(阪神大震災後、建て直された校舎)
今日はAさんと、尼崎に行って「母校巡り」をする約束をしていた。
ねこ吉は、尼崎に行くのは節分の日が多い。
寺町のお寺に行って、商店街の安いお店で買い物をして帰る。阪神電車で行き、阪神電車で帰って来る。
Aさんが、
「阪急電車の武庫之荘で降りて、徒歩で市立尼崎高校まで行き、バスで尼崎市役所前で下車。徒歩で昭和中学校に行き、そこから、難波小学校、梅花小学校に行ってランチをして、阪神尼崎から電車に乗って帰る。」というプランを立ててくれた。
尼崎を高校から、小学校まで南下していくプランは新鮮です。
ねこ吉は考えたこともなかったです。
三宮から乗って来るAさんと岡本で合流。
武庫之荘で降りて、高校まで徒歩。Aさんにひたすらついて行く。
ここは、高校の西門。
ねこ吉は、バス通学で東門を通っていたので何も覚えていない。
2,3度、体育の時間にマラソンで西門から出て1周して戻るということがあったような・・・。
現在の建物は、ねこ吉が通学していた校舎ではない。
阪神大震災で、校舎に被害が見つかり、思いがけなく建て替えとなったそうだ。
随分お洒落な門になっちゃって。
当時、校舎の周りは住宅はまばら、畑が一杯。特別教室(理科室とか、家庭科室とか)の窓からは阪急電車が通っているのが見え、音がうるさいということで、特別教室の窓は二重窓だった。
高校の近くに川が流れてた。
Aさんに、「川なんかあった?」と聞いた。全然覚えていない。
Aさんの記憶力に比べて、何にも覚えていないねこ吉。
高校の周りを1周した。
馴染みのない建物だから、一層何も思い出さない。
ねこ吉がバスを降りて東門に向かう途中は桜並木があった。
まだ若木だったけど、今日見たらかなり大きくなっていた。
北側は住宅が建て込んでいた。
当時はキャベツ畑だった。
通学途中、後ろからくる子たちが、キャベツを指さし、「これ、お正月のハボタンと違う?」と言いながら通り過ぎて行ったなぁ・・・。
ねこ吉は、「アホちゃう?これはキャベツやで。」と思ったことは今でもよく覚えてる。
2人で東門から中を眺めたけど、校舎の位置も違っていて当時を思い出させるものはなかった。
門の横の守衛室。辛うじて同じ場所。
何故か、守衛のオジサンさんの顔を思い出した。
当時、中庭にあった噴水は無かった。
1度だけあった生徒会主催のコンサート。
たった3か月だけ在籍したコーラス部。
にぎやかし?要員として参加。
当時はやっていた、市川染五郎(現在二代目 松本 白鸚)「野ばら咲く道」を噴水の周りで歌ったなぁ・・・。
Aさんとは、中学も高校も一緒なのに、当時は全然知らない同士だった。
思い出が一杯あるAさんに比べて、ねこ吉はほとんど何も覚えていない。
この差はどこから来るんだろう・・・。
「上の島」から「市役所前」までバスに乗り、中学校に向かいます。
続きはまたね。
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