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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

おかしな文化の祭典。 olympics of strange culture

2021-07-23 20:21:31 | 日記
 (1)G7メンバー国で国連安保理常任理事国でないのは日本とドイツとイタリアだ。第一次、二次世界大戦で三国同盟として欧米連合国と戦い、日本は旧日本軍によるアジア植民地占領支配でアジア人民に多大な損害被害を与え、ドイツはヒットラー独裁政権がユダヤ人民大量虐殺、迫害で戦争責任を問われた。

 (2)過去にそのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)をテーマにしたコントで「あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろう」(SNS動画)とお笑いのネタにした芸人の東京五輪演出担当の小林賢太郎さんが、米国のユダヤ系人権団体などの非難を受けて開会式直前に辞任した。

 過去の障害者いじめ告白で辞任した五輪音楽担当の小山田圭吾さんも含めて「文化の貧困」と書いたが、そのものの不適切人材の引責辞任だ。

 (3)世界は資本主義、自由民主主義国となったG7主要国の日本、ドイツ、イタリアに対してはかっての専制軍事国家としての復活に警戒感があり、ユダヤ人迫害漂流の歴史は中東ではイスラエルとパレスチナの終わりのない対立、戦闘激化となって続いている。

 過去の発言をどうとらえるかの問題はあるが、まずは本人が自覚、認識して自ら判断すべき問題であり、そういう過去の自分の言動に自覚、認識がなかったとすれば菅首相が言う「言語道断」ということになる。

 (4)しかし政治では西村コロナ担当相が金融機関を使って緊急事態宣言下で要請に応じない飲食業へ融資圧力をかける発言が問題となった。同じ内閣の麻生財務相はコロナ社会で事業者に融資を進めようと言っている時にそれに反する閣僚発言はおかしいと話している。

 西村発言は前近代的、戦前の強い危険な保守思想を連想させる圧力発言で即辞任ものだが、政治発言は撤回、おわびですまし、五輪関係者は即辞任というのもおかしな文化論だ。

 (5)五輪辞任ドミノ現象の理論原点ともいうべき当時組織委森会長の女性べっ視発言が個人観というより東京五輪の理念、信条にかかわる組織観を代表する森会長の発言であったことが、数々の人権、精神論にかかわる不適切発言、人材の寄せ集め集団であった不幸だ。

 そういう個人、人材が集められたことも問題だが、五輪の理念、理論、運営、精神に問題、ゆがみが出ていることも問題を大きくしている。

 (6)五輪は世界最大のビッグイベントとして商業主義、営利主義が全面に出て、大きなカネが動き、投資、収益ビジネスの対象になっている。コロナ感染拡大の中でも組織委は有観客にこだわりチケット収益に期待、未練をみせた。

 あきらかに世界最大のスポーツ、文化の祭典、人間の体力、技術、能力の究極の(ultimate)成長向上、限界を目指す、示す純粋論とは異質の五輪だ。

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一番簡単なこと。 it's most brief thing

2021-07-22 19:56:21 | 日記
 (1)菅首相の発言として近い関係者から何度も中止するよう助言された東京五輪を「やめることは一番簡単なことだ。」(報道)と聞いたときは、こういうはっきりとした物言いが国民に向けられることが必要だったとやるじゃないかと思ったが、これが米国報道紙向けのインタビューということで反論もなにもない中でのただの強がりだった。

 (2)一番簡単なことは一番むずかしいともいわれて、日本の会見でこんなことを言えばコロナ感染拡大で国民、医療、経済に負担を強いながらなぜもっと早く決断できなかったのかとするどい突っ込みが返ってくるところであり、東京五輪開催はIOCが決めることと無関与を決め込んでいたこととの整合性も疑問視されるところだ。

 (3)コロナ、辞任、辞任の四面楚歌の中での東京五輪は、前倒しの競技も始まって明日は開会式を迎える。開会式は東京五輪名誉総裁の天皇、菅首相など海外からは首脳級が次回開催国仏マクロン大統領など15人程度(報道)でこれまで最も少ない参加となった。

 日本とりわけ東京は21日1832人の感染者増で第5波の再拡大が起きており、ワクチン接種も供給体制が停止しているが、しかし東京五輪開会式のために来日を控えた海外国はそれ以上の目立った感染拡大国がほとんどであり、医学的に見たら自国にいるより東京五輪開会式に出席した方が安全安心というコロナ事情にある。
 むしろ自国の感染事情を考えると政治指導者がこういう時に東京五輪に行っていられないとの判断に東京での行動制限、規制の大きさを考慮しての不参加だろうと考えられる。

 (4)競技は24日から本格的に始まるが、1年延期されての異例づくしの東京五輪で、選手のモチベーション、ダイナミズムも燃えるものもあればどうしてもひっかかるものがあり、もちろん出せる全力は出すことには間違いはないが、むずかしい自己コントロールに取り巻かれることは考えられて察するものはある。

 (5)個人的にも出場を辞退するようSHSで投稿された水泳の池江選手は21日に緊急事態宣言下で開催される五輪について「ちょっと複雑な気持ち」(報道)と語っている。選手誰しもが抱える疑問であり、思いでもあるのだろう。

 国民の過半数がコロナ下での東京五輪開催に反対する(世論調査)なかで、ほとんどの競技が無観客で実施される東京五輪に対して無言の声援のないパラドックス(paradox)な圧力、圧迫を受けながらの自身との闘いであり、決して国民の声援に応えるためのものではない(多分)初めての五輪が始まる。

 (6)東京五輪を実施するにしても止めるにしても、一番簡単なこと(it's most brief thing)ではない。

 

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文化の貧困。 indigence of the culture

2021-07-21 20:10:50 | 日記
 (1)前々回ロンドン大会の五輪開会式ではP.マッカートニーさんが「hey jude」をピアノソロで歌い、印象、インパクト、感動を世界に発信した。今回の東京五輪ではコーネリアスで活動したミュージシャン小山田圭吾さんが開会式でのオープニング映像に流れる音楽を担当することになっていたが、過去の自身による障害者への「いじめ」告白を掲載したインタビュー記事が問題視されて責任をとることで開催3日前にして突然の音楽担当を辞任することになった。

 (2)2020年東京五輪は大会公式エンブレム盗作疑惑から始まってJOC竹田会長、組織委森会長の辞任などゴタゴタ問題続きで開催間際の音楽担当者の問題辞任で、麻生副総理はこれまで何十年ごとの周期の五輪開催が受難続きで2020年東京五輪も周期的にそれに合わさることから「呪われた」五輪と言ったが、五輪が「呪われ」ているのではなく訳もなく人間、世界の文化の貧困(indigence of the culture)、ぜい弱さをあらわしているだけのことでしかない。

 (3)社会問題を引き起こしたミュージシャンの楽曲などを次々と使用しない社会風潮に対して、制作した本人人格とつくり出された楽曲、作品とは別人格との主張から使用を取り消すスポンサー、番組の姿勢に異を唱える意見もみられる。

 それはそれで理論構成上は理解できるが、そういう制作者の作品を使用するかどうかは当該利益者の判断の問題で別問題であり、一概には語りつくせない。

 (4)時は相模原市の障害者施設での多数の入居者死傷事件から5年目の7月を迎えたばかりで関心も高く、小山田圭吾さんの障害者への自らの過去の「いじめ」体験告白記事の問題とあってはあまりにも印象が悪かった。

 芸術、文化の創造、創作活動は個人の主体的資質、素養、人格、信条、考え、生活とは切り離して考えにくいところがあり、制作者個人の人格と作品の人格は切り離して成り立つものではなく、制作者の人格と作品の人格は別というのも事情判断はむずかしいところがある。

 (5)ケース・バイ・ケースで考えられることであり、作品が文化、芸術、社会性で意義を持ち、制作者が社会問題を起こして影響力を及ぼす恐れがあるなら、まずは制作者自らが判断、意思を示すべきことだ。文化の成熟、高度化社会とはそういうものだろう。

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バブル主義。 bubblism

2021-07-20 19:53:19 | 日記
 (1)西村(飲食業規制圧力)発言に隠れてあまり話題にならなかったが東京五輪開催中止の声が高まった時に、安倍前首相が東京五輪開催に反対しているのは「反日感情」を持つものだとの発言があった。いきなり反日感情が持ち出されて驚いたが、結びつき、関連性がわからないあきれた安倍発言で、「反日」という保守思想的な言葉を久々に聞いた時でもあった。

 (2)戦前の旧日本軍による植民地侵略支配を受けた中国、韓国で一時期盛んに使われて、中国では日本製品の不買運動まで発展して日本企業への暴動略奪騒ぎもあった。韓国では元慰安婦問題で反日が政治、社会問題化した。

 安倍前首相が世論調査でコロナ感染拡大での東京五輪開催中止を国民の過半数が支持するという声の中で、開催反対は国民に向けた反日感情を持つものという表現には違和感があったが、こういう政治家が長らく日本の政治をけん引していたことが東京五輪の不幸の始まりだった。

 (3)安倍前首相は2020年東京五輪招致でバブル経済復活を夢見ていたのだろうか、安倍第2次政権ではアベノミクス、大胆な金融緩和策で株高現象を生んで大企業、富裕層に利益をもたらして、大企業が成長して利益を生んで中小企業、地方にしたたり落とすトリクルダウン(trickle down)を説いたが、従来のカネの2倍を市場に大量供給する大胆な金融緩和策による株高効果は実体のないバブル経済性そのものであり、東京五輪まで総裁任期を延長してバブル経済復活につなげたい自らのレガシーの思惑があったのか自ら招いた政治疑惑にまみれて国会追及の中で任期途中での辞任となった。

 (4)その「バブル」は今は海外の東京五輪代表選手団が来日する際に空港で一般客と分離、隔離されてコロナ検査を受ける方式のことを指す言葉として登場している。安倍前首相は強い保守思想で官邸主導政治を進めて安倍1強政治で比較好調な経済回復に支えられて長期政権を維持して辞任後も疑惑説明もなく自民党内では影響力を誇示している。

 (5)東京五輪開催には招致したものとして完全な形での開催にこだわって有観客に意欲を示していたものと思われるが、コロナ感染拡大の中でほとんどが無観客開催となっての開催に反対しているものは「反日」感情の持ち主との保守思想的発想のうらみ節となってあらわれた。

 国の政治のあり方、民主主義国家としての国民(主権)の声に耳を傾けない安倍前首相の政治信条、心情が吐露されたもので、国民感情としては戦前のイヤな社会思想を想起させるものでそれが東京五輪開催に結びつけられるところに強い保守思想的な安倍前首相の政治思想がみられて、いっきょに時代をさかのぼらせる違和感がある。

 (6)「反日」を前首相から東京五輪開催に過半数が反対する国民に向けて語られることは考えもしない発想であり、こういう政治家が7年半も長期に日本の政治を支配、統治してきた。

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パーティはコロナのあとで。 party is over after corona

2021-07-19 20:19:05 | 日記
 (1)今年は梅雨らしい梅雨だった。梅雨も稲作育成には欠かせない。例年よりも早く梅雨に入ったところも多く、その分梅雨の期間も例年より長く長雨が続き異常気象も多くみられ被害もた。ようやく西の地域から梅雨明けが次々と報じられているが、日本社会を覆う重い雲はなかなか晴れない。

 (2)信じられない報道ばかりで、ほとんど無観客の東京五輪の開催まで1週間を切って東京都は4日連続で千人を超える感染者増加でもあまり緊張感が伝わってこないのはどうしたことか。こんな中で組織委橋本会長は菅首相、政府関係者、小池都知事、問題発言で辞任した森前組織委会長も参加してIOCバッハ会長らを招いた歓迎会を開催した。

 緊急事態宣言下で多くの人が集まる会食など自粛要請中に政治家、政府職員の要請を無視した会食による感染者が問題となっている中で、歓迎会は40人規模で会食を伴わずに実施するという。

 (3)組織委橋本会長の説明は「延期前から決まっていた」(報道)というものだが、40人の歓迎会といえば十分に政府の規制を超えるものであり、飲食を伴わずとも感染リスクは大きい歓迎会であり、延期前から決まっていたというのも理由にならない。

 東京都感染者1410人(17日)の再び増加傾向をどう理解しているのか、西村コロナ担当相の金融機関を介した違反飲食業への融資圧力発言といい、思考回路停止、混乱してまともな判断ができない状態に置かれているようだ。

 (4)五輪選手村からコロナ陽性者も出たとの報道もあり、IOCバッハ会長が万全だと持ち上げる日本のプレーブック(規制集)もコロナ感染拡大の中では安全、安心なものではなく、1週間を切った東京五輪運営の不安は大きい。

 組織委の思考回路、能力、機能が善悪の判断もまともにつかない停止状態、混乱をみせては、東京五輪が始まってから内部に感染拡大が広がれば収拾もつかない事態もを迎えて、開催反対の意見が多かった国際社会から落胆、失望、非難の矢面に立たされることになり、国家的ダメージとなる懸念、危惧はある。

 (5)どうしてこういう国になってしまったのか。経済に比べて政治の統治能力は低い国際評価の中でその政治が全面に出てのコロナ対策で後手後手、行き当たりばったりの対策、制度で、国民の不信、不安、不満、批判を受けて菅内閣支持率も30%を下回るものもあり、不支持率が60%を上回る中で東京五輪開催でも政府が全面に出てコロナ対策同様に支離滅裂、思考回路停止状態のままでIOCに振り回されての無茶な五輪開催に突き進んでいる危険だ。

 (6)国民の政府対応に対する不安、不満、不信の中で、それでも菅首相は自民党、5派閥の方ばかり向いて国民に背を向ける政治姿勢が続いている。パーティはコロナのあとだ(
party is over after corona)。

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