有島武郎は北海道ニセコに父から譲渡された450町歩の農場を所有し、小作人たちに貸していた。
この農場は、彼の父が、息子たちが何らかの不幸で食べていけなくなったときの救済策として自ら開拓したものであった。
武郎は父の死の六年後(これは心中の前年である)にこの農場を小作人たちに無償で譲渡した。
武郎は既に北大教授であり、また作家として食べていけるようになっていたので、必要なくなったのである。
十分食べていけても、さらに資産を増やそうとする現代の政治家や実業家とは偉い違いである。
譲渡した土地の資産価値を現代の価格に換算すると数十億円になる。
それを武郎は、クロポトキンの利他的自然主義の哲学の影響下、小作人たちに無償で譲渡したのである。
この武郎の行為は当然尊敬されもしたが、バッシングも多々受けた。
「好いお道楽 有島武郎氏の財産放棄について」というエッセイを書いた近松秋江などはその代表である。
つまり、武郎は近松などから「偽善者」というレッテルを貼られたのである。
はたして有島武郎は偽善者であったのだろうか。
もちろんそうではない。
偽善者とはむしろ財産放棄を実践する博愛主義者や人道主義者を偽善者呼ばわりするシラケ人間の方なのである。
このことについては拙著『心・生命・自然 哲学的人間学の刷新』(2009年、萌書房)の第7章と第8章で論じた。
そもそも近松秋江という男は売れない三流作家で、もてないくせに女好きで、ストーカー行為を繰り返すような、不道徳な輩だったのである。
そういう人が有島的行為を偽善とこき下ろすのは、いつの時代でもどこの国でも変わらない傾向であろう。
これが犯人・近松秋江である。
何となく品がないのが分かる(偽善者度診断テストで満点でも取りそうな風貌だ)。
それに対して威厳に満ちたイケメンの有島。
農場事務所前での作業着姿も決まっている。
外貌もその人格性も、とにかくかっこいい。