心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

再校を送り返す。

2012-09-02 08:23:28 | 日記
来月出る新著『創発する意識の自然学』の再校を今日、出版社に返送する。
直しが極めて少ない。
帯の文言の校正も終わった。
後は今月末の完成を待つばかりだ。

カバーは森林の写真をアレンジした緑系のもので、背は白である。
これで9冊目だが、我ながらよく書くものだと思ってしまう。
今は暑いので、意欲がわかない、というか、脳みそがウニ状態なので構想がわかないが、これから書きたい本が数冊ある。
とにかく自分の構想力と創造性には自分でも驚く。

大山倍達をモデルにした漫画に『空手バカ一代』というものがあるが、私はさしずめ「哲学バカ一代」である。
「空手一筋バカになり、命も捨てた名もいらぬ」というのがそのまま哲学に置き換わっているのである。

ちなみに哲学者で変わった生涯を送った人は結構多いが、その中で際立つのは、アリストテレス、ブルーノ、スピノザ、パース、ウィトゲンシュタインなどである。
アリストテレスはプラトンのアカデメイア出身であるが、学頭のプラトンには嫌われていたらしい。
なぜならイデア論がまやかしだと主張して、その誤謬を証明しようとするのだから。
また、彼は学問的には優れているが、口下手で無口で社交嫌いで、独り研究室にこもって研究するタイプだったので、次期学頭の人選から外れ、結局アカデメイアを出て行った。
その後は家庭教師をしながら研究を続け、47歳頃に哲学学校を造ったが、小規模なもので、いわば塾である。
西洋哲学の最高峰にして人類最高の天才の一人であるアリストテレスもまた哲学バカ一代である。
スピノザはレンズ磨きをしながら研究と執筆を続けた。
パースは生涯のうち教職に就いたのは、ジョンズ・ポプキンス大学の論理学の非常勤講師を5年間したときだけである。
その他は、貧窮のうちに研究と執筆を続けたが、生前出版された本はなく、遺稿が死後順次出版されていったのである。
彼は、ひどい貧窮で、餓死しそうになったこともあったらしい。
また、友人のウィリアム・ジェームズが金銭的援助をしてくれたという。
あっぱれな根性である。
パースもまた哲学バカ一代である。
ウィトゲンシュタインに関してはあまりに有名なので、省略する。

そういえば、フォイエルバッハも大学を追われ、実家の工場を手伝いながら研究・執筆を続けたんだよね。

天才とはこういうものなのである。

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迫りくる大地震

2012-09-02 08:14:45 | 日記
東南海地震と首都圏直下型地震の危機が迫っている。
自然の猛威の前では人間の力は脆い。

私は小学校4年生の時に十勝沖地震という大地震を経験した。
震度5という記録が残っているが、実際には6あったと思う。

木造の古い校舎で被災した。
朝の授業が始まる前だった。
先生がいなかったので、みんなで校庭に逃げた。
崩れ落ちるかのような階段を下りる途中、死ぬかと思った。
その時の記憶は、いわゆる「体で憶えている」ものである。

東京23区から8年前にさいたま市へ引っ越したのは地震を危惧してのことである。
今は上尾市に住んでいる。
築浅の堅固なマンションで、道路を挟んで大公園があり、緊急時ヘリポートとなり、災害時用の緊急トイレが設置されている。

備えが大事である。
なめていると大変なことになる。

地震は自然と人間の関係を深く考えさせてくれる。

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