌いながらフィナーレとなりました 

日本が大好きというマウロさんたちのその嬉しそうな顔を見ていると 初来日をどんなに喜んでいるかが伝わってきました😊

 

                    タランテッラの激しい踊りを披露

Facebook  ← Tarantella(タランテッラ)の歌と踊り

 

そして終了後に買ったCDにサインをしていただき 少しお話もできて とても良い思い出となりました💕 

                最新(2023.1月)のCDにサインしていただきました♪

 

『南イタリア発「灼熱のタランテッラ」トーク&ライブ ~カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノを迎えて~のお知らせは こちら

素晴らしいイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます

 

イタリア語ランキング
イタリア語ランキング

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ
にほんブログ村

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シンポジウム「イタリア大使館に受け継がれた江戸の大名庭園 — 調査プロジェクト報告会 ー」に行ってきました(2023.7.20@イタリア文化会館

2023年07月28日 | イタリア関連の催し

シンポジウム「イタリア大使館に受け継がれた江戸の大名庭園 — 調査プロジェクト報告会 ー」に行ってきました(2023.7.20@イタリア文化会館

 

ベネデッティ駐日イタリア大使の イタリア大使館庭園に対する大いなる情熱 そしてそれを受け止め調査・研究を熱心に進められた多くの方々のご尽力に ただただ圧倒され感動いたしました... 

人の思いというものが これほどまでに 長い時の流れの中で痛みつつある庭園を見事に蘇らせることができるのだと知り このプロジェクトの成功を心より願ってやみません

 

趣旨:

東京都港区三田の高台に位置する在日イタリア大使館は、江戸の大名屋敷の跡を受け継ぎ、湧水による池泉回遊式庭園の美しさを 今なお留める貴重な場所です。東京大空襲ではこの洋館建築が失われましたが、日伊の建築家の共同作品という形で現在の建物が1965年に完成しました。一方で、庭園の部分は戦災の被害を免れ、元の姿を伝えてきました。

しかし、近代化で地下水の水位が下がり水環境の状態も悪化し、池を中心とする庭園全体の管理の上でも色々な問題を抱えていました。

そこでジャンルイジ・ベネデッティ駐日イタリア大使より、この庭園の歴史的・文化的な価値を明らかにし、庭園のランドスケープの本来の姿を取り戻すための総合的な調査研究プロジェクトが提案され、法政大学江戸東京研究センターと 東京農業大学造園科学科のメンバーによる合同の調査チームが編成されました。

そして2022年1月、建築史・都市史、庭園史、ランドスケープ、水環境・水循環、生態系などを横断する学際的な研究チームのもとで、この庭園の全容を解明するという画期的なプロジェクトがスタートしました。


本プロジェクト報告会では、この庭園の歴史的・環境的特徴とその文化的価値、さらには現状での問題点を分析考察した研究成果とともに、今後に向けた、水循環システムの回復の方法、そして池周辺の修景など庭園整備のための基本的な考え方も提案されます。

   *     *      *

イタリア大使館の庭園:
giardino in autunnoイタリア大使館の庭園は、17世紀にはすでに築園されており、原形は沢庵和尚の作と考えられ、都内でも最も格式と由緒ある名園の一つです。

1603年徳川家康により江戸幕府が開府されると、政府の中心は京都から江戸(現東京)へと移り、江戸は急速に発展しました。本庭園は、江戸時代(1603年-1867年)初期の造園と思われ、1689年の地形図には、徳川幕府が封建領主である諸藩の大名に与えた江戸の「中屋敷」である松平家の所有地が明記されています。

幾本かの銀杏の巨木をはじめ何世紀もの風雪に耐えてきた樹々や、築山に囲まれた池、うっそうとした小径の傍らには、また、広々とした芝生の片隅には数々の風雅な石燈籠がバランスよく点在し、悠久かつ壮大な庭園を引き立てています。


戦後、庭園は、京都の庭師小川治兵衛の庭造りの伝統作法を踏襲する岩城造園(現株式会社岩城)によって新たに作庭されました。そして、訪問者が散策し遊歩することによって、場所ごとに綿密に構成された景観を次々と鑑賞できる「回遊式庭園」の形式を保っています。

このことから、築山の上にある石造りの鳥居のある古寺が、庭園の起源に遡ると考えられます。庭園は、春のつつじや桜、夏のアジサイ、秋の色彩など、一年を通して季節ごとに刻々と変化する新たな息吹を感じさせてくれます。また、隣接する緑地とともに、留鳥、渡り鳥を問わず鳥にとって理想的な生息地でもあります。


さらに、大使館の庭園は、1703年に播州赤穂の大名、浅野内匠頭長矩 (1667-1701) に仕えた赤穂浪士47名のうち10名が、儀式に則って自害を遂げたという悲惨な史実によって「武士の庭」として知られており、領主の仇討を果たした忠義の武士の悲劇が、数世紀に亘って歌舞伎の「忠臣蔵」で語り継がれています。(出典: イタリア大使館HP)

   *     *      *

イタリア大使館に1987年から4年間 外交官として赴任していらしたベネデッティ大使が 2021年に再び大使としてこの大使館を訪れた時 その池泉回遊式庭園の美しさが損なわれつつある姿に胸を痛め 大使の熱心な呼びかけに応じて研究チームが結成され イタリア環境基金の支援のもとに調査・研究が開始されました

 

この在日イタリア大使館は 江戸の大名屋敷の跡を受け継ぎ 湧水による泉回遊式庭園の美しさを 今なお留める貴重な場所です

他の庭園が 文化財保護法のもとで現代的手法で修復された一方 治外法権により伝統的な方法により修復され 現代に残る江戸時代からの庭園の姿をとどめ またそれ故にダメージも大きいという側面があると知りました

明治期に入り松方正義邸となり ジョサイア・コンドルの設計で洋館が建てられ それをイタリア大使館が継承しました

東京大空襲で洋館建築が失われ イタリア人建築家ピエル・フランチェスコ・ボルゲーゼ(Pier Francesco Borghese)によって 1959年に設計原案が作られ 日本人建築家の村田政真(まさちか)が参加し 日伊の建築家の共同作品として1965年に完成しました

私も2015年3月に イタリア文化会館の「東京へようこそ!」のレッスンの課外レッスンとしてイタリア大使館を生徒一同で訪れ 赤穂浪士10名切腹の地の石碑の前で説明をした思い出があります 

    *     *      *

まずは歴史 湧き水を利用した松平正義家の中屋敷となり 沢庵和尚が作庭したのではないかとされるお話 また 1703年に赤穂浪士10名が切腹した記念の石碑が池のほとりにあります 

回遊式庭園には茶屋が3つ お稲荷さん 池の中の太鼓橋には藤棚がありましたが今は残っていません 和舟で池の中を周遊したという写真をもとに 大使の呼びかけのもとで「和舟プロジェクト」が立ち上がり 和舟友の会和船の会等のご協力を得て和舟を庭園の池に進水させたプロジェクトについても発表されました🚢

(私も一度だけ 和船に乗ったことがあります🚢)

 

  和舟プロジェクトの始まりとなった一枚の写真

 

池を東西に分断した蘇提 また国元の松山の庭園との類似性も見て取れるとのこと 

明治に入り松方邸となり 「恵露閣」という和館と 5mの滝「御幸の漠」が作られました 今は赤穂浪士が愛でたという九重の石塔は残っていないそうです 

  和館「恵露閣」と「御幸の漠

 

ボルゲーゼと村田政真による現イタリア大使館の設計については 建物の下に池が入り込む形となっており 大使の執務室から庭園が眺められ 沓脱石(くつぬぎいし)を生かして配置してあるそうです 

 

 ボルゲーゼと村田政真による 現イタリア大使館の設計

水環境について:  武蔵野台地の東にあり 関東ローム層の地質をボーリング調査したとのこと 池の水質は ヘドロが北に堆積しており 水位も変動し(大使自らが測定されたとのこと) 水質は思ったよりも良好で 池の水流を作り水循環システムを作れば改善される等の発表がありました

造園について: 江戸時代からの汀線(ていせん/海面と陸地とが接する線)を保存しているというお話 池の護岸の保存・修復について 損傷が進んではいるが 本庭園の江戸期の工法をとどめている貴重な事例であること 裏込めの流出や 護岸石の緩みや崩壊等の問題 根茎の成長による損傷 コンクリート護岸の劣化について 多くの写真とともに伺いました 

土居木の腐食や石の系統や転倒については 石の倒れ方を記録した上で戻すことが大切であること イタリア大使館は伝統的な護岸工法を今に伝える 現存する貴重な事例であり それ故にダメージも大きいとのことでした

石の調査:  非破壊検査装置で磁性を測定し すべての石の種類を特定したそうです😲 石材流通の研究資料にも生かせるとのこと 

樹木の調査: 1039本と多めですが 1932年の引き渡し時には300本だったそうです 

イチョウ クスノキ ヒマラヤ杉 ムクノキなど また椿類や イロハモミジ タブノキ その他...

イチョウの巨木(幹周300cm以上)の下には 現存しない祠(ほこら)もあったとのこと 松方家の先祖を奉っていたのではないでしょうか 貴重な巨木の保全が望まれます

クスノキについて この木からは樟脳(しょうのう)が採れるのですが 松方家は薩摩出身で 樟脳は薩摩の特産品とのこと 

紫陽花(あじさい)は 旧大使館から植え替えた記録が残っており イタリア人は紫陽花が好きだったのではないかと推察されるそうです

  *     *      *

このあと討論に移り グランドビジョンに基づいて ゾーニングを図り 軸線を見つけ 動性を作り 歩きながら楽しめるようなスペースを作り 灯篭が視線を奥に誘導させたり また街中でビルの背景の中にあり 西洋建築に合うヒマラヤ杉が突出していること等が語られましたが ともかく普段は足を踏み入れることの難しいイタリア大使館の庭園に何度も調査に入り 大使の肝入りでもってここまでこれたことへの感謝と 将来は日伊交流の場としてゆきたいとの抱負が語られました

このあと記念撮影と ホワイエでの美味しいビュッフェに移りました🍷

これからのこのプロジェクトの成功を祈ってやみません

シンポジウム「イタリア大使館に受け継がれた江戸の大名庭園 — 調査プロジェクト報告会 ー」のお知らせは こちら

 

イタリア語ランキング
イタリア語ランキング

 

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする