心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

コロナ禍と酷暑の中、レポート提出期限の再延長

2021-07-18 11:21:20 | 日記

一日延ばして、19日の深夜までレポートを提出できるようにした。

減点は3点ぐらい。

今後のコロナと酷暑とゲリラ豪雨の動向に注意を払うこと。

なお、オリンピックの悪影響がとんでもない事態を起こすかもしれないので、自衛すること。


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哲学A1 文章講義(第45回目)

2021-07-18 10:23:32 | 哲学

今回は「4 哲学と意識科学」について講義する。

 

意識科学は前世紀の後半中期に生まれた超新しい学問である。

もともと、意識は哲学が研究してきたものであり、自然科学が対象とすべきものではない、とみなされていた。

心理学においてすらそうであった。

心理学は内面的意識の研究を排除して、外部から観察できる行動に着目して、そこから心理を研究しようとしたのである。

 

ただし、今から百年前に意識科学を立ち上げようとした哲学者がいた。

ウィリアム・ジェームズである。

前にも言ったが、ジェームズはハーバード大学の医学部(医学大学院)の出身で、最初神経生理学などの基礎医学的研究をしていたが、その後、実験心理学に移り、

意識の研究に手をつけ始めた。

そして、意識の本質を極めるには、さらに哲学に進まなければならないと思い、最後は哲学者となり、母校の哲学科の教授となった。

医学博士で心理学者である人が哲学科の教授になったのである。

うらやましい。

 

ちなみにジェームズは芸術家的センスと文学的才能もあり、宗教心理学においても不滅の業績を遺している。

こういう人もいるんだ、ということを覚えておいてほしい。

 

しかし、ジェームズの意識科学の構想は中途で挫折し、その後意識科学は闇に葬られてしまった。

心理学が行動主義に徹し、内面的意識を無視してしまったのである。

行動主義の心理学とは、理論よりも行動を重視するものなどではなくて、「心とか内面的意識というのものの本体は実は行動なのだ」という信念に基づいた心理の研究である。

 

とにかく、意識はまたしても哲学者に委ねられた。

しかし、哲学者は意識と脳の関係を積極的に研究することはなく、意識の現象的本質、体験的性質を研究するばかりであった。

ジェームスが提唱した意識と脳の相関の研究は虚しくこだまするだけであった。

 

ところが、分子生物学者の中から大胆に意識科学を立ち上げようとする人が出てきた。

しかし、その観点は不十分なものであり、結局は脳優位の科学に落ち着こうとしていた。

そこに、脳科学を勉強した哲学者が意見を差し込み、脳と意識のバランスがとれた意識科学を樹立しようと提案してきた。

これにニューサイエンスの推進者たちが賛同し、今日に至っている。

 

そこで重要な観点は意識と脳の関係を「生命」を媒介にして捉えることである。

より詳しく言うと、「生命と情報の自己組織性」を媒介として脳と意識の間の創発関係を捉える、ということである。

これによって科学と哲学の実り豊かな有機的協力関係が成り立ち、真の意識科学が誕生することになるのだ。

まだ、先は長いが、これが成功した暁には、哲学は再び万学の女王に返り咲く契機ともなるのだ。

そして、AI問題にも寄与すること間違いなしである。

 

 

    人間たちはAIよりも僕たち猫から多く学ぶべきだと思うにゃ。

 

   AIなんかつまんないにゃ。僕の方がおもしろいにゃ。

 


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