トークイベント「チェルノブイリからフクシマへ」に行ってきました (2011.11.7)
開始前に私はまず ピエルパオロ・ミッティカ氏の『原発事故20年 チェルノブイリの現在』(日本語版は柏書房より2011年11月発行)の写真集を買ってから イタリア文化会館アニエッリ・ホールに入ると 372名入るそのホールにはすでに多くの人がつめかけていた 写真集を眺めていると昔の自分に引き戻されそうで 怖くて足が震える程 私は緊張していた
開始後 『日本の問題』(幻冬舎より10月発行)を出版したピオ・デミリア氏はまず ゲストに管直人元首相を紹介した 前回6月のイベント(「放射能という”津波”」出版記念イベント(2011.6.29))では管夫人が着物姿で聴きにみえていたが 今回は本人だ
ピオ・デミーリア氏のskyTg24のニュース映像(地震発生1分数十秒後にi-phoneを使って生中継を始めたものを含む) に続いて 壇上に上がった管元首相は出版の祝辞を述べたあと 「日本を原発なしでやれるんだという見本のような国にしたい」との言葉に会場から拍手 管氏とピオ氏は長年の友人でもある ここで管氏は退場
トークイベントの参加者である鎌田慧氏(作家)はもんじゅに行って参加できず 急きょグリーンピースジャパンの事務局長が代役で入り イタリア式にしては珍しく(?)定刻にトークショー開始
メインストリームメディアが規定により現地入りしていない中で いち早く福島第一原発に入ったピオ氏は 自由報道協会のメンバーでもあり 政権から隠されようとしている情報を暴いて伝えることが我々の仕事だと力説 フレキシブルなイタリア人のやり方で取材を続けた氏に続き 中島麻美記者も同様に語る
続き写真集をこの程日本でも出版されたピエルパオロ・ミッティカ氏は チェルノブイリは過小評価されているが被害は実際にあり IAEA(被害者は4千人と発表)の許可なくWHOは何も発表ができないと伝え (これについては岩波書店から年内に本を出すプロジェクトがあります 被害は百万人規模であるという報告「チェルノブイリ 大惨事が人々と環境に与えた影響」チェルノブイリ被害実態翻訳プロジェクト) さらに チェルノブイリは空中(空気)の汚染だが フクシマは海と地面の汚染だと語る 続きグリーンピースジャパン事務局長が海洋汚染と国や東電のずさんな検査体制について報告
司会の上杉氏(ジャーナリスト)は原子力マフィアの存在について触れ 独占企業であり宣伝の必要のない電力会社が数百億の宣伝広告費を事故後なおもかけていることを指摘
質疑応答に入り 政府の事故直後の隠された重大な決定 メルトダウンの本当の原因 空間線量は自治体のHPに載っているが英訳は一部であるため外国には伝わりにくい 南相馬の動物たちを救った民主党の高邑(たかむら)議員の報告 完璧な除染はチェルノブイリではできず30キロ圏内は現在も人が住めないゾーンであること 原発の中の捜査は東電まかせで未だになされていないこと さらに会場のイタリア人の間でも鋭い応酬があり 南ドイツ新聞の記者(個人的にとても懐かしい方)も責任追及について発言 作業員の線量計が鳴らないようにするからくり… とてもここには書けない 書ききれない程のシビアな報告がありました
なお このトークイベントはニコニコ動画で同時中継されていたそうです
時間を超過しての終了後は会場でサイン会が始まり ピオ氏の本にサインをしていただく方たちの隣で 私はミッティカ氏の写真集にサインをしていただいた プレスも来ていた その時に 20年前にドイツから日本にも拡がったチェルノブイリの子どもたちの保養里親運動のことを描いた私の漫画を手渡すと ほんとうに嬉しそうな笑顔で受け取ってくださった
氏の写真集はチェルノブイリ原発事故当時にタイムスリップしたかのような感覚に囚われるものだったが 1986年4月26日で止まった時計を現地で見ていた氏はこのほど 2011年3月11日で止まった時計を見た時に やはりデジャヴー(既視感)に襲われたそうだ
私はこの夜 凍りつくような秘密を聞いた戦慄と 温かな出会いとが心の中で交錯しつつ 夜の街を急いで家路に着いた…
会場にあったチラシより:
ミッティカ氏来日中の次のトークイベント:
「チェルノブイリからフクシマを見つめて」2011年11月12日(土)15:00~17:00 14:30開場
於 3331 Arts Chiyoda(銀座線末広町駅1分) 定員70名 参加無料 要申込
映画『Unter Kontrolle(アンダー・コントロール)』 脱原発を可視化するドイツ産ドキュメンタリー 11月12日(土)よりシアター イメージフォーラム(渋谷より8分)
「私たちは東日本大震災の復興を支援します」MSJ NEWS SPECIAL (Italians for Tohoku) 「東北復興のためのイタリア人会」
開始前に私はまず ピエルパオロ・ミッティカ氏の『原発事故20年 チェルノブイリの現在』(日本語版は柏書房より2011年11月発行)の写真集を買ってから イタリア文化会館アニエッリ・ホールに入ると 372名入るそのホールにはすでに多くの人がつめかけていた 写真集を眺めていると昔の自分に引き戻されそうで 怖くて足が震える程 私は緊張していた
開始後 『日本の問題』(幻冬舎より10月発行)を出版したピオ・デミリア氏はまず ゲストに管直人元首相を紹介した 前回6月のイベント(「放射能という”津波”」出版記念イベント(2011.6.29))では管夫人が着物姿で聴きにみえていたが 今回は本人だ
ピオ・デミーリア氏のskyTg24のニュース映像(地震発生1分数十秒後にi-phoneを使って生中継を始めたものを含む) に続いて 壇上に上がった管元首相は出版の祝辞を述べたあと 「日本を原発なしでやれるんだという見本のような国にしたい」との言葉に会場から拍手 管氏とピオ氏は長年の友人でもある ここで管氏は退場
トークイベントの参加者である鎌田慧氏(作家)はもんじゅに行って参加できず 急きょグリーンピースジャパンの事務局長が代役で入り イタリア式にしては珍しく(?)定刻にトークショー開始
メインストリームメディアが規定により現地入りしていない中で いち早く福島第一原発に入ったピオ氏は 自由報道協会のメンバーでもあり 政権から隠されようとしている情報を暴いて伝えることが我々の仕事だと力説 フレキシブルなイタリア人のやり方で取材を続けた氏に続き 中島麻美記者も同様に語る
続き写真集をこの程日本でも出版されたピエルパオロ・ミッティカ氏は チェルノブイリは過小評価されているが被害は実際にあり IAEA(被害者は4千人と発表)の許可なくWHOは何も発表ができないと伝え (これについては岩波書店から年内に本を出すプロジェクトがあります 被害は百万人規模であるという報告「チェルノブイリ 大惨事が人々と環境に与えた影響」チェルノブイリ被害実態翻訳プロジェクト) さらに チェルノブイリは空中(空気)の汚染だが フクシマは海と地面の汚染だと語る 続きグリーンピースジャパン事務局長が海洋汚染と国や東電のずさんな検査体制について報告
司会の上杉氏(ジャーナリスト)は原子力マフィアの存在について触れ 独占企業であり宣伝の必要のない電力会社が数百億の宣伝広告費を事故後なおもかけていることを指摘
質疑応答に入り 政府の事故直後の隠された重大な決定 メルトダウンの本当の原因 空間線量は自治体のHPに載っているが英訳は一部であるため外国には伝わりにくい 南相馬の動物たちを救った民主党の高邑(たかむら)議員の報告 完璧な除染はチェルノブイリではできず30キロ圏内は現在も人が住めないゾーンであること 原発の中の捜査は東電まかせで未だになされていないこと さらに会場のイタリア人の間でも鋭い応酬があり 南ドイツ新聞の記者(個人的にとても懐かしい方)も責任追及について発言 作業員の線量計が鳴らないようにするからくり… とてもここには書けない 書ききれない程のシビアな報告がありました
なお このトークイベントはニコニコ動画で同時中継されていたそうです
時間を超過しての終了後は会場でサイン会が始まり ピオ氏の本にサインをしていただく方たちの隣で 私はミッティカ氏の写真集にサインをしていただいた プレスも来ていた その時に 20年前にドイツから日本にも拡がったチェルノブイリの子どもたちの保養里親運動のことを描いた私の漫画を手渡すと ほんとうに嬉しそうな笑顔で受け取ってくださった
氏の写真集はチェルノブイリ原発事故当時にタイムスリップしたかのような感覚に囚われるものだったが 1986年4月26日で止まった時計を現地で見ていた氏はこのほど 2011年3月11日で止まった時計を見た時に やはりデジャヴー(既視感)に襲われたそうだ
私はこの夜 凍りつくような秘密を聞いた戦慄と 温かな出会いとが心の中で交錯しつつ 夜の街を急いで家路に着いた…
会場にあったチラシより:
ミッティカ氏来日中の次のトークイベント:
「チェルノブイリからフクシマを見つめて」2011年11月12日(土)15:00~17:00 14:30開場
於 3331 Arts Chiyoda(銀座線末広町駅1分) 定員70名 参加無料 要申込
映画『Unter Kontrolle(アンダー・コントロール)』 脱原発を可視化するドイツ産ドキュメンタリー 11月12日(土)よりシアター イメージフォーラム(渋谷より8分)
「私たちは東日本大震災の復興を支援します」MSJ NEWS SPECIAL (Italians for Tohoku) 「東北復興のためのイタリア人会」