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旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

ものは言い様、怒鳴り様 其の七

2005-12-04 19:23:54 | 日本語
■これからも小嶋社長はマスコミ業界の玩具にされるのでしょうが、忙しい毎日を過ごしている方々は、そんなテレビ番組や雑誌などに無駄な時間とお金を使わない方が良いでしょうなあ。確かに暇つぶしの役には立ちそうですが……。最後に、篠塚明・木村建設東京支店長の日本語を取り上げましょう。この人は居並ぶ怪しい人たちの中で、唯一、正気を保ったままで悪事を実行できる有能な官僚のような風貌を持つ人でした。

「(鉄筋を減らしてくれ)そういうことを言ったかもしれないが、当然、法令を守る範囲での打ち合わせだ」

■「かも知れない」という表現を平然と使ったの篠塚氏だけでした。参考人という法的には軽い扱いを受ける身分である事を熟知した人を馬鹿にした発言です。そして、「当然」という非常に強い副詞を使って「法令を守る範囲」を光らせます。誤解した相手が全面的に悪いという事です。大したものですなあ。単語自体の意味を自分勝手に捻じ曲げるのも平気な人のようで、姉歯さんに「リベート」を要求した件を質問された時の答えがスゴイ!


「会社への架空請求書を要求したことはあるが、リベートとしての感覚は無い。私の営業経費という形で、期間的には1、2年だと思う。金額や回数は調べ中だ」

■「架空請求書」自体は一枚の紙切れでしょうが、篠塚氏側が支払った金額から余剰分が発生して最終的には自分がその金を受け取るのですから、これこそ「リベート」そのものです。「リベートではなくキック・バックです」とは言えないでしょうから、「感覚」の有無に逃げ込んでしまいます。他人の家に点火しておいて「放火の感覚が無い」と言って通るような言い草ですなあ。強姦だろうと殺人だろうと、その「感覚」が無ければ誰でも無罪になりそうです。「架空請求書」はリベートを発生させる為に使用した道具の名前ですから、殺人を犯しておいて「ナイフを相手の体内に刺し込んだだけだ」とか「銃口を相手の眉間に押し付けて引き金を引いただけだ」と言っているようなものです。篠塚氏と付き合う方は、彼の「感覚」には充分に注意しなければいけませんぞ。

■姉歯さんをヒューザーに紹介したかと問われた時の応え方は「副詞の否定」によって全文を否定しているように錯覚させる手法を使います。


「積極的には紹介していないが、問い合わせなどはあったかと思う」

唸ってしまうくらいに見事な日本語です。「積極的……ない」のですから、「消極的……している」のです。ですから、明らかに「紹介」はしているのに、相手がそれに気付く前に、「問い合わせ」と言い換えてしまいます。聞かれているのは「紹介」の有無だけで、「問い合わせ」など誰も聞いていません。

■「紹介」と「問い合わせ」の違いを問い質すほど、質問者の議員さんの言語能力は高くないのを良く知っているのでしょうなあ。だいたい、最近の国会議員さんは大事な質疑応答中に「時間が無いのでこれくらいにしておきますが……」などと、最初から時間配分を考えて質問していない職務怠慢をまったく反省しない厚顔無恥な人が多過ぎますからなあ。野球選手の中に「知らない間に、9回になっちゃったから負けた」などと言う阿呆は居ませんし、サッカー選手も同じです。早く国会が、しっかりした日本語の議論を展開する場所になって欲しいものですなあ。

■篠塚氏は「あったかと思う」という日本語の非論理的で情緒性過剰な弱点を代表する典型である奇妙な「思う」を見事に使いこなしています。「仕事を始めたいと思う」「会議を終らせたいと思う」「好きだと思う」などの「思う」は不要であるばかりか、行動に移る決意を弱めたり、判断に関する自己責任を放擲(ほうてき)するる効果しか有りません。これらを英語に訳して I think ……とは言えない事をよくよく考えるべきでしょうなあ。こんな奇妙な日本語で外交交渉をするから、相手はYESとNOを取り違えてしまうような大問題が発生するのですぞ!

■結論としまして、日本語自体に問題が有るのではなく、それを誤用・悪用する愚か者とそれを見過ごして話し相手になっている愚か者が非常に多くなってしまった事に問題が有るのです。自分が生まれて死ぬ国の言葉なのですから、正しく上手に使って、ちゃんと次の世代に伝えたいものですなあ。それにしましても、こんなアホな日本語で責任逃れに熱心な連中など放っておいて、地震が起こる前にさっさと住民を安全に移動させて、ゴミの価値さえないような不良住宅を撤去する最速の方法を考え出すべきです。その時には、日本語を誤用したりしないで「欲しいと思う」。

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ものは言い様、怒鳴り様 其の六

2005-12-03 08:26:11 | 日本語
■前回引用した文の「でたらめな」という形容詞句は、「マンション販売」「広告宣伝」「建設計画」などの小嶋社長自身が行なった悪行には絶対に付かないのです。「多大な迷惑」は、購入して実際に暮らしているお客様が被(こうむ)っているとはまったく考えていない小嶋社長は、「引き起こした」という表現で上手に言い逃れていますが、正確に書き直すとこうなるはずです。

「(俺の指示通りに)デタラメな確認業務をして、(それがバレちゃったから)多大な迷惑を(俺が被るようなとっても困る事態を)引き起こしたお詫びの一言も(隠蔽工作の共同謀議やそれに必要な費用の分担の提案も)無いまま(俺が逮捕される可能性が高い詐欺商売の中身を)公表すると言われても、(始めから売り逃げようとしていた俺は)対応のしようが無い」

■カッコ内の文言を平気で削り取ってしまえるのが小嶋社長なのです。ですから、事件の発覚直後から「補償します」「補償できません」「やっぱり補償します」「でも、やっぱり補償は無理です」と二転三転する発言をしているのを、マスコミは馬鹿正直に報道していましたが、小嶋社長が自分の発言から削り去った文言を補ってみれば、彼の発言はずっと一貫している事が分かるのです。彼はマスコミを睨み付けて「でもさ、考えてみろよ!俺が補償できるわけが無いだろう!」という捨て台詞を必死で飲み込んで、その前に並べる思いつきの営業トークをしていたのです。フーテンの寅さんが毎回披露していた叩き売りの前口上みたいなもので、調子が良いだけの無意味な文言です。渥美清さんほどの名調子でなかったのは小島社長の前歴が悪質な詐欺商法ばかりだったからでしょうなあ。

■国会という晴れ舞台だったので、小嶋社長はついお里が知れる発言も残していました。


「現在、事業停止状態に陥っているが、売り主としての使命を全うしたい。倒れるにしても前向きに倒れたい」

前文は何処かで覚えて来た決まり文句ですから、まったく意味は有りませんが、それでも「事業停止状態に陥っている」という表現で、裏切り者のイーホームズや政治献金していたのに助けてくれなかった議員、そして、もしかすると接待図漬けにして篭絡しておいた官僚も居るとすれば、それも含めて誰も自分を救い出す奇策を提供してくれない事に対する怨念めいた怒りが滲み出しています。そして、無意識にも言質(げんち)を取られないように、「全うしたい」という希望的観測を付け加えることを忘れません。

■後段の「前向きに倒れたい」という表現は、昔、梶原一騎さんが『巨人の星』の中で星一徹に語らせる偽造された幕末の歴史からの引用でしょう。苦労の末に名門巨人軍に入団した星飛雄馬が、軽い球質に苦悩している時に、幕末に暗殺された坂本龍馬が吐いた名言が紹介されます。■


「たとえドブ川の中で死んでも、前のめりに死にたい」

純真で単純で無学な子供達を大いに感動させたものです。こんな発言は記録に無いし、龍馬は畳みの上で斬り殺されています。さすがの小嶋社長も「前のめりで」とは恥ずかしくて言えなかったのでしょうなあ。でも、大きな声と堂々とした態度で気が付かないけれど、こうして文章化すれば、実に陳腐な決まり文句を?ぎ合わせただけの支離滅裂な話しかしていないのは明らかなのですから、臆面も無く『巨人の星』を引用して、日本中の中高年者を大笑いさせるくらいのサービスをしても良かったかも知れませんなあ。

ものは言い様、怒鳴り様 其の五

2005-12-03 08:25:59 | 日本語
■そもそも、運転免許証を持っている人が運転技術に優れているわけでもないし、常に交通法規を厳守して安全運転しているわけでもないのは誰でも知っています。それなのに、資格試験の一種である大学受験に合格したという一瞬の出来事に対して過剰で異常な信頼と権威を認めてしまうのは実に不思議な話です。

■学問や職業において、それぞれの専門用語や数値を沢山知っているのは当たり前のことです。漁師さんや魚屋さんや寿司屋さんが、何百種類もの魚の名前を知っているとか、大工さんや材木屋さんが一目で木の種類を言い当てるとか、そういう専門知識と大学で学ぶ知識とは何の区別も有りません。まあ、理系の大学を出ているのに算数を理解していないとか、文系卒業なのに漢字の読み書きで大恥をかいても、それを詰(なじ)ってくれる「親切」な日本人は絶滅してしまったようですが……。

■藤田氏の芸は更に細かくて、「21」というわざわざ切れの悪い具体的な数値を使って「素人は黙っていろ!」という痛烈なメッセージを投げ付けようとしています。しかし、質問しようと待ち構えているのが法律を作る仕事をしている国会議員である事を忘れてしまっていたようです。議員さんは予算の細かい金額や、法律の条文に含まれる数値をねちねちと弄繰り回すプロですぞ!藤田氏は、止せば良いのに「明文規定は無い!」と法律の不備を指摘して開き直っています。その法律を作った人を前にして、こういう挑戦的な態度はイカガなものでしょう?

■こうして始まった質疑は、始めから小嶋社長が名指しで攻撃を仕掛けていた通り、イーホームズとヒューザーの間で責任のなすりつけ合いになってロッキード国会の頃と何も変わらず、真相解明などとはまったく無関係の単なる見世物で終ったのでした。最大の見せ場は、「圧力」が有ったか無かったか、の子供じみた口喧嘩でしたなあ。小嶋社長はボロを出して怒鳴り声を上げて議長に注意されていましたが、御本人は何十年もこの流儀で世間を渡って「年商120億円、利益20億円」と豪語する身分になれたのですから、今更、その流儀を変える事は不可能でしょう。

■その証拠に、ちょこんと頭を下げてけろりとしていました。支離滅裂な長広舌で相手を翻弄し、それでも落ちない相手には「力」を見せ付ける。それは経済力だったり、不謹慎な想像をすれば、仲良しのヤクザさんの名前も愛用していたような気もしますなあ。「力」をちらつかせても屈服しない相手には、カラオケで鍛えた声帯に物を言わせて咆哮して見せるのでしょう。その見せ場で出て来た奇怪な日本語を幾つか拾ってみましょう。


「相当ニュアンスが違う。私は「公表するまでに相当程度調べる時間が必要だ」と言った。たたくという言葉はまったく違う。でたらめな確認業務をして多大な迷惑を引き起こしたお詫びの一言もないまま公表すると言われても、対応のしようがない。……」


■財力に物を言わせてイーホームズを合法的に叩き潰すと強迫されたと言う藤田氏に対する小嶋社長の言葉です。こうして文書化すると、「相当程度調べる時間」という苦しい表現の裏側に「早く大震災が来ないかなあ」という真っ黒い期待感が透けて見えるような気がしますなあ。「相当程度」という強引な表現は、具体例として数字を出したら誰でもあきれ返るような長い時間を想定している事が分かりますし、その長い時間が経過する間に本当に大きな自信が来たら住民が犠牲になるという心痛など微塵も無い事が良く分かりますなあ。それに、音声では聞き流してしまいましたが、こうして文章化してみると、「お詫び」と言うのは小嶋社長がマンションを購入した人に対するものではなく、何と「でたらめな確認業務」で「迷惑」を受けた小嶋社長に対するイーホームズからの謝罪を意味しているのですぞ!

ものは言い様、怒鳴り様 其の四

2005-12-03 08:25:57 | 日本語
■姉歯さんという一度目にしたら忘れない珍しい漢字の組み合わせで表記される苗字を持つ、ちょっと宮崎勤君を思い出させる顔と表情を持つ、今では日本で一番有名な建築士の名前を使わず、わざわざ「正常ではない建築士」という遠回しの表現を採用しているのも見事です。これで問答無用で姉歯さんに責任が投げ付けられる事態に、聞き手は否応も無く引きずり込まれてしまうのですなあ。それから、「取り巻く」という悪人をイメージさせる動詞を投げ込んできます。そして、責任を押し付ける相手を列挙して見せて、イーホームズだけは具体名を挙げて指摘するという芸の細かさには感服しますなあ。勿論、「ミンカンカクニンケンサキカン」などという舌を噛みそうな漢字熟語をメモなど見ずに、相手の目を睨み付けたままで挿入しています。そして、名人芸の極地を披露して、小嶋社長の国会デヴューが終るのです。

「私たちは確認済み証という神聖な公文書を疑うことなく着工しただけだ。適法に確認を終え、適法に検査済みを得、適法に中間検査を得て、適法に販売した」

■突然、文の主語が複数形になっているのに注意が必要です。責任を取る話では一人称単数の人称代名詞の「ワタクシ」という文語表現を使っておいて、ここでは一人称複数の代名詞になっているのです。知らずに過失を犯したヒューザーという企業に属する社員全員を話に引っ張り込んで、多数の被害者を構成させようとしているのです。「神聖」という時代がかって抹香(まっこう)臭い熟語は、麻原某が大好きな単語でしたなあ。第一文を締めるのが「だけだ」という断言口調の開き直り表現で、それが不遜だと思われない内に、リンカーン大統領のゲティスバーグ演説ばりの「適法に」の連発です。その催眠効果を何度も確認した経験を持っているのが良く分かる、実に手馴れた言い方でしたなあ。

■次に登場するのが、IT革命と小泉民営化政策の寵児の一人でもある藤田氏が登場しました。理系の秀才と思わせる風貌と、若い有能な企業家を演じなれている態度が光りました。今にも殴りかかって来そうな小嶋社長が吠えた時にも、動物実験を観察するような冷静な態度で無視していましたなあ。


「確認検査業務を行なう建築行政に携(たずさ)わる一員として道義的に申し訳ない。ただ、偽造は当機関だけでなく行政他機関でも発覚した」

■この冒頭の二つの文で、彼の言いたい事は尽くされています。これ以降の発言も、これを言い換えた発言だけが繰り返されました。「建築行政」「携わる」という公的な仕事を強調しながら、「一員」と言って大きな物も陰にさっと隠れてしまいます。そして、「道義的に申し訳ない」という初めて聞く日本語表現が飛び出します。「道義的に」という副詞句の後には、動詞が来なければなりませんし、「道義的な」という形容詞句ならば名詞が必要です。どうやら「道義的な責任を感じています。大変に申し訳ないと思っています」と言うべきところを、短縮した心算のようです。これも理系ならではの計算なのでしょうか?試みに、「申し訳ない」の前に付く副詞句が有るかどうか、いろいろと挿入してみるのも一興です。「天地神明に誓って申し訳ない」「徹頭徹尾申し訳ない」「言語道断に申し訳ない」「誠心誠意申し訳ない」「一命を賭して申し訳ない」……だんだん、この人は謝る気など全然無いという事が分かるでしょう。


「確認検査業務は21日間で様々な確認をしなければならない。今回のように構造計算書が偽造されたものをいちいち計算するようにという明文規定はない。適法に業務を行なった。偽造を見抜けなかったのは当社だけではない」

■理系の人は、具体的な数値を振り回して相手を煙に巻きますし、文系の人は矢鱈と固有名詞を並べます。どちらも、情報量で相手を圧倒しようという魂胆です。ここに日本人が大好きな学歴だの家柄などを付け加えれば、簡単に相手を詐欺の餌食にしてしまえます。大学生の粗製濫造は当たり前になってしまったとは言っても、国民の半数は「学士」ではありませんし、私立名門大学だの国公立大学、そして輝く東京大学などと絞り込んで行けば、ほとんどの日本人は理由も分からずに膝を屈してしまうようです。

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ものは言い様、怒鳴り様 其の参

2005-12-03 08:25:21 | 日本語
■さあ、いよいよ真打登場!ですぞ。


「私どもはまったく違法性がないという立場であっても、すべての責任を負っている」

麻原某ばりに相手を睨みつける凶暴な表情と大きな声、ちょっと漢字を多めに使った立て板に水の弁舌は村西節を髣髴(ほうふつ)とさせますなあ。「まったく」という副詞と「も」という逆説を含意する接続助詞の唐突な使い方が絶品です。はっきりと「が」という強い逆説を表わす助詞は避けているのが見事です。そして、「すべての」という形容詞句が泣かせます!前半の「まったく」との呼応関係の効果が遺憾なく発揮されていますなあ。「まったく違法性がない」と「全ての責任を負う」という両立し難い内容の短文を、「も」で接続させているので、何を言っているのかさっぱり分からない発言になっています。

■最近、世の中の90%は「見た目」と「印象」で動いているという内容の本が評判らしいのですが、小嶋社長と言う人は高校卒業後の転職生活の中で、その極意を体得していたようです。相手を凝視して機関銃のように喋り続ける。極端な表現を多用して、相手が冷静に考えるのを邪魔して不信感を弱めてしまう。矛盾だらけの話を澱(よど)みない弁舌の中に巧みに組み込まれる逆説表現で強引にまとめてしまうのです。発言を文書化して彼の論理を検証すれば直ぐに支離滅裂である事は判明するのですが、普通の人はそんな面倒臭い事はしない、という真実を小嶋社長は熟知しているようですなあ。


「瑕疵担保責任で10年間にも及ぶ責任を負っている。すべて私の責任で解決していきたい」

■小嶋社長の長広舌はこうして続くのです。「カシタンポセキンン」などと言われたら、素人はびっくりして話に飲まれてしまいますし、そのすぐ後に「にも及ぶ」という大仰な文語表現を上り調子の勢いで捲くし立てられたら、素人は呆気なく陥落するでしょうなあ。そして、再び「すべて」という強い副詞を「私」の前に置いて、自分が責任感の強い善人なのだと言外に主張しているのですから、念の入ったことですなあ。それでいて、「いきたい」という希望的表現で文を締め括るのです。どんなに大きなホラ話でも、最後に希望的表現を貼り付ければ、話の悪質性は薄まってしまうのです。でも、うっかりするとふざけた文末表現に気付かないまま、文中の大言壮語と四字熟語に翻弄されてしまうものです。


「ただ、正常ではない建築士の偽造の計算書とそれを取り巻く設計事務所、自治体、イーホームズなどの民間確認検査機関が偽造を知らずに許可を出した」

■これだけの長文をほとんど息を接がずに一気に演説されたら、話の内容を判定しようという気持ちは失せてしまうでしょう。準備した原稿を読んでいるわけではないので、視覚的効果は抜群ですし、文頭に置いた「ただ」というそれまでの話を全部ひっくり返す力の有る接続詞を追いかけるように、「正常ではない」というそれこそ正常ではない表現が出て来ます。何処かのテレビ番組で「KICHIGAI」という分かり易い表現を使って叱られていたようですから、テレビ好きの国民には、国会の場ではソノ表現を避けたと印象付ける事で、修飾句としては最大の破壊力を持たせる事に成功しているわけです。その被修飾語が「建築士」です。

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ものは言い様、怒鳴り様 其の弐

2005-12-02 14:18:31 | 日本語
■以下、木村盛好・木村建設社長は木村氏、藤原英明・シノケン社長は藤原氏、小嶋進・ヒューザー社長は小嶋氏、藤田東吾・イーホームズ社長は藤田氏と書きます。敬称は省略。

「法律的に責任があるかどうかだが、まだ国のほうでどう定めるか分からないので、判断がつかないでいる」

■これは木村氏の発言です。日本中のマンション(億ション以外)住民が不安と恐怖で夜も眠れない事態に陥っているのを知りながら、こう発言できるのは、「国」の中にどうにかしてくれそうな人物が居るからでしょう。「国のほう」という表現に特定の人物の陰が感じられますなあ。そして、既に「法律的責任」どころか重大な犯罪を構成し得ると素人でも分かる段階なのに、たまたま「欠陥住宅を建てたら殺人罪を適用する」という法律が無いので、数十万円の罰金で済む詐欺罪程度で逃げられると思っている節も有ります。昔なつかしい金丸信さんが、巨大な金庫に証券類や金の延べ棒の山を隠し持っていたのに、穴だらけだった政治資金規正法違反で訴追されただけで、微々たる罰金を払って無罪放免になった事も念頭に有るのでしょうなあ。「判断がつなかいでいる」という言い方は、将来は判断できるようになる、と匂わせて自分の善良ぶりを訴えながら、苦悩している立場を取って同情を買おうとしているようです。


「結果的に偽造マンションをつくったことに大きな責任を感じている。見抜けなかったかと言われると、事業者としてそういうチャンスは1、2回当然あったと思う。見逃したことを深く反省している」

■これは篠原氏の最初の発言です。「結果的に」という表現を冒頭に持って来て、自分が悪事にかかわったのは最後の段階である、と言いたいのでしょう。「言われると、事業者として」の表現は、客観的な発言を装って、悪事を働く「意志」が無かったようなイメージを作ろうとしています。「当然」という副詞の効果は抜群で、自分はまったく偽造に気付かないでいたけれど、誰か(恐らく公的機関)が指摘してくれれば、ちゃんと理解する資質と能力を持っていると言いたいのでしょう。「1、2回」という副詞句も絶妙ですなあ。悪事を知る可能性が、非常に少ないけれど、複数回あったというのですから、「知らぬ存ぜぬ」の態度で世間の不興を買うのを避けようとしています。止めは「見逃した」という単語で、意図的に偽造したのではないというストーリーの入り口が設定されますし、事件の悪質性を強烈に薄める効果も期待出来ます。

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ものは言い様、怒鳴り様 其の壱

2005-12-02 14:17:23 | 日本語
■11月29日、衆議院第一委員室で開かれた国土交通委員会での「参考人招致」は日本語(言語)に関する絶好の教材となりました。大急ぎで仕上げねばならない仕事が有ったのに、ラジオで実況を聴き、テレビのニュースで映像を観ました。突然、マスコミの寵児(玩具)となってしまった自称「オジャマモン」の小嶋社長という人を初めてニュースで見た時に、90年代のジャパニーズ・サブカルチャーを支えて、大いにテレビや週刊誌に貢献した二人の人物をすぐに思い出しました。聞くところによりますと、この二人が大活躍していた頃、小嶋社長は「消火器」「先物取引」などの10種類以上の詐欺商売で神経と舌を鍛えていたそうです。それを何処かの経済雑誌に得々と立志伝仕立てで語っているのだそうです。相当な人ですなあ。

■一人は「まぐわいビデオ」を表社会に担ぎ出すピエロの役を押し付けられた村西とおる氏です。人を食ったような馬鹿丁寧な標準語を独特のアクセントで操る面白い人でした。彼は福島県いわき市出身だったと思いますが、今回の小嶋社長は宮城県なので基盤となる言語文化は地理的にも近いので似ているのだと思います。話始めの音階や語尾に方言のアクセントが微妙に響きますなあ。小嶋社長の日本語と村西とおる氏の名調子との違いは、暴力性の隠し方に有るようです。

■社会の裏で法律家の言う「劣情」に付け込んで商売していた村西氏は、その名も「裏本」というややこしい写真集でその業界で成り上がったそうです。そして、ビデオ機器が登場すると逸早く当時の巨大なカメラを肩に担いで「過酷な肉体労働」に耐えて、日本の家電メーカーがビデオ機器で世界を席捲する偉業の基礎を築いた功労者の一人となりました。(誰も感謝しないし、表彰もしないのは失礼かも……)彼は、バブル崩壊までの10年間ほど大儲けしましたが、家電業界が得た利益はそれとは比べ物にならない巨大なものだったはずです。

■村西氏は、職業がら何度も警察に逮捕された経験から不自然な低姿勢を強調する日本語を工夫したと推測されます。小嶋社長の発言を文字化すると、なつかしい村西節を思い出しますが、犯罪ぎりぎり?の相当な悪徳商売をした経験を持ちながらも、一度も逮捕された事の無い小嶋社長の口調は村西氏の日本語とはまったく違う表情を持っている印象が有ります。小嶋節を音声として聞いていて思い出したのが、もう一人のサブカルチャーの寵児だった尊師・麻原彰晃です。文字化した村西節を麻原スタイルで音読すれば、小嶋節にかなり近いものになると思います。ぜんぜん懲りないテレビ局が直ぐに小嶋社長を食い物にしたのは、「夢よ再び!」と思えたからでしょうなあ。

■国会議事堂という威圧的な建物に入ると誰でも緊張の余りに正気を失ってしまうのは有名な話ですから、国土交通委員会に呼び出されて熊本県八代市から上京した、木村建設社長の木村盛好氏の冒頭の発言は正直なものだと思います。


「初めてこういうところに立ちまして非常に上がっております」

熊本弁を抑えながら、何を聞かれても「知りません」とぼそぼそと言う木村氏でしたが、昔のロッキード疑獄では某大商社の社長が、激しく手が震えて宣誓供述書に署名出来ない騒ぎが有りましたから、当時を考えれば日本人はテレビ慣れしたのだなあ、とも感じます。

■今回は偽証罪に問われる「証人喚問」ではなく、言いっ放しが許される「参考人招致」でしたから、奇妙奇天烈な日本語が乱舞しておりましたなあ。それを検証して、「美しく正しい日本語」を考えましょう。

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誰か文科相を教育して下さい!

2005-11-03 00:47:06 | 日本語
■日本語の読み書き能力が落ちて、最初は「活字離れ」と言われ、「新聞さえ読めない」とも言われ、その内に「映像中毒」が懸念され、とうとう言葉を失って「キレる生徒」が問題とされるに至りました。日本語は、外国語の漢籍を語彙のベースに取り込んでいるので、漢字体系の習得とそれを日本風に変えて来た伝統の両方を身に付けないと使いこなせません。この辺りの事情は、書道家の石川九楊氏が多くの文章を発表していますが、日本語の文法は非常に単純で、それだからこそ、現地でも手を焼いている漢字を上手に利用できたのです。ですから、基本的な知識は膨大で習得に時間が掛かりますが、一旦、漢字のシステムを理解すれば、その後の利用価値は格段に高まるユニークな言語なのです。

■間違っても、アルファベットなどの表音文字を使っている国の教育行政を手本になどしては行けませんし、漢字の重さで自己崩壊しかけているチャイナの教育政策などは一切参考にすべきではありません。

文部科学省の国立教育政策研究所は、中学3年生の英語を話す能力を把握するため、11月から約1000人を対象に調査を始める。全国的なスピーキング調査は初めて。研究所は「指導要領で重視されるようになった、話すことで自分の考えを発信する能力がどの程度身に着いているか確かめたい」としている。
 研究所によると、調査は、コンピューター画面を見ながら、ヘッドホンの音声に従い、マイクを通して答える方式。問題は
(1)単語を発音する
(2)聞いた英文を繰り返して言う
(3)英語での問い掛けに答える
(4)与えられたテーマについて話す-の4タイプからなる。
 調査は無作為抽出した33校で実施。11月1日に新潟県内の中学校で実施するのを皮切りに12月まで行い、結果は来年度中に公表する。
(共同通信) - 10月29日

■「ゆとり教育」の政策形成過程でも、その普及にも税金を投じた後の文科省は、余程、暇なのでしょうなあ。英語を使いこなせる能力を勘違いしているようです。英語の翻訳、通訳、討論、交渉…それらは「職人」の領分です。結局は文科省の「天下り団体」にしか過ぎない無意味な「英検」公団?を運営して来た手前、これまでの英語重視の教育政策をどんどん進めて、「ゆとり教育」の大失敗で大恥をかいた分を取り返そうとしているのではないでしょうか?日本語教育をどうするの?と誰かが真正面から問い質さねばなりません。先頃、芥川賞などの商業文学賞の受賞者に10代の若者が名を連ねています。露骨に商売上の都合で世の中を驚かせる必要も有るのですが、代表的な「若手作家」が登校拒否児童であった過去を一つの財産にしているので、文科省としてはグウの音も出ませんなあ。学校なんかに通っていたら、作家にはなれないのです。こつこつと田舎で度の強い眼鏡を掛けてガリ勉の青春を送って、東大に入ってフランス文学をやってノーベル文学賞を狙うような時代は過ぎ去りました。

■戦後の文部省が重ねた大失敗が、学校に通わないからこそ、文学賞が取れる「日本語」を身に付けられるような国を作ったのです。今度は、英語の猛毒を注入して、いよいよ日本語の息の根を止めようとしているようです。悔しかったら、新文科相の小坂憲次さんに、原稿無しの就任挨拶を英語でやらせてみろ!国会答弁に立つ事務次官も英語で答弁して見せろ!日本人の新聞記者相手の記者会見も、英語で挑戦して見せろ!自分が出来もしない事を、ガキンチョに強要するのをバカ親、バカ教師と言うのです。それは、「俺も後から行く。靖国神社で会おう。」と言って若者を特攻機に乗せて見送りながら、敗戦後はころりと別人格になって、孫と楽しく恩給生活を送った阿呆と同じ罪を犯しているのですぞ!自分が身に付けた文化や伝統を、たとえ拒否されようとも子供や若者に伝える。それが教育の最初であり最後の仕事です。

日本の国連加盟50周年を来年に控え、国連の活動のPRなどを行う財団法人「日本国際連合協会」(千玄室会長)が財政難にあえいでいる。収入の中心だった国連公用語英語検定試験(国連英検)の受験者数が落ち込み、外務省からの補助金も打ち切られたためだ。全都道府県にあった地方本部も山梨、三重、大分など6カ所が今年3月までに閉鎖された。

■「千玄室会長が財政難」と誤読しそうな記事ですが、名門『裏千家』は日本全国は勿論、海外にも進出して「お月謝」やら、道具類の販売などでますますご発展ですから、間違っては行けませんぞ。英検で味をしめた旧文部官僚を横目に、外務官僚も似たような物を企画したのが発端だったのではないでしょうか?「英検は日本英語だ!」ぐらいの事は言いそうですからなあ。天下り用に悪乗りして企画した「国連英語」なる奇怪な英語?が相手にされなくなった。それだけのニュースですから、念のため。

国連協会は1947年設立。52年に日本の国連加盟に向け30万人分の署名を集めたほか、53年には世界各国から集めた古銭で鋳造した「平和の鐘」を国連本部に寄贈した。現在は国連本部訪問が副賞の「高校生の主張コンクール」などを実施している。しかし、ピークの80年代後半には約7万人だった国連英検の受験者は、TOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)などの普及で04年には約1万3000人に激減。さらに年間3000万円程度出ていた外務省からの補助金も、一連の見直しで04年度からゼロになり、赤字経営が続いているという。協会は今年から英検の受験料値上げに踏み切ったが、改善の見込みはない。協会副会長の波多野敬雄元国連大使は「目的がはっきりしているユニセフなどと違い、具体的に国民に訴えかけるものが足りないのかもしれない」と頭を抱えている。
毎日新聞 10月29日

■国連英語を受験した経験をお持ちの読者諸氏は、きっと「エッ!まだやっているの?」と驚かれていることでしょう。お役人が作った天下り組織を諦めるはずは有りません!ちょうど、奇妙な埋め立て計画の目的が、「農地拡大」「利水目的」「防災目的」などところころ変っても、絶対に止めないのと同じ事です。「国連英語」とは、英国のクィーンズでもないし、米国東海岸の大学生英語でもない、どんな英語なのでしょう?まさか、東京の霞ヶ関だけで通じる英語ではありますまいな?日本には、実に沢山の英語で飯を食べている人がいるのです。ぜんぜん英会話などできない中学校の英語の先生、恐ろしく複雑な受験英語の問題をすらすら解けるのに、英語で一冊の本も書けない受験英語の神様、ジョークの一つも言えない大学の英文学の大家など、実にユニークな人材が目白押しのようです。

■香港やハワイで買い物して値切るとか、白人の国で売春に挑戦する目的で「駅前留学」に熱心になれる一部の日本人に幻惑されて、天下の文科省が、英語の幼児教育に予算を付けて得意になっておりますぞ!トンデもない事です。そんな暇が有ったら、文科官僚さん達は「さすがは文科省」と感心されるような大臣答弁の原稿を書いて御覧なさい!勿論、英語大歓迎ですぞ!出来れば、流麗な「日本語」で、文意が明らかな物を切望しております。

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読書の秋、それも死語らしい

2005-10-28 20:59:08 | 日本語
■読売新聞が、昨年に続いて大規模な読書に関する調査を実施して、その結果を公表しております。驚くべき……というよりも、予想通りの結果のようです。
「本離れ」は、若者より中高年の方が深刻――。読売新聞社が15、16の両日に行った「読書」に関する全国世論調査(面接方式)で、年代が上がるにつれ「本離れ」の傾向が見られ、特に、中高生を子に持つ人が多い40歳代で、2004年の前回調査より7ポイント増の44%と、「活字離れ」が増えたのが目立った。
この1か月間に本を「読まなかった」人は52%で、1980年から始めた同調査で3番目に高かった。年代別に見ると、20、30歳代は各41%で、前回調査より減ったのに対し、40歳代から上の年代は増加、50歳代は55%、60歳代は61%、70歳以上は66%だった。読んだ本の数は「1~3冊」が39%、「4冊以上」が9%で、いずれも前回調査比1ポイントの微減。
 一方、インターネット通販で、本を購入した人は03年の前回調査比3ポイント増の10%だったが、20~30歳代が2割台で、若年層を中心に読書に対する環境の変化も見られる。活字離れに歯止めをかける方法では、「『読書の時間』を学校の授業科目にする」40%が最も多かった。読売新聞 10月28日

■この種のアンケート調査に欠けている視点は、字を覚え始める年代の子供を持っている親という限定、そして、何より小中学校の教員が、月に何冊の本を読んでいるのか?という重要な質問を発しないことです。日々のサービス残業で草臥れているサラリーマンや、ゲームやビデオ映像に浸かっている人々を含めて数値を割り出しても、あまり意味は無いのではないでしょうか?既に、新聞すらセールス技術に負けて「購読」と言っても、「購入」と「読解」とが分離しているような状態でしょう?電車の中で新聞を読んでいる人が減っているのは全国的な現象なのではないでしょうか?

■本を読んでいるはずの人が読んでいないからこそ、売れる本の種類が大きく偏って、まるで紙くずのように大量に本が出版され、中国のダンボールになるような運命を辿ります。公立の図書館に案外沢山の人々が集まって、「ハリー・ポッターの新作を100冊買え!」などと無茶な事を要求するような現象にも注意すべきでしょうなあ。去年の夏に読売新聞が大規模な調査をした結果が有ります。

2004年の出版物の売り上げが8年ぶりにプラス成長に転じた。雑誌は依然、不振だが、書籍が前年比4.1%増の9429億円と大幅に伸びている(出版科学研究所発表の推定販売額)。2004年一般個人調査によると、過去3か月間の書籍平均閲読冊数は全体で2.8冊。97年と同じで、前年と比べると、こちらもやや持ち直している。1冊でも読んだ人に限った平均閲読冊数はやや減っているものの、「読まなかった」人の割合は32.7%と過去8年間で2番目に低い数字になっている。本を読む人の裾野はやや広がっていると言えそうだ。
 2004年のデータをさらに性・年代別に見ていくと、閲読者の平均閲読冊数は男女とも4.1冊。トップは男性40代の4.5冊、次に女性20代4.4冊、女性30代、40代各4.3冊と続いている。男女60代と女性10代で平均冊数が3.3~3.7冊と目立って少なかった。また、非閲読者の割合が最も高いのは男女ともに60代、次いで30代だった。
 これらのデータから、最も本を読まないのは男女60代で、30代男性もやや本を読まない傾向があることがわかった。しかし、男性20代以下、女性10代は、冊数こそ少なめだが閲読者の比率は全体平均以上で、若年層で本離れが顕著とは言えない。また、女性20代は40代と並んで最も読書好きな層であることがわかった。女性30代も、読まない人はやや多めだが、読む人は平均以上によく読んでいることがうかがえる。

■60代の日本人というのは、1940年代生まれの日本人という事です。この人達が本をあまり読まない理由は、新聞社が一番よくご存知のはずなのですが……。戦後の動乱期を幼年期に生き残り、その後の高度成長期を一気に駆け抜けた世代です。社会に出たり大学に入る頃には、社会主義が大流行して、その後にソ連が崩壊して社会党が消滅。何を信じて良いのか?と悩んだ人は本物の読書人になり、その他の多くの人々は、馬鹿馬鹿しくて本など読んでいると馬鹿になる、と信じているのではないでしょうか?

2004年10月に行った読売新聞全国世論調査で、「最近本離れが進んでいるといわれていることについて、心配に感じることがあるか」と尋ねている(図2)。「ある」と答えた人は「大いに」「多少は」をあわせて64%にのぼったが、こうした意識には世代格差があり、30代より上の年代ではいずれも6割を超えたのに対し、20代は42.6%と目立って低かった。確かにこの数字を見ると若者は本への関心が低いという印象を受けるが、同調査では、「本を読む理由も聞いている」。全体では「知識や教養を深めるため」が47.4%でトップ。以下、「面白いから」が37.3%、「仕事に役立てるため」「時代の流れを知るため」がそれぞれ約22%と続いている。しかし、ここで注目したいのは、年代が低くなるほど「面白いから」という答えが多くなっている点だ。特に20代では52.5%と、他の項目を大きく上回っている。

■いくら買っても切りが無い、コンピュータ関連のマニュアル本も本の内に含めれば、月に数冊の本を「知識を得るため」と答えるでしょうし、ベスト・セラーと宣伝される物ぐらいは手に取って、時代に乗り遅れないようにしようとする購入行動も有るでしょう。それを多くの出版社は前提にして営業しているのではないですかな?他のマスコミも協力して、数十年前の流儀を踏襲して「今年の直木賞は…。芥川賞が決定しました!」と囃し立てますが、去年の受賞作を覚えていれば大した読書人で、一昨年や3年前と言われてすらすら答えられれば、プロでしょう?
何かのためになるからというより、面白いから本を読む……今後ますますそういう人は増えてくるだろう。若年層に限らず、人々を読書に呼び戻すためには、「本というものに対する意識」が変わってきていることにも注目すべきではないだろうか。


■この「面白い」というのが曲者ですなあ。膨大な書籍が並ぶ本屋さんに入って、まったく自分にとっては「何が面白いのか」見当も付かない本が増えました。カネが儲かる本、運命が分かる本、絶対に死なない本、未来が分かる本、要するに、自分では何も考えなくても良い本が山のように売られているのですなあ。それは、毎日、みのもんたさんが、「これを食べれば…」「あれを飲めば…」とオミクジ番組を放送すると、その品物が午後のスーパー・マーケットから消える社会現象と同じものでしょう。じっくりと、言葉と思想を味わって考えるような本は、今の日本では珍しい本になってしまいました。話題になった新書本などは、買う前に内容を確認しようかと思ってぱらぱらと数分間立ち読みすると、もう内容が分かってしまって買わずに済みますなあ。

図4は、同調査で「主にどんなきっかけで読む本を選ぶか」を尋ねた結果である。「書店の店頭で見て」が40.7%と目立って高く、2位は「新聞の書評を読んで」、3位と4位に「ベストセラーなどの話題をきっかけに」「新聞や雑誌などの広告を見て」がほぼ並んでいる。

■本屋さんの中をうろうろして、自分が知らなかった事が書かれている本を見つけて、思わぬ発見をする幸せを感じる機会が死に絶えたわけではなさそうですが、かつての角川商法以来、平積み押し売り商法が広まってしまったので、「買わされた本」に後になってから失望する人が随分と増えたのではないでしょうか?本を選べるようになるには、相当の年季が必要なのですが、それを体験せずに一人前になってしまう日本人が多いような気がします。新聞の広告欄を見ていて「何故この本がそんなに売れるのか?」と悩んでしまう事が、本当に増えましたなあ。
性・年代別に見ると、「書店の店頭」は30代の53.9%を筆頭に40代以下で5割前後と特に高スコアだった。「新聞の書評」「新聞や雑誌などの広告」はそれぞれ40~60代のスコアが高めだが「書店の店頭」ほどスコア差はない。「ベストセラーなどの話題」は性・年代を問わず高いが、特に女性と30代以下の若い層では3割を超え、特定の本が爆発的に売れるという最近の本の売れ方を裏付けている。
 店頭で本を選ぶ人が多いことがわかったが、書店はどの程度利用されているのだろうか。一般個人調査で、本を買う人(全体の73.6%)に対して「書店に行く頻度」を尋ねた……。
 「週に1回」がすべての性・年代で最も多く(60代以外では3割前後)、週に1回以上来店している人が半数近くを占める。若い層ほど来店頻度が高い傾向がうかがわれ、20代以下では週1回以上の来店者が6割にのぼっている。立ち読み目的も多いかもしれないが、若い層は比較的本屋に親しんでいるようだ。週に1度は書店に足を運び、話題の本を中心に気が向けば読んでもいる……そんな人たちにもっと本を買ってもらうためにはどうすればよいのか。

■ここら辺からデータの分析が狂ってきます。「立ち読み」が携帯カメラで盗撮へと移行し、万引きが「商売」になってしまった世相を忘れていますなあ。本屋さんは本当に大変です。沢山お客が来たら、監視カメラを増やさねばならないし、同じ町の新型古本屋さんの品揃えも気になるし……

その答えは簡単には出ないだろうが、世論調査では、人々が出版社や書店にどのようなことを望んでいるのかを聞いている。
50代までの全年代でトップに挙がったのは「本の値段を下げて欲しい」。60代以上は「字の大きな本を増やして欲しい」が4割を占めてトップだった。2位以下の項目は男女差より年代差が大きく、20・30代では「本を探しやすくして欲しい」が各3割、「良書を積極的に紹介して欲しい」が2割を超えている点が目をひいた。「書店に商品知識の豊かな店員を増やして欲しい」という要望も30代が2割近くと最も高かった。また、「携帯しやすい本を増やして欲しい」が40代以下の層で2割を超えている。確かに通勤通学に持ち歩いたり、電車の中で読む人には小さい方がいい。

■手軽な新書が企画されて、時々大流行する理由はここに有るようです。しかし、昔のような資料的な価値の高い新書がほとんど姿を消して、行間が広くて活字も大きくて、頁をめくるのに大忙し!という内容がすかすかの新書が増えました。かつて、角川書店が初版から「文庫」という掟破りをやってから、出版業界は大変化を起こして、元には戻れなくなっています。占い本と、怪しげな健康本、あとはカネ儲け本か陰謀や超能力めいた本、それらを抜いたら裸写真集ぐらいしか安定的に売れる素材が無いのではないでしょうか?

本の値段を下げるのは難しいだろうが、これらの要望は若い人から中高年まで、それぞれのニーズに応えた本作りや売り方のヒントになるだろう。春先、「全国書店員が選んだ いちばん! 売りたい本 2005年本屋大賞」が世の中の注目を集めたが、書店の側でも話題の本を自ら作り出していこうとする試みが見られる。人々の本への意識は変わってきているが、読者ニーズをよく汲みながら、このような取り組みを積極的に行っていくことで、人々を本に呼び戻す流れが作り出されるのではないだろうか。

■一生付き合える本、若い世代や我が子に伝えたい本、それが無くなったら日本語なんて無くなってしまいますぞ!

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引くに引けないNHK 其の弐

2005-10-28 09:12:40 | 日本語
■以前、『日本語で言ってみな!』で、玉袋さんの名前を扱いましたが、その時はNHKに出演していた事を確認しておりませんでした。ポルノグラフィティという歌手の名前と同様にHGも、子供にも分かるようにちゃんと日本語にして欲しいものです。「過激な同性愛者」とでもするのでしょうか?
しかし、情勢を変えたのが、16日放送の総合テレビ「日曜スタジオパーク」だ。人気歌人の笹公人氏(30)がなんと、HGのコスプレ姿で出演。短歌について語りつつ、「フォ~」「フォ~」と物まねまで披露した。笹氏の公式ブログによると、この演出はNHK側の強い希望という。打ち合わせで「あの衣装で出ます」と冗談で口走った笹氏に、数日後に「衣装用意しました!」「HG期待してますよ!」と熱望メールが相次いで届き、後に引けなくなったという。
 「もう、NHK的にHGはアリですよ。紅白という大舞台でこそ、あの芸も生きる…」(先の関係者)

■「NHK的に…」という変な日本語は止めて欲しいものですが、テレビ局内では平気なのでしょうなあ。

 同局広報部に問い合わせると、HGの出演予定は「現時点では、紅白も含めて一切ありません」とつれない。ただ、今後については「番組の基準にのっとって、出演をお願いすることはあるかもしれません」と含みを残した。腰振りをセーブするなどの条件付きでの出演ならある、とも受け取れる。大みそかの紅白で「NHKは皆様の受信料で成り立っています。フォ~!」とやるか。
(夕刊フジ) - 10月27日

■「芸人」という職業をまったく別のものに変えてしまった吉本興業という会社は、ジャニーズ事務所と共に日本の芸能史に残るのは確かでしょうが、同時代を体験した日本人がそれを将来良い思い出と考えられるかどうか、おそらく、既にテレビと縁を切った生活をしている人達の方が、「知らなかった」事を喜ぶことになりそうです。

NHKが大みそかの「紅白歌合戦」のてこ入れに躍起だ。審査員に“携帯審査員”1万人を新設。携帯サイトでも「スキウタ・アンケート」を実施するなど、橋本元一会長の改革作戦は奏功するか…。

■このアンケートに関しては、『アホじゃなかろかNHK』に書きましたが、まだ続いているようですなあ。。

昨年は大塚愛、オレンジレンジ、気志團など若者ウケするアーティストを多数出演させながら、平均視聴率は後半の2部で39.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と過去最低を記録。「大みそかの夜に、テレビを見る習慣は減少傾向にあるし、裏番組の格闘技への興味も強い。それより、視聴者が紅白に参加しているという意識を高めることがNHKへの信頼を高め、視聴率のアップにつながる」(紅白編成担当者)と、今回の改革が打ち出された。その主眼は会場審査員票の重みが大きかった従来の制度を変え、お茶の間の票の重みが同一になる視聴者参加型にするというもの。新審査方法は、(1)ゲスト審査員10人前後(2)NHKホールの観客約3000人(3)データ放送で参加するデジタルテレビ審査員(昨年は7万人)(4)11月10日から12月10日の期間に公募する携帯電話で投票できる「携帯審査員」1万人-で勝敗を決定。「すべての票の重みを同一にした」(編成担当者)という。……「視聴率目標は50%超え。ただ、今年は自分の意見が紅白の勝敗を左右する人が増えるので、それが少しでも数字に反映されれば…」(茂手木秀樹芸能番組センター部長)さらに、「紅白歌合戦 今年はあなたも審査員!」(11月3日午後1時59分)を振り出しに大みそかまでに、紅白関連番組を順次10番組放送。過去に例がない大量事前PR体勢を敷く。「どんな改革をやっても、視聴率は下げ止まらないだろう」(音楽関係者)と厳しい声もあるが、ライバル視される格闘番組に「昨年ほど注目のカードがない」(格闘技担当者記者)という“敵失”期待もあり、意外と視聴率の反発もあり得そうだ。
(夕刊フジ) - 10月20日

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引くに引けないNHK 其の壱

2005-10-28 09:11:34 | 日本語
■往年の二枚目スターだった根上惇さんが愛妻のペギー葉山さんに看取られて亡くなりました。そして、一昨日26日には葬儀が執り行われて、友人を代表して長門裕之さんが弔辞を読まずに語ったようです。友人を悼みつつも、今の芸能界に対する激しい怒りが口を衝いて出て、その矛先は皆様のNHKに向けられていました。本格派の舞台俳優にとっては、芝居を掛けると赤字になるから、開店休業の劇場が沢山あるという話の後で、
「…テレビはバラエティー番組一色、頼みのNHKは韓流とジャニーズに乗っ取られておかしなキャスティングばかり…」

■根上惇さんは映画の全盛期とテレビ・ドラマの全盛期を、役者として最も充実していた自分の時間に合わせるようにして活躍して逝ったという弔辞なのですが、夫婦の介護美談に仕立て上げて稼いでいるマスコミが押し寄せるのを知って、長門さんは根上さんの葬儀を利用したのでしょう。しめやかな葬儀には似つかわしくない、とても激しい言葉だったようです。勿論、芸能ネタですからNHKは放送する必要な無いので助かったことでしょうなあ。

■今週号の『週刊文春』は「わが子に見せたくないタレント・テレビ番組ワースト20」という記事を掲載しています。子供を持つ1000人に見せたくない「番組名」と「タレント名」を3つと3人ずつ答えて貰った調査だそうです。ほとんど知らない番組や芸能人の名前の連続なので、批判内容が当たっているのかいないのか、即断できずに困るような記事です。見せたくないテレビ番組20をテレビ局ごとに分類すると、日本テレビ5本、TBS2本、フジテレビ6本、テレビ朝日7本という内訳になります。株の仕手戦が演じられているのがTBSであるというのも、偶然ではないのかも知れませんなあ。

■子供に見せたくないテレビ・タレントの一覧表でも、半分以上の名前が顔と一致していないので、あれこれと言うわけにも行きませんが、占い師の細木数子さんが第6位に入っているのが目を引きますなあ。そして、群を抜いて悪評(票)を集めたのがレイザーラモンHGという男です。「フォー」と大きな裏声で叫んでは腰を前後に振るだけの芸?でテレビに出ていて、プロ野球の選手が祝勝会で真似をしていたのをニュースで見ましたなあ。何が面白いのかさっぱり分かりませんが、初めて彼の芸?を見た時、1950年代の米国の事を思い出しまいた。

■メンフィス出身のエルビス・プレスリーという青年が登場してレコード販売記録を塗り替えていまして、テレビ番組にも出演したのですが、激しいリズムに合わせて「腰を振る」のが許せない!と苦情が殺到して、胸から上しか放送できなくなった逸話が有ります。これは黒人音楽の歌唱法や踊りを取り入れたプレスリーの歌唱法に合った芸だったのですが、レイザーラモンHGという人の「腰振り」は、踊りでもないし、面白くも何とも無い漫談?に必要な動きでもないようです。でも、その動きは、間違いなく立位の「まぐわい」そのものを表現しています。元々、二人組みの芸人とのことですから、二人でクンズホグレツの○○ショーを出し物にすれば良いでしょうに。

■そもそも、レイザーラモンという言葉の意味が分かりません。吉本興業の漫才コンビの名前らしいので、特に意味は無いのかも知れませんし、知る必要性も感じませんが、HGというのは「ハード・ゲイ」の頭文字を取ったものだそうです。同性愛者を支援するつもりで、芸名と服装を決めたのならば、それは一つの主張でしょうが、どうやら、その種の性向を持っている人をパロディに使っているだけのようです。オカマを売り物にして映画やファッションを語る人もいるようですから、テレビ局は「同性愛を差別してはいけません」という一見人権思想のような言い訳のメッセージを利用して商売しているだけとも考えられます。それは結局は同性愛者を痛烈に差別して笑いものにしている事になるのですが、誰も気にしないようです。

大ブレークの異色芸人、レイザーラモンHG(29)が、大みそかのNHK紅白歌合戦に出演-との噂が飛び交っている。あの“ゲイ風”で、民放各局を制覇したが、NHKは未出演。低調・紅白で「フォ~!」と一大サプライズを起こすか。近年の「紅白」では、「その年を象徴する芸人のゲスト枠」がある。一昨年は、はなわと共に出場したテツ&トモが、瞬間最高視聴率50%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)超えを記録。昨年も平均30.8%と低空飛行の第一部で、波田陽区が33.7%、青木さやかが36.2%と大健闘。それだけに「NHKは今年の紅白も、芸人枠の人選は相当力を入れるだろう」(芸能関係者)。大人から子供まで、「フォ~!」と腰振りをまねする現在の人気からすれば、HGが「その年を象徴する芸人」の資格は十分。ただ、ネックはあのゲイ風だ。
 NHKといえば、企業名すら削除するほど、放送内容に敏感。過去には浅草キッドの玉袋筋太郎が、「知恵袋賢太郎」として出演するなど、「下ネタも、おもしろければOKとはいかない」(お笑い関係者)。HGのハードゲイキャラは「NHKではNG」と見られていた。

もう少し日本語を大切に出来ませんかな?

2005-10-27 20:18:26 | 日本語
■10月26日水曜日の読売新聞首都圏版、テレビ蘭にこんな物を見つけてしまいました。
BS11 NHK衛星第2 
1.00 映 闇の弥太っぺ 山下耕作監督 萬屋錦之助 十朱幸代
2.30 二 大自然
3.00 国会中継 「党首討論」

■これは面妖な、錦之助の作品なら大概は知っていると思ったが…。まして山下耕作監督作品となれば、知らないはずはないのだが…。
これはもしかすると、1963年製作 東映作品、監督が山下耕作の、長谷川伸原作任侠時代劇『関の弥太っぺ』ではなかろうか?主演が中村錦之助!(やっぱり錦之助は中村ですなあ)、まだ娘役が似合っていた頃の十朱幸代と黒澤作品でも大活躍した木村功という豪華なキャストでしたなあ。任侠の心を知る渡世人、弥太っぺの人情劇!甲州街道の吉野宿で、まだ10歳のお小夜ちゃんを助けた弥太っぺが、馬鹿な弟分を切り捨てるはめになる。名作ですなあ。

■「関」を『闇』と間違えたのは誰でしょう?まさか、鉛製の活字を拾っているわけではないでしょうから、入力した人間が『関のヤ弥太っぺ』を知らないのでしょうなあ。その上、調べもしない!熱狂的な錦之助ファンや長谷川伸の股旅物が大好きな人々から、抗議の電話が入ったのではないでしょうか?それとも、「新聞なんてそんなもんだろ」と呆れて御仕舞いだったのでしょうか?名作として残すべき作品名を公器である新聞が間違って掲載するというのは、文化の問題として大問題ではないでしょうか?逸早く、憲法改正だの伝統の巨人軍だのと、保守を看板にしている新聞社が、『闇の弥太っぺ』はないでしょう?

■何度も指摘しているように、「日本語のテレビ朝日」などは、サービス過剰のテロップを流す度に、変換間違いを見つける楽しみを視聴者にお届けするのを絶対に忘れない姿勢を、今でも守っています。これは立派ですなあ。同音異義語が出るたびに、笑えるのですから、大したものです。わざとやっているのではないでしょうか?それとも、アニメ業界と同じで東南アジアの何処かの国に下請け業者を雇っておいて、インターネットで繋いで入力させているとか、ただ同然で日本語を勉強中の留学生を使っているのか、どちらかでないと、日本語を使いこなせない社員を会社の中に放置して、堂々とテロップを入力させている事になりますなあ。

■一時の、社会主義革命にかぶれたままの親会社の新聞社からの通達で、「日本語破壊命令」でも出されているのかなあ?などと深読みしたくなるほど、変換ミスの頻度は凄まじいものがあります。お暇な方は、ワイド・ショーを中心に「日本語のテレビ朝日」が放送する番組をビデオに録画して、しみじみと再生して調べて御覧になることをお勧めいたしますよ。サービス満点の場合は、10分に一つは奇怪な漢字変換を提供してくれますぞ。もしかすると、わざと間違いを放送して「正しい日本語」を考えさせる、一種の啓蒙活動かボケ防止の福祉活動なのかも知れませんなあ。それならそうと、ちゃんと広報して貰わないと、とても心配になってしまいます。でも、時々、間違えると後が面倒な人の名前まで間違えて表示したりもしますから、単に日本語を粗末にしているだけなのかも知れませんなあ。

テレビ東京は27日、26日放送の旅番組「いい旅夢気分」で取り上げた料理の具を、毒性のある「イッポンシメジ」と誤って放送したと発表した。27日午前のニュース番組で訂正するとともに、次回の「いい旅夢気分」でも訂正する。「イッポンシメジを使ったキノコ料理」と紹介したが、実際には食用のウラベニホテイシメジだった。視聴者からの指摘で誤りに気づいたという。テレ東は「地元でイッポンシメジと呼ぶ人もいたので誤った。今年2月の旅番組でも同じ誤りをしており、申し訳ない」と謝罪した。毎日新聞 10月27日

■別に謝罪などしなくても、「デブや」とかいう食い過ぎ推奨番組を毎週放送しているテレビ局でしょう?冗談がきつい事に、ダイエット食品のテレビ販売もしているらしいですなあ。一体、どうしろと言うのでしょう?みのもんたさんを起用して、「大食い番組」を復活させたと、ネット・ニュースで読んだ覚えがあるのも、このテレビ局でしょう?過去に放送した時に、小学生が給食の時間に真似して喉に食べ物を詰まらせて事故が起こってから、しばらく放送を中断していたとか……。最近、テレビ欄で見かけないのですが、また食べ物で遊んで誰かが事故を起こしたのでしょうか?経済新聞が親会社なので、暴飲暴食を薦めて消費活動を活発にした上に、胃腸を壊して医薬品を買わせたり、ダイエット商品も買わせようという深謀遠慮だとすれば、それはそれで大したものです。

■NHKでも、ヒドイ日本語(美しい方言ではありません!)を喋る人物を登場させて、馬鹿馬鹿しいトーク番組を垂れ流しているのですから、テレビを観ると馬鹿になる前に、日本語が下手になりますぞ!速報性を重視しているという言い訳は通じません。じっくりと準備期間が有るはずの番組でも、おいおい、と言いたくなるような日本語が飛び交ったりしますからなあ。それも、テレビ慣れしていない素人さんではないのですから、プロが間違った日本語をべらべらと電波に乗せるのですから、気になる情報を得られそうだと思って番組を観るとぜんぜん違う事に気を取られて、大事な情報を取り損ないそうになります。

■ろくな話芸も演技も提供しない事に決めているようですから、せめて話し言葉の日本語をもう少し大切にして欲しいものです。テロップを間違えながら、「教育問題」なんぞを論じていると、腹立たしいやら笑い出したいやら、とても神経が草臥れますから、どちらかにして欲しいですなあ。スポーツ選手のインタヴューも、「自分の相撲」「自分の野球」 「自分の柔道」「自分の走り」「自分の泳ぎ」……「一所懸命やるだけです」を、何百回放送し続けるのでしょう?これは答えている人が悪いのではないのです。インタヴューしているテレビ局の社員が間抜けなのです。

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芭蕉が泣いている

2005-09-19 17:13:04 | 日本語
■小さな記事ですが、日本語に関するニュースを見つけました。多くの大学生が日本人ではなくなっているという御話です。

「蛙」?知らない大学生35%

 大学生の3人に1人は、「春はあけぼの」の意味が分からない――。国立国語研究所の島村直己主任研究員らの研究グループが17日、千葉市で開かれた日本教育社会学会でこんな調査結果を発表した。
 現代文は高校生より正答率が低く、研究グループは「大学生の活字離れが深刻になっているのではないか」としている。
 調査は今年6~7月、国立大5校と私立大3校の1~4年生までの約850人に実施。古文4、現代文2の計6問を出題し、2年前に高校生1~3年生約1500人に実施した同一問題での調査結果と比較した。
 それによると、古文では、枕草子の「春はあけぼの」の意味を「春は夜が明け始めるころが素晴らしい」と正答できた大学生は62・9%。松尾芭蕉の俳句「古池や 蛙飛び込む 水の音」の「蛙」について、「カエル」と答えたか、「かわず」という正しい読み方を答えた学生は65・3%だった。
 また、童謡「赤とんぼ」の「負われて見たのは」の歌詞の意味を「背負われて見たのは」と正答できたのも61・6%にとどまり、「追いかけられて見た」という誤答が目立った。唱歌「夏は来(き)ぬ」については、「夏が来ない」と逆の意味にとらえた学生が多く、正答率は47・8%と半数を割った。(読売新聞) - 9月18日
 
■報道では大学名が伏せられていますが、一応、面子の問題なのでしょうか?偏差値の意味が無くなっていると言われて久しい昨今の大学では、学力差などほとんど無くなっているとも聞きます。実際に大学で毎日ご苦労をなさっている先生方の話を聞くにつけ、嗚呼、もうダメかいなあ、と溜息ばかりが出ます。この調査で、序(ついで)に

「蛙を英語で何と言う?正確に発音して正しく書きなさい」
という問も付け加えて見れば良かったでしょうに。そうすれば、文科省が希望した?通り、日本語も英語も分からない奇妙が生物が大繁殖している実態がもっとはっきり分かった事でしょう。

■『声に出して読み』たくない日本語の本が馬鹿みたいに売れる国ですから、こんな調査結果に誰も驚かないでしょうが、ろくに落語も聴かない若者に古典だの伝統文化だのと無茶な注文をしては行けません。テレビでもラジオでも、めっきりと芸能番組が減ってしまいました。NHK教育放送では、日曜の午後に能・狂言や歌舞伎など頑張って放送していますが、大衆芸能に関しては、毒にも薬にもならない日本テレビの『笑点』ぐらいしか生き残っていないようです。NHKでは『日本の話芸』も放送中ですが、早朝の5時半に観ているのは早起きの御老人だけだと知った上で放送しているのですから、これも問題ですなあ。余りにテレビが詰まらなくなって、休日には寄席に客が戻りつつあるようです。何の芸を持っているのかさっぱり分からない連中がじゃれ合って、怒鳴りあって、笑い合っているだけの番組を何百時間観ても、洒落の一つも覚えませんし、粋な物言いも身に付きません。見事な話芸を堪能すれば、真似したい気の利いた表現も拾えるのですが、今時のテレビやラジオからは学ぶべき物がまったく無いでしょうなあ。真似をすればアホと思われるような無駄話しか放送していないばかりか、とてもプロとは思えないアナウンサーを自称する人がぞろぞろ出て来るようです。

■「あんな程度なら私も出来る」と思う日本人が随分と増えて、青少年の中には「テレビのレポーターになりたい」だの「アナウンサーになりたい」だのと気楽に言う傾向が有りますなあ。半世紀前には、名人芸と呼ぶに相応しいアナウンサーが仕事していましたから、とても気楽に自分もなりたい、などとは言えなかったのではないでしょうか?それだけ日本の若者の言語能力が向上したのならば誠に結構な事なのですが、実情はその逆で、素人同然の粗雑な話し方しか出来ない人々が、テレビやラジオでわいわいやっているのを見聞きした若い人々が「親しみ」を感じて就職を考えるのでしょうなあ。

■「速報性」と「親しみ」、一体何処の誰が言い出したのかは存じませんが、この二つを免罪符にして放送文化は底なしの堕落を始めたのです。急いで報道するから多少の間違いやトチリは許されるのか?「親しみ」と言いながら視聴者を馬鹿にした番組を乱造して良いのか?NHKが子供向けに『日本語で遊ぼう』という番組を放送し始めた時は衝撃的でしたなあ。しかし、タネ本が『声に出して読みたい…』でしたから、


「今日の名文! 我輩は猫である。 夏目漱石」

と幼児が元気良く読み上げる声は愛らしいのでしたが、「一体、この文の何処が名文なのか」さっぱり分からず企画の意図が掴みきれなくなってしまったのでした。例えば、とても美しい風景に感動して、その場の石を一つ拾って来て、それを見せられながら「美しい風景を想像しろ」と言われても無理でしょうに!何回か観ている内に、「この番組は日本語で遊んでいるのではなくて、日本語を馬鹿にしている!」と腹が立って来てからはまったく観なくなりましたなあ。

■落語の枕には、諺や俳句、警句に小唄、なんでも取り入れられているもので、それが分かっていないと最後のオチが分からない仕掛けになっているものですから、油断無く耳を澄ませて集中していないと行けません。羞恥心が欠如したゲイニンが、突然裸になって見せたり、危険な目にあって醜態を晒しているのを見た瞬間にゲラゲラ笑っているようでは、日本語はどんどん衰退して行きますぞ!本物を紹介しなくなったメディアは、一時の盛りを過ぎれば、何も残さずに消費されて終わります。そんな物に幼い脳ミソを漬け込んで置けば、どんな日本人に育つかは誰にでも分かるという物でしょうなあ。その結果が、大学生をサンプルにした調査で再確認出来た、というだけの話でした。


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何を今更、漢字の心配

2005-09-13 07:38:14 | 日本語
■「日本漢字能力検定協会」というのは、世界標準にはなれないままの「英語検定」を真似て旧文部省が作った天下り団体には違いないのですが、学校の外にこんな組織を作っているのが日本の教育問題の深刻さを示しているとも言えますなあ。因みに、旅限無は漢字検定2級を持っていたりします。資格マニアというわけではなく、ちょっとした柵(しがらみ)で受験する必要が生じた事が有りまして、漢検協会推奨の教材など一切買わずにぶっつけ本番で受けたのでした。

漢字能力:大学生は低レベル!?苦手は四字熟語、誤字訂正--正答率4割切る 日本漢字能力検定協会調査

隣人はアイビョウ家▽油のシみ▽ドタンバで逆転。カタカナ部分を正しい漢字で書けますか? 全部、高校卒業程度の漢字です--。財団法人日本漢字能力検定協会が初めて実施した調査で、中学・高校・社会人に比べ、大学生の漢字能力の低いことが分かった。

4~5月、中学・高校・大学・新卒社会人の1年生計8365人にテストを実施した。中学生は小学卒業、高校生は中学卒業、大学生と社会人は高校卒業程度を出題。正答率は中学生が78・5%と最も高く、高校生は59%、社会人は60・7%。大学生は39・8%と目立って低かった。

問いは、漢字の読み書きのほか、部首や対義語など。大学生の正答率が特に悪かった分野は、四字熟語の書き取り(14・5%)、誤字訂正(15%)だった。

大学生の正答率が低かったことについて同協会は「受験用の勉強に偏っているためでは」と分析。「漢字は、一つ一つが意味を持つ世界でも珍しい表意文字。奥深い文化があるので多くの人に楽しんでほしい」としている。(冒頭の問いの答えは、愛猫▽染▽土壇場)【大迫麻記子】毎日新聞 2005年9月12日 東京朝刊

■昔、英語タイプライターの宣伝で、「単語は指で覚える」という当時としてはカッコ良いCMが有りましたなあ。テンポの良い作品で、学生達が次々とブラインド・タッチの動作を思い出して、英単語を正確に覚えている事を示す内容でした。その影響か、旅限無も指の筋肉が鍛えられる安物タイプライターを買ってもらってバチバチと打ったものでした。それが多少は効果を発揮したのか、英語もちょっと使えるようになったようですが、それよりも日本語ワープロが出現した時に、一足先に「ローマ字入力」を習得して大いにタイプライターに感謝したものです。

■さてさて、学年が進むに連れて日本の学生達が漢字能力を低下させている原因は、単に「手で書かなくなるから」です。ですから、小学生からパソコンのキー・ボード操作を教えようと頑張ると、ますます漢字能力は落ちて行きます。携帯メールは漢字を駆逐して、ついには仮名文字も捨てつつあるのですから、漢字検定協会も無用の長物となるでしょう。英語はタイプライターでキーの位置を頼りにして、確かに記憶を定着させることは出来ます。しかし、かなを漢字に変換する便利な日本語ワープロでは、いくら指の動きを覚えても漢字は覚えられません。中国が難行苦行の末に考えた漢字入力システムの中には、漢字の部首を正確に記憶していないと使えない方式が有ります。でも、便利な日本語ワープロでは無理です。暢気に部首検索や総画数検索をしながら漢字を探さない限り、漢字と真剣に付き合う事などないでしょう。

■昔のタイプライターCMの向こうを張って、是非とも、毛筆や硯メーカーに漢字習得を強調した宣伝をして欲しいものです。


「漢字は筆で覚える」

という宣伝コピーで、学生達が漢字テストを受ける時に運筆を思い出して、画像処理して加えた「吹き出し」の中にピカリと光って漢字が現れる。ちょっと、地味でしょうか?でも、漢字はこれ以外に覚える方法が無いのです。漢字は面倒だから書かない、だから、覚えない、分からないから読みたくない、漢字の多い本は敬遠する、だからますます知っている漢字が減って行く、このアホなスパイラルに入り込んだ学生が再生することは無いでしょうなあ。有名大学卒業なのに、仕事で書類を作るのにも漢字が使いこなせない。その内、自分の名前くらいしか漢字で書けない!などという豪の者が現れる、否、もう沢山出現しているのかも知れませんなあ。

■せいぜい、旅限無では漢字を多目に紛れ込ませて、時代に反抗していようと思っております。大切なことは、日本語は漢字の数がそのまま、認識可能な「概念」の数と一致しているという事実です。漢字を少ししか知らないという事は、頭脳が扱える「概念」が少ないという事なのですなあ。そういう人が喋ったり書いたりする言葉は、直ぐに飽きられてしまいますから、意地になって「固有名詞」で時間を稼ぐようになります。そのためには、流行物に関する情報をコマメに仕入れて置かねばなりません。そうすると、カタカナ名前ばかりの商品名や歌手名ばかり覚えるようになりますから、ますます知っている漢字は減って行くのです。嗚呼。


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政治記者の日本語

2005-08-08 19:32:44 | 日本語
■解散だ!選挙だ!と各テレビ局は大はしゃぎ、参議院議員の方でも、全国に顔を売るチャンスなので、あちこちにしゃしゃり出ては掻かなくても良い恥を掻いているようです。それにしても、個人的にずっと注目している日本テレビの政治部記者が、出ずっぱりだったらしいので驚きました。日本テレビはフジテレビに比べてアナウンサー教育に熱心であるような印象が有るので、妙な「日本語」が出て来るとヒドク気になるのです。その政治記者の名は粕谷賢之さんというそうです。ミドル・ネームに「デスネ」を加えて、粕谷・デスネ・賢之と呼びたいと存じます。

■この一年間ぐらいの間に、アナウンサー室あたりから注意か訓練を受けている可能性もあるほど、「デスネ」の使用頻度が半減しているのですが、興奮状態になると1分間に3回から4回の「デスネ」が文節と文節の間に挿入されるので、せっかくの現場密着で熱心に取材して来た情報が、ぜんぜん記憶に残りません。小泉さんの再選の時でしたか、生々しく実況中継風に国会内の熱気を伝えてくれたのですが、息も接がせずに一気にまくしたてたので、「デスネ」しか頭の中に残らなかった事だあります。真面目そうな風貌なので、決してふざけているとは思えないのですが、分かり易く伝えようとすればするほど、力入って「デスネ」が連発されるのです。

■昭和40年代に、文節と文節の間に挿入される「サ」「ネ」「ヨ」などを全国的に駆逐する国語指導が大流行した事があります。良かれと思って実施されたこの大運動が、今でも残っている「語尾上げ」イントネーションを生み出したのだそうです。次の文節を思い付くまで、前の文節の語尾をひっぱって間を持たせるために、「それでぇ~、あたしはぁ~、急いでぇ~、コンビニにぃ~、行ったんだけどぉ~」というあの間の抜けた日本語です。自分の言語力を超える速度で話そうとすると、気持ちだけが先走りして自分が話したい言葉を追い越してしまうので、その時差調整をしているらしいのですが、もう少し高度な話し手は、この間抜けな語尾の間に相手の表情を観察しているようです。語尾の後に「でもね」などの否定辞を入れて徐々に相手の気に入る方向に話を変えて行く日本人らしい高等技術です。

■ところが、どうも北九州の福岡あたりを震源地として、「ネ」だけでは無様なので「です」も加えて、「デスネ」が開発されたらしいのです。極めつけは、話の先頭に「あのデスネ、」が出て来るほどに、この「デスネ」の汎用性は高く、「あのぉ~」というもじもじした雰囲気を遮断して、何事かを言っているかのようなイメージを相手に与えてしまう技術です。「あのデスネ、今日デスネ、会社にデスネ、お邪魔してデスネ、ご説明申し上げようとデスネ、思ってデスネ、タクシーにデスネ、乗ってデスネ、急いだんですけどデスネ、道がデスネ、渋滞してデスネ、ぜんぜんデスネ、車がデスネ、動かなくてデスネ……」という風に使うようです。

■これが関門海峡を越えて本州にも渡って、東京あたりまでは広がっているようで、アナウンサーには認められないのでしょうが、放送記者という不思議な職業の中では逞しく生き残っているようです。政治状況の変化によって仕事上の決断を急がねばならない時に、「デスネ」ばかりが挟み込まれると、非常にいらいらしてしまうでしょう。どうして政治記者がマイクを握って喋らなければならないのか、今でもさっぱりその意味が分かりません。その奇妙さは、裁判所の正面玄関から必死の形相で走り出して来て、髪を振り乱してマイクに飛び掛って「し、し、死刑、死刑、死刑です!死刑判決が出ましたぁ」と叫ぶ若手アナウンサーにも共通する、自分勝手な現場主義、テレビが出現したばかりの頃に作られた古臭い思い込みが、今でも伝統としてテレビ局に残されている証拠を見る思いです。台風情報と称して、危険極まりない海岸の浪打際に若手アナウンサーを立たせて、必死の実況をやらせている各テレビ局は、間も無く犠牲になるどこかの局のアナウンサーや現場スタッフの葬式準備をしているのでしょうか?「まさか、こんな事になろうとは、思いもしませんでした」などと、白々しい弔辞など読まないように希望しています。

■さて、粕谷・デスネ・賢之さんは、何時の間にか社内で出世なさったらしく、スタジオで政治状況を図表や模型を使って説明して下さるような身分になっておられます。分かり易く工夫されたフリップや立体模型も色あせる「デスネ」の連発は、どうしても情報に集中しようとする耳を妨害します。いけない、いけないと思ながら、政治関連の速報を求めてテレビのスイッチを入れてザッピングをしている時に、粕谷・デスネ・賢之さんの顔を見つけると、つい、右手の指を折りながら、「デスネ」の数を確認してしまうのです。きっと、優秀な政治記者さんなのでしょうから、現場で優れた取材活動をして頂いて、ワープロだろうとメモ用紙だろうと、何を使っても良いので、「デスネ」が入らない「放送原稿」をスタジオに送るようにはして頂けないのでしょうか?

■若い日本人に対する日本語教育の重要性が叫ばれている時代に、「デスネ」満載の日本語を公共放送の電波で野放しにしていると、この伝染性の高い人造日本語が全国に蔓延してしまう心配が有ります。既に、訓練不足の若手アナウンサーに多い「ナンデスガ」攻撃は、学校教育の現場に相当の影響を既に与えているのですから、もう少し、日本語の事をテレビ局は考えて下さいませんかねえ。もしも、粕谷・デスネ・賢之さんが、福岡出身であるのなら、遠慮なさらずに福岡弁で国会の緊迫状況を実況して下さったほうが、臨場感も伝わるし、「デスネ」の煙幕も消えて情報の多くがそのまま伝わると思うのですが……。それとも、日本テレビには、あの面白い日本語を特別に訓練する部署でも有るのでしょうか?

■日本テレビの特集番組を見終わってから、別のチャンネルでまったく同じ参議院における投票行動の解説を聞き直して、やっと情報として頭の中に納まったのが自分でも面白く思った、激動の午後でした。

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