沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩488 検証 18の4

2013年10月16日 23時31分54秒 | 政治論

 米中対決とはいえ、日本国の自律的独立性は外患に煩わされることなく(あったのは元寇だけだ)、敗戦まで、有史以来2000年近い時間を独歩し得たのであり、この驚くべき、類例のない永続性は極めて特殊な内情に由来することを予感させる。漢字を崩して平仮名を発明し、如何なる外来宗教にも決して本然のところで染まらず、ほぼ無神論的な汎神論で経過してきた。国家神道的なイデオロギーは民衆に浸透せず、専ら氏神信仰の儀式的形式的練成が齎す地域帯同性において充足し、民衆の生活感覚においては狂信的な性向を可能な限り排除する傾向にあった。ここに民衆の健全性が保たれた。しかし知的レベルの乖離は如何なる仕儀かこの国の有史以来覆うべくもない格差を生んで止まなかった。独占的文化の階級的分離がどの時代にも歴然としてあった。尤もこうした傾向と有り様は何時の時代も何処の文明にも見受けられる。とりわけ近代以前にはそれが常態であったしこれを破壊的に攻撃し自尊の権利を獲得しようという塊は殆ど見当たらない。言わば革命思想さえも特権階級に独占的に囲われていたわけだ。ところで日本国において知的レベルの最高峰を極めながらなおかつ革命的な思潮を深化し得たというべき安藤昌益は、いかにしてその奇跡的な危険思想の生育に勤しむことができたのだろうか。(つづく)


詩488 検証 18の3

2013年10月16日 09時42分57秒 | 政治論

 アメリカ独立戦争は1778年から1783年までの、英国本国と東部沿岸13植民地との戦争でありパリ条約により英国がこれらの植民地の独立を承認した(アメリカ合衆国)。以来今日まで330年という時間を経過している。中華人民共和国は、満州民族支配(清朝)からの脱出の内容で漢民族の蜂起から孫文の中華民国成立に至り、更に、欧米による半植民地的状況の打開という実質で、所謂国共合作により、日中戦争を連合国側での戦勝国(中華民国)で終わらせ、その後、毛沢東と蒋介石の国共内戦の結果毛沢東率いる人民解放軍が勝利し、1949年中華人民共和国として独立に成功した。以来64年を閲している。米国の独立64年後には西部進出と周辺属国の囲い込みを進めた時代だが、更に下って1861年奴隷解放を巡る南北の対立から最終的な国内戦、南北戦争が始まり1865年に合衆国勝利で、以後鉄道敷設と西部開拓により北米大陸の中枢部分を完全に手中に収めることになるという、所謂黄金時代が始まったわけである。この間米国のアジア進出のなか日本との国交が開かれたり、ハワイの併合、フィリッピン、グアム、プエルトリコの植民地化、キューバの保護国化を通じ現在の版図を確立したのだった。独立後およそ100年はかかっている。中国の現在の有り様は、米国との国家体制の違いは別として、長いようで短い時間のなかで「発展途上」にありその完成は今後数十年のインタ-バルでの話だといえる。(つづく)


詩488 検証 18の2

2013年10月15日 16時07分30秒 | 政治論

 官憲は、治安維持法に則って何故ああもどぎつく反共防共思想に凝り固まったか。レッドパージは、何故アメリカの50年代の猛然たる旋風にまでなったのか。米国国家安全保障政策、乃至情報諜報防諜システムの無欠の完備は、ただひとつの敵のために世界中を席巻することになった。戦前、小林多喜二の拷問惨殺を、単なる官憲の過剰公務執行とみなして止むほどその行為は単純でない。日米防共軍事同盟(日米安保)は、取りも直さずあの日独伊三国防共協定の引き写しではないか。時代が前後するが、これらの国策にみるのは戦前も戦後も、日本国乃至米国の反共防共思想に、全く変更はないということだし、20世紀に入って世界を経巡ったあらゆる戦争は殆ど「カソリズム対コミュニズム」を主題とした交響楽であった。一方今、戦前の皇室皇族関係の資料を紐解いて明らかに言えることは、結局、天皇制死守「国体護持」のために共産主義をその最大最悪の敵と見る必要のあったことが散見されるし、実際日本共産党にあっては、天皇制を否定しその莫大な財物の人民返還を迫っているし、当然ながら戦前においても、反戦非戦思想とその意思を明確にしている唯一の党派であった。従って、とりわけ皇族の中の政治的塊にあっては、明らかな反共防共の考え方に徹していること尋常ならざる勢いがあった。天皇制絶対主義と皇民化教育の根底には、共産主義乃至反天皇制思想を徹底的に排除駆逐し、これらから天皇制を守護するためのありとあらゆる手段を講じて止まない官憲の機械的でさえある職分があった。(ナチのゲシュタポに匹敵するかどうか知らないが)敗戦後天皇裕仁にソ連社会主義の脅威が目前に迫り、戦々恐々として自己保身的「国体護持」に走った形跡は、この期に及んで益々危うくなった天皇自身の身の振り方において、例えば琉球島嶼を防共最前線とすべく米国にその永続的占領統治依頼メッセージを伝える必要があったし、その祈願に近い戦後日本の安寧のためには琉球の人身御供的犠牲は、そこに住む人民の意思に関係なく必要と踏んでいた。つまり琉球にとって昭和天皇乃至皇室皇族というのは、日本国の一員である限り永続的に敵に違いないのである。(つづく)


詩488 検証 18の1

2013年10月15日 07時28分44秒 | 政治論

 今すぐ直ちに解決しなければならないような大問題など此の世には存在しないのだそうだが、逆に言えば短時間においそれと解決する単純な問題も此の世にはないことになるし、此の世にはひとつとして容易なことはないのだそうだ。それは小林秀雄の言のように記憶するが、「けれども、だがしかし」という言葉を嫌ったのは三島由紀夫で、彼は何事につけ決然としていたなどという話、である。共に文章をものするとき筆者が必然意にかけざるを得ない事柄に属するのだが、我々の「プロレタリアートの心臓」が絶えず攻撃を受ける「倫理観」から敷衍すると、その最たるものは「転向問題」であり、これほど現実的で人間的で永く尾を引く大問題はないように見えるが、よくよく考えればこの「個人的な問題」をかくも大問題化したのは結局日本の「私小説的環境」のなせる業ではなかったか、ということになる。文学的豊穣という点ではロシアの大作家を連想するが、「民衆の最低段階」を通過しなければ、日本的な「心境告白」的な文学に一定の権威性すら付与した近代史を根底から覆す人類的な普遍性を捉える世界性に直結することはできない、というような反省は、この国に絶えてなされたことはなかった。(つづく)


詩488 検証 17の3

2013年10月14日 09時57分19秒 | 政治論

 15年戦争の捉え方は現実と理念の両刃の剣で扱えば済むと言うものでないことは容易に了解されよう。そこには複雑な日本人的事情がある。しかしそれは世界的事情でもある。何故ならそこには21世紀的展望という課題が控え、20世紀的総括乃至19,20世紀的理念の淘汰と洗い出しという文民課題が厳然としてあるからだが、残念ながらこうした課題に対する世界のアプローチは甚だしく脆弱な様相を呈してきた。日本が急激な資本主義の発達と軍事的覇権的拡大によって多大な犠牲を払いながら敗北し去ったと同様に、大国主義のソ連もまたアメリカもその官僚社会主義の限界で潰えたのと地域と異域の民族的自決に虚しく追い払われたのと、共に必ずその方向性が完敗することの証明のように世界に負のイメージを与えたのだった。既に西欧の没落は予言されていたがその甚だしい兆候は財政困難に陥った農本貧困国において如実に顕在化した。ヨーロッパの衰退はこれらの諸国が19,20世紀にかけて後進地域にその市場拡大を諮り、戦乱とともにこれらの植民地を喪った結果の自然な流れに過ぎない。一国限定資本主義という考え方、モンロー主義のようなのもありえるし、江戸日本国の鎖国もあり得る。TPPはアメリカ合衆国の独善にほかならないが、米国一国集中支配的世界観にあってはこれも過渡的な役割を担うのであろう。経済戦争の段階では各国間論争が盛んになるだろうが、一方で米国のように「威嚇と懐柔」を旨とする、本来戦争経済の骨組みを改変しない国家方針においては、絶えずきな臭い非常に反人民的な軍事的傾向を醸し出し、これの影響が諸処に突出してくることをはっきりと考慮しなければならない。どういうことかというと、例えば日本国首相安倍晋三の考え方は、本来従属性と追随性によって主体的自由主義の基本を喪失している日本国が、いかに集団的自衛権容認をもって多くは米国の戦争に実戦的に加担したとしてもこれを国家的な自律的防衛手段と考えるものは恐らく誰一人としていないし、ただ単に米国属国化を一段と進めるだけの売国的方向へ流れるだけのことだ。(つづく)


詩488 検証 17の2

2013年10月14日 07時08分31秒 | 政治論

 日米ガイドライン2プラス2の内容から言えば日本政府乃至日本人の基本的な考え方には非理念性が露骨に表れており、まるで「女々しい」現実論が王道か既定路線のように蔓延っているのがわかる。日米同盟堅持は言わずもがなだがこの同盟の非同盟性もさることながら、日本側の相変わらずの米国「核の傘」有効論やあるいは完全な「吉田ドクトリン」丸ごと踏襲という停滞的な思考回路が見え透いていてやりきれない。この国の気概のなさはそのまま安保に関する日本人のそれに直結し、戦後68年のこんにちにあってさえ現実的に防衛構想やら戦争観念をまともに扱う論陣に出会ったためしがない。三島由紀夫が唯一の正論だったが彼に決定的に論理的飛躍を加える「天皇制」さえなければ、左右の別なく推奨しうる考え方に違いない。当然日米安保はこの国をだめにする元凶であり即時廃棄とすべき不平等片務協約ということだ。では文化防衛論の骨子は那辺に存するか。(つづく)


詩488 検証 17の1

2013年10月14日 06時36分02秒 | 政治論

 勿論筆者の「検証」は印象論であり直感論にほかならず、実証性に乏しいので誰も一瞥程度で気にも留めないはずだが、人は自身の能力の範囲でしか物事に対処できず、背景から掘り起こして裏付ける手間を省いた片手落ちの謗りというのは甘受せざるを得ないとしても、専らおのれの痛いところを好んで突っついていることは努めて自戒して心がけていることではある。別にMでもないのだが、弱点や痛みの伴う部分を殊更に穿ることは、しばしば、物事の本質に肉迫する方法のひとつでもあるのだ。(つづく)


詩488 検証 16 画一主義

2013年10月13日 07時57分24秒 | 政治論

 琉球処分により琉球史の本筋を地方の一王藩に格付けし、維新後の処分を見做し藩から大日本帝国の中の一地方自治体としての県単位に定置したのち、国と県あるいは琉球自体が狂ったように本土並み同化策に奔走した。教育者、マスコミ、あるいは琉球人自身が競うようにこの同化の急先鋒となって、それまでの独自性をかなぐり捨て、「一般的日本人」を目指してさながら肉体から肉付きの被き(かずき)を剥ぐように「日本人」になろうとした。その根本が島ことば(クトゥバ)、ウチナーグチ(沖縄方言)の放棄、あるいは禁止、標準語への「民族移動」であり、「方言札」に代表的な無残な仕打ちであった。しかしながら琉球語を静かに見聞きしていると気がつくのだが、この「方言」の基本は日本古来の言語、つまりは古代語そのものだということだ。音韻の籠もり口に独自性がみられそこに方言性があるにしろ、むしろ正統な日本語の流れが見られ、どちらかといえば現代日本語こそ、この琉球語に学ぶべきところがあるとさえ思えてくる。芥川賞作家東峰夫氏の「オキナワの少年」では、こうした傾向への肩入れでウチナー口に漢字熟字をはめ込む方法が取られているが、面白い試みではある。アキサミヨーが呆気(あっけ)サミヨーとルビ振られたのは蓋し圧巻である。当て字ではあるが意味は通じる。逆に目取真俊氏のいくつかの作品ではルビでなくウチナー口そのものと標準文字を併置する方法が取られている。そもそも標準語なんてのは本土人でさえ正確には了解されてない代物で、エスペラント語など誰も必要としないように、日々の生活には決してなくてならないものでもない。国際連合という諸国間提携なんざ根も葉もないママゴトだということは誰でも知っているように、およそ全体主義に通じる統一的施策は実質性に乏しくかつ危険な画一主義に陥るのが一般の実情であった。皇民化教育の実践はまさしくこの言語の標準化、画一化によって助長された。(つづく)


詩488 検証 15 普天間固定化

2013年10月12日 17時35分55秒 | 政治論

 仲井真知事の言動、特に言葉(議場、会談で、あるいは記者会見での)にあって特に「県外移設」の考えを翻す素振りは見せていない。前任の稲嶺恵一氏は沖縄が本土のあるいはアメリカの食い物になることを拒むためにわざと煮え切らない態度を執って問題を先送りし続けた。防衛庁の守屋氏はこの知事にある意味煮え湯を飲まされたわけだが、恐らく県の代表的地位にある誰もが沖縄特有の基地問題に関しては、決して本土政府あるいは米国に対して譲歩するようなことはないのであろう。政府防衛省が最終段階としての「辺野古埋め立て申請」に駒を進めたのは、単なる手続き上の進捗性を印象付けるといったものだとしても、年末乃至年初期間に県知事決断が切迫的に捻じ曲がることを期待している、と見た方が実情に近いのだろう。知事籠絡は1月にある名護市長選の結果が出るまで続けられるが、一方で現市長稲嶺進氏の再選が濃厚な現時点においては、いずれにしても「辺野古埋め立て」承認はないものと踏んでいることは容易に推察できる。辺野古移設は暗礁に乗り上げることが決定的となる。これで日米合意が頓挫し、普天間返還が完全に空中浮遊に至るとすると、「普天間固定化」も現実のものとなるが、事実上嘉手納より南の基地に関する返還時期が10年後あるいはそれ以上先(22年度以降)という米側の計算計画が示すとおり、既に何事があろうとアメリカは普天間を返す気などさらさらないということだ。今後オスプレイの惨劇を、さながら原発事故のように不測の事態などとふざけた言い訳に涙を呑むような沖縄であってはならないし、仮想敵の扇情的脅威によって軍拡に手を貸すような馬鹿げた自滅行為を許容してはならない(つづく)


詩488 検証 14 地域エゴ

2013年10月11日 22時36分34秒 | 政治論

 福井県原発立地4市町(高浜、美浜、おおい、敦賀)で構成する「原子力発電所所在市町協議会」が、官房長官に、早急な「原発再稼動」の決断と、「原子力の必要性」を明記したエネルギー政策の明示を要請した。勿論協議会要請であってこれを地元の意見として参考に資するにしろ、再稼動するかどうかは、第一に、甚だ心もとない規制委員会のゴーサインほか国が決めることとて、その実現には可也のハードルを越える必要がある。この地元の意見というのはトータル的には地元経済の死活問題が最大の理由であり、実際にこれらの過疎地には原発で食っていく人が大勢いるわけで、なんの手当ても財政的移行措置もなく廃炉とするのは政治機能として極めて無責任な話ではある(尤も廃炉作業自体ひとつの重大な長期の経済業務でもある)。かといって福島第一原発の重大事故に関し、福島県の、しかもあの地域だけに特化して政治的に考慮する理不尽さと偏頗さ、あるいは片手落ちという悪弊を無視して、如何にしてこの国の全県的視野に立った政治が成り立ちうるかと考えたとき、こうした再稼動要請は所詮地域エゴにしかならない。明らかに安全神話が崩れ、廃炉にしてさえなお問題を永続的に抱え、世界有数の地震国に立地した原子力施設というものは、誰が見ても「トイレのないマンション」などという生やさしいレベルにない、人類史上の最大の禁じ手以外の何物でもない。全世界のこうした施設を完全に排除することしか方途はない。一方例えば沖縄県における基地のたらいまわし(普天間基地代替施設の辺野古利用)に対し県民が怒るのは当然でこれをしも地域エゴというのなら、それはそういう彼等自身の差別的性格を露呈しただけのことだ。(つづく)


詩488 検証 13 戦後史

2013年10月11日 09時45分29秒 | 政治論

 筆者は戦後生まれの、戦争を知らない世代の一人だが、感興的に、戦後の比較的平穏な生育期が好奇心の触覚を平穏でないものへの傾斜として働かせるのを見ている。昭和25年6月は朝鮮動乱の起こった年であり(昭和28年までつづく)、米ソ冷戦の代理としての熱い戦争が戦後5年にして早くも始まったのだった(この事実が、敗戦国である戦後日本の異常な主体性の欠落につながったともいえる)。しかもこの戦争の特需景気が戦後日本の起爆剤となり、神武景気岩戸景気と昭和30年代へ敗戦国復興の火蓋が切って落とされたのだ。つまり日本国の経済的な復興は半島における米ソの代理戦争によって齎されたのだった。尤も景気などというものは何によって良くなるかあるいは悪くなるか知れたものではない。実体経済の成長や基幹産業の興隆が骨格となるがアベノミクスのような市場経済の動向によって上辺の景気浮揚を図るというのは必ず最後に座礁するに決まっている。残念なことにその後の東京オリンピック景気以来バブルが弾けるまでこの国の土性骨は大方機械的な統計、数値、確率、効率主義によって牛耳られ、所謂マネーゲーム的な机上業務によって「額に汗せず」稼ぎまくるエコノミクスアニマルを飼い込んだ、不健全な経済興隆を手にしたのだった。その結果が現在のこの国の救いがたいていたらくである。逆に言えば「ものづくり」を主体とする実体経済の担い手が世界に類のないスキルをものにし、細々とだが確実に「世界性」を手にしつつあったということでもある。マスコミマスメデア、言論界、政治家、挙って上っ調子な戦後日本を煽りたてここまで堕落した国柄に貶めた、その罪は重い。所得倍増計画、高度経済成長と、昭和30年代の日本国が一億総中流時代を現出したことは、この時代に青春期を迎え、反発と抵抗、理由なき自己主張、といった、突出するエネルギーのはけ口が政治運動に向かい、自由を謳歌し踊りまくった全共闘世代の生産に一役買っていたことは間違いない。このエネルギーの無駄遣いが連合赤軍の異常な「悪霊」的結末に至った。(つづく)


詩488 検証 12 2.26事件

2013年10月10日 21時58分24秒 | 政治論

 三島由紀夫の「憂国」という作品名は小説的レベルでの象徴的な意味しかないようだが(ここで扱われたのは専ら切腹の美学で、現実のモデルは妻共々自決した近衛輜重兵大隊の青島謙吉中尉ではないかといわれる)、2.26事件の首謀者である(北一輝、西田税の二人は思想的扇動者と見做されたが実際には彼等の思想と無関係な兵士が多かった)皇道派青年将校とその部下たちにあっては「憂国」の至情に満ちていたという評価が相応しいかどうか知らないものの、昭和天皇が激怒し早くに賊軍と処断し兵士の原隊復帰を命じさせた事実は日本史の上で彼等を少なからず不等価に貶めたことは間違いない。他の論評に不案内なのだが、歴史のダイナミズムは彼等の行動を概ね軍部の権力闘争に重ね、所謂(皇道派の対立派閥である)統制派の主流陸軍派閥が覇権を得、大陸満州での関東軍軍事行動拡大方向へ突き進む発條(バネ)の役を果たしたように扱われる。しかし彼等の内患(政財界の腐敗堕落、農村の疲弊等)改善を優先すべきとする主張から不拡大方針をもって大陸策としたように、統制派の対中強硬姿勢とは完全に袂を分かっていた。この派閥間争闘の内容は機械的機能的効率的国防思想と、人間的内発的主体的な国家思想の対立のようにも見える。果たして昭和天皇の彼等に対する真っ向からの処決は、「統帥権干犯」の問題すら置き去りに軍部の台頭とその強硬姿勢の増幅を生んだ、まさにそのきっかけとなったのではないかとさえ思われる。(つづく)

 


詩488 検証 11 憂国

2013年10月10日 07時03分42秒 | 政治論

 「憂国」という情念は、しばしば論理的飛躍を惹き起こすが、それが情念である限り不合理な非論理性に突入するのは当然のことだ。問題となる人性が、非人情な科学的論理性に耐えられるかどうかは、「人間」存在に付き纏う限界限度を見極めるという作業を通して「人間」に肉薄し、微分的な方法でこれを析出するしかない。つまり「憂国」という情念が狂気と袂を分かつには、人性の積分、「人間」の領域を能う限り正確に計測することが前提される。「憂国」という情念自体が既にれっきとした超人間性を表しているが、この飛躍が「国家」あるいは単純に国というものに目を向けた彼の「人間」に依拠することは論を待たないだろう。不思議なことにこの表面上の矛盾は、「動機と志向」の関係を明かしているに過ぎず、国が先か国の「憂うべき現状」が先かは問題にならない。どちらかと言えば国は必ず憂うべき対象なのだ。従って彼の「憂国」が、取り立てて"英雄的に"必ずしも国のためになるとは誰も信じないだろう。「憂国」からヒロイズムを排除したとき残るのは「空想から科学へ」の科学、客観的な社会学にほかならない。しかしながら何故彼は国を見て人を見ないのだろう。例えばカール・マルクスはイギリスの労働者の実態を見て、その悲惨な労働環境に痛く同情し、その労働の仕組みとカラクリを解き明かそうと、資本論に至る経済学的論考を重ねた。そこにあるのは"労働する人間"である。この人間を観察したときこれに関わる社会が見えこの社会を統べる国に目が向く。初めから国が見えるというのは、論理的飛躍とは別物だ。むしろ人間のいない国を、そういう機構というのが問題になるというのは、「発狂」...幻覚...を前提にしないと説明できない。(つづく)


詩488 検証 10 国の堕落

2013年10月09日 08時55分07秒 | 政治論

 琉球の日本国からの離反自立は、日本国政府の対米追随姿勢にまつわる琉球施策の内容並び日本国国民の中の異族視、特別視、差別感などから必然に考慮され、有効性を追究され、その正統な方法と政治的手段により具体的に実現を期すべき案件に違いないと結論付ける。何故こうした相互対立的関係が助長されたか、ということについては、日本国の明治維新以来の近代化が持っている問題性に絡んで生じた日本国自体の問題点が指摘される。それが15年戦争の結末としての敗戦であり、これの検証総括が日本人自身の手によって眼に見える内容と納得できる結論として未だに披瀝されてないお粗末さであろう。自虐史観も、その反動としての史実捏造、軍国礼賛、戦時体制復活思潮も同じ穴の狢に過ぎない。天皇制絶対主義、皇国史観は琉球を翻弄し続けた。それは日本国国民(本土の)自体の運命とは違い一段と熾烈な形式と内容でこの地の民を人為的政治的に同化する過程であった。我々はこの地でしか起きなかった「集団強制死」の残忍な惨状に直面し、琉球近代化の病的な現状を具体的に証明する悲劇としてこれを凝視しないわけにいかない。勿論「軍命の実在」を論うことなど今となってはどうでもよい。殉国美談化に至っては愚劣極まりない牽強付会である。特攻隊員の誰も口にしなかった「天皇陛下万歳」を叫び、死に切れぬ婦女子を撲殺し、死ぬことをなにより善しとする心理状況のどこに美風を見よというのか。結果的に殉じた国が、戦後はあけすけにこの地を外国に売り渡し、あまつさえその先陣を切ったのがほかならぬ天皇自身なのだ。この流れのどこに正当な主張を見出せるか。少なくとも「武士道」には悖る、昭和天皇の自己保身にすぎなかった(国体護持は初めから折込済みのポツダム宣言受諾である)。極東裁判は7名の戦犯を絞首刑にしたが、彼等の誰が戦禍に叩き込んだ人民への謝罪を述べたのか。というよりも、一体誰があの戦争の本質的犯罪性に対し責任を負うべきか、問われたためしはなかった。これが原発事故の本質的犯罪性の責任所在を明らかにしえないこの国の堕落した国柄を示しているが、この堕落が「落ちるところまで落ちる」のなら、その行き着く先をみようじゃないか。(つづく)


詩488 検証 9 政治的問題

2013年10月08日 15時03分07秒 | 政治論

 「政治」は、それがどう定義されるのかが問題となるのではなく、又、歴史的な経緯を持った事実関係から、一般的抽象的に割り出される代物でもない。当然そこでは政治の担い手を如何にして選び取るか(間接直接)などということは全く問題にならないし、イデオロギーとして想定されるあらゆる議論(資本主義社会主義)と、その展開が本質的に重要となることもない。

 前提される統治形態(国家、集団社会、組織的結合)を排除すれば、それは至って単純な問題に帰一する。政治は「まつりごと」であり、特殊な非日常的な催事にほかならない。

 政治(まつりごと)に意味があったのは、人々の祈願事に対して代理的にあるいは代表的に信任された、巫女神女神官という地位が、絶対的君臨者あるいは超越者を想定した場において祝詞(のりと)を上げた時代においてである。

 合理的精神の自然淘汰(神の死)と、科学的裏づけ(科学的発展による未知への永久的信託)が決定的になるにつれ、こうした地位、場、意味が次第に本来性を喪失し、別種の祭祀となって開放され、今に見る催事に究極した。

 琉球における祭祀が、私見によれば古来からの絶えざる伝統芸能に昇華し、現代にあって極めて稀有な芸術性を示していることからすると(その成り立ち、経緯、政治的逃避性は別として)、日本国国土にあっては「政治(まつりごと)」に意味を持たせ得る唯一の自治体とさえ言える質なのだが、これとは別に、意味あるべき本土のまつりごとが、少しも住民を充足しない現状では、こうした政体を破壊するか漸進的に改善する方向へ進む以外ない。

 民衆には完全に辺地辺境的地位に貶めるような、本来性の及ばない政治主体を中央に抱えるなんらの理由もない。琉球独立論、あるいは琉球完全自治化は必然に考慮されるべき事由に在している。

 それらの功罪を今から論っても詮方なく、むしろこうした方向性を有効に政治問題とすることができるのかどうかだ。ここで初めて政治が現代的に定義づけられるべき理由を発生する。しかもこの点においてさえ琉球は、特殊に非日本的な立場に置かれている。つまりこの問題を扱うことは独立した自治体としてではなく今まさに隷属的に組み込まれた状況で内発的に発信しなければならないハンデを抱えているわけで、ここに琉球における独立や完全自治の政治問題の有効化が困難な事情がある。(つづく)