12月25日、北朝鮮とソ連が軽水炉供与協定に調印。
■プルトニウムを容易に抽出できる黒鉛減速型原子炉の替わりに、燃料棒を簡単に抜き取れない軽水炉型を供与するというのは、ゴルバチョフ時代にKEDOを先取りしていたという事になります。しかし、この協定はソ連の崩壊によって実施されなかったようですから、米国が結果的に計画を引き継いだ格好になります。
1986年1月20日、米韓合同軍事演習(チームスピリット86)を理由に南北赤十字・経済・国会予備の3つの対話を北朝鮮が一方的に中断。
■日本では大したニュースにもならない日韓・米韓の合同軍事演習ですが、戦争準備を続けている北朝鮮にとっては自国が装備したくても出来ない優秀な大型兵器が惜しげもなく投入される演習は、文字通り「心胆寒からしめる」恐怖の対象でしょう。万一、日米合同艦隊が日本海に集合し米韓合同の陸上部隊が朝鮮半島に集結し始めたら、陸でも海でも兵力が集まった場所に迷い無く核ミサイルを撃ち込んで壊滅させねばなりませんし、後方兵站基地となる在日米軍基地と自衛隊駐屯地にも戦術核を使うでしょう。北朝鮮軍の構成が陸軍10に対して海空合計でも1という実態を見ても、第1次朝鮮戦争を再現して38度線を突破して怒涛の半島南下を計画しているのと思われます。それには何としても、事前に強力な援軍となる米軍を半島に近付けず、韓国軍の大半を壊滅させておかねばなりません。
1月、実験用の黒鉛減速型発電炉を運転開始。
4月26日、ソ連のチェルノブイリ原発で大事故。
9月15日~翌年10月15日、ドイツ企業が核燃料棒に使用する米国製ジルコニウムを北朝鮮に密輸出。
■世界中が放射能汚染に恐怖したチェルノブイリの大事故を挟んで、北朝鮮は何事も無かったかのように、同じソ連から供与された技術で原子力発電所の建設を急いでいた実態が分かります。事故当時、ソ連国内は勿論ですが、欧州の広い範囲に汚染物質が降下して農作物が深刻な影響を受けました。特に牧草の汚染が大変で、ガイガーカウンターが危険を知らせるほど汚染された乳製品がまったく売れなくなったものです。ドイツあたりから、汚染された「粉ミルク」が大量に国外に持ち出され、その行き先が北朝鮮だという噂が流れた事も有りましたが、核開発の片棒を担いで商売している企業が居たのですから、公民をまったく愛していない金親子ならば、恐ろしい汚染食糧を安価に仕入れて「贈り物」にするくらいは朝飯前でしょう。勿論、自分たちは常に特別食を用意させて……。
■そしてこの1986年には、95年完成を目指して5万キロワット級原子力発電所の敷地着工。96年完成予定の20万キロワット級原発が着工していて、政務院(内閣)に原子力工業部を設置。崔学根が部長に就任しているのですから、民を餓死させても構わないという断固たる姿勢が貫かれていた事が分かります。食糧援助も使いようによっては強力な武器になるのですが、武器というものは、須(すべか)らくそれを使う者が優れた技量を持っていなければなりません。トンデモない人が武器を持つと敵味方を間違えたり、使い方を間違えるので物騒で困ります。それは政治家ばかりの話ではなく、民主主義国家には「選挙権」と言う最強の武器が国民に与えられているのですから、よくよく考えてこの武器を有効に使いたいものであります。
■86年から北朝鮮は「スカッド改Bミサイル」の本格的な開発を開始しています。父子の権力委譲のために国内の権力基盤を固める粛清ばかりしている間に軍隊の質も数も、発展著しい韓国に対して隠しようもなく劣ってしまったからでしたが、それには核爆弾の開発には欠かせないミサイル技術が不可欠ですし、全面的に軍を現代化しなければなりません。それには軍人の再教育が必要ですから、これも結局はソ連に頼るしかありませんでした。この年から合計400名にも及ぶ大規模な軍幹部のソ連留学が始まっています。勿論、国外逃亡などの背信行為をする可能性が皆無の、激しい粛清という篩(ふるい)に掛けられた申し分の無い出身成分と資質に恵まれた将軍と将校級幹部ばかりでした。
■しかし、貧困独裁国家の悲しさで留学生達に給付された生活費は涙が出るほどの少額でした。留学生達はそれでも健気(けなげ)にソ連各地の軍関連の教育機関で熱心に勉強しました。偶に帰国する度にソ連でも人気の朝鮮人参などを鞄に潜ませて留学先に持ち帰り、ロシア人に売って小遣稼ぎをしていたのだそうです。クレムリンは中ソを両天秤に掛ける北朝鮮に対して全面的な信頼などしていませんでしたし、フルシチョフの「スターリン批判」以来のソ連批判に腹も立てていましたから、将来の軍事エリート達をスパイにするべく御得意の謀略工作を仕掛けました。日本の外交官や外遊好きの政治家がカモにされる「ハニー・トラップ」と呼ばれる色仕掛けに加えて、小遣稼ぎの朝鮮人参販売を重大な「密輸」犯罪だと言い立てて摘発して強迫したりしたそうです。