ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

母校巡り(高校編)

2023-05-02 22:13:34 | 思い出


(阪神大震災後、建て直された校舎)

今日はAさんと、尼崎に行って「母校巡り」をする約束をしていた。
ねこ吉は、尼崎に行くのは節分の日が多い。
寺町のお寺に行って、商店街の安いお店で買い物をして帰る。阪神電車で行き、阪神電車で帰って来る。

Aさんが、
「阪急電車の武庫之荘で降りて、徒歩で市立尼崎高校まで行き、バスで尼崎市役所前で下車。徒歩で昭和中学校に行き、そこから、難波小学校、梅花小学校に行ってランチをして、阪神尼崎から電車に乗って帰る。」というプランを立ててくれた。
尼崎を高校から、小学校まで南下していくプランは新鮮です。
ねこ吉は考えたこともなかったです。


三宮から乗って来るAさんと岡本で合流。
武庫之荘で降りて、高校まで徒歩。Aさんにひたすらついて行く。



ここは、高校の西門。
ねこ吉は、バス通学で東門を通っていたので何も覚えていない。
2,3度、体育の時間にマラソンで西門から出て1周して戻るということがあったような・・・。

現在の建物は、ねこ吉が通学していた校舎ではない。
阪神大震災で、校舎に被害が見つかり、思いがけなく建て替えとなったそうだ。
随分お洒落な門になっちゃって。

当時、校舎の周りは住宅はまばら、畑が一杯。特別教室(理科室とか、家庭科室とか)の窓からは阪急電車が通っているのが見え、音がうるさいということで、特別教室の窓は二重窓だった。

高校の近くに川が流れてた。

Aさんに、「川なんかあった?」と聞いた。全然覚えていない。
Aさんの記憶力に比べて、何にも覚えていないねこ吉。

高校の周りを1周した。
馴染みのない建物だから、一層何も思い出さない。

ねこ吉がバスを降りて東門に向かう途中は桜並木があった。
まだ若木だったけど、今日見たらかなり大きくなっていた。
北側は住宅が建て込んでいた。
当時はキャベツ畑だった。
通学途中、後ろからくる子たちが、キャベツを指さし、「これ、お正月のハボタンと違う?」と言いながら通り過ぎて行ったなぁ・・・。

ねこ吉は、「アホちゃう?これはキャベツやで。」と思ったことは今でもよく覚えてる。

2人で東門から中を眺めたけど、校舎の位置も違っていて当時を思い出させるものはなかった。

門の横の守衛室。辛うじて同じ場所。
何故か、守衛のオジサンさんの顔を思い出した。

当時、中庭にあった噴水は無かった。

1度だけあった生徒会主催のコンサート。
たった3か月だけ在籍したコーラス部。
にぎやかし?要員として参加。

当時はやっていた、市川染五郎(現在二代目 松本 白鸚)「野ばら咲く道」を噴水の周りで歌ったなぁ・・・。

Aさんとは、中学も高校も一緒なのに、当時は全然知らない同士だった。

思い出が一杯あるAさんに比べて、ねこ吉はほとんど何も覚えていない。
この差はどこから来るんだろう・・・。

「上の島」から「市役所前」までバスに乗り、中学校に向かいます。

続きはまたね。



にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村








最新の画像もっと見る