昨日のブログの続きです。
たとえば、怒る人の目的は、相手をしゅんとさせたり、怒らせたり、傷つける事です。
つまり、平和な気持ちでいる相手を、自分と同じような怒りの波動にしたいわけです。
普通の人間なら、まんまと相手の罠にハマり、一気に波動が怒りや悲しみの波動になってしまいます。
しかし、神様はそうならないのではないか。
神様は、相手の怒りの波動に同調しないのではないか。
それは、相手の罠を見抜いているからであり、何があっても自分の心を平安な波動に保つ術を知ってるから。
愚痴ってくる人も、相手を同じような愚痴の嫌な波動にしたいわけです。
相手を心配の波動にしたいわけです。
だから、相手の罠にハマらなければいいのだし、それを選ぶ権利は自分にあるという事です。
現実にはなかなか難しいことですが、私は2世帯住宅にしてから、階下でお舅の怒鳴り声らしきものが聞こえたと同時に扉を閉め、好きな動画やビデオを高音で聴いていました。
そうすると、お舅が何を言おうが気になりませんでした。
お舅は怒鳴って相手を傷つければ目的が達成されますが、相手が受け取らなければ、目的は達成されないわけです。
また、母から長電話があって、ずっと愚痴を聞かされている時、片方の耳にイヤホンをつけて好きな音楽を聴いていると、母の愚痴も気にならなくなりました。
母は、自分と同じような愚痴の波動、心配や不安の波動に相手をさせれば、目的は達成されるわけですが、その手には乗らないようにするわけです。
音楽や動画がない時、相手が怒っている時、瞑想したらどうでしょう?
深いリラックスした呼吸を繰り返し、それに集中してれば、相手の怒りの波動に同調しないで済むのではないでしょうか?
まだやったことないけど、今度試してみたいと思っています。