Sono andata alla mostra personale di una mia amica alla galleria a Gaien-mae, dopo alla mostra di "Glove puppetry(布袋劇)" a Tranomon, e alla fiera dei piatti italiani al grande magazzino Tobu a Ikebukuro
(2024.7.18)
紀元前に繁栄した古代エトルリア人の墓をなぜか発見できる特殊能力を持っている。
墓泥棒の仲間たちと掘り出した埋葬品を売りさばいては日銭を稼ぐ日々。
そんなアーサーにはもうひとつ探しているものがある。それは行方知れずの恋人・ベニアミーナだ。
ベニアミーナの母フローラ(イザベラ・ロッセリーニ)も アーサーが彼女を見つけてくれることを期待している。
しかし彼女の失踪には何やら事情があるようだ…。
ある日、稀少な価値を持つ美しい女神像を発見したことで、闇のアート市場をも巻き込んだ騒動に発展していく…。
原題:La chimera
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2024年7月19日
今日はまず 銀座1丁目の奥野ビルで開催初日のアエミリア・アルス(Aemilia.Ars)「白糸と黒糸のおはなし(La storia del filo bianco e del filo colorato)」ボローニャのメルレットレース(il Merletto Di Bologna)の展覧会(2024.5.16~21)に行きました
アエミリア・アルス(Aemilia. Ars)というレース編み技法は ボローニャの伝統的な技法で 日本で本格的に紹介されるのは初めてとのこと
マエストラのパオラ先生と アンティークレースの私蔵コレクションを携えてフランチェスカさんも見えられました
プント・アンティーコ( Punto Antico ) は イタリアの様々な地域で それぞれ独自に 他の技法と組み合わせて用いられている区限刺繍です
現代美術 (arte contemporaneo)のざっとした流れについてお話いただきました
イタリア史上最大級の波紋を呼んだ事件―『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』が公開されます(2024年4月26日~)@YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他
イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督最新作『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』(Rapito)
これはイタリア史上最大級の波紋を呼んだ「エドガルド・モルターラ誘拐事件」をベースに作られた スピルバーグが映像化を断念した 空前の衝撃作です
ユダヤ人街で家族とともに暮らしていた7歳を迎える男児エドガルドが、「何者かに洗礼を受けた」という情報により教会に連れ去られてしまった史実を描いている
1858年、ボローニャのユダヤ人街で、教皇から派遣された兵士たちがモルターラ家に押し入る。枢機卿の命令で、7歳になる息子エドガルドを連れ去りに来たのだ。
取り乱したエドガルドの両親は、息子を取り戻すためにあらゆる手を尽くす。世論と国際的なユダヤ人社会に支えられ、モルターラ夫妻の闘いは急速に政治的な局面を迎える。
しかし、教会とローマ教皇は、ますます揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に応じようとしなかった…。
記事は こちら
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予告編は こちら
実話に基づく映画とのこと イタリア統一直前に起きた事件を知り 驚きでした😲
「記憶の日 2024 ― グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語」に行ってきました(2024.1.26)@イタリア文化会館
「記憶の日(Giorno della Memoria)」として制定された1月27日にちなんで イタリア文化会館で行われた本の出版記念イベントに行ってきました 今年初めてのイタリア文化会館です
2000年7月20日、イタリアは1945年にソ連軍によってアウシュヴィッツ強制収容所が解放された1月27日を「記憶の日」(Giorno della Memoria)と名付け、公式の記念日としました。2005年に国際連合総会で決議採択されたのち、記憶の日は国際的な記念日となりました。
この記念日はショア―や人種法の犠牲者、移送や監禁、政治的な理由による死にいたったすべての人々、そして虐殺計画に反対し、迫害された人々を守り、命を救ったすべての人々を記憶するために定められました。
毎年この時期には、ユダヤ人やナチスの強制収容所に収容された人々の身に起こったことの記録を残し、二度とこのような惨事が繰り返されないために、さまざまな語りや熟考の機会が企画されています。
2024年、イタリア文化会館は「グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語」を紹介します。この本は1942年ジェノヴァからスイスへと逃避した8歳の子どもの日記を集めたものです。彼は身の回りが安全になれば、自身の物語を日記へと託したいと考えていました。
グイドの娘であるフランチェスカ・レーヴィ氏の証言、出版プロジェクトの監修者であるマヌエーラ・デ・レオナルディス氏によるプロジェクトの紹介、そして日記の日本語訳の朗読を、ジュズィー・ラウリオーラ氏が日記のために生み出したイメージの上映とともに行います。
* * *
この日 イタリア文化会館館長の挨拶に続き 駐日イタリア大使の言葉 そしてこの本の著者グイド・レーヴィの娘フランチェスカ・レーヴィによる この本の出版についての語りが始まりました
1942年 8歳だった父 グイド・レーヴィは ジェノヴァの空襲に逢い さまざまな街を経てようやく1943年にスイス・ジュネーブへと逃亡します 母親が密輸業者との交渉のために家を不在にする間の不安な日々 8歳の子どもが恐ろしい記憶を保ち それを日記に綴ります
それを彼が父親となってから家族の目にみえるところに置きながらも 家族は辛すぎるため封印していました それがあのコロナのロックダウン下にあった2020年に とうとう「この父の日記はこの本棚から外に出してあげなければならない」と決心し 出版に至った経緯を聞きました
1938年の人種法により イタリア在住のユダヤ人たちにも苦難の日々が訪れます グイド・レーヴィの家族もまた非合法に生きなければならず 1943年のイタリア社会共和国下において 全財産を没収するという法令のもとで 世俗のユダヤ人一家として様々な街を変遷しながら 1943年12月7日 ようやくスイスに入ったこと また他のユダヤ人家族がアウシュヴィッツに送還されてしまったこと スイスの国境に資料館があること 父はどんな苦難も明るい色をつけて夢を描ける才能があったのではないかとの言葉 そして最近ローマで観た宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」の冒頭の火事のシーンが 自分の幼い頃とシンクロしたこと 最後の証人である90才の叔父のこと等を 切々と語ってくださいました
ホワイエに展示されたショア―の本や出版された本の挿絵
続き出版プロジェクトの監修者であるマヌエーラ・デ・レオナルディス氏によるプロジェクトの紹介がありました
著者の娘フランチェスカの友人であり 他の何人かのショア―の生き残りのことにも触れた彼女は 「占領から逃亡へ」「非合法で地下に潜む」「ゲットー・強制収容所の中で」の3つのカテゴリーの中の 1と2の中間にあるこの著者の8歳の時に書いた日記を さまざまな年代にも読めるものにするために 多くの検討を行ったとのこと かばん一つでスイスに向かったミラノ生まれのリリアーナ・セグレ上院議員も アウシュヴィッツの生き残りのひとりでした
そして 1979年の父の死後に 兄とともに このテーマは切迫した課題でもあると捉えて出版にこぎつけたこと 本はアコーディオン形式で 12枚のジュズィー・ラウリオーラ氏によるイラストとともに 本物の日記と同じ大きさでもって作られ 美術品としても楽しめるものとしました それぞれの色にはそれぞれの意味を持たせたとのこと
続き イラストを描かれたジュズィー・ラウリオーラ氏により 著者がもし生きていたらきっと喜んでくださるだろう この仕事を通じてこの少年の心の中を旅することができた この少年には悲惨な現実を違う形に変える才能があったのではないかと感じた との言葉をいただきました
出版されたグイド・レーヴィの日記
イベントのチラシや本
そして 和訳の朗読とともに本のイメージがスクリーンに映し出されました 8歳の少年の言葉そのものの 心に響く素晴らしい訳でした
故郷ジェノヴァの空襲に始まり 列車でシエナに逃げ ドイツ人がやって来た時の恐怖 レーヴィからレヴィ―ニに名前を変えるも 兄の学校にファシストが来てばれてしまったこと 偽造身分証明書を作り ボローニャ そしてミラノ等を経て スイスの国境には青い外套を着た密輸業者が付き添ったこと 前日にスイス入りしていた祖母 男女別に分けられ藁のベッドに寝たり 言葉の通じないチューリッヒの病院に入院し ローザンヌの寄宿学校に入り 2年後にイタリアに帰国するという 生きているのが奇跡のように思えるという締めくくりでした
続く質疑応答のあとで 会場と心をひとつにして 世俗のユダヤ人として宗教的ユダヤ人コミュニティとは直接コンタクトをしなくとも どんな方法でスイス逃亡への情報を共有していたのかという質問に 帰国後に新たな課題を得たとの締めくくりで この「記憶の日」の貴重なイベントは終了いたしました
貴重なイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます
イベントは こちら
本"Giorno della Memoria: un diario per ricordare, Una storia piena di paure, di ansie e di avvenimenti quasi gialli (1942-1946)"(記憶の日: グイド・レーヴィの日記 恐怖と不安と不思議な出来事に満ちた物語)は こちら
『南イタリア発「灼熱のタランテッラ」トーク&ライブ ~カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノを迎えて~』に行ってきました(2023.9.20)@イタリア文化会館
今日もイタリア文化会館アニェッリ・ホールは 満席も満席~💕
かねてより楽しみにしていたタランテッラ 無事にキャンセル待ちが出て観に行くことができました😊
1975年に設立された 南イタリア・プーリア州の民族舞曲タランテッラ&ピッツィカの最高峰バンド 「カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノ(CGS)」の初来日公演を記念しての 南イタリアの文化とタランテッラ(ピッツィカ)音楽を紹介するトーク&ライブイベントです
トークのコメンテーターは な なんとディエゴ・マルティーナ氏😲
彼の著書「誤読のイタリア」をつい最近読んだので その流ちょうな日本語にビックリ😲
彼もサレント出身でタランテッラを愛し 毎年8月にレッチェ(Lecce)で行われる「タランタの夜(La notte della Taranta)」というフェスティバルにも行っているとのこと
プーリア方言の lu sule (太陽) lu mare (海) lu ientu(風)は 日本での3種の神器と同じように大切なものとのこと
レッチェ産の石pietra lecceseは乳白色をしており 触れると石とも思えぬ程柔らかいそうです
グレツィア・サレンティーナ(Grecia Salentina)等のいくつかの村では 今も少数ながら 老人や若者の間でグリコ語(Griko)というギリシャ語系の方言が話されており保存運動もあります
地中海の十字路にある多文化の入り混じった地域で生まれたため それがグループの名(Canzoniere Grecanico Salentino)にも反映されているとのこと Griko語で歌われる作品もあるそうで とうとう終了後にはCDを買ってしまいました💕
コメンテーターのディエゴ・マルティーナ氏
グループ代表のマウロ・ドゥランテ(Mauro Durante)氏の父ダニエーレ・ドゥランテ氏らが1975年に設立し 設立当初の意図を受け継ぎつつも新しい考えを重ね 未来に投影してゆきたいとの抱負を語っていただきました
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さてタランテッラ(talantella)についてです
南イタリアに古来から伝わる民族舞踊で 毒蜘蛛に噛まれた(il morso del ragno)人が一晩中激しく踊り 汗とともに解毒するためのダンス音楽で 南イタリアに多く プーリア州ではピッツィカ(pizzica)と言われています
最古の記録は1346年のものが残されているとのことで (より古くからあるとも言われています) 50年代のドキュメンタリービデオを見せていただきましたが圧巻でした💃
実際にはタランチュラにはほとんど害はなく 精神的危機や不安に陥った人々による一種の癒し行為で 毒を出す治癒儀礼をタランティスモ(Tarantismo)といいます 一種のトランス状態ですね
次に楽器の紹介です タランテッラで使われる代表的な楽器 タンブレッロ(tambrello)を早速実演していただき そのスピード感と音の大きさにホールの空気が一瞬沸いた感じがした程です ディエゴ氏によると小学校でも習うそうです😊
Facebook ← tambrelloの実演
タランテッラで使われる種々の楽器
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さて 休憩をはさんで 後半はワークショップと実演です
3名の女性がステージに上がり ダンサーのシルヴィア(Silvia Perrone)さんとタランテッラを踊り始めました😲
そして 演奏に歌 ラストはタランテッラのダンスを 観客もみな立ち上がり手拍子を打ちながら そして一緒に歌いながらフィナーレとなりました
日本が大好きというマウロさんたちのその嬉しそうな顔を見ていると 初来日をどんなに喜んでいるかが伝わってきました😊
タランテッラの激しい踊りを披露
Facebook ← Tarantella(タランテッラ)の歌と踊り
そして終了後に買ったCDにサインをしていただき 少しお話もできて とても良い思い出となりました💕
最新(2023.1月)のCDにサインしていただきました♪
『南イタリア発「灼熱のタランテッラ」トーク&ライブ ~カンツォニエーレ・グレカニコ・サレンティーノを迎えて~』のお知らせは こちら
素晴らしいイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます
シンポジウム「イタリア大使館に受け継がれた江戸の大名庭園 — 調査プロジェクト報告会 ー」に行ってきました(2023.7.20@イタリア文化会館
ベネデッティ駐日イタリア大使の イタリア大使館庭園に対する大いなる情熱 そしてそれを受け止め調査・研究を熱心に進められた多くの方々のご尽力に ただただ圧倒され感動いたしました...
人の思いというものが これほどまでに 長い時の流れの中で痛みつつある庭園を見事に蘇らせることができるのだと知り このプロジェクトの成功を心より願ってやみません
趣旨:
東京都港区三田の高台に位置する在日イタリア大使館は、江戸の大名屋敷の跡を受け継ぎ、湧水による池泉回遊式庭園の美しさを 今なお留める貴重な場所です。東京大空襲ではこの洋館建築が失われましたが、日伊の建築家の共同作品という形で現在の建物が1965年に完成しました。一方で、庭園の部分は戦災の被害を免れ、元の姿を伝えてきました。
しかし、近代化で地下水の水位が下がり、水環境の状態も悪化し、池を中心とする庭園全体の管理の上でも色々な問題を抱えていました。
そこでジャンルイジ・ベネデッティ駐日イタリア大使より、この庭園の歴史的・文化的な価値を明らかにし、庭園のランドスケープの本来の姿を取り戻すための総合的な調査研究プロジェクトが提案され、法政大学江戸東京研究センターと 東京農業大学造園科学科のメンバーによる合同の調査チームが編成されました。
そして2022年1月、建築史・都市史、庭園史、ランドスケープ、水環境・水循環、生態系などを横断する学際的な研究チームのもとで、この庭園の全容を解明するという画期的なプロジェクトがスタートしました。
本プロジェクト報告会では、この庭園の歴史的・環境的特徴とその文化的価値、さらには現状での問題点を分析考察した研究成果とともに、今後に向けた、水循環システムの回復の方法、そして池周辺の修景など庭園整備のための基本的な考え方も提案されます。
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イタリア大使館の庭園:
イタリア大使館の庭園は、17世紀にはすでに築園されており、原形は沢庵和尚の作と考えられ、都内でも最も格式と由緒ある名園の一つです。
1603年徳川家康により江戸幕府が開府されると、政府の中心は京都から江戸(現東京)へと移り、江戸は急速に発展しました。本庭園は、江戸時代(1603年-1867年)初期の造園と思われ、1689年の地形図には、徳川幕府が封建領主である諸藩の大名に与えた江戸の「中屋敷」である松平家の所有地が明記されています。
幾本かの銀杏の巨木をはじめ何世紀もの風雪に耐えてきた樹々や、築山に囲まれた池、うっそうとした小径の傍らには、また、広々とした芝生の片隅には数々の風雅な石燈籠がバランスよく点在し、悠久かつ壮大な庭園を引き立てています。
戦後、庭園は、京都の庭師小川治兵衛の庭造りの伝統作法を踏襲する岩城造園(現株式会社岩城)によって新たに作庭されました。そして、訪問者が散策し遊歩することによって、場所ごとに綿密に構成された景観を次々と鑑賞できる「回遊式庭園」の形式を保っています。
このことから、築山の上にある石造りの鳥居のある古寺が、庭園の起源に遡ると考えられます。庭園は、春のつつじや桜、夏のアジサイ、秋の色彩など、一年を通して季節ごとに刻々と変化する新たな息吹を感じさせてくれます。また、隣接する緑地とともに、留鳥、渡り鳥を問わず鳥にとって理想的な生息地でもあります。
さらに、大使館の庭園は、1703年に播州赤穂の大名、浅野内匠頭長矩 (1667-1701) に仕えた赤穂浪士47名のうち10名が、儀式に則って自害を遂げたという悲惨な史実によって「武士の庭」として知られており、領主の仇討を果たした忠義の武士の悲劇が、数世紀に亘って歌舞伎の「忠臣蔵」で語り継がれています。(出典: イタリア大使館HP)
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イタリア大使館に1987年から4年間 外交官として赴任していらしたベネデッティ大使が 2021年に再び大使としてこの大使館を訪れた時 その池泉回遊式庭園の美しさが損なわれつつある姿に胸を痛め 大使の熱心な呼びかけに応じて研究チームが結成され イタリア環境基金の支援のもとに調査・研究が開始されました
この在日イタリア大使館は 江戸の大名屋敷の跡を受け継ぎ 湧水による泉回遊式庭園の美しさを 今なお留める貴重な場所です
他の庭園が 文化財保護法のもとで現代的手法で修復された一方 治外法権により伝統的な方法により修復され 現代に残る江戸時代からの庭園の姿をとどめ またそれ故にダメージも大きいという側面があると知りました
明治期に入り松方正義邸となり ジョサイア・コンドルの設計で洋館が建てられ それをイタリア大使館が継承しました
東京大空襲で洋館建築が失われ イタリア人建築家ピエル・フランチェスコ・ボルゲーゼ(Pier Francesco Borghese)によって 1959年に設計原案が作られ 日本人建築家の村田政真(まさちか)が参加し 日伊の建築家の共同作品として1965年に完成しました
私も2015年3月に イタリア文化会館の「東京へようこそ!」のレッスンの課外レッスンとしてイタリア大使館を生徒一同で訪れ 赤穂浪士10名切腹の地の石碑の前で説明をした思い出があります
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まずは歴史: 湧き水を利用した松平正義家の中屋敷となり 沢庵和尚が作庭したのではないかとされるお話 また 1703年に赤穂浪士10名が切腹した記念の石碑が池のほとりにあります
回遊式庭園には茶屋が3つ お稲荷さん 池の中の太鼓橋には藤棚がありましたが今は残っていません 和舟で池の中を周遊したという写真をもとに 大使の呼びかけのもとで「和舟プロジェクト」が立ち上がり 和舟友の会や和船の会等のご協力を得て和舟を庭園の池に進水させたプロジェクトについても発表されました🚢
(私も一度だけ 和船に乗ったことがあります🚢)
和舟プロジェクトの始まりとなった一枚の写真
池を東西に分断した蘇提 また国元の松山の庭園との類似性も見て取れるとのこと
明治に入り松方邸となり 「恵露閣」という和館と 5mの滝「御幸の漠」が作られました 今は赤穂浪士が愛でたという九重の石塔は残っていないそうです
和館「恵露閣」と「御幸の漠」
ボルゲーゼと村田政真による現イタリア大使館の設計については 建物の下に池が入り込む形となっており 大使の執務室から庭園が眺められ 沓脱石(くつぬぎいし)を生かして配置してあるそうです
ボルゲーゼと村田政真による 現イタリア大使館の設計
水環境について: 武蔵野台地の東にあり 関東ローム層の地質をボーリング調査したとのこと 池の水質は ヘドロが北に堆積しており 水位も変動し(大使自らが測定されたとのこと) 水質は思ったよりも良好で 池の水流を作り水循環システムを作れば改善される等の発表がありました
造園について: 江戸時代からの汀線(ていせん/海面と陸地とが接する線)を保存しているというお話 池の護岸の保存・修復について 損傷が進んではいるが 本庭園の江戸期の工法をとどめている貴重な事例であること 裏込めの流出や 護岸石の緩みや崩壊等の問題 根茎の成長による損傷 コンクリート護岸の劣化について 多くの写真とともに伺いました
土居木の腐食や石の系統や転倒については 石の倒れ方を記録した上で戻すことが大切であること イタリア大使館は伝統的な護岸工法を今に伝える 現存する貴重な事例であり それ故にダメージも大きいとのことでした
石の調査: 非破壊検査装置で磁性を測定し すべての石の種類を特定したそうです😲 石材流通の研究資料にも生かせるとのこと
樹木の調査: 1039本と多めですが 1932年の引き渡し時には300本だったそうです
イチョウ クスノキ ヒマラヤ杉 ムクノキなど また椿類や イロハモミジ タブノキ その他...
イチョウの巨木(幹周300cm以上)の下には 現存しない祠(ほこら)もあったとのこと 松方家の先祖を奉っていたのではないでしょうか 貴重な巨木の保全が望まれます
クスノキについて この木からは樟脳(しょうのう)が採れるのですが 松方家は薩摩出身で 樟脳は薩摩の特産品とのこと
紫陽花(あじさい)は 旧大使館から植え替えた記録が残っており イタリア人は紫陽花が好きだったのではないかと推察されるそうです
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このあと討論に移り グランドビジョンに基づいて ゾーニングを図り 軸線を見つけ 動性を作り 歩きながら楽しめるようなスペースを作り 灯篭が視線を奥に誘導させたり また街中でビルの背景の中にあり 西洋建築に合うヒマラヤ杉が突出していること等が語られましたが ともかく普段は足を踏み入れることの難しいイタリア大使館の庭園に何度も調査に入り 大使の肝入りでもってここまでこれたことへの感謝と 将来は日伊交流の場としてゆきたいとの抱負が語られました
このあと記念撮影と ホワイエでの美味しいビュッフェに移りました🍷
これからのこのプロジェクトの成功を祈ってやみません
シンポジウム「イタリア大使館に受け継がれた江戸の大名庭園 — 調査プロジェクト報告会 ー」のお知らせは こちら
イタリア南部のシチリア島で山火事 空港が一時閉鎖(2023.7.2)@イタリアのニュース
イタリア南部のシチリア島で 暑さが原因とみられる大規模な山火事が発生し 空港が一時閉鎖されました
飛行機が駐機する空港のすぐそばまで炎が迫っています
イタリア・パレルモ空港は25日 山火事を理由に一時閉鎖され 定期便の一部が欠航しました
また空港へアクセスする道路や交通機関も乱れていて 大きな影響が出ています
パレルモでは24日に観測史上最も高い最高気温47℃を記録し シチリア島の各地で暑さが原因とみられる山火事が発生したということです
また現地メディアは 一部地域では暑さが原因で地下ケーブルが損傷し停電が発生 停電の影響が数十万人に及んでいると報じています
ニュースは こちら
ヨーロッパ各地で猛暑と山火事... 日本も相当暑いですが...((+_+))
イタリア・アモーレミーオに行きルカ先生の「百名山」の話を聞いてランプレドットをいただきました🥪(2023.5.20)@With原宿
ひさびさにイタリア・アモーレミーオに行ってきました イタリア語フリートークのメンバーと3名で 楽しいひとときを過ごしました😊
11時過ぎにWithHarajuku3階に到着 会場内のハンモックに座って プログラムにあるイタリア政府観光局の「イタリアクイズ 旅を楽しむためのプチインフォ X アウトドア」のお話を聞きました クイズ全問正解~(笑) アリタリア航空のカトラリーをゲットしました
アリタリアのカトラリー💕
山はモンブラン Cogne のグランパラディーゾ国立公園 ドロミティ (2026ミラノ冬季オリンピックが楽しみ!) ヴェスヴィオ火山 ソレントからのヴェスヴィオ火山 エトナ山 エオリエ諸島 ストロンボリ島等々...
海は シチリアのエガディ諸島 マッタンツァというマグロ漁で知られています マルケ州のぺーザロ コーネロ海岸 ナポリ湾 青の洞窟 プロチダ島 アマルフィ海岸 ポジターノ ラヴェッロ サルディーニャのvillasimius
そして 新観光大使の ボッティチェリのヴィーナスが紹介されました😲
服を着たヴィーナス(Venere)
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引き続き クライマーの平山ユージ氏のイタリアでのロッククライミングのお話を聞き いよいよ我らがルカ・ダンドレア先生の登場!! 生徒さんたちもかけつけてくださったようです😊
2年で百名山を制覇されたルカ先生!
色々な国の山を登り 来日後なんと2年で百名山を制覇したお話を 写真とともに伺いました ルカ先生はテレビにも出演されたことがあります
百名山の話をされるルカ・ダンドレア先生
最初はグループで登っていたのですが 百名山を知り制覇しようと思い立ち 土曜の夜行バスに乗って 日曜は山に登り夜に帰宅という生活を 雨でも雪でも続けていらしたそうです 他の人のリスクまで責任を取るのが難しいため 独りで登りました
一番好きな山は槍ヶ岳で エレガントな形がまさに高嶺の花の女性のようだとのこと
一番の危機一髪だったホワイトアウトの体験には驚愕😲 まさに九死に一生を得たのですね... GPSも使えず 1時間ごとにスマホの目覚まし機能を使って10時間 雪の中を生き延びたとのこと 目が凍傷になってしまい 死を感じて走馬灯のように様々なことが目に浮かんだが 不思議と不安はなかったそうです...
それでもクライミングは続けたい まさに登山は命のメタファーだから まさに生きていると感じるから (mi sento vivo) また靴選びと訓練の大切さをアドバイスしてくださいました
この笑顔!!
最初に上った百名山は富士山 また 槍穂高の峰の上に立ち眺める景色は まるでfine del mondo(この世のものとは思えない)のように息をのむ美しさとのこと
そして 次は北アルプス いつか日本の百名山をイタリア語で本にされたいとの夢を伺いました🏔
最後は 生徒さんたちが花束💐を贈呈💕
* * *
次は Emanuel Rimoldi によるピアノ演奏です🎹
折しも「帰れない山」の映画がかかっている中で バックのイタリアの雄大で美しい山々の写真を観ながらのピアノ演奏を堪能しました🎹
Emanuel Rimoldi によるピアノ演奏
そして お腹がすいてきたので フィレンツェのストリートフードで 牛の内臓を煮込んだパニーノ ランプレドットを3人でいただきました🥪
パンは硬いのでソースを浸して食べるそうです
ちょうど雨もやんで テラスに腰かけてイタリア話に花を咲かせつつ 楽しくいただきました☕
ランプレドット🥪
そして各フロアをぐるぐる... マセラティ、ドゥカティ、ベスパなどが展示してありました🚘 クルーズが当たる抽選 イタリアン食材や雑貨なども...
ドゥカーティ
ベスパ
そして目の前にいきなり現れたのは イタリアのスタイ等のRicami Veronicaのコーナーで なんとその場で赤ちゃんの名前を縫い付けてくださるとのこと😲
5月に生まれたばかりの初孫に 名前を縫いつけたスタイを買ってやらねば...とはたと気づき(笑) これからはこうして孫に色々プレゼントすることになるのだなぁと軽い驚きが...( ;∀;)
Ricami Veronicaのスタイ
買い物をしてゲットした抽選券で 選考結果の発表を待ちながら 家路につきました 毎年11月のイタリア留学フェアのようで イタリア人もたくさん来ていて活気があり とても楽しいひとときを過ごせました💕
イタリアアモーレミーオは こちら ←5/20,21開催です
トニ・セルヴィッロ朗読劇「ダンテの声 “Le voci di Dante”」に行ってきました(2023.5.5)@イタリア文化会館
「今世紀最高の俳優」トニ・セルヴィッロが初来日
2020年ニューヨーク・タイムズによって 21世紀の最も優れた25人の俳優の1人に選ばれたイタリアの名優トニ・セルヴィッロ(Toni Servillo)が 『イタリア映画祭2023』にあわせて初来日しました
それに合わせてイタリア文化会館にて『ダンテの声』( “Le voci di Dante”)という朗読劇を披露されました キャンセル待ちとなっていましたが 早めに知って申し込んだので友人と行くことができ感無量です💕
現代ナポリを代表する小説家・演出家でもあるジュゼッペ・モンテサーノによる朗読劇『ダンテの声』の日本上演が決定し セルヴィッロが舞台に立ちました
『ダンテの声』はミラノのピッコロ・テアトロ・ディ・ミラノ – ヨーロッパ劇場により製作され ダンテ・アリギエーリの『神曲』を原作に現代社会に照らし合わせながら 人間の情熱を探求する旅を描いたものです
モンテサーノによる独自の解釈と セルヴィッロのコラボレーションは大きな話題を集め イタリアの各都市のほかヨーロッパ各地で上演され 今回アジア初の日本での開催が叶う運びとなりました
* * *
アニェッリ・ホールは満席も満席 イタリア人やイタリア語関連の先生方そして女性が多かったです😊
いつものような館長挨拶等はなく 真っ暗になった舞台を ひとりの男が中央にある楽譜台つきの椅子に静かに近づき 椅子に座るや否や 朗々と語り始めました
イタリア語の起源の話 神曲の悪魔編や天国篇 ベアトリーチェや ウゴリーノ等の名前もあり 字幕も舞台上部に出ていました 一度は生きたことのある者が死者となるが 生きたことのないものは... また現代社会との対比の描写もありました
かなりの速度で 一瞬でページをめくりながら ほとんど休まずに 水も飲まずに最後まで朗読し続けたのです 圧倒されました
終了後 感極まった聴衆の拍手がいつまでもいつまでも鳴りやまず トニ・セルヴィッロも何度も舞台に現れ 感謝のお辞儀を繰り返し 舞台と聴衆が一体となりました
初来日なったトニ・セルヴィッロの朗読を生で聴けて 感無量です...
イベントのお知らせは こちら
記事は こちら
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素晴らしいイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます
日本最大級イタリアフェスティバル イタリア・アモーレ・ミーオ2023が開催されます(2023.5.20,21)@With Harajuku
太陽の下で、イタリアの美しさが際立つ大自然、スポーツ、都会の緑、そして楽しいピクニック!
2023年5月20日(土) 21日(日) 10:00~20:00
WITH HARAJUKU
地図は こちら
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1丁目14−30
イタリア・アモーレ・ミーオは こちら
イベント情報など日々更新中! 詳しくは こちら
*イタリア人登山家として百名山を2年で制覇された 我らがルカ・ダンドレア先生登場💕
毎年ではないけど何回か行ったことがあります 東京のイタリア💕