1969年の夏の甲子園大会の決勝戦は史上初の延長18回引き分けで再試合になった。
このときの対戦校は愛媛県の松山商業と青森県の三沢高校であった。
青森県の高校が甲子園の決勝に残ったのは初めてであり、話題となっていた。
しかし、それだけではない。
三沢高校の投手はこの大会の一回戦から女性ファンの人気を独り占めし、日本中の注目を集めていたのだ。
その投手とは、米軍基地の街・三沢市に生まれ育った、ロシア人の母と日本人の父をもつハーフ太田幸司である。
もちろん超イケメン、というより色白の美少年であった。
ハーフではなく、アメリカ人夫婦の捨て子であるという俗説もあるが、それはどうでもよい。
とにかく、太田幸司投手は、女性ファンを虜にした「甲子園のアイドル」の最初の男なのである。
つまり、元祖甲子園のアイドルである。
その後、数多くの甲子園のアイドルが生まれた。
最近ではダルビッシュや斎藤祐樹が思い浮かぶであろう。
遡れば、荒木大輔とかいっぱいいるが、どれも太田に比べるとワンランク落ちる。
ハーフないし白人なのだから当然だとも言えるが、太田はダルビッシュに比べても美男子(古い表現をあえて使う)ぶりが上であった。
最初の甲子園のアイドルが他を3馬身引き離して、ダントツかっこよかったのである。
私は当時小学5年生だったが、太田が投げきった決勝戦を4時間近く、固唾をのんで観続けた。
そして彼に惚れこんだ。
彼のこと、というより決勝戦を独りで投げきった彼の雄姿を一生忘れない。