「第2回世界遺産入門講座 イタリアの世界遺産 - 南イタリア・シチリア編 - 」の開催リポート 後半(2018.7.22&8.5)@サークル日伊文化交流会
当サークル主催の「第2回世界遺産入門講座 イタリアの世界遺産 - 南イタリア・シチリア編 - 」を2018年7月22日(日) 8月5日(日)に 板橋区立グリーンホールで開催しました(19名, 23名)
さて 前半に引き続き 休憩を挟んで後半です
9. パレルモ(シチリア)
文明の十字路シチリアの 他民族に次々と支配された歴史をご紹介いただき その過程で キリスト教文化とアラブ(イスラム教)の文化が接触・融合した地として世界遺産に登録された パレルモのアラブ=ノルマン様式建造物群およびチェファル大聖堂、モンレアーレ大聖堂/Palermo arabo-normanna e le cattedrali di Cefalù e Monreale(9件シチリア州/2015年)をご紹介いただきました
← パレルモのアラブ=ノルマン様式建造物群およびチェファル大聖堂、モンレアーレ大聖堂
アラブ人が支配していたパレルモに首都をおいたノルマン人は今までのアラブ・イスラム人を排斥せずに 彼らの技術や知識を大いに採り入れ、シチリア王国の首都としての町づくりを推進しました
このことによるアラブ(イスラム教)の文化とキリスト教世界の文化の融合が見られる場所であることが、世界遺産になった理由でもあるとのこと
つまり、異民族、異教徒が排除し合うことがなく、仲良く生活できることを証明している場所として世界遺産に登録されたと考えられます
← パレルモの9件と作った王の名前
← ヨーロッパ・イスラム・ビザンチンの文化が交流・融合した
パレルモ他の9件については こちら
さて キリストのモザイク天井画のあるノルマン王宮(Palazzo dei Normanni)と パラティーナ礼拝堂(Cappella Palatina)ですが 今は州議会場として使われており 講師の先生が行った時は入れなかったそうです
金の地の キリストの天井画のモザイクはすごいですね!!
← ノルマン王宮とパラティーナ礼拝堂
パレルモ大聖堂(Cattedrale di Parelmo)は4世紀に建てられ 7世紀にヴァンダル人が再建し 9世紀にはアラブ人が入りモスクとなり 11世紀にノルマン人が教会(カテドラル)として 1169年の大地震からも再建されました
ちなみにここには フェデリコ2世の石棺(sarcofago)があるそうです
← フェデリコ2世の遺骨
また 「旅行先では 高い塔等には上るとよい!! 街の全景が見られるから!!」との講師の体験に基づくアドバイスでした!(^^)!
ルッジェーロ2世の建てた サン・ジョヴァンニ・ディ・エレミティ教会 Chiesa di S. Giovanni degli eremitiのアラブ風の赤い屋根が独特で モスクだったのですが今は教会とのこと
← サン・ジョヴァンニ・ディ・エレミティ教会
サンタ・マリア・デッラミラリオ教会/Santa Maria dell'Ammiraglio(マルトラーナ教会/Chiesa della Martorana) こちらは ルッジェーロ2世の海軍大将アンティオキアが建てた教会で やはり立派なキリストのモザイクがありますね💛
アンミラリオ橋(Ponte dell'Ammiraglio)も世界遺産で講師の 先生は足を運ばれたそうでスゴイです... ただ町はずれに放置された状態にあり、保存環境はよくないそうです
← アンミラリオ橋
チェファルーの大聖堂/Duomo di Cefalù これは ルッジェーロ2世が嵐の海で助かったことを聖母に感謝するために 1131年に建設が始まりました
(ちなみにチェファルーは「ニューシネマパラダイス」の海辺のシーンの撮影場所で 海のリゾート地です!)
アラブ風では2本の鐘楼 北イタリアでは1本の鐘楼が建つとのことで ここは2本ですね
← チェファルーの大聖堂 ここにもキリストのモザイクが💛
そして同じくパレルモの サン・カタルド教会(Chiesa di San Cataldo) ここにも赤いクーポラがあり ノルマン風の特徴を表しています
サン・カタルド教会の中は未完成のため何もありませんが 天井のつくりなどは建築が好きな人には必見かも知れません
← サン・カタルド教会
モンレアーレ大聖堂(Duomo di Monreale) は 1172~6年にグリエルモ2世により建てられた パレルモ第2の司教座大聖堂ですね
← モンレア―レ大聖堂にもキリストのモザイクが💛
ちなみにトルコのアヤソフィアにもあるそうです キリストのモザイク💛
「パレルモに行ってモンレアーレを見ないのは 騾馬の旅のごとし」と言われるそうです チェファルーもモンレア―レもパレルモから少し離れてはいますが...ぜひ!!
* * *
10. フェデリコ2世
さていよいよフェデリコ2世/FedericoⅡ(フリードリヒ2世)についてです!!
← フェデリコ2世
1189年 シチリア王グリエルモ2世が後継者のないまま亡くなり 後継者争いとなり 初代シチリア王ルッジェーロ2世の娘コスタンツァが 1186年にハインリヒ6世(神聖ローマ帝国)に嫁ぎます
このハインリヒ6世は バルバロッサ(赤髭王)と言われたフリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)の息子ですね
レッチェ伯タンクレーディが名乗り出て後継者争いでもめますが
1194年に 夫であるホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世が シチリア王王位を継承します
このハインリヒ6世の戴冠式(1194年12月25日)の翌日 ドイツからの移動中の妻コンスタンツェがイェージの町で産んだのが かのフェデリコ2世(フリードリヒ2世)なのです ← 戴冠式の翌日に生まれたので 生まれながらにして押しも押されぬ王ですね!
1197年 父ハインリヒ6世が亡くなり 翌1198年に彼はわずか4才でシチリア王に即位しますが この年に摂政を務めていた母コンスタンツェがほどなく亡くなり 孤児となった彼はイノケンティウス教皇の後見を受けることになります
彼は広い学識(6か国語を話す) 合理性 科学的好奇心から「世界の驚異」と呼ばれ のちに「王座の最初の近代人」と評価されました
シチリア王 ドイツ王 神聖ローマ帝国王 エルサレム王です
ドイツとイタリアが一人の王の支配下に入るため 皇帝権と教皇権の間のバランスが大きく皇帝側に傾き 北と南から挟まれてしまう教皇領と北イタリア自治諸市はたまったものではありません
1215年にフリードリヒ2世として アーヘン大聖堂で神聖ローマ帝国皇帝の座に就き
十字軍の遠征に赴くことを条件として 1220年にローマ法王により戴冠されました
彼は 「皇帝のものは皇帝に 神のものは神に」と考えていました
教皇は宗教を 皇帝は政治や世俗のことを司どるべき との考えでした
フェデリコ2世はイタリア半島の民族的統一 ローマ帝国のような中央集権国家を目指し 教皇庁と対立したのです
そして無血十字軍により また スルタンアル・カミールと対話して講和を結んだこと等により 教皇によって3度も破門されてしまうのですね
← 無血十字軍
息子ハインリヒの死(父と対立し 王位と継承権を剥奪され盲目にされ幽閉 最後は自殺/1242年)を経て 教皇との抗争に明け暮れます
北イタリアでの教皇派(ロンバルディア同盟)との戦争にも勝利しました(1238年まで)
(ちなみに 「ロミオとジュリエット」は この教皇派と皇帝派に分かれて熾烈な争いが繰り広げられたヴェローナが舞台でしたね!)
← イタリア半島における勢力分布の変化
彼は ヨーロッパ発の国法典(メルフィ憲章) ナポリ大学(Università degli Studi di Napoli Federico II/世界最古の国立大学の1つ) 帝国議会(イギリス議会の手本)を作り 動物学の研究をして狩猟が大好きだったそうです 薬剤師を創る医薬分業制度も作りました
1250年 鷹狩中の病で 56才で亡くなります
そして1266年 フランスのアンジュー家が南イタリアに攻め入り アンジュー家が 1268年にナポリ王国を建国します
← フェデリコ2世の年表
← その後の南イタリア・シチリア
11. カステルデルモンテ(プーリア州)
そしていよいよ 13世紀にフェデリコ2世が作ったカステルデルモンテCastel del Monte(プーリア州/1996年登録)です
八角形の不思議な城で フェデリコ2世の狩猟の場では?との講師の見立てです 手前から車で行くと小高い丘の上にいきなり見えるそうです 交通の便はよくないとのこと
← 上から見たカステルデルモンテ
* * *
12. ナポリ(カンパーニャ州)とナポリピッツァ
次はいよいよナポリ歴史地区(Centro storico di Napoli(カンパーニャ州/1995年登録) 大国支配の歴史を物語る街並みです
← ナポリの城の数々
また ナポリピッツァが ピッツァイオーロ(il pizzaiolo)の技として 2017.12.7に無形文化遺産に登録されたお話もしていただきました
詳しくは こちら
← ピッツァ・マルゲリータの起源
* * *
13. ヴァル・デ・ノート(シチリア)
“ヴァル・デ・ノートの後期バロック様式の都市景観群” (Città tardo barocche del Val di Noto)として登録されている 1693年1月9日のM7.4の大地震後に再建されたシチリア島南東部の8つの都市(2002年登録)について
← ヴァル・デ・ノートの後期バロック様式の都市景観群
← 8つの町の地図
この8つの町は 地震後に多くの人たちの支援を得て バロック(ゆがんだ真珠の意味)様式で8つの街を再建しました
← カターニャ
カターニャ/Catania エトナ山が見えます
カターニャ出身のベッリーニ(Bellini)は イタリアで有名な作曲家です
← ノートの花まつり
ノート/Noto ここは別の場所に新しい街を作りました 5月の花まつりが有名ですね
← カルタジローネ
カルタジローネ/Caltagirone は マジョルカ焼きの焼き物の階段 (Scalinata di S. Maria del Monte)があります ← ここで講師の先生が階段にひとり座る印象的な写真が!!
← ラグーサ・イブラ
そしてラグーサ・イブラ/Ragusa
← モディカ
モディカ/Modica(チョコレートで有名 日没直後の美しさは格別!) シクリ/Scicli (ベネベンターノ宮殿のバロック建築とグロテスクなオブジェ)
ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニアMilitello in Val di Catania) パラッツォーロ・アクレイデ/Palazzolo Acreideについて...
14. 2つの自然遺産(シチリア)
← エトナ山
そしてラストは 自然遺産2つ: エトナ火山(L'Etna/2013年登録シチリア州)は 50万年前から噴火 2700年前から記録が残り 今も噴火し続けています
エオリエ諸島( Isole Eolie /2000年登録シチリア州)は火山性の諸島で 今も活発な火山活動を行っているストロンボリ島(ストロンボリ火山)からは「ストロンボリ式噴火」の用語が ヴルカーノ島(ヴルカーノ火山)からは「ブルカノ式噴火」の用語が生まれるなど 火山学の発展に大きく影響しました
← エオリエ諸島
最後は 世界遺産活動の目的は 「人類共通の遺産を 国際協力による保存活動を通じて
心の中に平和の砦を築き 世界平和を築くこと!!」 で締めくくりました
← 平和の砦を築こう
Q&Aで出た シチリア方言については こちら シチリアを知る映画は こちら
「カオス・シチリア物語」もノーベル賞作家ルイジ・ピランデッロの原作で シリチアの人々の歴史と生活を描いた映画です
シチリア料理のレストランは オステリア・コンカドーロOsteria Conca d'Oro(亀戸) シチリア屋(白山)などがあります
← 世界遺産クイズの景品も充実!!
受付ではイタリア政府観光局発行の2014年版イタリアの世界遺産パンフレットを配布しました 紙媒体はこれで終了とのことです 実は人数が増えたためカラーコピーの方にはグッズ等を差し上げました♡
こちらからダウンロードできます
イタリアの無形文化遺産のリストは こちら
開催のお知らせは こちら
暑い中ご参加くださいました皆様 講師の真船先生 お手伝いくださった方々 そして活動を補助してくださいました
東都生協様に 心よりお礼申し上げます
長い記事でしたが本を何冊か読んで調べまくり 暑い中頑張って書きました 最後まで読んでいただきありがとうございました<(_ _)>
参考: 「物語 イタリアの歴史 解体から統一まで」(藤沢道郎/中公新書)
「中世シチリア王国」(高山博/講談社現代新書) Wikipedia等
開催のお知らせは こちら
開催速報1 7/22は こちら
開催速報2 8/5は こちら
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