再選された千葉県知事・森田健作氏は若いころ超イケメンであった。
剣道2段というのは詐称であったらしいが、剣道着はよく似合った。
彼のイケメン度が最高に引き出されたのは剣道着姿のときであったのだ。
上の写真は20代前半、下のは30代である。
どっちもかっこいい。
再選された千葉県知事・森田健作氏は若いころ超イケメンであった。
剣道2段というのは詐称であったらしいが、剣道着はよく似合った。
彼のイケメン度が最高に引き出されたのは剣道着姿のときであったのだ。
上の写真は20代前半、下のは30代である。
どっちもかっこいい。
今CATVで『太陽にほえろ』のスコッチ刑事殉職編を放映している。
現実世界でも31歳で自殺した沖の画像をまた貼っときます。
三枚ともスコッチ刑事を演じたときのものです。
昭和の超イケメンとして永遠に日本芸能史に残るでしょう。
取り上げるのを忘れていたが、ベッカムってアラン・ドロン以後、世界一のイケメンじゃないか。
1975年イギリス生まれのデビッド・ベッカムは言わずと知れた世界一のサッカー選手。
2010年の推定年収は4370万ドル。
身長183cm、体重74kgの身体は贅肉の全くない筋肉質のモデル体型。
現在、これ以上のイケメンはいない。
まずサッカーの試合中の画像から。
精悍そのものである。
彫が深く、精悍である。
次にスーツ姿。
着やせして、映画スターも裸足で逃げ出すイケメンぶり。
ピケも似合うし、ほんといい男やねー。
どういう角度で見ても、イケメンそのもの。
この人ほんとにスポーツ選手?
完全にファッションモデルやん。
21世紀の世界一のイケメンは早々と彼に決定!!
草刈正雄は1952年、福岡県北九州市生まれの俳優。
彼の名は1970年から1990年まで日本を代表する「二枚目」=イケメンの代名詞であった。
それもそのはず、彼の父親はアメリカ人兵士であり、彼は日本人の母親との間に生まれたハーフなのである。
身長は185cmでスマート。
そしてハーフ独特の彫の深い端正な顔立ちをしていた。
1970年に資生堂の専属モデルとなり、1974年に映画デビューした。
彼の写真を見ると、ハーフと欧米人の違いはなんだろうか、と考えてしまう。
欧米人だから、またハーフだから、ハンサムだと限らないのは周知のことである。
とりあえず彼は日本のイケメンNO.1の一人なのである。
これは映画で新選組の土方歳三を演じたときの画像。
土方自身がかなりのイケメンだったのたが、草刈が演じたことによって、ますます土方歳三=イケメンのイメージが定着した。
彼の後継者は城田優である。
朝ドラ『純と愛』に一時出ていた城田だが、ハーフゆえに配役が限られ、出番が少ないのだそうだ。
これは草刈と同じく、ハーフの宿命である。
次の画像は1962年にアラン・ドロンが来日した際のものである。
左の美人は女優の香川京子(このとき31歳)、右の美少女は女優の鰐淵晴子(このとき17歳)。
ちなみに、アラン・ドロンはこのとき27歳で、まだ脂がのっていない感じ(あっ、彼に脂がのるという表現は似合わないか)。
それにしても香川さん綺麗だね。
それに対して、ハーフの鰐淵さんはまだ未熟で、しかも和服が似合わず、美が活きていない。
とにかく、世界一のイケメン、アラン・ドロンにふさわしい美人を二人用意したんだろうね。
鰐淵さんは洋装させるべきだったね。
竹脇無我(1944-2011)は日本のイケメン俳優。
千葉県我孫子市出身で青山学院大学法学部卒。
『姿三四郎』(1970)をはじめ多数の映画、テレビドラマに出演し、甘いマスクの二枚目俳優として大人気であった。
しかし、49歳頃からうつ病を患い、酒浸りとなる。
一時改善したが、2009年に森繁久彌が亡くなると再び悪化。
2011年8月21日、小脳出血により死去した。
享年67。
父・昌作が自殺しているので、うつの遺伝負因がうかがわれる。
ともかく無我のイケメンぶりを見てみよう。
典型的な昭和の二枚目である。
時代劇にも多数出演した。
加藤剛(左)とともに時代劇二枚目の代表格であった。
スーツ姿もよく似合った。
映画『吉田学校』の一コマ。
重厚である。
栗原小巻とツーショット。
まさに美男美女という感じ。
わたくしとしてはとにかくその風貌とともに「無我」という名前が印象深い。
「無我」って・・・・
かっこいい!!
しかし、無我の境地もうつ病には勝てなかった。
うつ病は基本的に脳の生理的な病であって、精神的ストレスは修飾因子にすぎない。
無我さんも「この病気は基本的に薬だな」と語っていた。
しかし酒浸りだと薬の効き目も半減以下となる。
彼の著書『凄絶な生還 うつ病になってよかった』(マキノ出版、2003年)はよく読んだ。
現在の相撲界において最高のイケメンと言えば、やはり琴欧洲であろう。
残念ながら日本人ではなく、西洋人の彼が一位である。
角界のベッカムと呼ばれているし。
琴欧洲勝紀(1983-)はブルガリア共和国ヴェリコ・タルノヴォ州出身の大相撲力士。
本名はカロヤン・ステファノ・マハリャノフで、身長202cm、体重157kg ← 太りすぎてない。
朝青龍の荒々しい相撲スタイルを批判し、「もっと綺麗な相撲を見せるべき」という美観主義を表明した。
現在、東大関であり、幕内優勝1回である。
好物はラーメン。
端正な顔です。
派手な着物も彼なら自然な感じになります。
日本人と結婚しました。
こういうひょうきんな面もあります。
ちなみに、数十年前、外人女性(特にアメリカ将校夫人)に絶大な人気を誇った日本人力士がいました。
元関脇・明武谷であり、彫の深い顔に肥満していない筋骨隆々の体で、身長も189cmありました。
新選組の副長だった土方歳三(1835-1869)がイケメンだったことはよく知られている。
その現代風の長髪の下の相貌は精悍である。
現在のテレビドラマや映画に出ていても全く違和感のない風貌である。
とても幕末の人には見えないね。
そもそも、武士がちょんまげにしている限り、男ぶりは上がらなったのだよ。
髪を伸ばしてハチマキしなきゃ。
かっこいいね。
また洋装してもgoo!!
1978年末に猟銃自殺した田宮二郎(享年43)は超ダンディな俳優だった。
彼の年代で身長180cmは現在では185cmに相当する。
その長身でイケメンの彼がインテリ系はもちろんヤクザ系などの悪役もこなすのである。
また、奥さんをもちながら愛人をつくる役もよくやった。
基本的に医者の役が似合った。
これは『白い巨塔』ではなく『白い影』という医療ドラマ。
看護婦は山本陽子である。
またピストルもよく似合った。
それと、定番の愛人をつくる役もね。
これ若尾文子だと思う。
とにかく、私は『白い巨塔』の戝前教授を演じた田宮の姿を見て、彼に惚れこんだ。
映画版(田宮31歳)、テレビドラマ版(田宮43歳)とも10回ぐらい観た。
テレビドラマは全回をDVDやCSの再放送で10回観たのである。
彼は私にとって不世出のイケメン俳優である。
宅麻伸は1956年岡山県生まれの俳優。
身長180㎝で若干強面のイケメン。
そのため刑事やヤクザの役が多い。
端正な顔と屈強な肉体とかっこよさを併せ持つ独特の俳優である。
うーん、もてそう。
笑顔がもてそう。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」を地で行くイケメン。
ちなみに、妻は女優の加来千賀子で、おしどり夫婦と言われていた。
しかし・・・・
去年離婚!!
何があったんだ !?
アラン・ドロンは1935年バリ郊外生まれのフランスの俳優。
全世界で20世紀最高のイケメンと認められている。
日本でも人気は絶大で1960年-1980年にかけて美男子の代名詞であった。
身長182㎝。
代表作は『太陽がいっぱい』(1960)、『レッド・サン』(1971)、『ル・ジタン』(1975)。
この端正な顔、イケメンぶりは好みを超えた普遍的なものですね。
1962年の大映の映画『爛(ただれ)』で若尾文子は田宮二郎の愛人の役を演じた。
それにしても「爛(ただれ)」とはすごい題名だな。
爛れた愛人関係、生活のことなんだろうけど。
それにしても田宮二郎ってよく愛人作る役やるよね。
『白い巨塔』でもそうだったし。
ちなみに、テレビドラマ『白い滑走路』で田宮と共演した松坂慶子さん。
このとき22歳でスチュワーデスの役を演じていました。
説明無用のスーパースター 沢田研二。
1948年京都市生まれで、見かけによらず高校時代は空手部に在籍。
ザ・タイガースのボーカルからその後独立し、スーパースターになって、その後はご存知の通り。
ニックネームはジュリー。
まず、彼を特徴づける二枚の画像。
私は彼の写真では帽子を被ったものが好きです。
彼は基本的にイケメンの範疇にはいるが、好き嫌いが分かれるタイプでもある。
女性と女性的な感性をもった男性には熱烈に歓迎されるが、武骨な男には敬遠されるであろう。
簡単に言えば、彼の美は中性的なものなので、それに拒絶感をもつものは敬遠するのである。
しかし、プラトンによれば最高の美は両性具有の中性的なものである。
その意味でジュリーの存在は美学にとって貴重である。
おまけに松坂さんとのデュエットの画像を載せます(ジュリー53歳、松坂さん50歳のときのものです)。
戦後を代表するイケメン作家といえば五木寛之(1932-)である。
代表作は『風に吹かれて』(1968)、『青春の門』(1970-1993)、『水中花』(1979)、『不安の力』(2003)、『下山の思想』(2011)。
早稲田大学露文科中退だが、後に龍谷大学の聴講生として仏教を勉強し、それが作品に取り込まれるようになる。
そして、自らの作品『水中花』のテレビドラマ化と主題歌の作詞を通して、女優・松坂慶子と交流することになる。