■英語に押されて、ずっと痛めつけられている日本語は、「てにをは」の間違いや慣用句の誤用など誰も気にしないで戦後60年を転げ落ちています。「どうやら日本は米国にはなれないらしい」と気が付いた人達が、何度目かの日本語ブームを起こしています。それが案外若い世代から起きているらしい、と素人の勘で考えていたのですが、どうやら本当のようですなあ。随分むかし、「世代の断絶」などと言われまして、今をときめく井上陽水さんのデヴュー・アルバムは『断絶』でした。しかし、「断絶」が活字や音楽になっている時代は断絶を克服して繋がろう、理解し合いたいという気分が渦巻いていたのです。
■誰も「断絶」を気にせず商売にもならなくなった時代が、本当の断絶なでしょうなあ。国家意思が激突する様子が露(あらわ)になって、これから日本にしがみついて生きて行かねばならない世代が自分達が教え込まれた「日本語」を見直して生き残ろうとする気分が高まるのは言葉を使う生き物としては当然の反応でしょう。テレビやラジオが生活に欠かせない道具になっていても、「言葉のプロ」だと認められる人(声)が見つからないし、学校に行っても「日本の専門家」にはなかなか会えないですから、困ったものです。文学界では、絶望に狂ったかのように開き直って、乏しい語彙を物ともしせずに書き散らした、エネルギーだけが満ち溢れているような本で商売しようとしているような気配です。
「青田買い」→「青田刈り」など、中高年ほど“誤用”
「青田買い」よりも「青田刈り」、「汚名返上」よりも「汚名挽回(ばんかい)」など、本来とは異なる慣用句を使う人が、中高年に多いことが12日、文化庁が発表した国語に関する世論調査で判明した。
若者の方が正しい使い方をする人が多く、文化庁は「中高年は言葉を知っているがゆえに、混同してしまうのでは」と分析している。
調査は、今年1~2月に、16歳以上の3000人を対象に実施。「青田買い」「汚名返上」「伝家の宝刀」の3語について、正しい表現と本来とは異なる表現のどちらを使うか聞いた。その結果、「青田買い」を使う人が29・1%だったのに対し、34・2%は「青田刈り」を使うと回答。「汚名挽回」も44・1%で、「汚名返上」(38・3%)を上回った。本来の「伝家の宝刀」は41・0%で、「天下の宝刀」(25・4%)を上回った。
年齢別に見ると、30代以下では、「青田買い」が多いが、40代でほぼ同じ割合になり、50代で逆転。「汚名返上」も、10~20代は正しく使う人が多かったが、40代の5割が「汚名挽回」とした。
文化庁によると、「青田刈り」は、辞書によっては容認しているが、「汚名挽回」「天下の宝刀」は誤用とされる。若者に“模範解答”が多かったことについて、文化庁は「授業で取り上げられることが多いからでは」としている。
(読売新聞) - 7月12日
■後は野となれ山となれ、俺達は生活を支えるので精一杯だ!と余りにも大きくなり過ぎたバブルを吹き飛ばして、後始末など思いも及ばない世代は逃げに入っているのでしょうか?この記事の問題は、最後の段落に有りますぞ!。
「青田刈り」は正しく使われていると敢えて主張します。稲穂が実っていない内に刈り取ってしまうことを「青田刈り」と言います。刈った後は藁(わら)にも使えない堆肥の材料です。「青田買い」は収穫が定かでない時期に投機的に売買契約を結ぶ事です。では、全ての能力において即戦力になど絶対になれない大学生達を大量に採用して、不況になったらリストラ(正しくは首切り)の標的にするのを、「青田刈り」と言わずに何と言うのでしょう?今も、「青田刈り」が日本のちょっと有名な大学では続いているでしょう。
■「汚名挽回」も正しい!毎日毎日、「どうも、申し訳ありませんでした」と髪が薄くなった頭を三つ四つ並べて平身低頭している風景が、テレビ・ニュースで続いています。そこでは必ず、
「これを教訓として、二度とこのような不祥事が起こらないように、最大限の努力をして行くことをお誓い申し上げまして……」
と業種や業界の区別無く、視聴者側の記憶を混乱させようとしているかのように、同じ台詞が流用されいます。以前に比べて、問題が発覚すると直ぐにこうした会見を開くのは良いのでしょうが、「二度とこのような……」と言った翌日に、もっと許せない問題が暴露される事が恒例になりつつあります。そして、各種の調査報道が進むと、必ず「以前にもこの会社では……」という話が発掘されます。
ですから、会見を開くと「汚名」が消えるどころか、隠し通そうと思っていた「汚名」を「挽回」してどろどろになってしまう様を、「汚名挽回」と言っても良いのではないでしょうか?正しくは「恥の上塗り」「藪蛇」「頭隠して尻隠さず」と言います。
■「天下の宝刀」も正しい!封建的な家社会が崩壊したら、家族や家庭まで崩壊してしまったのが、米国の模倣をし続けた日本社会の業績です。従って、家法も家訓も無くなった今の日本で「伝家」は意味が無くなったのです。そこで、最後の切り札・最終兵器として取り出す物は「伝家」ではないのです。そして、伝家の宝刀を抜く時は、「家」を守る時だけと決まっているのですから、そんな時は絶対に来ません。それよりも、トボケた日本外交の御蔭で、近所が騒がしくなっている昨今、「天下の宝刀」を用意して対処しなければならい日が間も無くやって来るのです。
■他の報道では、否定的表現が強調表現に「誤用」されているとの指摘も有りましたが、そんなものは言語学の世界では当たり前田のクラッカーなので取り上げる必要は有りません。
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