心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

哲学で最後にものをいうのは構想力だ。

2012-09-03 19:41:41 | 哲学

大学院修士のときの指導教授は「哲学で最後にものをいうのは構想力だ」と言っていた。
構想力Einbildungskraftとは、物語や理論体系を構築する創造力のことである。

カントやヘーゲルやライプニッツのテキスト精読し、それを解釈し、研究論文をまとめることは誰にでもできる。
しかし、カントの『純粋理性批判』やヘーゲルの『精神現象学』やハイデガーの『存在と時間』のような大哲学書を書き上げる能力は別の次元にある。

カントやヘーゲルで博士論文を書く人はいても、『純粋理性批判』や『精神現象学』に匹敵するような独創的理論体系としての哲学書を書こうとする人は、日本にはほとんどいない。
構想力がないからである。
思想解釈にはまり込んで、独創性を磨いてこなかったのである。

三島由紀夫の小説群は大変な構想力の産物である。
ドストエフスキーやプルーストとなるともっとすごい。
彼らの大小説を生み出したのは偉大な構想力である。

とにかく、研究者としての身を確保するために、冒険から逃げないことが肝要である。
大哲学書は書こうとする意欲なしには決して書けないのである。

しかし、哲学書は理論体系として、物語である小説とは別の次元にある。
それは学問体系として、科学的実証性と近い身分にもあることを銘記しなければならない。

カントやヘーゲルを研究することは、最終的に自分の哲学体系を構築するための手段ではあっても目的ではない。
このことをはき違えて、死ぬまで客観的な文献学的研究に専念する哲学研究者が日本にはあまりに多すぎる。
誰も自分の足で立とうとしないのである。
主体性が欠如している。
というより、哲学の本来の意味、つまり「事象そのものの研究」ということが身についていないのである。

万物の根源は何なのか。
存在とは何なのか。
時間とは何なのか。

カントやプラトンやハイデッガーがどういう結論を出したかは二の次である。
自分でとことん満足がいくまで問い究めるのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑い夏は去ったか

2012-09-03 19:39:21 | 日記
今日は予想より3度気温が低かった。
気分がいい。
明日は日曜日の予報より4度気温が低いという予報である。
気分がいい。

猛暑日はほんとうに心身に堪える。
頭が冴えるまでもう少しだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする