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ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、ブログ開始しました

幸せの感じ方

2019年10月07日 19時35分00秒 | お気に入り
人それぞれに幸せの感じ方は違う。
どんなに外からは恵まれているように見えても、その人自身が幸せと感じているかは分からない。
お金持ちで、美貌があって、立派な肩書きの人と結婚したとしても、幸せを感じるかどうかは、別である。
友達がたくさんいても、幸せを感じない人もいるだろう。
逆に、友達が1人しかいなくても、幸せを感じる人もいるだろう。
まったく友達がいなくても、幸せを感じる人もいるかもしれない。
我が子がいても、幸せを感じない人もいるだろう。
自分の子に恵まれなくても、幸せを感じる人もいるだろう。
健康でも幸せを感じない人もいるし、病気でも幸せを感じる人もいるだろう。
貧乏でも幸せを感じる人もいると思う。
つまり、幸せの感じ方は自分次第なのである。
幸せになりたくて、色んなものを追い求めても、その先に幸せがあるとは限らない。
幸せになりたい、んじゃなくて、もうすでに幸せだ、ということを自覚できるかどうかなのである。
幸せを感じる事が出来る人が、幸せなのだ。
世間の物差しではかって、勝ち組、負け組なんて言うけど、それは違うと思う。
幸せを感じられる人が勝ち組で、感じられない人が負け組なのだと思う。


色々な人格のレベル

2019年08月06日 14時08分32秒 | お気に入り
昨日の続きになるが、人格の高さによる、ものの見方の違いについて、また書こうと思う。
例えば、人格の高さを、わかりやすいように、赤ちゃん、保育園、小学校、中学校、高校、大学、大学院、とする。
ここでは、知識レベルを人格のレベルに置き換える。

もし、その人の人格が幼稚園レベルだったら、周りに小学校レベルの人格者がいようと、高校や大学レベルの人格者がいようと、その違いが分からず、全ての人を幼稚園レベルだと思って、判断する。
だから、大学レベルの人格者に対しても、自分と同じように、幼稚で本能のままにわがままで自己中心的に生きていると判断する。
そして、人の善意が分からない。
保育園レベルの人は、小学校があることも、その上に中学校があることも、高校や大学があることも知らないのだ。

もし、その人が中学校レベルなら、赤ちゃんレベルからから中学校レベルの人格が理解できる。
しかし、高校レベルや大学レベル、大学院レベルの人格がある事を知らないし、周りの人は、みんな赤ちゃんレベルから中学校レベルだと思っている。
中学校レベルは、まだ闘争心が強く、周りに流されやすく、自分の考えがまだはっきりしていない。
なので、弱い人や困っている人を、見て見ぬ振りをしたり、いじめたりする。
そして、外見が全てで、外見で判断する。

もし、その人が大学院レベルの人格者だったら、赤ちゃんレベルから大学院レベルまで全ての人格が理解できる。
この人は小学校レベルだから、こういうものの見方をするんだな、と分かるし、同じような高い人格者の善意を善意として理解できる。
自分の考えをしっかり持ち、他人に流されることがない。
権力やお金やブランド物に執着せす、それよりも大事な事があることを知っている。
また、弱い人をほっておけず、たすけようとする。
いつも穏やかに接し、感情のままに怒る事も暴力を振るう事もない。
優しいので、中学レベルあたりの人格者から弱いと見られ、馬鹿にされたり、サンドバッグにされたりする。
中学レベルの人や高校レベルの人とも仲良くできるが、それは相手に合わせてやっているのだ。

では、大学院が最終のレベルかというと、それよりももっと上のレベルがたくさんあるらしい。
そのレベルに達すれば、全てが理解できるのだろう。

善人と悪人

2019年08月05日 21時41分51秒 | お気に入り
人は、自分の人格で周りの人を判断する。
悪人は、自分の周りの人がみんな悪人に見えている。
どんなに人格の高い人も悪人に見えるのだ。
なので、人格の高い人の善意は、悪人にとっては悪意なのである。
善人は、周りの人を、善人と悪人と区別して見ている。
善人は善人のことが理解でき、善意を善意として受け取る。
人を裏切る人は、周りの人も自分を裏切ると思っていて、善人も裏切ると思っている。
だから、善人は、自分のやっていることが評価されなかったり、逆に悪意にとられても、落ち込む必要はない。
善人の善意は善人にしか理解してもらえないのだ、
理解してもらえないとしても、黙々と善意を重ねていけばいいのだ。

生き様を示す

2019年07月06日 11時41分11秒 | お気に入り
たとえ、自分が何もなしていないように思えても、自分と関わった人々に、自分は確かに自分の生き様を見せている。
学校の同級生、職場の人たち、ご近所、おじさん、おばさん、甥っ子や姪っ子、友達et cetera。
もうずっと会ってない人にも、自分に対する記憶が残っているかもしれない。
ましてや、我が子や夫、親や兄弟姉妹なら尚更、自分の記憶は残り続ける事だろう。
また、自分の何気ない親切が、自分の知らないところで、誰かの記憶に残ってるのかもしれない。
たとえ、今付き合いが無くても、自分の生き様はどこかで見られている。
そして、それによって尊敬されたり、落ちたと思われたりするのだろう。
例えば、昔付き合った人同士は、別れてからもお互いにずっとどこかで見ている。
実際に見ているのではなく、生き様を心で見ているのだ。
風の便りで入ってくる情報などで、その人の生き様を知ることがある。
私達は、別れたら終わりとか、縁が切れるわけではなく、自分の記憶は確かに相手の心に残り、そして別れた後も、ずっと心の目でお互いに生き様を見ていくのだろう。
そう考えると、自分の生き様は、とても大事だ。
いい加減ではダメなのだ。

私は今でも亡き父の後ろ姿が忘れられない。
毎朝、仕事に自転車で走って行くときの後ろ姿だ。
小さな町工場で働く父は、立派な肩書はなかったが、一生懸命働いて子供達を育ててくれた。

曇りの日の美しさ

2019年06月12日 16時46分20秒 | お気に入り
私は、毎日散歩に出かける。
今日も、お気に入りのコースを歩いた。
昨日も同じコースを歩いたが、なぜか景色が違う。
昨日は曇りだったが、公園に咲くシロツメクサと茎の長いタンポポみたいな花とのコントラストが美しくて、タンポポが浮いているように見えて
感動した。
だが、今日は晴れていて、同じ場所を見たけど、昨日のようなコントラストがなく、ただキラキラしていた。
こんなにも、天気によって見え方が変わるなんて。
もちろん、晴れの日の景色は美しい。
輝いて見える。
だが、曇りの日の景色もなかなか良いものだ。
ギラギラしてなくて、しっとりしている。
雨の日も良いものだ。
以前、雨の日に武家屋敷を見に行った時、部屋から見える日本庭園に感動した。
藁葺き屋根から滴り落ちる雨水がポトポト落ち、それが美しくて、暗い部屋から眺める庭の明るさが引き立つていた。
雪の日も良い。
特に一晩降って次の日の朝に晴れると、木々や山が雪化粧して素晴らしく美しく見える。
これは、どんなに素晴らしい絵でも写真でも表すことができない。
実際に見ないと、この感動はわからないのだ。

サイコパス

2019年01月14日 10時11分33秒 | お気に入り
テレビで、純烈のメンバーの友井さんが引退することを放映していますが、友井さんは典型的なサイコパスのように思います。
とても魅力的で、大変モテて、人を操るのが上手く、自分勝手で、嘘をつくことに全く良心が痛まず、人を傷つけてもなんとも思わないのがサイコパスなのだそうです。
そういえば、私も昔、今思えばサイコパスと言える人と数回付き合ったことがあります。
その人は、本当に魅力的でとてもモテました。
その人は、同時に6人くらいと付き合っていました。
その人とは、近づかず、大勢で付き合う分には、とても楽しく魅力的でした。
けれど、個人的に付き合うと、約束は平気で破り、ドタキャンも平気で、優しかったと思えば突き放され、氷のように冷たかったりしました。
私は数回付き合って、とても違和感を感じ、また個人的に付き合っても、疲弊するばかりでさっぱり楽しくなく、連絡をする事をやめました。
ありがたいことに、その後、その人から連絡がくることはなく、今に至り、ホッとしております。
ただ、その当時、非通知の電話はよくありました。
その人は、今は社会的に成功しています。
でも、私はその人にもう二度と関わり合いたくありません。
サイコパスは、社会的に成功する人が多いが、悪くすると、犯罪者にもサイコパスが多いのだそうです。

魂のレベル

2018年10月25日 07時46分05秒 | お気に入り

魂には、レベルがあるようだ。
これは差別などではなく、あるのだからどうしようもないものだ。
そして、魂のレベルは、身分や金持ちかどうかには、全く関係がないものだ。
身分が高いから魂のレベルも高いとか、有名人だから魂のレベルが高いとか、そんなことは関係ないのだ。
私が思うに、レベルが高い人の特徴は、

人を傷つけない
ずるくない
思いやりがある
あまり憎まない
あまり嫉妬しない
復讐などしない
前向きで明るい
グチをあまり言わない
人助けをする
無駄遣いしない
質素に暮らしている
感謝の心が大きい
向上心がある
未来を平和にしたい
なんの見返りも期待せずに、我が子を愛する
派閥やグループは苦手
悪口を言わない
物を大事にする
みんなに分け与える

などであろうか。
逆に、レベルの低い人の特徴は、

人をいじめる
人を傷つけても平気
ずるい
自分さえ良ければそれでいい
派手な暮らしを好む
グチが多い
復讐する
嫉妬心か強く、相手を傷つける
人を憎む
冷たい
悪いことは全て周りのせいにする
人の手柄を横取りする
感謝しない
人を利用する
向上心がない
今さえ良ければそれでいい
自分の子は自分のために存在すると思っている
グループを作り、グループ外の人と敵対する
悪口を言う
物を大事にしない

などであろうか。


大災害

2018年10月19日 09時45分02秒 | お気に入り

大災害というと、とても悪いことのように思ってしまう。
しかし、大災害と言うのは、人間から見た言葉だ。
地震も津波も台風も洪水も、地球から見たら、大災害ではなく、自然な営みなのだ。
地球は、そうやって自身を保っているのだ。
もし、台風や地震が起きなかったら、地球は病気になり、自滅してしまうだろう。
そう思うと、宇宙で起きることに悪意などは無いのだろう。
全ては、法則に従っているだけなのだろう。
人間や動物は、地球の表面をお借りして生きている。
だから、地球の営みには逆らえない。
人間は、地球を傷つけてはならないと思う。
かといって、全く手付かずの自然が良いのかどうかは、地球に聞いてみないとわからない。
ある程度、綺麗に整備してくれるのは、大目に見てくれるんじゃなかろうか。
また、生老病死も、宇宙や地球から見れば、自然なことなのだと思う。
地球と人間が同じだと思うのは、どちらも自身を保とうとする営みだ。
地球が台風や地震を起こし、自身を保とうとするのと同じように、人間も、熱を出したり病気になったりして自身を保とうとするからだ。


言霊の力

2018年10月09日 10時24分34秒 | お気に入り

普段何気なく使っている言葉だが、実はとても強い力を持っている。
例えば、本などを読んでいて、事故にあって怪我をした場面を読んで、自分も痛みを感じそうになったりする。
言葉はダイレクトにイメージにつながり、それによって私達の感情を変えてしまう。
なので、毎日、嫌だな、億劫だな、と思ってたら、自分はそう言う波動を出し、それに見合った波動を呼び寄せる。
嫌だな、と思っていると、表情も嫌だなという表情となり、周りの人もそれを敏感に察知し、近寄り難くなる。
もし、嫌だな、億劫だな、と思った時でも、でも自分はこんなにも恵まれているじゃないか、と思えば、その瞬間、嫌だなという感情と波動は、恵まれているという感情と波動に変化する。
恵まれている、ありがたいと思えば、そういう表情となり、周りの人にも伝わる。
また、誰かに傷つけられた時、落ち込んだり、グサッとくることがある。
でも、そんな時は、相手のひどい言葉を聞いた時は、反射、と思えばいい。
反射とは、自分はその言葉を受け取らない、あなたに返します、ということだ。
それと、カルマの法則、と思えば良い。
そんな風に、人を傷つけたら、それは相手の悪いカルマになりますよ、と思うのだ。
そして、これは宗教的かもしれないが、神様を思うのである。
心の中に不安や苦しみなどのネガティブな思いがある時は、神様を思うのだ。
神様ほど強い善なるイメージの言葉ばないからである。
もうだめだ、と思えば思うほど自分に暗示がかかってしまい、そうなってしまうものだ。


閻魔大王

2018年06月25日 07時48分55秒 | お気に入り
もし、閻魔大王がいるとしたら、その時何を聞かれるのだろう。

おまえは、在命中に何に感動したのだ?
どんな所に行って、どんなものを見たのだ?
生きてみて、楽しかったか?
どんな事が楽しかったのだ?
苦しかったのは何だ?
生きていられる期間は短いが、今回は何か得るものはあったか?
答えは見つかったか?
誰かの役にたてたか?
有意義な人生だったか?
心残りはあるか?
それは何だ?
もう一度やり直したいか?
生きている時間を大切にしたか?
それとも無駄に過ごしたか?
愛する事はできたか?
もう一度生きてみたいか?

私の勝手な想像ですが、このような事を、閻魔様は聞かれるんじゃないでしょうか。
そしたら、私は何と答えるのでしょう。